戦争の歌がきこえる アメリカのホスピスで出会った戦争を生き抜いた人たち

佐藤由美子

戦争の歌がきこえる アメリカのホスピスで出会った戦争を生き抜いた人たち

写真=佐藤由美子/デザイン=根本綾子

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日本人の私が、戦争を経験したアメリカ人と関わること

「僕は日本兵を殺した」

 彼は唐突に言った。その日、ホスピス病棟に入院してきたばかりの末期がんの患者さんだった。

「彼らは若かった。僕も若かった......」

 そう言って突然泣き出した。痩せ細った彼の体がぶるぶると震え始めた。

 すがすがしく晴れた日の午後だった。病室の窓の外にはカーディナル(赤い鳥)が飛んでいた。つい先ほどまで、彼は窓際のリクライニングチェアに座り、鳥の話をしていた。そして、私がアイリッシュハープを弾く間、静かに聴いていた。ごくごく普通のセッションだった。

 しかし、私が「日本人」であることを告げた瞬間に、様子が一変したのだ。

 彼は泣き声を押し殺そうとしていたが、抑えることができないでいた。私は膝の上に置いたアイリッシュハープをしっかりと握り、何も言わずにただ座っていた。何をすべきか自分の心の中を探ったが、思いついたことのすべてが「やるべきではないこと」だった。

 そして私は、まだインターンだった当時、スーパーバイザーと交わしたある会話を思い出していた。

 2002年の夏、私はノースカロライナ州のアシュビルという小さな町に引っ越した。ブルーリッジマウンテンの麓にあり、その名の通り青々と広がる山に囲まれていた。高校を卒業してすぐアメリカに留学した私は、ウェストバージニア州にある大学を卒業後、隣のバージニア州にあるラッドフォード大学院に通っていたのだ。その年の春、大学院を卒業した私は、米国認定音楽療法士(MT-BC)の資格をとるために、もうひとつやらなければいけないことがあった。7カ月間に渡るインターンシップだ。ふとした理由からホスピスでインターンシップをしたいと思い立ち、その地をアシュビルに決めたのだった。

★第1回 はじめに_Asheville downtown.jpgアシュビルの町/2002年5月撮影


 7月の暑い日。スーパーバイザーのジムとの最初のスーパービジョンだったと思う[*1]。彼のオフィスは駐車場の隣にあり、外に面した壁はガラス張りになっていた。眩しい日光が窓から入り込んでくるが、強力な冷房のため部屋はひんやりとしていた。ジムは音楽療法士であると同時に、グリーフカウンセラー[*2]でもあった。経験豊富で優しい目をした彼の存在が、少しだけ私の恐怖感を和らげてくれた。

 そもそも私がホスピスで働こうと思った理由は、「死」に対する恐怖心からだった。人間の死というものを見たことがなかった私にとって、死は人生で起こりうることの中で最も恐ろしいことだと思ったのだ。いつか起こるであろう大切な人の死について考えるのは恐ろしいことだったが、想像することはできた。しかし、「自分が死ぬ」ということは想像さえもできないことだった。ホスピスで働き、実際に死と接することで、自分の中で何らかの変化が起こるのではないかと感じた。

「ひとつだけ心配なことがあるんだ」

 ジムは言うと、急に真剣な顔になった。

「君がここで出会う患者さんの中には、第2次世界大戦で戦った人や戦争で大切な人を失った人がいる。君が日本人であるということで、彼らがどんな反応をするかわからない......。そのことについてどう思う?」

 彼の唐突な質問に私は驚いた。この仕事を始めるにあたってさまざまな心配事があったが、彼のそれと私のそれとはかけ離れたものだった。第2次世界大戦はずいぶん昔に起こった出来事だ。私にとって戦争とは、新聞で読んだりテレビで観たりするもので、あくまでも歴史上の遠い存在でしかなかった。60年の時を経て、その歴史的な出来事が自分に何らかの影響をもたらすかもしれない、などとは考えたこともなかった。

 頭に浮かんだのは、福島に住む祖父のことだった。祖父が戦争に行ったことは、母から聞いたことがある。私が高校卒業後、渡米することを決めたとき、祖父は驚いていたが、彼がアメリカ人のことを悪く言ったことはない。アメリカに渡って6年間、この地で生活してきた私自身、さまざまなアメリカ人と出会ったが、第2次世界大戦の話題が出たことはなかった。

