小松エメル

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イラスト:森川侑

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付喪神会議(1)――「一鬼夜行」余聞

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 浅草の古道具屋・荻の屋に、夜が訪れた。

 鬼も夜になれば、床につく――もっとも、その鬼はまことの鬼ではない。

「寝たか⁉」

「寝た寝た! ぐっすりだ、兄者!」

 釜の怪の問いに、居間を覗いていたしゃもじもじは、ぴしゃりと障子を閉めながら答えた。道具として生まれた彼らは、長い年月を経て特別な命が宿り、付喪神となった。付喪神は皆、変化の力を持っている。彼らのそれは、人間に化ける狐や狸とは違い、道具の表面に目鼻口が浮きでて、横からにょきっと手足が生えるといったささやかなものだ。  

「これ、そこの兄弟!......大きな音を立てるな」

 茶杓の怪は、ぴょんと跳ねながら注意した。店中央の棚の上には、茶杓の怪をはじめ、付喪神たちがひしめいている。彼らを照らしている青い光が、「鬼火」と呼ばれる妖怪であることを疑問に思う者はいない。

「三つ目が結界を張ってくれたのだから、どんなに声を上げても居間には届かんさ」

 ぽんと身を叩きながら、小太鼓太郎は笑った。名の通り、小太鼓が変化した彼の横には、人間の姿そっくりの前差櫛姫がしどけなく座っている。

「ちゃんと張れてるのかしら? あの子何考えてるのか分からないから、どうも不安なのよねえ。いつも結界を張ってくれてた桂男がいれば、こんな心配なんてせずに済んだのに」

 前差櫛姫は桜色の唇を尖らせて言った。大きさは人間の親指程度しかなく、可憐で愛らしい見目をしているが、荻の屋に住まう付喪神たちの中で一等気が強い。

「引き受けてもらえただけ、有難いではないか。引水にいる桂男をわざわざ呼び出すわけにはいくまいし、撞木も一反もめんも、結界張りを頼む前に出て行ってしまったのだから」

 諭すように述べたのは、皆から一歩下がったところに端座する硯の精だった。さる藩の若君に大切にされ、紆余曲折を経て浅草に来た彼は、この場で最も年嵩だ。

「そういえば、ここに来る途中、一反と会ったぞ。『今宵も収穫などないだろうが、せいぜい励めよ』と......奴はもめん仲間とどこかで酒でも引っかけてくるつもりらしい」

「あたしも、撞木さんとばったり会ったんだったわ! 『付喪神会議なんて、人間がする会議くらいくだらないのに、よくも何十年と続けられるね』と言ってたっけねえ」

 客妖らしく末席にいた印籠士と青行灯が、思いだしたように言った。御徒町の古道具屋・竹屋に居ついている、印籠と行燈の付喪神である。ここに来るのは、七度目のはずだ。その数はすなわち、付喪神会議に参加した数でもある。

 付喪神会議は、浅草界隈の付喪神を中心として結成された。成立年は数十年前と言われているが、定かではない。はじめは、縄張り争いの決着をつけるために開かれたようだが、時代が変わった今は、相互扶助的なものに変わりつつあった。異国の文化が入ってきてからというもの、妖怪の存在が希薄になりつつあるせいだろう。といっても、大した話はし

ておらず、近況や愚痴を語り合うのが常だった。開催も不定期であるため、ひと月に一度の時もあれば、半年に一度の時もある。妖怪らしく、適当なのだ。

「撞木も一反もそんなことを申していたのか......いつも素直に席を外してくれるが、内心面白くないのかもしれぬ。同じ妖怪なのに、仲間外れされたと気にしていないとよいが」

