小松エメル

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イラスト:森川侑

3

緑の手(3)ーー「一鬼夜行」余聞

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 アマビエと水旁神(みずつくりのかみ)の鬼ごっこは、想像以上に長引いた。弥々子をはじめ、水の怪たちは、緊張感を持って日々を過ごしていた。アマビエはある種権力の象徴だ。それを有した妖怪は、未だかつていないという。だから余計に望むのだろう。

(俺はそんなものより、綺麗な魂が欲しいなあ)

 岬は、権力も地位も永遠の命も、興味がなかった。美しい魂を得る――それゆえ、弥々子に惹かれた。しかし、魂の輝きが失われてしまった今、岬にとって弥々子は価値がない妖怪だった。それなのに、未だ共にいる。

(まあ、一緒に捜索してるのは、俺が姐さんを利用してるからだけどさ。弥々子姐さんはお人好しだから)

 だが、それだけなのだろうか?

「あたしを誰だと思ってるのさ」

 たまさか問われた問いは、岬がちょうど考えていたことだった。虚を突かれた岬は、素直に答えた。

「......あんたは俺の尊敬する河童の神さまさ」

 弥々子は冗談だと思ったらしく、馬鹿にしたように笑った。岬は笑わなかった。否、笑えなかったのだ。

(そうか、俺は......)

 水の世でたった一妖で生まれた時からずっと、岬は神などこの世に存在しないと思って生きてきた。神と同等の力を持つ須万に仕えていたが、彼女を神と思ったことは一度もない。須万が神であったら、わざわざ岬を使わなくとも、自分で魂を集めただろう。俺は一体何者なんだろう――岬にそう思わせることなく、もっと従順な僕を作っていたに違いない。

「......俺はまことにそう思ってるんだよ」

 弥々子はただの妖怪だ。水の怪の中では秀でた存在だが、須万のような支配力で岬を囲いこむことはなかった。岬が何をしようとどうでもよさそうでありながら、こたびのように頼ってきたら、迷わず手を差し伸べてくれる――弥々子は、岬が岬であることを許してくれた。当妖にそんなつもりはないことは重々承知だったが、岬にとって弥々子は、心のどこかで焦がれていた神さまに他ならなかったのだ。

 アマビエを探しはじめて十月――ついに、彼の妖怪と水の妖怪たち、そして水旁神が対峙する機会が訪れた。神無川の先に広がる海に集った水の怪たちは、今にも殺し合いをはじめそうなほどのぴりぴりとした緊張感を放っている。

(誰がアマビエをこの手に捕らえるか......自分こそはと思ってる奴らには悪いが、俺がいただくよ)

 岬は、隣にいる弥々子を見遣った。須万で慣れているはずの岬がぞっとするほどの妖気を放っている。しかし、当妖は無自覚らしく、難しい顔をして唇を嚙んでいた。

「あたしはいつの間に、妖怪らしくなくなったんだろうね......」

 小声で呟いた弥々子に、岬は思わず問うた。

「妖怪らしくないと駄目なのかい?」

 妖怪らしくない、その自由さが弥々子のいいところなのに、当妖はそれを気にしているらしい。無性に腹が立った岬は、それを押し隠しつつ続けた。

「らしくなくても、姐さんは妖怪だろ。妖怪として生まれたら、それで十分妖怪らしい――ああ、違うな......この言い方だと、生まれがすべてということになる」

 それでは、自身も否定することになると岬はこっそり苦笑した。

「......たとえば、姐さんが元々人間や獣で、途中から妖怪として生きてきたとしよう。それでも、俺は姐さんを妖怪の中の妖怪だと思うよ」

 意味が分からないねと弥々子は眉を顰めて言った。

「そうかね? 生まれもまあ大事だろう。でも、それより大事なのは、どう生きてきたかさ。姐さんが自分が妖怪らしくないと思うのは何でか分からんが、らしいらしくないなんて些末な問題じゃないか? だって、姐さんは立派な妖怪だ。たとえ誰かが姐さんを『あんたみたいな妖怪らしくない奴を妖怪とは認めん!』なんて言ってもさ、俺にとっては姐さんこそが誰よりも立派な妖怪だもの」

