戦争の歌がきこえる アメリカのホスピスで出会った戦争を生き抜いた人たち

佐藤由美子

戦争の歌がきこえる アメリカのホスピスで出会った戦争を生き抜いた人たち

写真=佐藤由美子/デザイン=根本綾子

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時代の犠牲になった彼らのために

"愛を避ける人のみが、グリーフを避けることができる。
肝心なことはグリーフから学び、愛に心を開き続けることである。"
~ジョン・ブラントナー[*1]


 数週間前、友人から母親についての悩みを相談された。長年の付き合いなので、彼女が母親と親しい関係であることは知っていた。でも、そんな母親が、最近では頻繁に怒るようになり、孤立しがちで、時には妄想的になっているという。

「お母さんが、お母さんでなくなったみたいな気がするの」

 友人は電話越しで泣いていた。

 精神的な病に苦しんでいるのではないかと考えた友人は、母親に病院に行くよう勧めたそうだ。しかし、そのような提案をされた母親は、さらに激昂してしまうらしい。友人には、母親がまるで「別人」になってしまったかのように思えた。

 聞けば、彼女の母親は以前から精神的に不安定な面があったようだ。そして、退職後ひとりで過ごす時間が増えたこともあってか、近年ますます情緒不安定になっているという。

 友人の母親に何が起こったのか、私にはわからない。ひとつ確かなのは、友人が「グリーフ」(悲嘆)を経験しているということだ。グリーフとは、一般的に大切な人を失ったときに起こる身体上・精神上の変化を指す。友人の場合、母親が肉体的には存在しているのに、精神的にはいなくなってしまったかのような感覚があるのだろう。

 私は、数年前にアルツハイマー型認知症の診断を受けた、友人の父方の祖父の話を思い出していた。以前彼女が、「田舎に帰った際に祖母がとてもつらそうにしていた」と話していたのである。彼女のグリーフは、彼女の祖母が経験したグリーフに似ている。ふたりとも、生きている人に対する喪失感を抱えているという点で。

 こうしたグリーフは、社会的に認識されづらい。「生きている人に対する喪失感」というと不可思議に思えるかもしれないが、次のような場面を想像してみてほしい。これまで愛情を注いでくれた両親が、急にあなたのことを忘れ、あなたの言葉を理解しなくなり、あなたが傷つくことを言うようになる。優しかった配偶者が薬物依存症となり、そのために嘘をついたり物を盗むようになる。そのとき、おそらくあなたは、大切な人が「別人」のようになってしまったと感じるはずだ。

 喪失とグリーフは様々な形で起こり、喪失の仕方が曖昧であればあるほど、グリーフは複雑になりうる。例えば、死に至った状況に不明な点が多い場合、遺体が見つからない場合、死者との関係性が複雑だった場合、など。また、自殺や中絶といったように、ある喪失が社会的に認められていなかったり、受け入れ難い場合も同様だ。そして「生きている人の喪失」というのは、曖昧であり、かつ社会的に認知されづらいため、両方の要素を含んでいる。

 このような喪失に直面したとき、私たちはあるはずのない答えを探そうとする。なぜそれは失われたのか、なぜこんなことになったのか......と。友人も、見つからない答えを必死で探そうとしていた。

 彼女の話を聞きながら、私はふと、昔ホスピスで出会ったある女性のことを思い出した。その女性は、今までに出会った誰よりも喪失やグリーフについて深く理解した人だった。私は友人に、彼女との出会いについて話すことにした。


一、孤独な老女

 キャサリンと出会ったのは、2008年の1月だった。85歳の女性で、末期の乳がんが転移していた。訪問する前に、音楽療法の委託をしてきた担当のホスピスナースに電話をかけた。ベッキーは40代前半の経験豊富な看護師。シンシナティ市にあるこのホスピスで働き始めた当初からの知り合いだ。物静かで、几帳面で鋭い観察眼を持ち、患者さんのことをよく理解した人だった。そのとき、ベッキーはちょうど患者さんを訪問し終えたところのようだった。電話の理由をすぐに察したのか、彼女は今回委託した経緯を説明してくれた。

