ダイナーⅡ

平山夢明

ダイナーⅡ

2

 雷鳴が轟いた──フラッシュを焚かれたように店内が一瞬、明るく映える。暗闇に溶けていた少年の姿が浮き彫りになった。ぼさぼさの髪は逆立ち、膝上で切り落としたデニムのパンツからすらりとした脚が伸びていた。彼はナイフを掴んでいるのとは反対の、親指の爪を噛んでいた。
「......扱い方を間違えなければ」
 喉の奥でひっかかり気味に声が出ていた。
 再び闇に溶け込んだ少年は足を停め──こちらを見ているようだった。

 わたしは自分の包丁がドアの脇に把手をこちらに向けて落ちているのを確認した。一挙動では届かない。拾いに行くには空身で少年の虚を突き、隙を作る必要があった。
「どういう意味?」
 強く警戒する声が返ってきた。
 わたしは包丁を見るのを止め、少年の顔と思われる辺りに目をやった。
「人を道具のように扱うなら気をつけないと......道具は敵にも味方にもなるわ」
 その瞬間、空気を切る音がし、お腹にドスンと衝撃が走った。ナイフが見事に鳩尾(みぞおち)からほんの少し下に突き立っていた。投げ終えた少年が腕を戻すところが目に入った。
「殺されたいのなら今、云え。いろいろ知ってからだと面倒臭い」
 "面倒臭い"が"メンジョクサイ"と聞こえ、奇妙なことにそれが彼を少年に生々しく変えた。
 わたしは肩の力を抜いた。

「あの人の名を、どうやって知ったの?」
 ──間。
「知ったんじゃない。あいつが云ったんだ。あんたを......オオバカナコを連れてこいって」
 再びの雷鳴(フラッシュ)。
 少年がわたしを真正面から凝視していた。
「人殺しはしないわよ」
 その時、初めて彼の顔に笑みが浮かんだ。
「できると思ってんのかよ、あんた」
 少年はわたしに近づくとお腹で斜めになっているナイフを抜き取った。
「次からは、もっと薄い本にしな。致命傷にならない程度に刃物を受ける気でなけりゃこんなことはよすんだ。こう見え見えじゃ糞の役にも立たないぜ」
 彼はわたしを立たせると、落ちていた包丁を手渡した。
「必要があれば使いな。人に使うのが厭なら自分に使えばいい」
「わたしに渡すの。自信あるのね」
「人殺しはしない主義らしいからな」彼はそこで一旦、言葉を切ってわたしを見た。
「だが......俺は違う。それだけは忘れんな」

 彼はそのままドアを開けると、わたしを連れて外に飛び出した。弾幕のような雨が全身を叩く。風も強く、うかうかしていると腰の辺りから持っていかれそうになった。
 行政に舗装修理を放棄された旧道はタイヤが抉(えぐ)った穴で地面のあちこちが剥き出しになり、ぬかるみに靴が沈んだ。街灯もまばらな道を進んでいくと、果てにわたしが店を出す十年以上も前に廃業したマーケットの残骸がある。壁は崩落し、客を迎えていたはずのファサードのテントは布地が落ち、骨組みだけになっていた。少年はその裏手に回った。旧道からは目につかない搬入口の奥に黒塗りのSUVが隠れるように駐めてあった。少年は鍵を取り出すと、中に乗り込んだ。ドアは開けっ放し。
「早くしろ!」
 少年が鍵を放ってきた。
 乗り込んでドアを閉める。少年は物入れ(グローブボックス)からスマホに似たものを取り出すと熱心に眺めた。モニターに市街地の地図が浮かんでいる。その明かりに浮かぶ面(おもて)に緊張が走り、短い溜息が漏れた──微かにミントの香りがした。
「行くぞ」
 続いて彼が口にした場所は、店からだいぶ離れた山側の町だった。
「そんなところに〈彼〉がいるの?」
「行きゃわかる。ぐずぐずしていると何もかもが台無し、あんたは永遠に奴には逢えない」
 わたしは返事の代わりにエンジンを掛けた。

                    *

 いくつかの産廃場の看板が現れては消え、現れては消えする住宅街から遠く離れた林道を進んでいると、車が走り出してから口を開かなかった少年が〈停めてエンジンを切れ〉と短く云った。
 彼はそのまま暫くモニターを睨みつけ、グローブボックスにナイフを突っ込むと、代わりに鉄製の〈ごついパチンコ〉と弾の詰まったビニール袋を取り出した。
「ついてきな。包丁を忘れるなよ」