 そう言って笑うと、弥々子はまた唇を嚙みしめ、悔しそうな顔をした。

(俺は勝ち気な面で笑ってる姐さんが好きなんだけどなあ)

 岬は息を吐いた。世の中の大半は、思い通りにいかぬものだ。だからせめて自分の神さまにだけは、思うままに生きて欲しかったのかもしれぬ。

 アマビエと水旁神が現れたのは、その直後だった。あちこちで悲鳴が轟き、複数の水の怪たちが瞬く間に海の藻屑と化した。皆が圧される中、弥々子は配下の者たちに指示しつつ、態勢を整えようとした。

(......今だ!)

 弥々子を含め、水の怪たちの大勢がそれぞれの群れに気を取られている中、自由に動けたのは岬だけだった。岬はここぞとばかりに修行の成果を発揮し、物凄い勢いでアマビエの許へ泳いで行った。

 光り輝く丸い物体を、その手に摑んだと思ったが――

「くそっ!」

 アマビエは器用に身をよじり、離れていった。水面を跳ぶように逃げるアマビエを、岬も同じような動きをして追う。「この馬鹿!」という叫びが響いたのは、その時だった。いつの間にか弥々子が、岬たちの近くに迫っていた。

「そうやってるうちに、また水旁神が迫ってくるよ! どうせ捕まえられないんなら、今はそいつを逃がすべきだ!」

 弥々子の必死の声を聞き、岬は思わず笑いだした。

「いやだな、姐さん。せっかく会えたんだ......ここで逃がしてたまるかよ」

「他妖の話を聞け! 今はそいつを諦めて――」

「諦めるもんか――こいつは俺の物だ‼」

 岬は弥々子の声を遮り、叫んだ。声の大きさと比例するように高く跳躍した岬は、念願のアマビエをその手中に収めた。

「やった......これで俺は――」

 一体どうなるのだろう――一瞬生じた疑問が岬の動きを鈍らせた。水旁神が作りだした高波の中に、岬は呑みこまれた。

 赤い髪、赤い目をした巨大な女と、目があった。呪わしい気を発しているその女――水旁神は、身体に見合う大きな手を岬に向けた。

(いや、違う――俺の腕の中にいるアマビエが狙いなんだ)

 アマビエを放す暇も、逃げる間もなかった。水旁神の手の中に握りこまれた岬は、アマビエもろとも水旁神の口の中に放りこまれたが――

「お前が私の命に背くとは、思いもしなかった」

 冷え冷えとした声が響いた。びくりと身を震わせた岬は、いつの間にか閉じていた目を、おそるおそる開いた。真っ白な色をした巨大な魚――須万が、海の底に倒れている岬をじっと見下ろしている。

「......俺なら、死ぬまで自分の言いなりだと思ってました?」

 茶化すように言ったが、須万は特段怒っている様子も見せなかった。ただじっと岬を見つめて、ふっと息を吐いた。

「美しい魂を得てどうする。私ならば体内に取りこむことができるが、お前には無理だ。魂に骨肉はないが、何もしなければ朽ちていく。さすれば、お前の嫌いな醜く、汚い存在へと変わる。元の美しさとは正反対の、何の役にも立たぬがらくたへと化す――それを、知らなかったわけでもなかろう」

 須万の言葉に、岬は頷いた。魂を得たものの、帰るのに遅れて腐らせたことが二度あった。腐った魂は、そのまま破棄された。須万は岬を責めなかったが、岬は自分を責めた。須万が魂を使わぬのなら、岬はただ相手を殺したことになってしまう――

(そもそも、俺は単なる妖怪殺しなのにな......)