 キャサリンは夫に先立たれ、ふたりの子どもは州外に住んでいる。シンシナティ郊外の老人ホームには数年前から暮らしているが、最近ではますます部屋に引きこもるようになっているという。イベントやレクリエーションに参加することはおろか、 他の居住者と一緒に食事をとることも拒否するようになった。訪問者もほとんどおらず、とても孤立しているのだと、ベッキーは心配していた。

 そうした行動の変化は、身体的な苦痛が関係しているのではないか、と私は聞いてみた。ベッキーは、確かにキャサリンには時おり骨盤の痛みがあって、薬を服用していると答えた。でも、彼女はすぐに付け加えた。

「痛みは原因のひとつかもしれないけど、何か他の原因があると思うの」

 電話越しにポケットベルの音が聞こえた。誰かがベッキーを呼んでいるようだ。私は来週キャサリンを訪問するとだけ伝え、電話を切ろうとした。するとベッキーが早口で言った。

「あ、ひとつ言い忘れたわ。キャサリンは医師なの。でも、ファーストネームで呼ばれるほうがいいみたい」

 次の週の午後、私はキャサリンを訪ねるため、シンシナティ市の東方にある老人ホームに向かった。ゲートをくぐると、丘の上に古いレンガ造りの建物が見えた。急なカーブを登りながら、雪の日でなくてよかったと思った。先週は大雪が降ったのだが、幸いなことに道路の雪はほとんど溶けていた。

 キャサリンの部屋は3階にあった。ドアから部屋を覗くと、窓のそばに置かれたリクライニングチェアが目に入った。カーテンは閉まっていて、部屋は暗い。奥のベッドには人が横たわっているのが見えた。

 キャサリンはピンクのパジャマを着て、酸素吸入器をつけていた。白髪交じりの髪はきれいな巻き毛だ。目は閉じているが、眠っているかわからなかったので、彼女の腕にかすかに触れてみた。するとキャサリンはまぶたを開き、私のほうを不思議そうに見た。その瞳はヘーゼルカラーをだった。

 ホスピスから来た音楽療法士だと告げ、いくつか簡単な質問をした。キャサリンはひとつひとつの質問にはっきりと答えたが、聞かれたことにのみ簡潔に答えるだけで、必要以上のことは言わなかった。でも、私が持ってきたアイリッシュハープには興味を示してくれた。

 音楽は好きだが、唄ったり楽器を弾いたりしたことはないという。好きな音楽は特になく、「何でも好き」とのことだった。

 手始めにハープを弾くと、キャサリンはまた目を閉じた。しばらくすると眠ってしまったかのように見えたが、曲が終わると微かに目を開けて、「いいわね」と静かに微笑んだ。

 その日、私がアイリッシュハープを持参したのは、キャサリンがアイルランド系アメリカ人かと思ったからだ。彼女のラストネームは「O'Brien(オーブライアン)」で、これはよく知られるアイルランド系の苗字である。そのことについて尋ねると、彼女は言った。

「ええ、そうよ。でもオーブライアンは夫の苗字なの」

 旦那さんのことに触れたとき、彼女の表情が少しやわらいだように見えた。

「旦那さんはご健在ですか?」
「ずいぶん前に亡くなったわ......」

 彼女はそれ以上何も言わず、腰までかかっていたベージュの毛布を首元まで引き寄せた。その目は急に暗くなったようだった。

 となりの部屋のテレビの音がうるさかったので、ドアを閉めるために立ち上がる。ベッドの横を通ったとき、私は壁にかかった大きな白黒写真に気がついた。白衣を着た数十人の青年たちが、誇らしげに背中で腕を組み、列になっている。その中に、頬骨が高く、巻き毛で綺麗な女性がいた。

「これはあなたですか?」

 キャサリンは表情ひとつ変えずにうなずいた。レンガ作りの建物の前で撮影されたもので、青年たちの後ろにある扉の上部には「Medical School(医学部)」とあった。

