ダイナーⅡ

平山夢明

ダイナーⅡ


「そこまで!」
 不意に声がかかった──少し離れた場所に腕を組んだパピがいた。
 虚を突かれたわたしは、マルキリに胃のあたりを思いきり殴りあげられ、横倒しになった。
 マルキリは鼻を鳴らしてわたしを見下ろし、次いでパピに目を向けた。
「使えないね......こいつ。とっとと帰しな」
 パピは困ったような顔で立ちすくんでいた。
「なんのことよ」
「この子があんたを引き入れたいって連絡してきたんでね。資格があるのかどうか......こっちも小芝居を打って試したのさ。歯クソほども役に立たないことがわかったよ」
「これも試したっていうの?」わたしは襟をはぐり、肩の傷を晒した。
「アオダイショウと蝮(まむし)の区別もつかないんだもんね、あんた。パピ、おばさんがお帰りだよ」
 マルキリは埃を落とすように手を叩き、歩きだした。
「わたしはボンベロに呼ばれて来たのよ!」
 マルキリは肩をすくめた。
「呼んだ?」
「そうよ」
 マルキリの視線にパピが頷く。
「アンタ、相当な変わりもんだね。あんな変態のどこが良いのよ」
 パピがわたしとマルキリを見つめていた。額の左側に出血があり、唇が戦慄(わなな)いている。
「どうしたの」わたしが訊いた。
「......ダフが捕(と)られた」
「なに」マルキリの全身に緊張が走るのが感じられた。「いつ」
「奴が木の陰で小便してるとこを、かっさらわれた。ボンベロが追ってる。川の向こう側」
「莫迦!」
 マルキリは駆けだし、アッという間に姿を消した。
 パピが手を引いてわたしを立ち上がらせた。
「これは一体全体なに?」
「......ごめん。でも必要なことだった」
「信用したわたしが莫迦だったわよ」
 そのとき、鋭い悲鳴が木々を伝わってきた。
 パピがダッシュし、わたしもそれを追った。
 今度は見失わないよう、パピの小さな背中を睨みつけながら走った。クタクタなはずなのに足は動いた。脳味噌が残ったエネルギーを手当たり次第掻き集めてるのよ、と頭のなかのわたしが云った。
 斜面を登りきり、そこから堆積する枯葉に足をとられズルようにして降りた川縁に、朽ちた小屋があった。昔の杣(そま)かマタギが厳冬期の避難に使っていた名残りなのだろう。その板塀にマルキリがもたれていた。
 わたしたちを見ても何の反応もない。
「ボンベロは?」
 パピの言葉に胸がはねた。
「ボンベロがいるの?」
 マルキリは黙って地ベタに唾を吐くと、親指を小屋に向けた。
「ダフは?」
「ふたりとも中さ。ボンベロに追われたハンターが彼女を人質に此処に逃げこんだわけ」
「どうするの?」
「どうするもこうするもありゃしないよ。ボンベロ(やつ)で片がつかなきゃあたしが行く。でも、それまでは此処で待機だね」
「俺がいく」
「莫迦。ボンベロが交渉(ネゴ)してるのに押し込んでどうするのさ。奴らは袋の鼠なんだよ。結果が出るまで待つほかないね」
 ふと周りを見ると、革ジャンやデニムが脱ぎ捨ててある。デニムの中には白いパンツが入っていた。
「あの変態の服だよ」
「え」
「あんた......たいした知り合いじゃないんだろ」
 目を丸くしているわたしに、マルキリが皮肉っぽく笑う。
「奴は返り血で汚れるのが厭だって、いちいち服を脱ぐのさ。今は見ての通りのすっぽんぽん。身につけてるのは金のネックレスとブーツぐらいじゃないかい。運が良ければ懐かしのお稲荷さんが見物できるよ」
 その時、板塀が大きく揺れた。続いて怒声と唸り声。
 気づくとパピの姿が消えていた。
 マルキリが入り口に向かったので、それについて行く。
 戸は内部に向かって半ば倒れかかり、その奥でダフを抱きしめているパピの姿があった。剥き出しの土間には倒れた男の腰から下がのぞいている。マルキリはなかに飛び込んだが、わたしは足が止まってしまった。
 突然、屋根から降ってきたものがある。
「よぅ」
 全裸。マルキリの云う通り、胸から腹が返り血で紅い。
「久しぶりだな、カナコ」
 わたしは顔を見て絶句した──「あ、あんた」
「なんだよ。愛人(ラマン)の顔を忘れたのかよ。ちょっと傷心(ハートブレイク)」
「な、なんであんたがこんなところにいるのよ!」
 わたしは絶叫した。
「なんで......って、そりゃ浮世の因果よ」
 九十九九(ツクモキュウ)は、見覚えのある古傷をなでるとデニムを履きだした。右足を突っ込んだところでわたしにウィンクしたので、顔を背けることにした。
「呆れたわね......莫迦みたいだわ、わたし。あんたなんかに......」
「逢いに来てってか」
「そうよ!」