 大義名分があれば、殺してよいというものではない。だが、岬はそれでこれまでの日々を乗り切ってきたのだ。見ず知らずの相手を殺すことに深い罪悪感を抱いたことはないが、やらなくてよいと言われたら、喜んでやめただろう。

「やめたところで、どうなる。身寄りも友も夢もないお前に、生きる意義を与えてやったのは、私だ」

 まるで神のようなことを言うと岬は苦笑した。

(だが須万さまの言う通りだ。持たざる者だった俺に、生きる術と力を授けてくれた。あんたがいなけりゃあ、俺は生まれてすぐ死んでただろう)

 そうすれば、他妖の命を無闇に奪うこともなかった。アマビエを追うことも、水の怪たちを出し抜くこともなかった。

「......姐さんとも会うことはなかったな」

 ぽつりとこぼした岬に、須万は舌打ち交じりに言った。

「やはり、弥々のせいか......お前が私に歯向かったのは――あれは確かに、水の怪たちの誰よりも美しい魂をしている」

 岬は俯けていた顔を、ゆっくりと持ち上げた。

「昔の話でしょう? 須万さまも昨年近くで見たからお分かりになるはずだ。あの魂の輝きが失われちまったことに......」

「弥々の魂は昔のまま――否、さらに美しく輝いていた」

「そ、そんなはずは......! 弥々子河童の魂は、もう――」

「お前がそう思いこんだ理由を教えてやろう」

 岬を遮って述べた須万は、すっと前を見据えた。視線を追った岬は、目を見開いた。そこには、つい先ほどまで岬がいたあの海の光景が広がっている。

「私はこうして水の世を眺めている。お前がどこで何をしていたか、弥々が配下の者をどう統率してきたか――すべて見てきた。そして今も......水旁はアマビエを体内に取りこんだ」

 淡々とした口調で述べた須万だったが、わずかに厳しい表情を浮かべたように見えた。アマビエを取りこんだ水旁神は、さらなる強さを得たようだ。あっという間に窮地に追い込まれた弥々子は、強烈な攻撃を受け、水面に叩きつけられた。

「弥々子姐さん......‼」

 思わず大声を上げた岬は、急ぎ泳ぎだそうとしたが――

「弥々は死んだ。今から行っても、何の益もない」

 そう言ったのは、岬の腕を摑んだ、真っ白な手の持ち主――人間の姿に変化した須万だった。

「そんなことは分かってますよ! でも、俺は......!」

 沈黙が満ちた。

 先に声を出したのは、須万だった。

「お前は弥々の魂を得るために、厳しい修行にも耐えた。しかし、その修行中、弥々のことばかり考えていたお前に、変化が起こった。お前は愛してしまったのだ、弥々を。愛する者を殺したくない――そう思ったお前は、弥々の魂を盗らなくてもいいように、頭の中で画を作りかえた」

 弥々の魂を醜くさせたのは、お前だ――須万の言葉に、岬はよろめき、後退った。

「俺は......」

 続く言葉を見つけられず、岬はぐっと拳を握りしめた。そんな岬にゆっくり近づいてきた須万は、岬の耳元で囁いた。

「水旁は負ける。あの者の体内からアマビエを取りだし、私の許へ連れてくるのだ」

「......そうすれば、俺の不届きをすべて不問にすると?」

 問うと、須万はにやりと笑みを浮かべた。細めた瞳の中に映る岬は、ちょうど彼女に手を伸ばしたところだった。

「――岬、何を......!」

 悲鳴を無視して、岬は須万の胸に手を置いた。

          *

「おや、あんた......」

 氷の割れた湖からひょっこり顔を出した相手を認めて、汐は声を上げた。

「アマ坊はどこだ⁉」

 岬を岸に引き上げながら、汐は辺りを見回して言った。

「汐爺さん、悪い......捕まえられなかったんだ!」

「な、なんと~......」

 岬が手を合わせて詫びると、汐はがくりと肩を落としたが、すぐにはっと我に返った顔をした。

「だが匂う......アマ坊の匂いがする!」

「うん。俺は駄目だったが、俺の伴侶が捕まえてね。じきにここにやって来て、あんたにアマビエ――アマ坊を預けるよ。それだけ報告しに来たんだ」

「伴侶? お前は誰かを娶っていたのかい?」

「いや、まだだ。これから泣き落として、娶ってもらうつもりなのさ」

「なんと情けない」

 汐は楽しそうに笑った。自宅への招きを断り、岬が再び水の中に入った時、汐はぽつりと言った。

「......随分と身軽になったのう――力も魂も」

 岬は目を瞬かせ、「あんたあ......」と感嘆の声を漏らした。

「やはり、とんでもなく強い妖怪なんだね......! 俺の力がなくなったばかりか、寿命が縮んだことさえ分かるなんてさ」

「色々失った割に、楽しそうだのう」 

 呆れたように言って頬を搔いた汐に、岬は笑いかけた。

「代わりに自由を手に入れたからね。これで心置きなく、弥々子姐さんに俺をよろしくと頼みこめるわけだ!」

「弥々子......聞いたことがあるぞ。確か、神無川の河童の棟梁――おい、岬坊!」

(俺も坊呼ばわりかい)

