戦争の歌がきこえる アメリカのホスピスで出会った戦争を生き抜いた人たち

佐藤由美子

戦争の歌がきこえる アメリカのホスピスで出会った戦争を生き抜いた人たち

写真=佐藤由美子/デザイン=根本綾子

3

戦争の想像力

死者は、私たちが彼らを忘れない限り、亡くなってはいない。
~ ジョージ・エリオット『アダム・ビード』10章より[*1]


 2013年、音楽療法士になってから10年目の冬。その日、私の働くオハイオ州シンシナティ市にあるホスピス病棟は、いつになく静かだった。患者さんの数も少なく、数日前の大雪のためお見舞いに来ている家族もあまりいなかった。午後のセッションがほぼすべて終了し、帰宅時間が近づいてきた頃、最後の患者さんの部屋をノックした。

★第2回_snow in cinci.jpg

シンシナティの冬、愛犬ハナと近所の公園で/2010年12月撮影


 ドアをそっと開けると、80代の男性がベッドサイドの椅子に座っていた。私が自己紹介するあいだ、彼は私のネームタグをじっと見ていた。そして、驚いた顔で言った。

「サトウ......。きみ、日本人!?」
「はい。よくわかりましたね」
「戦後、日本に住んでいたことがあるんだ!」

 彼の顔がぱっと明るくなった。

「どうぞ、どうぞ、座って」

 目の前の椅子を差し出し、まるで昔の友人のように私を招き入れた。

 ユージーンは眼鏡をかけたがっしりとした体形の男性で、濃い緑色の目をしていた。奥さんのアナは末期がんの患者さんで、深い眠りについているようだった。彼女の痩せ細った体は、呼吸しているのがわからないほど、静かにベッドに横たわっていた。

 病室を見渡すと、私物品がほとんどない。つい最近入院してきたのだろう。ふと、ベッドサイドテーブルにあるモノクロ写真が目に入った。Aラインのドレスを着たスレンダーな女性と、ハンサムな軍服姿の男性が手をつないでいる写真。これはふたりの写真ですか、とユージンに聞くと、嬉しそうに微笑み、うなずいた。

「僕が軍に入隊した直後に、出会ったんだ」
「ということは、戦争に行ったのですか?」
「フィリピンに送られた。あれはひどい......本当にひどい戦争だった......」

 彼の顔が一瞬にして暗くなった。

「いまだに傷痕があるんだ」

 そう言って、彼は自分の左手の甲を見た。のぞきこんでみると、母指球のあたりに、50円玉ほどの大きさの傷があった。その部分だけ色が白っぽく、皮膚がしわしわで薄い。

「日本兵に攻撃されたのですか......?」

 恐る恐る聞いてみた。

「そう。竹で出来た手づくりの武器でね」
「竹.....!?」
「その頃、日本軍は兵器が不足していたから、ありものを使って武器をつくっていたみたいだ」

 彼は右手の親指で傷痕をなぞりながら言った。

「僕はラッキーだった。生きて帰ってこれたんだから......。でも、みんながそうだったわけじゃない」

 そう言うと彼は下を向き、黙ってしまった。私はこの会話をどこまで掘り下げるべきか迷った。音楽療法のセッションだから、もちろん音楽の話題に移すこともできたのだが、彼にはまず、心のうちを話す必要があるようにも思えた。

 アナは穏やかに眠っていて、私たちの会話で目覚めることはなさそうだった。末期にいる彼女は、ほとんど反応することのない段階に入っていたのだろう。痩せ細った顔は、骨と皮になっていたが、やわらかな髪が写真の若かりしアナを思い出させた。

「ある夜......」

 私が考えをめぐらせていると、再びユージーンが口を開いた。

「ある夜、親友が殺された」

 彼の顔がゆがんだ。唇を噛みしめ、涙をこらえているようだ。自分を落ち着かせるためか、両手を膝の上にしっかりと置いていたが、その手もかすかに震えていた。言葉が見つからない私は、沈黙を守るしかなかった。そしてユージーンは、その夜のことを語りはじめた。

 1943年の秋、19歳になったばかりだったユージーンは軍隊に入隊した。真珠湾攻撃によってアメリカが第2次世界大戦に参加してから、約2年が経っていた。住み慣れたオハイオ州を初めて離れ、フロリダ州にある歩兵隊のトレーニングキャンプに送られた。そこで出会ったのが、ジョージだった。ユージーンより数歳年上で、同じく中西部出身のジョージとは、すぐに意気投合した。