 私はベッキーとの会話を思い出した。キャサリンが医師になった1950年代、アメリカで女医になるのはとても難しく、珍しいことだったそうだ。女医の数は当時10パーセント以下。キャサリンは医学における女性のための道を開いた人のひとりだと、ベッキーは言っていた。

「あなたが女医だということは聞きましたよ。当時、女性が医学の道に進むことはとても難しかったそうですね」
「たいしたことじゃないわ」

 キャサリンはうるさそうに手を振り、そっぽを向いてしまった。

 予想外の反応だった。彼女の人生に何があったのかはわからないが、そのキャリアに関しては、間違いなく素晴らしい成果であるように思われた。もしかすると、謙虚な人なのかもしれない。そう思ったが、彼女の声には確かに苛立ちが含まれていたのである。

 私が帰る準備をするあいだ、キャサリンは窓の外を見ていた。葉っぱを失った木々が、晴れた青空の下で孤独に見えた。中庭のガジーボ(庭園に設置される建屋 )の周りにはまだ雪が残っていた。

「外は寒いのかしら?」
「寒いですけど、先週ほどではないですよ」
「私、しばらく外に出ていないから気候がわからないのよ」

 キャサリンは外に目をやったまま言った。でも、私が部屋を出ようとしたときに、ようやくこちらを向いて、こう言ったのである。

「風邪ひかないように、温かくして帰って。また来てね」


二、POW

 それから私は1週間おきにキャサリンを訪問した。セッション中の会話は増えたものの、天気や食べ物のことなど、プライベートな話題に触れることはなかった。それに、キャサリンはアイリッシュハープの音色が好きだと言い、私が音楽を弾くあいだはたいてい眠ってしまうので、私は彼女のことをほとんど知らないままだった。

 それでも、時おり彼女が愚痴をこぼすことがあった。それはいつも同じ内容で、「一年以上施設の外に出ていない」というものだった。ただ、この話題になると、彼女は気まずいのかすぐに話を変えてしまう。それでもやはり、何度も同じ話題が出てくるのだった。

 この人は、長いあいだ心を閉ざしてきた人なのかもしれない、と思った。つらい現状に対応するためにそうしているのではないか、とも感じた。

 聡明で独立心の強い彼女は、医師として働き、何でも自分でやることに慣れた人だった。でも今、彼女はまるで囚人のように、身体的にも精神的にも身動きのとれない状況にあるように見えた。彼女は小さい部屋に引きこもることで、自分の殻にも閉じこもっているようだった。

 ある春の午後、キャサリンは珍しく車いすに座っていた。その日は体調が良かったらしく、しばらく座ってみることにしたらしい。

「外は暖かそうね。外出できたらいいんだけど......」

 窓の外には、深いブルーの空にマシュマロのような雲が浮かんでいた。中庭ではハナミズキが咲き始めていた。

「一緒に外に行きましょうか? 車いすを押しますよ」

 彼女は首を横に振った。

「部屋から出たいわけじゃないの。この場所から離れたいのよ。一時でもいいから、どこか別の場所に行きたいの......」

 キャサリンが一年以上施設から出ていないのは、車いす用のバンがないことが原因だった。たいていの老人ホームにはそのようなバンがある。このホームにも以前はあったようだが、一年半ほど前に故障して以来、予算の関係で新しいバンを購入することができないそうだ。

 キャサリンが施設内でのイベントやレクリエーションに興味を示さなかったのは、部屋にひきこもっていたいからではなかった。彼女はむしろ、施設の外に出ることを望み、ほんの一瞬でも自由を味わいたかったのである。

「仕方ないわ。何か歌を唄って」

 私はハープの伴奏で"My Wild Irish Rose"[*2]を唄うことにした。 アイリッシュ系アメリカ人にこよなく愛されている歌だ。コーラス・パートになったとき、キャサリンが一緒に歌い始めた。