「仲間⁉ はんっ、冗談じゃない!」

 提灯左衛門は、ぴかぴかと身を点滅させながら、硯の精の言葉を鼻で笑った。以前、荻の屋にいた彼は、二年前に買われていった後も、会議のたびに家を抜け出してここに来る。

「拙者らはただの妖怪じゃない! 特別な才があったから、こうして妖怪として目覚めたのだ! 生まれついての妖怪と一緒にされては困るな!」

「あちこち破れているくせに、えらそうに。そんな見目でも買ってもらえるなんて奇跡よ。さっさと家に帰ってご主人さまにご恩返しでもしたら?」

「前差櫛姫! 相変わらず口が悪い! お主のどこが姫なんだ......うわっやめろ!」

 櫛を振り回し襲いかかってきた前差櫛姫から、提灯左衛門は悲鳴を上げつつ逃げ出した。

「見目のことを言われると、私は何も言い返せぬなあ......」

 苦笑をこぼした三味長老は、上野の隠居老人の許で妖生を過ごしている。老人と出会って、五十年も経つというのだから、随分と古い付き合いだ。元は、今はなき浅草の古道具屋にいたという縁で、付喪神会議に参加するようになった。硯の精に続く老齢だが、二妖とも会議の発起妖は知らなかった。違う土地に流れてしまったのか、すでにこの世を去っているのか――付喪神は妖怪らしく長命だが、寿命はある。

「見目もよく、素晴らしい音が鳴ると引く手あまただった頃が嘘のようだ。以前の持ち主が少々手荒な御仁でな......奏でてくれたはいいが、自分の腕が至らぬのを棚に上げ、『よい音など出ぬではないか!』と憤慨されて、壁にぶつけたのだ。ご主人は、雇い主であるその御仁に私を押しつけられて以来、五十年も大事にしてくれている。あちこち傷だらけで、よい音も出せぬというのに......まことによい方だからこそ、このようなおんぼろ三味線を持たせて申し訳なく思うのだ」

「そんなことはない!」と力強く励ましたのは、拳を握りしめた硯の精だった。

「お主は、作られて百年経ってから付喪神になったのだろう? それほどの月日が流れれば、あちこちに綻びが出てくるものだ。ひびが入ったり、欠けたり、色褪せたり......大抵は嫌がられるが、それを味だと認めてくれる人間もいる。お主の主人は、お主を丸ごと愛しているから大事にしているのだ」

 三味長老は目を潤ませて頷いたが、他の皆は得心がいかないようだった。

「そんな奇特な人間は、三味長老の主人以外におらぬ」

「こんな古くて壊れてるものなどいらん! 捨てる!......人間なんてそんなものよねえ」

「俺たちのような命が宿っていることも知らずにな!」

 茶杓の怪と青行灯、提灯左衛門が言うと、棚の上で端座していたどんどん土瓶が、むくりと立ち上がった。その拍子に、土瓶の口から湯がこぼれ落ち、かかったしゃもじもじが「ぎゃあ! あっつい!」と喚いた。

「人間は、まっこと勝手な生き物でござる! 巨大な目が二つもついているのに、周りを見ない。真贋を見極める? ただ見るだけでも無理なのに、できっこないでござるな」

 鼻息荒く主張したどんどん土瓶に、前で胡坐をかく扇子の付喪神・セン子は頷いた。この二妖は、浅草界隈の長屋で暮らしているが、無論、家主は彼らの正体に気づいていない。

「真贋を見極められたら、素晴らしい逸品が世の中に埋もれることなどなかった。長い歴史の中で、見向きもされず散っていった同胞を思うと......よよよ」

「よよよと申すが、お主ちっとも涙が出ておらぬぞ」

 呆れ声を出した硯の精は、付喪神たちを見回して、身体を横に傾けた。首を傾げたつもりだが、変化中も硬い硯のままのため、他の付喪神たちのように柔らかい動きができない。

「......そういえば、今屋の者が一妖もおらぬな」

硯の精が呟くと、一瞬沈黙が下りた。骨董屋・今屋は、荻の屋と同町に存在するが、それぞれ町の両端に店を構えているため、店主たちは顔を合わせる機会すらほとんどない。しかし、今屋には付喪神が五妖もいるので、荻の屋とは浅からぬ縁があった。

「そんなのいつものことだろ」

 小太鼓太郎が舌打ち交じりに言うと、「そうだとも」「そうでござる!」「当たり前よね」と同意の声が上がった。「そうなの?」と疑問を口にしたのは、セン子だった。

「お前がこの会議に出るのは、二度目か......同じ浅草にいるというのに、今屋の連中はちっとも顔を出さない。まったくしようのない奴らじゃ」

「いくら誘っても駄目なのだろう? 俺たちなどわざわざ御徒町から来てるのに!」

 茶杓の怪は呆れた顔で、印籠士は頬を膨らませて言った。

「あいつら、揃いも揃って嫌みたらしいのよね......ああ、思い出しただけで腹が立つわ!」

「分かるぞ、姫。あの慇懃無礼な口調がまた、どうにもむしゃくしゃするんだろう?」

「お高くとまってるものねえ。『私たちは骨董屋の品ですので、古道具屋上がりのあなた方とは違います』とか......どっちも似たようなものでしょうに。何であそこまで自信満々にいられるのか、不思議でならないわよねえ」

