ダイナーⅡ

平山夢明

ダイナーⅡ

10


「カナコ! ボンベロはおまえを必ず殺すぞ! 楽しみにしてろ!」
 男はそう叫ぶと、矢尻で自分の頸動脈を削いだ。驚いたような顔のまま噴血すると、糸の切れた人形のように男は倒れた。
 ダフが金切り声を上げて泣きだした。
「ぱひぃ」ダフがパピの胸に飛び込む。
「死んだわ」
 男を確認したマルキリが呟く。
「でしょうな」九十九が肩をすくめる。「怖かっただろ、カナコ。すまんな」
「この人、キッドとわたしの名前を知ってたわ」
 近づいたマルキリがわたしの頬を打つ。
「おいおい。女同士、仲良くしてくれよ」
「役に立たないばかりか余計な人殺しまでさせるんだね、このおばさん」
「そう云うな。無理を承知で頼んだのはこっちだぜ」
「とっとと帰しなよ、こんなの。吐き気がする」
「でもなあ。俺たちの旧交は今まさにぬくぬく温まり始めた。もうちょとぬくぬくと......」
 九十九はナイフを拾い、鼻の横をぽりぽり掻きながら、わたしに差し出した。
「大丈夫さ。俺が守ってやるから、あんたは大船に乗ったつもりでドンブラコしな」
 わたしはナイフを受け取ると、そのまま投げ捨てた。
「あらあらあら」
「帰るわ。その人の云うとおり。わたしは此処にいるべきじゃないし、こんな狂った場所では何の役にも立たないわ」
「何を云うんだ。また俺をぼっちにするつもりか?」
「あんたのオツムが変わってないってことがわかっただけで、もうたくさん。ボンベロを騙(かた)るなんて信じられないわ」
「そう堅い(すくうぇあーな)ことを云うな、今まで誰にもバレなかったんだぜ。少しは褒めろ」
「あんたの云ってることなんか一ミクロンもわからない。わかりたくもないし」
「かぁ、相変わらず、ツンデレがキツイこと」
「カナコ......帰っちゃうの」ダフが云う。
 パピがその頭を撫でていた。
「ごめんね、ダフ。わたしの逢いたい人はいなかったの」
「かなこのすぱげきぃ~また喰いたしぃ~」ダフが泣き出した。
「そうだそうだ。俺も喰いたしぃ~」
「あんたは食べたことないじゃない」
「だから云ってんだよ」
「とんだ疫病神だよ、ボンベロ。こんな人(の)、放っておきな。早く合流しなくちゃ。これ以上、時間をドブに捨てられないよ」
「こいつはボンベロじゃないわよ!」
 思わず声がうわずった。
 マルキリは死んだ犬を見る目でわたしを見、片頬で笑った。
「どうでもいいわよ......そんなこと」
「待てよ。俺には必要なんだぜ。だからダフを奪還しにジョーが行き、それをフォローしに行くパピに彼女の居場所を教えたんだ」
「パピのは単なる無断行動でしょ。大幅に予定が狂ってザディコは怒ってる。あんたがしたのは迷惑の上塗り、完全に余計なことよ」
「ノンノン。行きがけの駄賃と云って貰いたいね」
「ちゃんとお金の分は働けってことよ」
「パピに教えた? 何故そんなことをしたの」
 わたしの問いに九十九は俯いて口を尖らせた。
「そりゃあ一度は躯を許し合った仲だからよ。逢いたいじゃんか」
「はあ? なんですって!」
 九十九はその右手を愛でるように挙げた。
「照れるなカナコ......俺の手(ここ)には今でもしっかりとおまえの胸のたわわちゃんが......」
「マルキリ、そのボウガン貸して」
「ふん。どうかねえ。あたしにゃ、あんたとボンベロはすっかりお似合いに見えるけど」
「だから、ボンベロじゃないのよ! コレは! この者は!」
 顔に風がかかったと思った途端、ドスンと音がし、板壁にボウガンの矢が刺さった。
 マルキリがわたしに片腕を突き出していた。
 わたしは文句を云う代わりに深呼吸し、鼻から息を吐いた。それから倒れている人を見ないように外に出ると、パピにしがみついているダフに笑いかけた。
「いつでもまた食べにおいで」
 彼女は黙っていた、泪が溜まっていた。
 パピがわたしを見た。
「俺、騙そうとしたわけじゃないんだぜ。本当にあいつがボンベロだと......俺」
「いいの。あいつには誰でも引っかかるの。でも本当のボンベロはあいつの何倍も強くてカッコイイのよ」