マイ・ワイルド・アイリッシュ・ローズ(私のアイルランドの野ばら)
どの花より優しい
どこを探しても、この花と比較できるものはない

マイ・ワイルド・アイリッシュ・ローズ
どの花より愛おしい
いつか僕のために、彼女はそのバラの花を僕にくれるかもしれない


「昔、夫がね、私のことを『アイリッシュ・ローズ』って呼んでいたのよ」

 曲が終わると、キャサリンは笑顔で言った。

「旦那さん、どんな人だったんですか?」

 キャサリンは下を向き、膝にかけていた毛布をかけ直した。

「彼、POWだったの......。意味わかる?」

 POWとは 「prisoners of war(戦争捕虜)」 のことだ。

「戦前に婚約したの。戦争が終わって帰還したとき、彼は別人だったわ......。でも、とにかく結婚したの」

 キャサリンの顔からは微笑みが消えていた。「別人」という思いがけない言葉に私の耳が反応した。

「時が経てばよくなると思ったけれど、よくならなかった......」

 私のほうを見ることなく、彼女は淡々と語った。

 以前私は、興味深いレポートを目にしたことがあった。そこには、第二次世界大戦のPOWの生存者は、戦闘経験者よりも高い確率でPTSD(Post Traumatic Stress Disorder :心的外傷後ストレス障害)に悩まされたという研究結果が記されていた[*3]。彼らの多くは、拷問、飢餓や洗脳、屈辱的な扱いを受けることで、身体的のみならず精神的な苦悩まで経験したからである。そのようなトラウマを抱えた人との結婚生活など、私には想像できない話だった。

「旦那さんのこと、愛していたんですね」
「そうね」

 キャサリンは何度かうなずき、黙り込んだ。そして大きく深呼吸し、窓の外に静かに目をやった。ガジーボの周りに、数人の女性が立ち話しているのが見えた。キャサリンの視線は確かにそちらに向いていたが、心は別のところにあるようだった。彼女には「今ここにないもの」を見ているように思える瞬間がしばしばあった。あとになって気づいたことだが、それは彼女が「すでにこの世にいない人たち」のことをよく思い出していたからだろう。

「もし外に行けるとしたら、どこに行きたいですか?」
「どこでもいいわ。ここからしばらく出れるのであれば、場所は関係ないの」

 彼女は、この小さな窓から、四季の変化や人々の行き来を見てきたのだ。医師として人々の人生を支えてきた彼女は今、遠くから他人の、そして自分の人生を観察するだけになってしまった。彼女はこの状況とどう向き合っているのだろうか。私が尋ねると、キャサリンは優しくこう言った。

"Taking it day by day."

 これまでも何度かホスピスの患者さんから聞いたことのある言葉。その日その日に対応していくことで、ゆっくりと前に進むことを表現するイディオムだ。日本語で言えば「一日一日を乗り越えていく」というような意味になる。今、直面している問題や未来のことを考えて打ちのめされてしまいそうなときこそ、まずは目の前のものごとやすべきことに焦点を当てる。キャサリンはこのようにして、つらい日々を乗り越えてきたのだ。


三、兄の死

 7月上旬のある朝、日本にいる母からのメールに気がついた。

「タケシが死んだ。電話して」

 タケシとは私の兄のこと。まだ34歳で、健康そのものだった。何かの間違いだろうと思い、東京の両親にすぐ電話をかけた。しかし、母は私に告げた。兄は昨夜、寝ているあいだに死んだのだ、と。検死した監察医によれば、「病死」だそうだ。母は、何度も私に電話したけど出なかったので、メールしたらしかった。

 電話を切ったあと、私は帰国するための準備に追われた。仕事先の上司に電話をし、翌日の飛行機のチケットを取り、友人には飼っていた犬の世話を頼んだ。

 夕方、スーツケースに荷物を詰めながら、喪服がないことに気づいた。アメリカでも何度か葬儀に参列したことはあったが、日本では一度もなかったからだ。突然、苛立ちと怒りが込み上げてきた。

 兄の死はあまりにも突然で、とても不公平に思えた。彼が抱いていたであろう未来の希望も、夢も、一瞬にして失われてしまったのだ。その夜、寝床に着いたとき、私はこの「悪夢」から目が覚めることを願わずにはいられなかった。 