「菊千代の奴が聞いたら、さぞ嘆くだろうなあ」
「あ! そうよ! あんた、どうやって菊千代を盗んだのよ」
「おいおい。人聞きの悪いことを云うもんじゃないよ。俺はあの瓦礫の中から、やっとの思いで救いだして、世話もしてやってたんだぜ」
「信じられんない」
「ほんとさ。その証拠に、奴と俺はいまでは大親友(マブダチ)なんだ」
「ボンベロはどうしたのよ!」
 九十九は肩をすくめた。
「あちこち火を噴き上げてるし、俺は自分の手足がどこだかもわからない有様だったんだぜ。あのワン公を担いで逃げただけでも上出来ってもんだろ。自分だけトンズラしておいて何を云ってやがる」
「最悪だわ......最悪でしかない......」
 足音がし、マルキリが顔をのぞかせた。
「ボンベロ、括ったわよ」
「おう」
「この人、ボンベロじゃないわ。この人はね! ツクモキューと云って......」
「どうしたの? このおばさん」
「再会の喜びに動転してるんだ。気にするな」
「奴らの仲間がまだ近くにいるかも。捜さないと」
「本隊の位置を気取られたら大変ってか」
 マルキリが頷いた。
「カナコ、こっちへ来い」
 九十九がわたしの腕を乱暴に引っぱった。
「なによ! あんたなんかと何もする気はないんだから!」
「まあまあ」
 九十九は顔だけはニヤつきながらわたしを小屋へと引きずっていく。
「厭だったら!」
 背中をドンッと突かれ、わたしは押し込まれた。薄暗い空間に埃と血の臭いがむせ返るようだった。わたしは土間で倒れ、ピクリともしない男をあえて見ないようにした。
 パピが目の前にいた。
「あいつ、ボンベロじゃないんだな」
 睨みつけるように云った。
「似ても似つかないわ」
「畜生。また瞞(だま)しやがって。あいつはちょくちょく嘘をつきやがるんだ」
「昔から、ああいう人なの」
『......カナコ』
 手をグッと握ってきたものがあった──ダフだった。目に涙をため、顔には殴られたような痣(あざ)ができていた。
「大丈夫よ」
 ダフはわたしの肩に顔を押しつけた。
「俺たちが戻るまで。その子とそいつの面倒を見てやってくれ」外から九十九が顔をのぞかせる。「俺たちは追っ手が来ていないかを確認しなくちゃならん」
 パピが頷く。
「え? あなたも行くの」
「大人より俺のほうが気配が消せる。その分、早く敵を見つけることができるんだ」
「敵?」
 パピが立てかけてあった葦簀(よしず)を足で蹴る。モヒカン頭の男が血走った目で睨んでいた。顔には、のたくったようなタトゥー。重ねた掌のド真ん中を釘が貫き、板塀に縫いつけてあった。両腕と両足は結索バンドで縛られ、口には襤褸布(ぼろきれ)が突っ込まれている。
「こいつらさ......」
「殺しちゃえば良いのに」九十九の横に並んだマルキリが呟く。「こんなおばさんに留守番は無理よ」
「この人はな。おまえが思う以上に修羅場をくぐってるんだ。大丈夫さ」
「は? なんの冗談?」
「とにかく、こいつからはいろいろと聞き出さなくちゃならん。カナコ、俺たちが戻ってくるまで見張っていてくれ」
「いつ戻るのよ」
「おまえが俺を愛しい愛しいと思ったらすぐにでも戻るさ、ふふ」
「脳味噌を二度揚げしてもならないわ」
「あんたたちいったい何の話をしてるの?」
 焦れたようにマルキリが割って入り、ハンティングナイフを放った。
「暴れたらこれで刺して。首の根元を少しこじるようにすれば済むから」
 足下に落ちたそれを拾いあげると、彼らの姿は消えていた。
「カナコ......」
 ダフがまたしがみついてきたので、わたしは男となるべく離れて座った。
 九十九らがいなくなったことで男も緊張を解いたのか、目を伏せ気味にしていた。すると男の爪先が忙しげに動いた。剥きだしの土の上を何度もブーツの先が行き来すると【カナコ】と字が浮かび、続いて【キッド】と爪先で描いた。
「キッド? あなたキッドを知っているの?」
 男が大きく頷いた──わたしは逡巡した。男の口に入れられている襤褸布を取れば話はできるだろうが、それでは九十九とマルキリの命令に背くことになる。
「あ、だめよ」
 が、止める間もなくダフが襤褸布を取ってしまった。咳き込む音と呻きがし、男は何度か浅く頷いてからわたしを見た。
「あんたが......カナコか。オオバカナコ」
「そうよ。変なことしたらすぐに刺すから」わたしは男に見えるようにハンティングナイフを握り直した。
「ふ。ド素人丸出しだぜ、あんた」
「用件はなに? もうすぐ、みんな帰ってくるわ」