 1994年、ふたりが所属する部隊はフィリピンに上陸した。あのジャングルで過ごした日々をユージーンは忘れることができないという。

「夜のジャングルは不気味だった。いろんな鳥や虫の音が聞こえるんだが、真っ暗で何も見えない。本当に怖かった。あの恐怖をなんと説明したらいいのか......」

 日本兵の攻撃は夜が多かった。そのため、米兵はなかなか眠ることができず、誰もが寝不足で疲れていた。激しい戦いが続き、それは多くの場合、接近戦だった。暗闇のジャングルでは、誰が敵か味方かわからない状況もあったという。殺すか殺されるか、そんな日々だった。

 そのような環境の中で、精神的におかしくなる兵士もいたという。ユージーンも限界を感じていたが、歩兵隊の仲間たちが唯一の心の支えとなっていた。彼らとの強い絆は、ときに家族以上のものにさえ感じられたし、中でもジョージは特別な存在だった。

「僕らはいつも一緒だった。戦争が終わったらこれをするとか、あれをする、なんて話ばかりしていたな。生きて帰れる可能性は、極めて低いことはわかっていたけど......」

 ユージーンの部隊からは、数多くの死者や負傷者が出た。さっきまで生きていた仲間は死んだ。なのになぜ、自分はまだ生きているのだろう? でも、そんな問いに答えはなく、運命としか言いようがなかった。しかも、次に死がふりかかってくるのは自分かもしれない。

「早く戦争が終わって欲しかった......。でも、彼ら(日本兵)は次々にやってきた」

 ある夜、また日本兵が攻撃を仕掛けてきた。それはいわゆる「斬り込み作戦」といわれるもので、アメリカ軍は「バンザイ突撃」と呼んで恐れていた。突然、男たちの叫び声と銃の音がジャングルに響き渡った。銃の炎で暗闇がパッと明るくなり、突撃して来る日本兵の姿がちかちかと浮かび上がった。

 そのときである。ユージーンとジョージの目に、ひとりの日本兵の姿が飛び込んできた。手榴弾を投げようとしているのだ。標的は3~4人のアメリカ兵。距離はわずか数メートル先。ジョージは一目散に仲間のもとに駆けていった。

「ジョージは、兵士たちに覆いかぶさるようなかたちでジャンプしたんだ」

 ユージーンは両腕を広げ、何かを抱きかかえるようなジェスチャーをし、そのときの光景を再現してくれた。手榴弾が爆発したのは、ジョージが仲間の兵士たちに覆いかぶさった瞬間だった。

「みんな助かった。でも、ジョージだけは死んでしまって......」

 ユージーンの目から涙がいっきにこぼれだした。これ以上は何も語れない。私のほう見ることさえつらそうだった。

 これは70年近くも前に起きたことだ。でもこの出来事は、彼の中では昨日の出来事のように鮮明に思い出されるのだろう。一度あふれだした涙は、止まることなく流れ続けた。

 私は先ほど見たユージーンの表情を思い出していた。私が日本人だと知ったとき、彼は懐かしい友人を見るような優しい目をした。それはなぜだろうか? 彼の話を聞くにつれ、疑問が募った。日本人に対して、憎しみはないのだろうか?

 しばらくすると彼は泣き止み、ぽつりと言った。

「戦争のことを説明するのは難しい......」

 彼は遠くのどこかを見つめていた。私に話しかけているというより、戦争を経験したことのないすべての人間に向けて言葉をつむいでいるかのようだった。

 私は手の傷のことを聞いてみた。彼は親友の死については明に覚えていたが、自身の怪我については記憶が定かではなかった。それは、ジョージの死から数日後に起こったことらしいが、今となってはすべての夜が同じに感じられるという。ジャングルの雨、銃の音、死体の臭い......。

 それでもひとつ、鮮明に覚えている光景もあった。帯のようなものを腹に巻いた日本兵たちがいたことだ。その帯は、戦後ずいぶんあとになってから、「千人針」と呼ばれる武運長久を願うお守りなのだと、ユージーンは知った。彼はそれを巻いた兵士に攻撃されたのだ。そして竹製の武器に突き刺され、そのまま泥の上に横たわっていたという。

「あのときはもう、ここで死ぬんだと思った。でも、衛生兵のおかげで病院に運ばれて助かったんだ」

 ユージーンは終戦を病院で迎えた。ようやく体調が回復した頃だった。

「今でもたまに悪夢を見る。たいていは、ジョージのことさ」

 彼は眼鏡を外し、手で涙をぬぐった。

「日本人に対して、怒りはないのですか?」

 先ほど頭をもたげた疑問を、思い切って聞いてみた。ユージーンは驚いた顔で私を見た。

 ‟No."(怒りはない)

 彼は首を振り、少し考えてからこう言った。

「いや、もしかすると最初は......。でも、日本に行って気持ちが変わった。僕は日本を愛している」

 そのとき、誰かがドアをノックした。アナの清拭(せいしき)をするために、看護師が来たのだ。気づけば、帰宅時刻はとっくに過ぎていた。数日後にまた訪問することをユージーンに告げると、彼は「わかった。また来てくれ」と少しこわばった表情で言った。