 翌朝、私はひどい不安とともに目が覚めた。昨日起こったことは「夢」ではなく、やはり「現実」だった。急いで仕度をし、飛行場に向かわなくてはいけない。ようやく起きて洗面所の鏡の前に立ったとき、急に足の力が抜けた。そのまま床に座り込んでしまった。このままではとても東京までは行けない。そう思った。葬儀場にたどり着くまでの過程を想像してみる。シンシナティ空港に行き、デトロイトで乗り換え、成田空港からバスで東京へ――。あまりに長い道のりに、考えただけで目まいがした。

 そもそも、兄の葬儀に参列することなど想像できない。しかし、参列しないという選択もまた想像できない。これまでの人生の中で、自分のやるべきことができないと感じたのは、そのときが初めてだったと思う。

 でもそのとき、ある言葉が頭に浮かんだ。

 "Taking it day by day."

 先日キャサリンが口にした言葉だ。もしかすると、今、私がやるべきことはこれなのかもしれない。東京で葬儀に参列することを考えると、その現実に圧倒されそうになる。だから、まずはシンシナティ空港に行くことだけを考えるのはどうだろう。それならできそうな気がした。ひとつひとつのステップに集中しようと決めると、ようやく体が動き始めた。

 それから日本に滞在した1か月間、私はキャサリンの言葉を胸に日々を過ごした。葬儀は、想像した通りの光景だった。それまでもホスピスで、若い家族を失った人たちの姿を何度も目にしていたので、それがどれだけ絶望的なことであるかは想像できた。それでも、いざ自分が経験してみると、やはり衝撃的なことだった。

 身を引き裂かれるような母の泣き声と、取り乱した父の表情を、私は今でもはっきりと思い出せる。息子を失った両親を見ることは、兄を失うことよりもつらいことだった。


四、失ったから者だからわかること

 1か月後、シンシナティに戻り仕事に復帰したとき、最初に話をしたのはベッキーだった。実は彼女も若い時、お兄さんを心臓発作で突然亡くしたらしい。これまで何年も付き合いがあったが、彼女がそのことを教えてくれたのは初めてだった。だからこそ、自分はひとりではない、という事実に心強さを覚えた。そして、キャサリンが私の不在を心配していたことも知った。どうやらベッキーが現状を説明してくれていたらしい。

 8月の午後、キャサリンに会いに行った。夏は終わりに近づき、日は短くなってきていたが、日中はまだ暑かった。 うだるような東京の夏とは違い、太陽はギラギラと燃え上がり、目をさすようなまぶしさだった。キャサリンはリクライニングチェアに座り、新聞を読んでいた。そして私の姿を認めた途端、目を見開いて叫んだ。

「ユミ! 心配してたのよ。こっちに来て座って」

 キャサリンは手招きをしながら、新聞を膝の上に置いた。

「お兄さんが亡くなったことはベッキーから聞いたわ。本当に大変だったわね。日本にいるあいだはどう過ごしていたの? ご両親の様子はどうだった?」

 ヘーゼルカラーの瞳が、私を心配そうに見つめている。こんなにも感情的なキャサリンを見るのは初めてのことだった。この1か月間の出来事を簡潔に話したあと、「あなたの調子はどうでしたか?」と聞いた。私がいないあいだ、ホスピスのアートセラピストが訪問していたそうで、窓際には一緒に作ったという風鈴がつるされていた。貝殻でできた綺麗な風鈴。そのことについてもっと知りたいと思ったが、キャサリンはすぐに話題を戻してしまった。

「お兄さんはいくつだったの?」

 彼女が私について質問すること自体、ほとんどないことだった。今は、彼女にとってもこの話をする必要があるのだと感じた私は、兄の死や葬儀での出来事、自らのグリーフについて話すことにした。そのあいだ、キャサリンは時どき深くうなずいたり、信じられないとばかりに首を振ったりしながら、真剣に私の話を聞いていた。