 道を奔(はし)る泥水と砂利に爪先を取られながら彼の後を追うと、道から外れて雑草に埋もれて建つ一軒家に辿り着いた。かつては洒落た木造二階建てだったのだろう。
 一階に灯が点いていた。
 腰の辺りにまで茂った雑草に埋もれながら近づくと、裏手に三台のセダンが駐まっているのがわかった。雨がわたしたちの音を完全に消していた。
「どういうことなの」
「叱(シ)ッ!」
 彼が睨みつける。
 わたしは質問を諦め、ついていくことにした。

 横手の窓から中を覗こうと窓枠に触れた途端──身の毛もよだつような悲鳴がした。
 壁際に躯(からだ)を押しつける。
 なかを確認した彼がしゃがみ込み、わたしの腕を取ってポーチへ駆け出した。
 黴(かび)で緑のまだらになったドアの前を過ぎると、真横にある窓の前で停まった。ポーチにあるブランコは片側のロープが千切れて久しい。床板はところどころが腐食し歯抜けで、天板も死んだ魚のようにいくつも垂れ下がっている。
 雷鳴が轟き、辺りが明るくなっては、また闇に沈んだ。
「三分経っても俺が戻ってこなかったら、あんたは車に戻りそのまま帰るんだ!」
「ボンベロは。あの声はボンベロなの?」
「知りたい?」
「当たり前でしょ!」
 言葉が終わらないうちに思いきり体当たりされたわたしは、背後にある窓ガラスを突き破る形で室内に飛び込んだ。背中に硬い物が激突し、肺から空気が消失した。ぐるりと天井が回転し、次に床が顔面を叩いた。目眩と耳鳴りでふらふらしたが目の前の光景がそれを許さなかった──奇妙な人物が三人。いずれもが頭に麻袋を被り、目の辺りだけ穴を開けている。

『逃げろ!』
 あらぬ方向から怒号がした。見ると袋男とは反対側に椅子に括(くく)られた人、そばに同じく椅子に縛りつけられた幼い少女がいた。
 わたしはその姿に金縛りになっていた。
 首から上の皮膚がほとんど失われ、人型の生ハムのようになった血塗れの骸骨が叫んでいたからだ。
「逃げろ!」
 動物園の柵から肉食獣の檻に落下したような気分で立ち上がると、袋男のひとりが近寄ってきて、振り上げた猟銃の台座をわたしの顔面に叩きつけた。頭のなかで胡桃(くるみ)を踏んだような音がし、目が見えなくなった。そのまま腕を掴まれ、引き倒されると、横顔を濡れたブーツで踏みつけられた。強烈な犬の糞の臭いがした。

「何者だ」ゆっくりとしたしゃがれ声が降ってきた。「こいつらの仲間か」
 質問しながら銃口が肩胛骨の間にきつく押しつけられるのを感じた。これなら赤ん坊でも心臓は外さない。
「し、知らないわ! ガス欠で......助けてもらおうと歩いていただけ......床板で滑ってしまったの」
 返事はなかったが、その間ずっと少女の啜り泣きと男の苦悶が聞こえていた。
「立て」
 銃口が外され、わたしは云われた通りにした。耳鳴りが続いていた。わたしに猟銃を向けている男とは別の袋男が躯をまさぐった。口の所にピースバッジを付けたこいつは、手が股のところに来ると、きつくつねって〈うふふ〉と薄笑いをした。わたしは壊れた窓の残骸に埋まっている包丁が見つからないことを神に祈った。

「早くしろ! ジョー」
 リーダーらしい三人目が云うと、ピースバッジは〈獲物はないよ〉と離れていった。
「この女、どうする」猟銃が云った。
「帰すわけにはいかん。ショーに混ぜて、死体は処分する」
「それはいいねえ」ピースバッジが小躍りした。
 わたしは椅子の男と少女の間に座らされた。
 猟銃がピタリとこちらを向いていた。