 悪口を並べる付喪神たちに、硯の精は驚いた顔をしたが、すぐにふっと笑いだした。

「皆、楽しそうでいいなあ」

「ちっとも楽しくない!」と声が揃ったとき――

「おやおや、それほど楽しみにしてもらっていたとは。生憎私たちはどこかの古道具たちと違って、多忙でしてね」

 付喪神たちは一斉に、馬鹿にしきった声が聞こえた表戸の方を見た。少し開かれた戸の前には、琴の付喪神・琴古主、鳥兜の付喪神・鳥兜丸、水差しの付喪神の差江と水瀬、鈴の付喪神・鈴王子――今屋の付喪神たち五妖が、佇んでいた。

「三つ目の奴......やっぱり手抜きしたわね⁉」

 地団太を踏みながら、前差櫛姫は喚いた。

「琴古殿、失礼ですわ。思ってもなかったとしても、嬉しいと言って差し上げなければ」

「うふふ......差江に賛成です。たとえ相手が格下の付喪神だからって、袖にするのは可哀想でしょう? 私たちは慈悲深い付喪神ですもの」

 ねーと顔を見合わせて、差江と水瀬は頷き合った。双子のようにそっくりな顔をしているのは、同じ職人が作ったからだろう。よく見れば、形や造作は異なっているものの、そこに気づく者はあまりいなかった。

最初に発言した琴古主は、美しい見目の通り、極上の音色を奏でるという。鳥兜丸は、非常に華やかな兜だ。舞楽用なので目立つ方がよいのだろう。鈴王子は一見特徴がない小ぶりの鈴だが、大変質材質がよく、価値が分かる者なら涎を垂らして欲しがる逸品らしい。

「しかし、なんともまあ......相変わらずじめじめとして陰気臭い店よの」

「うふふ。鳥兜丸ちゃんったら、そんな本当のことを言っては駄目ですよ」

青行灯が言った「お高くとまっている」を体現したような琴古主たちに、荻の屋に住まう薬缶の付喪神・堂々薬缶は顔を真っ赤にして叫んだ。

「お前ら......一体何をしに来た⁉」

「どうせ自慢話でもしにきたんでしょ? 誰も聞いてくれる相手がいないものねえ」

「これは異なことをおっしゃる。私たちは日々高みを目指して励んでいます。皆が褒めてくるので、自慢話などする必要はありません――誰にも褒められないあなたたちと違って」

「あんたたちみたいな面白みのない道具が褒められる? 妄想じゃないの?――あら、ごめんなさい。あたしったら、素直で可愛くて美しいから、つい本当のことを言っちゃって。でも、高値なだけで実は趣味が悪いってことを黙ってたんだから、多目に見てよね」

 前差櫛姫は袂で口許を隠して言ったが、肩が震えているので笑っているのが見え見えだ。

「......相変わらず口が悪い。こうなってはいけないという見本よの」

「鳥兜丸、怒らないでくださいな。親切な方々ではありませんか。わざわざ嫌な例を見せてくださるんですもの。願ってもこんな風にはなれぬので、大きなお世話ではありますが」

「差江が言う通り、私たちにはまるでかかわりがなさそうですね」

 水瀬が肩をすくめてうふふと笑うと、鈴王子がひと際大きな声で続けた。

「もしかかわりができようものなら、この姿で浅草中を腹踊りで練り歩きます!......つまり、天地がひっくり返ってもありえないことでしょう!」

 琴古主たちは、鈴王子の言葉にどっと笑い声を上げた。彼らを半眼で睨んだ後、他の皆は顔を見合わせてこそこそ言い合った。

「......おい、そろそろいいのではないか?」

「お、殺すか? 殺すか?」

「いきなり殺すのは止めようぞ。じわじわ嬲るのがよかろう」

「殺すのも嬲るのも不可だ! ちょっと懲らしめてやればよいじゃないか」

「懲らしめるたって、一体何で?」

「それはだなあ......」

 茶杓の怪が考えている間に、いつの間にか距離を詰めていた今屋の付喪神たちは、「なんて下品な妖たちなんでしょう」と含み笑いしながら言った。

「うわ、耳元で不気味な笑い声を上げるな!」

堂々薬缶は叫びながら後ろに跳んで、前差櫛姫によりかかろうとした。

「不気味なのはどちらです。せっかく顔を出してあげたのに、私たちを貶める算段を立てるなんて......うふふ、流石は三下妖怪。たまたま変化できた方らしい振る舞いですこと」