「ああ。そうだろうな。追っ手の痕跡なんかありゃしないんだ。ここには俺とそこにいる兄貴だけでやってきたんだからな......それにしても畜生、あの野郎、何にも考えず天井から、ただ降ってきやがった。おかげで、まともに蹴り込まれた兄貴は頸椎を折ってパァよ。ほんっと何にも考えてねえな、あの男」
「あの人はいつもそうなのよ。用件を云いなさい。なぜ、わたしやキッドの名前を知ってるの?」
 男は一瞬、間を置いてわたしを見つめた。
「あんたの名前はキッドから聞いたのさ」
「キッドが生きてる?」
 男は頷いた。「ああ。だが、昔とはだいぶ様子が違ってるらしいぜ」
「ボンベロはどこ?」
「まあ、そう慌てなさんな。まず、こいつを外してもらえないか。そしたら俺が知っていることは一切合切、話してやるよ」
 男は足の結束バンドを見やった。
「わたしを莫迦だと思ってるの?」
「だよな......だが、あんた間違ってるぜ。あんたは俺たちを悪者だと決めつけてるが、それは逆さ。あの男やあの女の側が悪なんだ」
「子どもを人質にするような人はわたしの世界では善人とは呼ばないのよ」
「女子どもを生きたまま鉄串に刺して焼くような奴はどうなんだ? 妊婦の腹を裂いて赤ん坊を取りだし、それを旦那の目の前で絞め殺すような奴は?」
「なんの話をしているのよ......」
「あんたが間違っているという話さ。さ、バンドを外してくれ」
「できないわ、そんなこと」
 すると九十九の<カぁナぁコちゃ~ん>という脳天気な声が聞こえてきた。
「早く!」
 男が打ちつけられた手をモノともせず、釣り上げられた魚のように躯を仰け反らせて暴れた。
「ダメよ! 静かにして!」
 わたしはダフを抱くと隅に身を寄せた。
「ぐおぉぉ」
 男は狂ったシーソーのように躯を反動させ、濡れたベルトを千切るような音をさせると、手を重ねたまま釘を板塀から引き抜き、今度は両足に腕を叩きつけた。両腕が膝のあたりに勢いよく激突すると、結索バンドが弾け飛んだ。
「こわいっ!」ダフが叫ぶ。
 男はそのまま釘を使って両足のバンドも切断にかかった。
「ダメ!」わたしは反射的にナイフを捨てると、男に飛びかかった。
 岩のような拳が顔面をヒットし、仰向けに転がったところを持ち上げられた。鋭い痛みが頬に走る。男はわたしの顔を手で挟むようにして持っていた。男の手を貫いた釘がわたしを抉ろうとしていた。
「間違ってる......おまえは間違ってるぞ、オオバカナコ」
 男の顔が一気に迫ると、口の中に砂と煙草の脂(やに)と部屋干しの雑巾の味が潜り込んできた。わたしが胸を突くと、男は立ち上がったまま誇らしげに嗤った。
「ボンベロの女の口を吸ってやったぞ、アッハハハハ」
 ドンッと音がし、男の左胸に矢が深々と刺さった。
「エチケットマナーの悪い男は嫌われるぞ」
 入り口に、九十九と腕を突き出したマルキリが居た。マルキリの腕には小型のボウガンが備えてあった。
「さあ。無駄な抵抗は止めておとなしくしろ」
「ふおおお」
 男は胸の矢を自身の肉をまとわりつかせながら引き抜いた。
 九十九が大袈裟に顔をしかめる。
「カナコ! ボンベロはおまえを必ず殺すぞ! 楽しみにしてろ!」
 男はそう叫ぶと、矢尻で自分の頸動脈を削いだ。驚いたような顔のまま噴血すると、糸の切れた人形のように男は倒れた。
 ダフが金切り声を上げて泣きだした。

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『ダイナーⅡ』をより楽しむために、未読の方はぜひ『ダイナー』から!
〈主演〉藤原竜也×〈監督〉蜷川実花のタッグが話題の映画『Diner ダイナー』(2019年公開)の原作本はこちらです↓

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Profile

平山夢明

1961年、神奈川県川崎市生まれ。1994年にノンフィクション『異常快楽殺人』を発表、注目を集め、1996年に『SINKER──沈むもの』で小説家としてもデビュー。2006年には短篇「独白するユニバーサル横メルカトル」で日本推理作家協会賞を受賞。2007年、同タイトルを冠した短編集が「このミステリーがすごい!」第1位に選ばれた。2010年『ダイナー』で第28回日本冒険小説協会大賞と第13回大藪春彦賞をダブル受賞。2017年より「週刊ヤングジャンプ」にてコミック化され、大人気連載中。

Pick Up Book

  • かがみの孤城
  • i
  • 私のスポットライト
  • ビオレタ

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