「本当に大変な経験をしたわね。こういうことは、誰にでも理解できることではないけど、私にはわかるわ」

キャサリンは膝の上で手を組み、内緒話をするかのように身を乗り出した。

「私はね、こんなに長く生きるとは思ってなかったのよ。両親は早く死んでしまったし、祖父母はアイルランドに住んでいたから会ったことがないの」
「ご両親は病気だったんですか?」
「母親はね......、私が10歳の時に自殺したの。その数年後に、父がはしごから落ちて亡くなったわ。おそらく父も自殺したんじゃないかと思うの。母の死後、ずっと取り乱した状態だったから。当時はね、こういうことをオープンに話したりしなかったから、両親が死んでも何もなかったかのように生きていくわけ。ただ、あとになって考えてみると、母も父もいろんな苦しみを抱えていたんだと思うのよ」

 キャサリンの過去を知り、私は驚いた。子ども時代に両親をふたりとも失うというのは、彼女にとってあまりにショッキングな出来事だったに違いない。そして両親の死後、キャサリンは叔母さん夫婦に育てられることになったという。

「長いあいだ、私には心を許せる人がいなかった。でも、夫と......、ボビーと出会ってようやく幸せを感じられたの。彼は背が高くて、運動ができて、社交的な性格でね。私とは全くの正反対」

 キャサリンはそう言って笑った。その直後、彼女の目に涙が浮かんだ。

「ようやく大切な人を見つけたのに、戦争で彼は変わってしまったわ」

 彼女はしばらく何も言わずに下を向き、しわしわの手を眺めていた。以前、キャサリンが「別人」という言葉を使ったことを、私は思い出していた。

「今では、彼に起こったことを表現する言葉があるわよね。なんていう言葉だったかしら、PTSDだっけ? 当時はそんな言葉はなかったし、彼のような退役軍人や家族へのサポートもなかったわ。ボビーはお酒に溺れるようになって、仕事も続けられなくて......。だから私は、家計を支えるために医師になったの」

 ボビーの話をするとき、キャサリンの声は小さくなった。この話をするのは今でもつらいことなのだろう。

「彼が苦しむ姿を見るのは、つらかったでしょう」
「そうね、愛する人が苦しむ姿を見るほどつらいことはないわ。一番つらいのは、自分には何もできないってことだからね......。どんなに愛していても、相手の苦しみや悲しみを取り除いてあげることはできない。私はただ、見ていることしかできなかった。だから、誰かの役に立ちたいと思って医師になったのかもしれないわね」

 キャサリンはリクライニングチェアに背中をもたせかけ、深呼吸をした。

 第2次世界大戦で大切な人を亡くした人たちには、これまで何度も出会ったことがあったが、キャサリンのようなケースは初めてだった。戦死の多くは暴力によるものであり、死に至ったときの状況が定かでないことも多かった。だからこそ、遺族のグリーフは複雑になりえた。特に遺体が見つからない場合、遺される人は、愛する人の死を受け入れることが困難になる。その人の体はここにないのに、まだどこかで生きているような気がしてしまう。愛する人が身体的に不在であっても、いや、不在だからこそ、精神的な存在感は残るのだ。

 しかし、キャサリンが経験したのはその逆だった。ボビーは目の前にいる。身体的には目の前に存在しているのに、精神的にはもういない人という感覚があったのだろう。戦争が始まる前の彼はもういないのだ、と。戦後、このような経験をした人はキャサリンだけではなかったはずだ。 社会の中で、この気づかれることのない悲しみを抱えながら苦しんだ人たちが、いったいどれだけいたことだろうか。

「喪失やグリーフ......」

 キャサリンがつぶやいた。

「こういうことは、経験するまでわからないことだと思うの」

 これまでほとんど自分の話をしなかった彼女が、この日突然、心の窓を開いたように思えた。そして、その鍵を開けたのは、私自身の「喪失」だった。もしかすると彼女は、今の私になら安心して過去を共有できる、と感じたのかもしれない。同時に、自分の経験を語ることで、私に手を差し伸べようとしてくれたのだろう。


五、時代の犠牲になった彼らのために

 いつからか、私は兄の夢を見るようになった。内容はその日によって異なるのだが、夢の中の兄はいつも生きていた。私はなんとかして兄の死を防ごうとしする。そして、それができないと気づいたときに目が覚める。そんな日々が続いた。