「たまたまですって? 馬鹿なことを言わないでよね!」

 堂々薬缶を足蹴にしながら、前差櫛姫は眉を顰めて言い返した。

「あたしたちが付喪神になったのは、道具として優れていたからよ。ただの道具のままではもったいないから、命と力が授けられて――」

「うふふ。あなた方のどこがそれほど優れているのか、私には分かりかねますね」

前差櫛姫の言を遮って言った水瀬に、今屋の付喪神たちは口々に同意を示した。

「......本当に腹が立つ!」

 前差櫛姫は、わなわなと震えながら、髪を飾る櫛に手をかけた。このままでは、今屋の付喪神たちに襲いかかってしまう――戦いの気配を察した皆は、慌てて声を上げた。

「な、何を申す今屋の者たち! 聞き捨てならないぞ!」

「そうとも! えーと、その......俺も聞き捨てならん!」

 釜の怪としゃもじもじが叫ぶと、琴古主たちは揃って呆れた表情を浮かべた。

「自身の力も分からぬから、いつまで経ってもその有様というわけですか......哀れですね」

「たとえ力量が知れたとしても、いくら修行に励んだところで、改善はしないでしょう」

「なんと、ますます哀れなことですねえ」

 嘲笑交じりに話す今屋の付喪神たちに、沈黙を守っていた三味長老が厳しい声で言った。

「......お前たちは他妖のことが言えるほど、力があるのか? さも実力があるように話してくるが、とてもそうは見えん」

「三味長老、奇遇じゃのう。実はわしもそう思っていたのじゃ」

「あら、茶杓の怪も? じゃあ、こいつらは無力なくせに吠えてたの? あたしはこいつらに興味がないから妖力を図ったりしなかったけれど......へえ、見た目通りなのねえ」

 馬鹿にしきった顔で言った前差櫛姫に、琴古主たちは顔色を変えた。

「......馬鹿にするのも大概にしておけ」

 鳥兜丸は冷ややかな声を出した。

「あら、最初に喧嘩を吹っかけたのはそっちでしょう?」

「最初はそちらからだ。こたびよりもずっと以前に――」

「はあ? ずっと以前ていつよ? 十年前? 二十年前? 百年前? あたしそんなに婆じゃないから、昔のことなんて知らないわ。そもそも、あんたたちは昔から今屋にいたの? つまり、それほど売り手が見つからなかったのね......ぷっ、あははっ!」

 堪えきれずに笑った前差櫛姫に、皆も倣って笑いだした。遠慮せず笑いつづける付喪神たちは、今屋の者たちが打ち震えていることに気づかなかった。

「待て! こんなところで力を発するでない!」

 仲間を庇うように、硯の精は前に躍り出て叫んだ。その大音声に、皆は息を止めた。笑い声がぴたりと止まったおかげで、その場に満ちている妖気に気づいた面々は、さっと蒼褪めた。調子に乗り過ぎたか――皆の脳裏には、そんな考えが浮かんだ。

 今屋の付喪神たちは、一様に昏い表情を浮かべ、強い妖気を発している。彼らから伝わってくるのは、敵意だけだった。

「久方ぶりにお前たちに会えて、調子に乗り過ぎたのだ。我に免じてどうか許しておくれ」

 前に身体を傾けた硯の精を、今屋の面々はじっと見下ろした。

「......分かりました。あなたに免じて許しましょう」

 琴古主が厳かに述べたため、硯の精はほっとした様子で顔を上げた。しかし――

「もっとも、他の皆がどう言うかは分かりませんが。どうです、皆さん」

 琴古主は後ろにいた仲間たちに問いかけた。

「うふふ、許しません」

 即答したのは、水瀬だった。

「以前から無礼な態度を取られていましたが、我慢していました。しばし頭を冷やす時を与えれば、それも少しは改善されるかと......とんだ思い違いをしていました。馬鹿とは話し合っても、意志が通じ合うことなどないようですね。うふふ」

