戦争の歌がきこえる アメリカのホスピスで出会った戦争を生き抜いた人たち

佐藤由美子

戦争の歌がきこえる アメリカのホスピスで出会った戦争を生き抜いた人たち

写真=佐藤由美子/デザイン=根本綾子

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お父さんの歌

「僕は日本兵を殺した」――78歳の末期がん患者・ロンによる突然の告白に驚く著者。彼はサイパン戦を生き延びたアメリカ兵士だった。ロンは自らの戦争経験とトラウマを、誰にも打ち明けることなく亡くなった。その苦しみから見えてきたのは、第2次世界大戦の退役軍人をめぐる‟神話化"の風潮だ。現実のロンは、彼の地で何を体験したのだろう。そのヒントを得るために、著者はサイパンを訪れた――。【第1回はこちら】


 2014年の2月、東京は大雪に覆われた。電車は止まり、道路上には大量の雪が積もった。私サイパンに立つ前に、武蔵野市にある実家を訪れていた。電車がようやく動き始めた日の朝、やっとの思いで重いスーツケースをバス停まで運んだ。

 成田空港からたったの3時間半で、サイパン国際空港に到着した。冬物のジャケットをすぐに脱いだが、空気があまりにも生暖かく、少しの間、目まいがした。外に目をやると、青い空に眩しい太陽が輝き、色とりどりの南国の花が咲いていた。

 日本からほんの数時間。私は真冬を逃れ、楽園のような島にたどり着いた。

 戦争中、サイパンはアメリカにとって戦略的にとても重要な地だった。その理由は、まさにこの距離の近さにあった。

 アメリカはここにB-29が離着可能な空軍基地をつくり、日本本土を空襲する計画を立てていたのである。実際、1944年7月にサイパンを占領後、それが可能となった。東京を含め、各都市を空襲したB-29の多くは、この飛行場から飛び立って行ったのだ。

★第1回_サイパン.jpg

サイパンの風景



 この島は、「楽園」という言葉がぴったりな場所だ。太陽が反射してキラキラと光る青い海、南国のフルーツ、暖かい海風、美しい夕日。すべてがカラフルで、魚まで色鮮やかだ。すべてが生き生きしている。

 しかし、戦争の影から逃れることができない場所でもある。たとえば、島のあちこちにタンクや銃などが残っており、至るところに慰霊碑が建てられている。

 島の中心部のガラパンには、アメリカ平和記念公園がある。マリアナ諸島で戦ったアメリカ兵士や犠牲になった民間人を追悼する場所だ。その一角に、戦時中の資料などを展示している博物館があると聞いたので、行ってみた。何か新しいことが学べると思ったが、期待外れだった。

 展示物はすべて、英語と日本語で書かれてはいるものの、あくまでもアメリカ側の視点から、戦いに関する出来事を順番に配列しただけだった。そして、いつものように、この戦闘が兵士たちに与えた影響などについては、まったく触れられてはいなかった。

 外に出ると、アメリカ人女性が話しかけてきた。博物館で一緒だった女性で、見学中何度かすれ違った。

「すばらしい博物館だったわね」

 彼女は言った。60代前半くらいの女性で、アクセントからして南部出身の人だろう。

「第2次世界大戦で戦った退役軍人が、‟I'll do it again"(もう一度やる)って言うのを聞いたことがあるわ」

 彼女は満足げな笑みを浮かべた。

 私はそのときドキッとしたが、今考えてみると、それほど驚くことではなかった。彼女のように、いまだに退役軍人を‟神話化"しようとする人は多いのだ。

「とてもきれいね」

 彼女は大きく深呼吸し、公園を見渡した。目の前には真っ青な空が広がり、星条旗が海風にはためいていた。

 私はその旗を見ながら、ロンやこれまでに出会った退役軍人の患者さんのことを思い出していた。「もう一度やる」――死の際で、彼女が言ったような言葉を発した人を私は見たことがない。

 その代わりに彼らが口にするのは、罪悪感、苦しみ、喪失感などである。戦争中の楽しい思い出を語る人ももちろんいたが、ほとんどの場合、一緒に戦った仲間たちとの思い出話だ。それは戦争という暗い記憶の中で、かすかな光として輝くものなのだろう。

 ロンがサイパンに到着したのは、1944年6月。当時、彼はまだ19歳だったはずだ。彼はこの島で何を見たのだろう。私はさまざまな資料にあたった。

 戦闘が続いた3週間、島は猛烈な炎を立てて燃え上がり、煙が楽園を包み込んだ。焼けた死体の臭いが島中に充満したという。そして7月6日の夜、3000人ほどの日本兵が「斬り込み作戦」を行った。この作戦は、太平洋戦争では最も大きな「バンザイ突撃」だったと言われている。ほとんどの日本兵は戦死し、668名のアメリカ兵が負傷した。その3日後、アメリカはサイパンを占領したと宣言した。

 しかし、アメリカ兵たちはさらに驚きの光景を目の当たりにすることになる。民間人が崖から飛び降りて自殺したのだ。子ども、女性、男性の死体が海岸や茂みに散乱した。この戦闘におけるアメリカ兵の死者数は3144人。日本兵や民間人の合計死者数は、5万5300人だった。韓国人や島民も犠牲になったが、その数は定かではない。