「そんな人なら会ってみたかったな」
「おい。本当に行っちまうのか? ベイビー」九十九が情けない声を上げる。「俺はどうすりゃいいんだよ」
「あなたにはわからないでしょうけど、人にはその人なりの人生があるの。邪魔しないで」
「出て行きな、おばさん。あんたは無意味で迷惑だ。反吐が出る」
 ダメ押しのようにマルキリがわたしを軽く突いた。
「そうね。お互いにさっぱりすべきね」
 振り向きざまマルキリの顔を張った。不意を突かれたのか、彼女は躯をくの字に曲げた。
「それはさっきの猿芝居の分。理屈はともあれ、わたしは真剣にあなたを救おうと命がけで水の中に飛び込み、担いだの。それをテストだなんだと弄(もてあそ)んだのは許さない。そんな権利はあなたにないのよ」
 マルキリは唇を噛みしめ、躯を起こした。顔に不遜な笑みが広がった。
「ふ。本当はあたしに泣いて感謝しなくちゃなんないんだよ、あんた」
 反撃してくるのではないかと思ったが、その気はないようだった。
「此処から先、あんたが踏み込めるような道は爪先ほどもないってことさ。まあそれが事実かどうか、永遠にわからないだろうけどね」
「そう。でも、あなたはひとつ間違ってるわ」
「なに?」
「あなたの思っている強さじゃ、相手が誰にしろ勝てやしないわよ」
 マルキリは初めて素顔になった──が、それは強風に晒されるマッチの火のように一瞬でかき消された。
「行くわ。礼を云う筋合いはないわよね」
「あばよ、おばさん」
 わたしは森を見回し、とりあえず川に沿って下ることにした。とにかく水が飲みたかった。岸に屈んで切れるようにひんやりした水を手で汲み、何度も口に運んだ。
 立ち上がりかけると、足下にナイロンの袋が放られた──マルキリだった。
「川沿いを行くつもりならやめときな。途中で崖やら滝に出くわして滑落するのが関の山だよ。魚の餌や獣の糞になりたくなかったら、山の稜線を伝って上から登山道でも見つけることだね。一日二日はかかるだろうけど、そっちのほうが安全確実さ」
 ザックの中にはキャラメルひと箱と小型のマヨネーズ一本、防寒用なのだろうか、黒いゴミ袋、それとポケットナイフが入っていた。
「他にもいろいろあるけど。それ以上わたしても、無駄になるだけだからね」
「マヨネーズってのは気が利いてるわね。山菜にでも使えってこと?」
「莫迦ね。それだけで丸二日分のカロリーはあるのよ。舐めれば、歩けるわ」
「なにがどうなってるのか、さっぱりだけど」
 わたしはザックを手にすると、山の斜面を登り出した。
『ねえ!』
 数歩進んだところでマルキリの声が響いた。
『此処で見聞きしたことを誰にも云うんじゃないわよ!』
 振り返ると、彼女とパピが並んでいた。
「見損なうな」
 わたしはそう告げると、歩きだした。


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『ダイナーⅡ』をより楽しむために、未読の方はぜひ『ダイナー』から!
〈主演〉藤原竜也×〈監督〉蜷川実花のタッグが話題の映画『Diner ダイナー』(2019年公開)の原作本はこちらです↓

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Profile

平山夢明

1961年、神奈川県川崎市生まれ。1994年にノンフィクション『異常快楽殺人』を発表、注目を集め、1996年に『SINKER──沈むもの』で小説家としてもデビュー。2006年には短篇「独白するユニバーサル横メルカトル」で日本推理作家協会賞を受賞。2007年、同タイトルを冠した短編集が「このミステリーがすごい!」第1位に選ばれた。2010年『ダイナー』で第28回日本冒険小説協会大賞と第13回大藪春彦賞をダブル受賞。2017年より「週刊ヤングジャンプ」にてコミック化され、大人気連載中。

Pick Up Book

  • かがみの孤城
  • i
  • 私のスポットライト
  • ビオレタ

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