「馬鹿とは何だ、馬鹿とは!」と叫ぶ堂々薬缶を無視して、差江が言った。

「水瀬の言う通りです――私も御免被ります。生まれや育ちのみならず、道具としても妖怪としても差は歴然としています。仲良しこよしなどできるはずがありませんよ」

「自分より劣る者に意見されるのも腹が立つものよ。許しがたいといえば、許しがたい」

 頷きながら述べた鳥兜丸に、鈴王子は「右に同じく!」と声を上げた。

「......昔は知らないけど、今日喧嘩を売ってきたのはそっちよ。それなのに、全部こっちが悪いと言い張るの?」

 低い声音を出した前差櫛姫に、差江は冷笑を浮かべて返した。

「人間のようなことを言いますね......妖怪は力がすべてでしょう。それとも、あなた方は人間なのですか? どうりで、妖力をほとんど感じられぬわけですね」

 前差櫛姫と差江は、同時に跳んだ。前差櫛姫は櫛を構え、差江は口を鋭く尖らせた。それぞれの武器の切っ先が、相手の喉を突くかという瞬間――

「......煩い! こんな夜中に何をしている!」

 押し殺した声が割って入った。付喪神たちは、声がした方を一斉に振り返った。

 青い鬼火に照らされて、青白い閻魔が、肩を怒らせ立っている。

「ぎゃ......ぎゃあー出たああ‼」

 付喪神たちは悲鳴を上げながら、一目散に荻の屋から逃げ去った。その中には、なぜか荻の屋に住まう付喪神たちも含まれていたのだが――

 その場に残ったのは、硯の精と前差櫛姫、そして声を張り上げた喜蔵だけとなった。

「化け物はお前らの方だろうに......」

 櫛を自分の髪に挿し直した前差櫛姫は、ぴょんぴょんと跳び、ぽつりとこぼした喜蔵の頭に乗った。小さな手で喜蔵の頭を撫でながら、前差櫛姫は溜息交じりに言った。

「気を落とさないで、喜蔵。確かに化け物よりも化け物じみた風貌をしているし、そのせいでこの前あの女に振られたばかりだけれど、あたしはそんな喜蔵を可愛く思っているのよ? あたしの好意があれば、他にいくら嫌われようとへっちゃらよね」

 喜蔵は先日、裏長屋に住む綾子に振られたばかりだった。

「喜蔵、お主の顔は化け物のようだが、心根は優しい――時もある。その辺の妖怪よりもひねくれておるが、気にすることはない。綾子のことは......いや、そもそも釣り合いが取れていなかったとは思っておらぬぞ。鬼と美女というのは、古来よりよくある組み合わせ......いつも起きる刻限までまだ時がある。床に戻って寝た方がよいぞ!」

前差櫛姫が広げた傷口に、硯の精から塩を塗り込まれ、喜蔵は諦めの息を吐いて踵を返した。床について間もなく、歌が聞こえてきた。あまりにも心地よい歌声だったため、耳元で歌う前差櫛姫を制する前に、喜蔵はうとうとしだした。衝立を立てた横で寝ている妹の深雪は、付喪神たちが騒いでいた時も、喜蔵が一喝した時も、起きなかったらしい。

「......図太い娘だ。俺などよりよほど......」

 ぼやいた喜蔵だったが、十も数えぬうちに再び眠りについた。

 翌日――

「会議の決定により、荻野喜蔵――お前を立会人に命じる。古道具屋の付喪神と骨董屋の付喪神、どちらが優れているか白黒つけーろ!」

 堂々薬缶の宣言と共に、小太鼓太郎が自らの鼓をドンドンと叩いた。中央の棚の上にいる彼らの周りでは、付喪神たちがやんやと騒いでいる。作業台で商品を修繕している喜蔵は、彼らを見ようともしない。つれない主人の様子に、店中から文句の声が上がった。