 サイパンを去る前日、島の南方へドライブに行った。この辺りは観光客が少なく静かで、時間がゆっくりと流れている。海岸沿いの茂みを歩いていると、突然、錆びついた機関銃が現れた。まるで誰かの忘れ物のように、そのままになっていた。サボテンや木々に囲まれ、幹とほぼ同色となった武器は、その環境とすでに一体化していた。

 崖の上から遠方を望むと、テニアン島が見えた。大きな波がしぶきをあげ、断崖を打つのが見えるほどの距離にある島だ。サイパン戦の後、アメリカ軍は8月にテニアン島を占領した。その1年後、原爆をつんだB-29がこの島から広島と長崎へ飛び立ったのである。そして戦争は終わった。

 しかし、ロンや彼のような兵士たちにとっての戦いは、終わりからは程遠かったのだ。彼らには、本国で別の戦いが待っていたのである。それはたいてい、沈黙の中での苦しみとの戦いだった。戦後を生き抜くためには、戦場で戦うのと同じくらい勇気が必要だったに違いない。長年置き去りにされた機関銃のように、ロンの一部もこの島にとどまったままなのだろう。

 サイパンに来てわかったことは、それだけだった。ロンは最期まで、この地から完全に帰ってくることができなかった。

 サイパンを訪れた1年後、私は静岡県三島市で行われた野外イベントにゲスト講師として参加していた。残暑の夕暮れどき、外が少しずつ暗くなると、たくさんの小さなランプが広場を照らした。パラソルつきのガーデンテーブルに、数十名の人が集まっていた。私は「音楽療法」、「死」や「死ぬこと」(death and dying)についての話をしながら、ネイティブ・アメリカン・フルートを弾き、日本の童謡を唄った。

 向かって左の奥の方に、白髪交じりの長い髪をゆるくしばった70代くらいの女性がひとりで座っていた。イベントに来たというよりは、たまたま通りすがりで立ち止まった、という感じだった。トークが終わり、何か質問はありますか、と参加者に聞くと、彼女は真っ先に手を挙げた。

「場違いかもしれませんが、ひとつお願いがあります......」

 彼女は恥ずかしそうに言った。

「‟浜千鳥"[*1]という歌を唄ってくれませんか?」

 これまで数多くの講演やイベントを行ってきたが、歌のリクエストをされたのは初めてだった。しかも、この歌は聴いたことがなかった。知らないことを謝ると、彼女は残念そうな顔で言った。

「そうですか......。そうですよね」

 イベントが終わった後、彼女はまだ椅子に座っていた。近寄って彼女に先ほどの歌について聞いてみた。

「なんで、あの歌が聴きたかったのですか?」
「あれはね、お父さんの歌なの.........」

 彼女は静岡県出身で、海のそばで育ったという。海が大好きで、浜辺をよくひとりで歩くのだそうだ。数年前のある日、彼女がいつものように浜辺を歩いていると、浜千鳥がいた。

「そのとき、私は浜千鳥のようにお父さんを探しているんだって気づいたのよ」

 父親は彼女が3才のときに戦争に送られた。軍服を着た兵隊を見送りに行った日のことを彼女は鮮明に覚えているという。

「たくさんの兵隊さんの中に、何度も後ろを振り返って私をじっと見ている人がいたわ。それがお父さんだったの......」

 彼女の目には涙が溜まっていた。父親の最期について唯一わかっているのは、サイパンで戦死したということだけだそうだ。

「この年になってもまだ、私はお父さんを探しているのね。お父さんが生きていてくれたら......。もう一度だけ会いたかった」

 涙を隠すように彼女は笑みをつくった。私は"浜千鳥"を唄ってくれないかとお願いした。すると彼女は、最初は恥ずかしそうにしていたが、テーブルの上で手を組み、小さな声で唄いはじめた。


青い月夜の浜辺には
親を探して鳴く鳥が
波の国から生まれ出る
濡れた翼の銀の色

夜鳴く鳥の悲しさは
親をたずねて海こえて
月夜の国へ消えてゆく
銀のつばさの浜千鳥


「僕は日本兵を殺した。彼らは若かった。僕も若かった......。彼らの家族のことを考えると......」

 あの日、ロンが言っていた「彼ら(兵士たち)の家族」とは、彼女のような人のことを言うのだ。

 戦死したひとりひとりは、誰かの父親であり、息子であり、兄弟であり、夫だった。愛する人を失った人たちにとって、戦争は終わることのないものである。

 ロンの戦争が人生の最期まで終わることのなかったように、それは、今も確かに続いているのだ。


【ロン編 完】


[*1]作詞=弘田龍太郎。

[全体の補足]サイパン戦のデータはアメリカ平和記念公園博物館の情報、アメリカ兵の死者数は『Saipan: The Beginning of the End』、日本人の死者数は、『戦没者遺骨収集推進法に基づく指定法人への指導監督等に関する有識者会議』を参照した。

Profile

佐藤由美子

ホスピス緩和ケアの音楽療法を専門とする米国認定音楽療法士。バージニア州立ラッドフォード大学大学院音楽科を卒業後、オハイオ州のホスピスで10年間音楽療法を実践。2013年に帰国し、国内の緩和ケア病棟や在宅医療の現場で音楽療法を実践。その様子は、テレビ朝日「テレメンタリー」や朝日新聞「ひと欄」で報道される。2017年に再び渡米し、現地で執筆活動などを行う。著書に『ラスト・ソング――人生の最期に聴く音楽』、『死に逝く人は何を想うのか――遺される家族にできること』(ともにポプラ社)がある。 HP: https://yumikosato.com

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