 くすりと笑った岬は、冷たい氷水の中に深く潜りこみ、悠々と泳ぎだした。行き先は、神無川だ。今こちらに向かっている弥々子とは、ちょうどすれ違う形になるだろう。その間に、岬は神無川に行き、そこに来るであろう人間に弥々子とアマビエのことなどを教えてやらねばならぬらしい。

 ――......私の魂を返すなら......見えたことをすべて教えてやろう......私が見えるのは、今起きていることが大半だが......少しだけ先のことなら見えるのだ。

 岬に魂のほとんどを奪われた須万は息も絶え絶えに言ったが、岬は大して興味がなかった。だが、黙って聞き入れた。そうすれば、須万に魂と力を返す理由ができるからだ。須万がその岬の企みに気づいたのは、岬から自分の魂を返され、さらに岬の力と寿命を差しだされた時だった。

 ――死にたかったのか、お前は......お前に魂と力を分け与え、生かしたことが間違いだったのか......⁉

 魚の姿に戻った須万は、大きな目から涙を流して言った。その姿を意外に思い、岬は呟いた。

――......俺はあんたにとって体のいい僕だと思ってたが、それだけではなかったんですかね。

 ――そんなことはない! お前は我が子同然――

 ――それは嘘でしょう。あんたが我が子と思ってるのは、アマビエだけだ。仕置きをするためと言い、俺に捜させていたが、本当は違うでしょう? 自分の半身だから、会いたかったんだ。情があるかないかくらい、分かりますよ。俺に対してそれが全くなかったとは思いませんが......それこそ、アマビエの鱗くらいはあったようで。

 そんなことはない、そんなことは――と繰り返した須万だったが、声や目には動揺が滲んでいた。

 ――俺は今更あんたの薄情さを責めようなんて思ってません。自分の魂を使ってまで俺を生かしてくれたことは、心から感謝してるんです。......でも、俺は自由になりたかった。昔からずっと――だからあんたからもらったものは返します。すべてと言いたいところだが、それだと何もできずに死ぬことになるんで、魂は半分だけ。須万さまにとっちゃあ大したものじゃないと思うが、妖生の足しにしてください。

 ではお達者で!――岬は明るく言って、水の世から去った。須万は岬の名を一度だけ呼んだが、それ以上引き留めはしなかった。

(もう二度と水の世に帰ることはないんだなあ)

 それを少しだけでも寂しいと思えたことに、岬はふふと笑みを漏らした。魂が半分、力のすべてがなくなったせいか、身が軽かった。ひと搔きするだけで、ぐんと前に進む。澄んだ海水の中を泳ぐことが楽しいと感じたのは、生まれてはじめてだった。

(俺の妖生は多分あと少しだ――へへへ、楽しみだなあ)

 望んでも、上手くいかぬことが大半だろう。願っても、叶わぬことの方が多いに違いない。それでも、岬は楽しみで仕方がなかった。

「これからが、俺のまことの妖生だ!」

 まずは、愛おしい未来の伴侶のために、棟梁不在の神無川の平和を守るとしようか――。

Profile

小松エメル

1984年東京都生まれ。母方にトルコ人の祖父を持つ。國學院大學文学部史学科卒業。2008年、ジャイブ小説大賞初の「大賞」を受賞した『一鬼夜行』でデビュー。著書に、「一鬼夜行」「うわん」「蘭学塾幻幽堂青春記」の各シリーズ、『夢の燈影』『総司の夢』『梟の月』などがある。

Pick Up Book

  • かがみの孤城
  • i
  • 私のスポットライト
  • ビオレタ

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