「おい、なぜ無視をする! これは一大事なのだぞ!」

「そうさ、そうさ! 兄者よ、もっと言ってやってくれ! 俺たち付喪神にとってはとーっても一大事なのだと! それに、閻魔商人にもかかわりのあることだってことも!」

「釜の怪としゃもじもじの言う通りじゃ。相手はあの骨董屋だぞ。万が一、億が一、わしらが負けでもしたら、お前も悔しかろうに」

 喜蔵は相変わらず手許に視線を向けたまま、「別段悔しくはない」と答えた。

「お前たちが勝とうが負けようが、俺にはかかわりないことだ。相手方の主人が骨董屋だからといって何だ? どこのどいつだか知らぬが、そこの主人を哀れに思うくらいだろう」

 鼻を鳴らした喜蔵に、付喪神たちは黙した。沈黙が下りたことを不審に思い、顔を上げた喜蔵は、ぐっと詰まった。作業台の前にずらりと付喪神たちが並んでいたからだ。真面目な顔をして喜蔵を見上げる付喪神たちに、喜蔵は仏頂面で問うた。

「そ奴は俺と深いかかわりでもあるのか?」

「あるとも――骨董屋の名は、今屋じゃ。今屋今次郎(いまや こんじろう)」

 重々しい口ぶりで述べた茶杓の怪に、喜蔵は眉間の皺を濃くした。

「何のかかわりもないが」

「な、なぬ......⁉」

 喜蔵の返事を聞き、茶杓の怪は素っ頓狂な声を上げ、堂々薬缶は作業台から滑り落ちそうになった。釜の怪と硯の精は、顔を見合わせて首を傾げた。

「......しゃもじもじ、話が違うじゃないの! 喜蔵と今次郎には因縁があるって、自信満々に言ってたのはあんたでしょう⁉」

 前差櫛姫に詰め寄られたしゃもじもじは、ぶんぶんと激しく首を横に振って言い訳した。

「いや、そんなはずはない! 俺は見たんだ、閻魔商人と今屋が喧嘩しているところを! その時、皆は前日の会議疲れで昼寝の真っ最中、起きていたのは俺だけだった!」

「うむ......? そういえば、以前『荻野今の乱だ!』と喚いていたような気もするが......」

 硯の精がぽつりとこぼした言葉に、しゃもじもじが「そうだ!」と叫んだ時、

「俺は生まれてこの方、誰とも喧嘩をしたことがない」

 喜蔵はきっぱり言いきった。付喪神たちは内心(そんなわけないだろ!)と言い返した。

「まことに覚えてないのか? はあ~我が店の主はどうしてこう物覚えが悪いのだろう」

「......誰が我が店だ」

 喜蔵が低い声音を出すと、しゃもじもじは硯の精の後ろにさっと身を隠した。格好の隠れ場所を得てほっとしたのもつかの間、喜蔵はしゃもじもじをひょいっと摑み、目の高さまで持ち上げた。間近で睨まれたしゃもじもじは、「無念......」と言葉を残し、目を閉じた。

「妖怪のくせに情けない」

 呆れ顔で言った喜蔵は、しゃもじもじを放り投げた。土間に落ちる前に、しゃもじもじを空中で捕まえたのは、買い物から帰ってきた深雪だった。

「鬼姫......! いや、深雪さま! よくぞ助けてくれた!」

 しゃもじもじは涙目で礼を述べ、深雪の胸に縋りつこうとしたが、喜蔵からの鋭い視線に気づき、慌てて近くの棚の上に飛び乗った。

「まだお昼前なのに、皆すっかり本性を露わにしているなんて、びっくりしたわ」

 妖怪は、日中人前に現れない。荻の屋に住まう付喪神たちも、朝昼は大人しくただの道具のふりをして店に並んでいる。日が暮れた頃から徐々に本性を露わにし、夜には人間のように会話する。喜怒哀楽がはっきりした様は、喜蔵よりもよほど人間らしく見えた。そんな彼らでも、朝昼に変化しないという鉄則を守っていたが、今日は違った。

「......今屋の付喪神たちと、こ奴らが争うらしい」

 まっすぐ見つめてくる深雪から目を逸らしながら、喜蔵は渋々事の次第を話した。

「まあ、そんなことがあったの......今屋さんとは不思議な縁があるのねえ」

「不思議な縁とは何のことだ? なんのかかわりもあるまい」

 お前まで妙なことを言うのかと訝しむ喜蔵に、深雪は肩をすくめて息を吐いた。

「お兄ちゃん......覚えてないの? 前にうちを訪ねてきて、色々言ってらしたじゃないの。今屋さんのことは分かる? ほら、髪色が異国の人みたいに明るくて、ほっそりとしてる人よ。見た目はとてもお若いけれど、あのお店ができて結構経っていると聞いたことがあるから、お兄ちゃんよりもずっと歳上だと思うわ」