「よせ......その人は何の関係もないじゃないか......」
 椅子の男がゆらゆらと首を振った。掬(すく)い散らかしたジェラートの表面のように削られた頭部からは、氷柱(つらら)のように凝固した血がいくつも下がっていた。
「おまえの指図は受けん。さあ、ハコブネはどこだ」
「このきちがいどもが......」
 リーダーが男に近づくと、木箱のようなものを押し当て一気に引き下ろした。
 あの身の毛もよだつ悲鳴が上がった。男の顔からごっそりと肉が削り取られていた。真皮や筋肉を丸ごと失った額からは、骨が脂(サシ)のように透けていた。顔の半分は眼球の付いた髑髏と化していた。
「貴様にまともな親はいないのか。年長者になんて口を利くんだ」
 リーダーが手にしていたのは大型の鉋(かんな)だった。そいつは吐き出し口から肉と皮の混じったものを摘まみ出すと臭いを嗅いだ。
「おい。ウーちゃんスーちゃんだ」鉋を置いたリーダーが猟銃を代わると告げた。
「ぶらぼーぶらびあすぼー」リーダーの言葉にピースバッジが手を叩いた。
 重いものが移動する音がし、ふたりの袋男が臼と杵を運んできた。
 臼が男の前に置かれた。
 ピースバッジが男の右手首にロープを縛ると臼の真上に来るように引いた。
 嫌々するように抵抗しつつも腕は臼の上に伸びてしまった。全身がぶるぶると震えていた。
「ハコブネはどこだ? いまどこにいる?」
 男は返事をしなかった。
 いきなり杵(きね)が振り下ろされ、男の掌が臼の底で壊れたオモチャのようにデタラメになった。食い縛る歯の隙間から男の苦悶が漏れる。
「続けろ」リーダーの命令で杵が続けて振り下ろされる。臼と杵が激しくぶつかる音がし、そのたびに男は痙攣した。わたしの顔に小石が当たった。奥歯だった。男の口から弾け飛んだものだった。

 次に杵が停まった時、男の右腕は手首から先が大きな糸屑になっていた。
「ハコブネはどこだ」
 顔を近づけたリーダーに、男が血反吐を吐きつけた。
「そうか」
 静かに呟くと、リーダーは少女の髪を掴んで臼に頭を押し込んだ。
「やっちゃっていい?」
 ピースバッジがはしゃいだ声を上げた。
「よせ!」男が叫ぶ。
「だったら云え! 貴様らハコブネは、いまどこだ!」
「やっちゃうよ! やっちゃうよ!」
 ピースバッジが杵を振り上げた。
 その瞬間、わたしの躯がピースバッジに体当たりしていた。
 奴は仰向けに転倒し、離れた杵が鳩尾(みぞおち)を直撃した。悶えながら床を転がると、袋を剥ぎ取り嘔吐した。その顔は白髪の老人だった。
「ああ、取っちまった」
 再び猟銃を持たされていた袋男が苦笑した。
 ピースバッジはわたしに襲いかかると、滅茶苦茶に蹴り出した。硬いブーツの先が金槌のように重く突き刺さる。
「もうどうでもいい。俺はこいつらを皆殺しにしてやる」ピースバッジは黄色い歯を剥き出しにした。「なあ、こいつを俺にやらしてくれ」
「好きにしろ」
 わたしは引きづられるように臼のなかに顔を突っ込まれた。底に男の手から出た血溜まりがあった。猟銃が背中に突きつけられる。
「気の毒だが、死んでもらう。間の悪いところに出くわしたあんたが悪いんだ。自分の不運を呪うんだな」
「こんなことして警察にバレないとでも思ってんの?」
 すると、背後で一斉に笑い声が起きた。
「やっぱりこいつ、何にも知らないぜ」
 ピースバッジが顔を近づけてきた。
「俺たちは死体処理が仕事なんだ。おまえらぐらい葉巻の灰にもならんぐらい、跡形も無くしてやるよ」
「わかった......その人を放してやってくれ。教える」男が苦しげに呻く。
「いらん。この女は殺す。どっちにせよ、ガキをお前以上にゆっくり潰していけば、おまえは喋る。女はこの状況に迷い込んだ蠅でしかない」
 リーダーが煙草に火を点けるのがわかった。
「オンナ子どもを相手にするのに三人がかりで銃まで使わなくちゃならないなんて、あんたらには肝っ玉ってものが付いてないのね」
 振り向くと、少女が泪を目に一杯溜めてわたしを見ていた。
 わたしが少し微笑むと、彼女も笑った。
「下手に動くと大小便だだ漏れの上、逆に苦しむことになるぜ、へへへ」
「うまく頭蓋に当てろよな。俺はこいつの脳味噌が見てみたいんだ」
「任せとけ。ホールインワンを狙ってやる!」
 ピースバッジが杵を振り上げ、シュッと音をさせた。
 わたしは目を閉じた。

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Profile

平山夢明

1961年、神奈川県川崎市生まれ。1994年にノンフィクション『異常快楽殺人』を発表、注目を集め、1996年に『SINKER──沈むもの』で小説家としてもデビュー。2006年には短篇「独白するユニバーサル横メルカトル」で日本推理作家協会賞を受賞。2007年、同タイトルを冠した短編集が「このミステリーがすごい!」第1位に選ばれた。2010年『ダイナー』で第28回日本冒険小説協会大賞と第13回大藪春彦賞をダブル受賞。2017年より「週刊ヤングジャンプ」にてコミック化され、大人気連載中。

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