「わかりません。そのことについて考えてみたこともないので......」と私は言った。

「これは君に考えてみてほしいことなんだ。日本人という理由で、嫌な想いをすることがあるかもしれない。もしそういうことがあったら、いつでも言ってほしい」

 ジムは優しく微笑んだ。

 彼はスーパーバイザーとして、私のことを気遣っていたのだ。もし、戦争を経験した患者さんやその家族が私に対して怒りをぶつけたりした場合、それが私に与える影響を懸念したのだろう。インターンシップというのは、未来のセラピストを育てることも壊すこともできる。とても貴重で、同時に不安定な時期でもあるのだ。

 今から思えば、あのときジムが心配したのは当然のことだろう。第2次世界大戦で戦ったアメリカ兵の平均年齢は26歳といわれる。終戦時にその年齢だと考えた場合、私がインターンシップを始めた2002年には83歳の計算になる。事実、インターン時代を含め、その後約10年間アメリカのホスピスで働く間、多くの戦争経験者と出会った。

 当時の私は、長期記憶というものがどのように働くのかよく理解していなかった。インターンシップ時代の毎週のスーパービジョンの内容を、私はほとんど覚えていない。でも、ジムと交わしたあの日の会話ははっきりと覚えている。内容が衝撃的だったため、印象深い出来事として記憶に残ったのだ。

 例えば、あなたは8年前の今日、何をしていたか覚えているだろうか? おそらく思い出せないだろう。でも、8年前の「3月11日」にどこで何をしていたのかは思い出せるはずだ。強い感情が付着している記憶は、長い間残る。戦争のように感情を激しく揺さぶる出来事を経験した場合、人はそれを決して忘れない。忘れたくても忘れられないのだ。

 また、音楽には記憶と感情を呼び起こす力がある。自分や大切な人の死が迫っているという状態は、言うまでもなく感情を激しく揺さぶるような経験だ。そこに音楽を加えた場合、強い反応が引き起こされ、忘れがたい記憶が呼び戻される可能性があることは、想像できると思う。

 当時の私は、セラピーにおけるセラピストとクライエント(対象者)との関係性を理論として頭ではわかっていても、経験として理解していなかった。音楽療法も含めセラピーとは、セラピストとクライエントの関係性の中で起こることであり、その間に育まれるラポール(rapport, 相互信頼)が最も重要な要素である。関係性を築くと口で言うのは簡単だが、実際には難しく複雑なプロセスを経なくてはならない。人と人が関わりを持つとき、国籍、人種、出身地といったバックグラウンド、性格、信仰、人生経験など、お互いのさまざまな要素が関係性に影響をもたらす。それは、セラピストとクライエントの関係性も同じである。

 このようにセラピーとは、非常に親密で複雑なスペースの中で起こる。だからこそ、ジムは私が日本人であるという事実が、戦争を経験した患者さんや家族との関係性に影響を及ぼす可能性があると考えた。そして、彼の見解は正しかった。ただ、私が彼の問いを正確に理解し、その答えを見出すまでには、長い年月がかかった。

 第2次世界大戦は世界中の人々を巻き込んだ戦争だった。軍人・民間人を含めた死者数は、アメリカでは42万人、日本では310万人といわれる。世界的な合計は統計によって異なるが、5000万人以上といわれる。

 いずれにせよこの戦争は、日本にとっては文字通り「国家の存亡」を賭けた、アメリカにとっては自由(freedom)や民主主義(democracy)の「理想(ideal)」、そして「アイデンティティ(identity)」を賭けたものだった。それを守るために、「個人」の犠牲は当然のこととされ、むしろ素晴らしいこととされた。日本がそういう状況だったことは誰もが知ることだろうが、個人主義の国、アメリカでもそうだったのである。 

 まして今日のように、退役軍人や家族へのカウンセリングなどない時代だ。戦後、人々はつらい記憶を胸に秘め、未来に向かって歩む他なかったのだ。そういう意味では、日本もアメリカも似たような風潮があったのだと思う。

 そのため、戦争経験者の多くは、戦後、その記憶を語らずに生きた。でも、そのような記憶は、人生の最期に蘇るものなのだ。「(戦争のことを)昔は考えなかったけど、今は考える」という言葉を私は患者さんから何度聞いたかわからない。人間は死と直面したとき、過去を必ず振り返る。そして、長い間逃れようとしてきた記憶こそ、頭に浮かぶものなのだ。私たちは人生の最期、過去から逃れることはできない。

 昨年の暮れ、元アメリカ大統領のジョージ・H・W・ブッシュ氏が享年94歳で亡くなった。彼は18歳で海軍に入隊し、パイロットとして第2次世界大戦で戦った。父島(東京都小笠原諸島)で撃墜され仲間を失ったが、自らは生還した。その経験が彼の人生に大きく影響を与えたといわれている。当時、海軍で最も若いパイロットのひとりだったブッシュ氏が亡くなったということは、第2次世界大戦を生きた世代がほぼいなくなっていることを意味する。