「犬の尾のように、ふさふさとした髷を結っている、吊り上がった細い目をした男だろう? 確かに奴は訪ねてきたが、たった一度だけだ」

「その一度を言ってるのよ」と呆れ顔で笑った深雪を見て、喜蔵はむっと唇を引き結んだ。

 今次郎が突然荻の屋を訪れたのは、三月半ほど前の春先のことだった。

 ――......今屋でございます。

細い目をさらに細めて名乗った今次郎は、入店した時から不機嫌を隠さなかった。値踏みをするようにじろじろと店内を見回すと、ふんと鼻で笑ってべらべらと語りだした。

 ――流石は古道具屋だ。うちと違って、実用的なものばかりですね。このしゃもじなんて、使った途端に壊れてしまいそう。こちらの釜は二、三度米を炊いたら、底が抜けそうだ。こちらの小鼓は......叩くのは止めておきましょう。一度で破けてしまうでしょう。この前差櫛は......そう悪くないようです。地味だが、味がある......名のある人物が作ったのかもしれません。ですが、値をつけるなら、二束三文ですね。地味な女がつけたら、余計に地味になる。派手な女がつけたら浮く。これが似合いの者などそういませんよ。この茶杓も二束三文でしょうね。この荒さでは上手く茶が点てられない。こちらの硯は――......⁉............ま、まあいいでしょう。売り物でないと言うなら......あちらの棚にある小棚ですが、あれは全くもって駄目ですね。その隣の行李も――。

 酷評を連ねた今次郎は、黙している喜蔵を振り返り、顎を吊り上げてとどめをさした。

 ――がらくたを売る気持ちは、どのようなものなのでしょう。教えていただけませんか?

 居間にいた深雪は、障子の隙間から店を覗いて、はらはらとしていたが、

 ――別段何も。道具を買いに来たのでないなら、帰ってください。

 喜蔵は無表情のまま、冷たく言い捨てただけだった。唖然とした今次郎は、やがてはっとした顔をして、引きつった笑みを浮かべ早口で言った。

 ――は、ははは! これはこれは......なるほど、そういう心持ちだから、こうしてどうしようもない品ばかりを売っていても、何とも思わぬのですね! 私のように崇高な志で商売に向き合っていたら、こんな店は決して出せません。いやはや、御見それしましたよ。あなたのその生きるためなら、商人の矜持を捨てても何とも思わぬ姿勢が――。

 ――用事がないなら、帰れ。

 今次郎の言葉を遮った喜蔵の顔は、必死に息を詰めていたしゃもじもじが悲鳴を上げてしまうほど、恐ろしいものだった。

「悲鳴を上げて、そ奴に変に思われなかったのか?」

「お兄ちゃんのその顔を見た瞬間、今屋さんが一等大きな悲鳴を上げて走り去ったから」

「大丈夫よ」とにこりとした深雪に、喜蔵は唇を尖らせた。

「琴古主たちのあの態度は、お主と今次郎が不仲のせいもあるのではないか?」

 硯の精の発言を否定したのは、彼以外の付喪神たちだった。

「それもあるかもしれんが、あいつらは前から居丈高だった。骨董屋と古道具屋は格が違うと偉ぶってな」

「うむ、自慢話が多かったのう。だが、あそこまで感じが悪くなったのは、春先くらいだったか......やはり、主人が鬼に退治されそうになったと知り、腹を立てたんじゃろう」