 まだ兄の死に対するショックがあったし、彼がまだ生きているという感覚もあった。兄とは長年別々の国で暮らしてきたので、死後も彼が東京で生きているような感じが強くあったのだろう。頭で理解していても、心では受け入れられなかったのだ。

 私は、自らのモタリティ(死さざる運命)をはっきりと感じるようにもなっていた。兄の死因は「病死」であり、それ以外のことは定かではなかったので、同じことが自分に起こる可能性があると感じた。なんとも言えない不安を感じ、医師の友人たちに相談に乗ってもらうこともあった。

 このようなショック、否定、恐怖、不安などの様々な感情は、グリーフの普通の症状だ。しかし、それを実際に経験するのと知識として理解しているのとでは、全く異なることだった。キャサリンが言ったように、人生には自分がそこにたどり着くまでわからないことがたくさんある。グリーフもそのひとつなのだと知った。

 キャサリンとの関係性が近しくなってから、彼女が私に質問することは多くなった。私がアメリカに来た理由や、異国で暮らす経験などについて、彼女はとても興味を持っていた。彼女の両親は、私がアメリカに来たのと同じくらいの年齢の頃に、アイルランドから移民としてやってきたらしい。私が自分の話をすればするほど、キャサリンも過去を話すようになった。その内容は、やはりボビーのことが中心だった。

 戦時中、ボビーに何が起こったのかを、キャサリンは詳しく知らなかった。彼がその話をすることもなかったらしい。彼女が知っていたのは、ボビーがバルジの戦いでドイツ軍の捕虜となり、その後、戦争終結までドイツの収容所に入っていた、ということだけだった。彼は生涯その記憶に悩まされ、悪夢やフラッシュバックに苦しんだそうだ。

 ある日キャサリンは、第1子が産まれた直後に起こった出来事を話してくれた。家族で車に乗っていたとき、どこからか大きな音が聞こえたそうだ。運転していたボビーは突然車を止め、車から出ると、道路の脇で頭を抱えて地面に横たわってしまったという。ぶるぶると震えながら、「君も車から出るように!」と叫んだらしい。

「フラシュバックが起こるといつも、ボビーはまだ戦場で戦っているような行動をとるの。夜中汗だくで目を覚まして、叫んだりしたこともあったわ。彼にとって戦争が終わることはなかった。私たち家族にとっても......」

 そう話すキャサリンの目は、涙にぬれて光っていた。数秒ごとに、窓際の風鈴が扇風機に揺れて音を立てている。秋の気配のする涼しい日だったが、風があると呼吸しやすくなるので、彼女はいつものように扇風機を回していた。

「『お酒を飲んでいるときだけ、悪夢を忘れられる』って彼がよく言ってたわ。飲む量がどんどん増えて、酔うと暴言を吐くときもあった......。子どもたちにとってもつらかったと思うの」
「離婚を考えたことは?」
「ええ、あるわよ。でも、できなかったの。私のボビーは戦争に行って、戻ってこなかった......。でも、彼に起こったことは、彼のせいじゃない」

 彼女は涙をぬぐうと、顔をそむけた。窓の外には紅葉を始めた木々が見えた。ガジーボの隣のハナミズキも赤に変わりつつあった。キャサリンは窓に顔を近づけて外を見ている。すると突然、何か思い立ったようにこちらを見た。

「ねえ、ジョニー・キャッシュの歌、知ってる?」

 ジョニー・キャッシュは深みのある歌声で知られ、多くのファンに愛されているカントリーシンガーだ。ボビーが大ファンで、彼の歌をよく聴いていたらしい。ボビーと同じように、キャッシュもアルコール依存症に苦しんだことはよく知られている。彼の曲は、人生の苦しみや悲しみをテーマにしたものが多いのだ。

 そして、ボビーの大好きだった曲のひとつが、"Man in Black"[*4]だったらしい。ベトナム戦争中にリリースされた曲で、私も知っている歌だった。キャッシュはいつも全身黒の衣装を身にまとっていた。この歌は、その理由を唄いあげたものだ。