 その夜、私は婚約者のトラビスに電話した。彼は米空軍兵士で、ホスピスで出会った患者さんや家族以外で、唯一よく知っている軍人だった。つい最近知り合ったのだが、彼が1カ月後に日本へ駐留することになっていたため、急きょ結婚することを決めたのだった。

 私はそれまで、第2次世界大戦の退役軍人と出会ったことは何度もあったが、実際に戦闘の経験を聞くのはめずらしいことだった。それをトラビスに言うと、思いがけない答えが返ってきた。彼自身、第2次世界大戦の戦闘経験者と出会ったことはない、と言うのだ。

「戦闘経験というのは、とても稀なことなんだよ」

 事実、第2次世界大戦に参加した1600万人のアメリカ兵の中で、戦闘を実際に経験したのは100万人弱と言われる[*2]。ユージーンやジョージのような歩兵隊は、海外に派遣された部隊のおよそ14パーセントにすぎなかったのである。

「歩兵隊」(infantry)というのは、武器を持ち、実際に地上で敵と戦う部隊を指す。第2次世界大戦を想像したとき、私たちが想像する「兵士」とはこの人たちだと思う。しかし、実際のアメリカ兵士たちは、そのほとんどがそれ以外の役割を与えられていた。物質の補給、エンジニアリング、医療、情報収集、メンテナンス、など様々である。

 日本軍の場合はどうだったのだろうか? 太平洋の島々に送られた日本兵たちの多くは、歩兵隊として戦ったイメージがある。『日本軍兵士――アジア・太平洋戦争の現実』(中公新書)によれば、日本軍は「作戦、戦闘をすべてに優先させる作戦至上主義」であり、「そのことは、補給、情報、衛生、防禦、海上護衛などが軽視されたことと表裏の関係にある」とされている。いずれにしても、当時の日本軍に関する基本的な数値を把握することが難しいため、比べることは不可能であろう。

 アメリカ軍の歩兵隊に話を戻そう。全体の割合こそ少なかったものの、歩兵隊は太平洋、ヨーロッパ、北アメリカなど、第2次世界大戦でアメリカが関与したすべての戦闘で多くの死傷者を出した。アメリカ軍の全戦死傷者のうちの70パーセントが歩兵隊であったという。

 そういえば、ユージーンは戦争体験を語る中で、言い回しこそ変えていたが「説明するのが難しい」ということを何度も言っていた。もしかすると、同じ退役軍人であっても、戦闘を経験していない人にとって、それを想像するのは不可能に近いことなのかもしれない。

 私は彼の経験について、もっと知りたいと思った。彼は戦後の日本で何を見て、何を感じたのだろうか? ひとつ心配なのは、アナの容態がいつ急変するかわからないことだった。末期の患者さんというのは、死が近いということはわかっても、実際にいつ亡くなるかは誰にも予測できないからだ。

 しかし、その心配はひとまず杞憂に終わった。私がふたりのもとを再び訪れたのは、その数日後のことだった。


【第4回につづく】


[*1]同書より著者訳。原文はOur dead are never dead to us until we have forgotten them."

[*2]戦闘経験者はごく稀であったという事実が、戦後のアメリカ社会における退役軍人の「神話化」にもつながった(詳しくは『戦争の歌がきこえる』第1回を参照)。

[全体の補足]フィリピン戦におけるアメリカ兵の戦死者数はM・ハームリン・キャノン『Leyte: The Return to the Philippines』とロバート・スミス『Triumph in the Philippines』、日本兵の戦死者数は吉田裕『日本軍兵士――アジア・太平洋戦争の現実』、フィリピンの民間人死者数は吉岡吉典『日本の侵略と膨張』に記載のフィリピン政府の賠償交渉時の数字を参照した。また、強制収容所に送られた日系アメリカ人の数は、ジョン・ダワー『Without Mercy, Race & Power in the Pacific War(容赦なき戦争――太平洋戦争における人種差別)』、アメリカ軍歩兵隊に関するデータはジェラルド・リンダーマン『The World Within War: America's Combat Experience in WWII』を参照。

Profile

佐藤由美子

ホスピス緩和ケアの音楽療法を専門とする米国認定音楽療法士。バージニア州立ラッドフォード大学大学院音楽科を卒業後、オハイオ州のホスピスで10年間音楽療法を実践。2013年に帰国し、国内の緩和ケア病棟や在宅医療の現場で音楽療法を実践。その様子は、テレビ朝日「テレメンタリー」や朝日新聞「ひと欄」で報道される。2017年に再び渡米し、現地で執筆活動などを行う。著書に『ラスト・ソング――人生の最期に聴く音楽』、『死に逝く人は何を想うのか――遺される家族にできること』(ともにポプラ社)がある。 HP: https://yumikosato.com

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