 釜の怪と茶杓の怪の言に、皆はこくこくと頷いた。

「先方が勝手に突っかかってきて、勝手に怒っているのなら、やはり俺にはかかわりない」

「あるだろう! お前は今屋と何の怨恨もないのに、散々悪口を言われたじゃないか。その悔しさを晴らさずにはいられまい」

「悪口を言われたのは、お前たちの方だろう」

「俺たちを売るのは、店主であるお前だぞ⁉ お前が悪く言われたも同然ではないか!」

「同然ではないな。俺はお前たちがどう言われようとどうとも思わぬ」

 あっさり言い捨てた喜蔵は、深雪に店を頼んで、昼飯を作りに行った。付喪神たちはしばし茫然としていたが、深雪が「大丈夫?」と声をかけたのをきっかけに、我に返った。

「な、なんと無情な店主だ......そもそも、古道具屋の店主という自覚があるのか⁉」

「あるわけなかろう! あいつは氷のように冷たい男だ!」

「それが分かっていながら、何であ奴に戦いに参加するよう頼んだのだ⁉」

「立会人がいなければ、どうやって勝負をつけるのだ! 他に頼める相手がいたら、迷わずそっちに頼っていたわい!」

 騒ぎ出した付喪神たちを見た深雪は、店の戸を閉め、付喪神たちの前に戻ってきた。

「今屋さんの付喪神さんたちとは、一体どんな勝負をするの?」

「......道具としての優劣を競うつもりだそうだ」

 硯の精が、難しい顔をして答えた。

 昨夜、喜蔵の閻魔顔に驚き逃げだした付喪神たちは、荻の屋の店の前ではたと我に返り、再び対峙する羽目となった。

 ――......ちょうどいい、これから勝負をつけるでござるか。

 ――妖力を用いて戦うおつもりですか? 万が一傷でもついたら、道具としての価値が下がります。やめておいた方がよろしいでしょう。

 どんどん土瓶の挑発に、琴古主は乗らなかった。

 ――では、道具としての優劣を競うのはいかがでござるか⁉

 ――......よいでしょう。私たちは付喪神といえ、その本性は道具。骨董屋と古道具屋の道具、どちらが優れているか、目利きに判断してもらいましょう。

 ――いいぞ! 乗った!

 提灯左衛門の叫びに、荻の屋の付喪神たちは「勝手に決めるな!」と文句を言ったが、結局その場にいた全員が頷いたため、古道具対骨董屋の決戦が行われることになった。

「目利きって、誰に見てもらうつもりなの?」

「......決まっておらん」

 釜の怪の答えに、深雪はきょとんとして、さらに問うた。

「優劣をつけ方は? どれか一つ選ぶなら、硯の精さんで決まりなんじゃないかしら?」

「悔しいが、その通りだ。かといって、硯の精を勝負に出さぬわけにはいかん。これまた悔しいが、よい品ならあちらの方が多かろうし......なので、荻の屋または古道具屋出身のこちらから五品、骨董屋から五品と、それぞれ出し合って、目利きに五つ良品を選ばせる」

「古道具屋か骨董屋か――多く選ばれた方の付喪神さんたちが勝ちってことね」

「鬼姫は物分かりがよくて助かるのう」

 ふむふむと満足げに頷く茶杓の怪に、深雪は口許に指を当てて言った。

「......大家さんはどうかしら? 確か、なかなかの目利きだと聞いた覚えがあるわ」

「又七か......だが、今屋の者たちはどうじゃ。『そちらに近しい人物に任せるわけにはいきません。どうせ裏で繋がっているのでしょう』と嫌みを言われそうな気もするのう」

「店子だけじゃなく、町内皆のお世話をしてくれている大家さんだもの。きっと今屋さんとも親しくされてるはずよ。......もしかしたら、お兄ちゃんよりも仲がいいかも」

「それなら、こちらが不利ではないか!」

「大家さんは公平明大な人だもの。きっと大丈夫よ」

「......うーん、そうか。鬼姫がそう言うなら、そうなのか......どうじゃ皆?」

 問うた茶杓の怪に、付喪神たちは「よかろう」「いいわよ」「合点承知」と答えた。

「ならば、決まりだ!」

 いざ大家宅へ――そう叫びかけた堂々薬缶の声は、喜蔵の「昼餉ができたぞ」という低い呼びかけでかき消された。

Profile

小松エメル

1984年東京都生まれ。母方にトルコ人の祖父を持つ。國學院大學文学部史学科卒業。2008年、ジャイブ小説大賞初の「大賞」を受賞した『一鬼夜行』でデビュー。著書に、「一鬼夜行」「うわん」「蘭学塾幻幽堂青春記」の各シリーズ、『夢の燈影』『総司の夢』『梟の月』などがある。

Pick Up Book

  • かがみの孤城
  • i
  • 私のスポットライト
  • ビオレタ

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