 アメリカ合衆国退役軍人省によると、第2次世界大戦に従事したアメリカ兵の数は1600万人。その内、2018年の時点で生存している人数は、50万人弱。日々348人が亡くなっている計算となる。戦争の記憶は、それを経験した人々の肉体とともに消えていっているのだ(日本の場合はどうだろう?)。

 しかし奇妙なことに、インターンシップ時代に遠い存在だと感じた戦争は、今、私の中でより近いものとして感じられる。あれ以来、私はアメリカだけでなく、日本のホスピスでも働いた。そこで、本当にたくさんの戦争経験者に出会った。そして6年前、米空軍兵士である夫と結婚したことによって、軍人やその家族の生活や心境を垣間見ることにもなった。未だに戦争の足跡の遺る数々の場所にも足を運んだ。その過程で過去と現在がつながり、気づけば戦争は、私にとって手が届くほど近い存在となったのである。

 さらに、私はこの原稿を今、アメリカで書いている。近年世界中で大きく勢力を伸ばしているナショナリズムの風潮を見逃すことはできない。トランプ大統領の「アメリカファースト」やイギリスの「ブレグジット」に見られるように、ナショナリズムの「愛国心」の裏には、他者への恐怖心や不信感が見え隠れしている。自己中心的なナショナリズムは、ファシズムへとつながる可能性がある。このような潮の流れは、台風の翌日の波のように強力な勢いで突き進み、知らず知らずのうちに人々を飲み込むのである。

 そんなに遠くない昔、そのような潮が世界中を巻き込んだ。年をとった男たちが戦争を宣言し、若者たちは命を失い、青春を奪われた。女たちは大切な人の帰りを待ち、その結果が何であれ、強く生きることを求められた。消えることのない、つらい記憶と引き換えに。私はこのような人たちの人生の最期に立ち会ったことがある。そして彼らの声は、今でも私の中で生き続けている。たとえば冒頭に書いた男性の悲痛なまでの表情を、息遣いを、その言葉を、私は昨日のことのように思い出せるのだ。

 この連載では、私が音楽療法士としてアメリカのホスピスで出会った戦争経験者たちのストーリーを紹介したいと思う。第2次世界大戦を生きたアメリカ人は、人生の最期に何を語ったのか? 日本人である私に対して、どのような気持ちを抱いたのだろうか? 彼らのほとんどはもう、この世にはいない。私が受け取った言葉を、ひとりでも多くの日本人に届けられたら幸いだ。


[*1]「スーパーバイザー」とは教官・指導官のこと、「スーパービジョン」はセラピスト育成のために設けられる特別な育成時間のこと。

[*2]グリーフとは、直訳すれば「深い悲しみ」や「悲嘆」を意味する言葉で、大切な人を失ったときに起こる身体上・精神上の変化を指す。グリーフカウンセラーは資格を持ったカウンセラーで、グリーフを専門としている人を指す。

[全体の補足]この連載で紹介する事例は、患者さんやその家族に配慮し、細部など一部変更していることをご了承いただきたい。登場する人物も、すべて仮名としている。なお、第二次世界大戦に関する統計は主に『The National WWII Museum』を参照、戦死者については同サイト内のトピック「Research Starters: Worldwide Deaths in World War II」、生存者については「WWII Veteran Statistics」より。第二次世界大戦に従事したアメリカ兵の数については、2017年4月26日に米国政府が公表した『American War and Military Operations Casualties: Lists and Statistics』を参照。吉田裕『日本軍兵士――アジア・太平洋戦争の真実』、ジョン・ダワー『War Without Mercy, Race & Power in the Pacific War(容赦なき戦争――太平洋戦争における人種差別)』も参考にした。

Profile

佐藤由美子

ホスピス緩和ケアの音楽療法を専門とする米国認定音楽療法士。バージニア州立ラッドフォード大学大学院音楽科を卒業後、オハイオ州のホスピスで10年間音楽療法を実践。2013年に帰国し、国内の緩和ケア病棟や在宅医療の現場で音楽療法を実践。その様子は、テレビ朝日「テレメンタリー」や朝日新聞「ひと欄」で報道される。2017年に再び渡米し、現地で執筆活動などを行う。著書に『ラスト・ソング――人生の最期に聴く音楽』、『死に逝く人は何を想うのか――遺される家族にできること』(ともにポプラ社)がある。 HP: https://yumikosato.com

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