なぜ、僕が黒を着ているのか、君は知りたいだろう
なぜ、僕の背中には決して明るい色がないのか
そして、なぜ、僕がいつも憂鬱そうなのか
僕が身につけている物には、理由があるんだ

僕は、貧乏人や疲れきった者のために黒を着る
希望を失い、町の貧しい片隅で生きている人のために
僕は、とっくに代償を払い終えた囚人のために黒を着る
時代の犠牲になった彼らのために


 私がギターの伴奏で唄う間、キャサリンは目を閉じ、足でリズムを取っていた。彼女の顔には笑顔がちらっと浮かんでいた。


僕は、喪に服して黒を着る
あったかもしれない人生のために

 ハロウィンが近づいたある日、ベッキーからの電話でキャサリンの容態が急変したことを知った。膣出血を起こし、重篤な状態だという。出血の理由はわからないが、転移しているがんが原因で内出血を起こしているのではないか、とベッキーは言った。

 翌日キャサリンを訪問すると、彼女は青ざめた顔でベッドに横たわっていた。目を閉じていたが、私が近づくと目を開けた。調子はどうかと聞くと、キャサリンは冗談交じりに言った。

「私はタフ・オールド・バードね。まだ生きてるわよ」

 「タフな老鳥」――つまり、周りの人をてこずらせるほどスタミナや精神力のある高齢者のことだ。 普段より顔色も悪く、疲れているように見えたが、思ったより元気そうでほっとした。

「25年ほど前に子宮摘出したのよ。だから出血なんて変な感じがするわ。でも、少なくとも妊娠してないってことね」

 そう言ってキャサリンは大笑いした。その笑い声は、腹の底から出てきたようによく響き渡るもので、まるで子どもみたいだった。

 彼女がドレッサーの引き出しに手を伸ばす。そしてそこから小さなノートを取り出すと、私に手渡して言った。

「これに名前を書いて欲しいの。私のホスピス・フレンズの名前を覚えておきたいから」

 私たちスタッフのことを、「ホスピス・フレンズ(友だち)」と呼んだ人はそれまでいなかったと思う。ノートには、ベッキーやアートセラピストのサインがあった。その下に自分の名前を書き足しノートを返すと、キャサリンは満足そうに微笑んだ。

 彼女はまた、ジョニー・キャッシュの"Man in Black"が聴きたいと言った。ボビーのことはいつも彼女の脳裏にあるようだった。私が唄うあいだ、キャサリンは目を閉じてゆっくりと呼吸していた。歌が終わったときには、だいぶ穏やかな表情になっていた。そして彼女はつぶやいた。

「ジョニー・キャッシュは心から歌を唄った。だから特別なの」

 その1週間後。私はキャサリンの老人ホームに住む別の患者さんを訪問した。セッションのあと、キャサリンの部屋の前を通ったので、様子を見ようとドアをノックした。

 誰も返事をしないので、ドアを開けてみると、空のリクライニングチェアが目に入った。ベッドには誰もいないし、車いすも見当たらない。もしかすると、キャサリンはすでに亡くなったのかもしれない。患者さんが亡くなった場合は連絡があるはずだが、なんらかの手違いで私にメッセージが届かなかったのかもしれない。

 急いでスタッフを探し、キャサリンのことを聞いた。すると、若い女性スタッフが教えてくれた。

「キャサリン? さっき皆で紅葉を見に行ったわよ」

 彼女が紅葉を!? でも、いったいどうやって......?

「最近、ホームでバンを購入したの。キャサリンは以前から外に行きたいと言っていたでしょう? だから、まっさきにお出かけしたのよ」

 ほんの1週間前、キャサリンには死が迫っているかのように見えた。それなのに紅葉を見に行けるまで回復したとは。タフ・オールド・バード。彼女は、彼女が言った通りの人だった。

 ホームを出ると、黄や赤に彩られた葉っぱが風に揺れ、踊っているように見えた。頭上は真っ青な秋晴れだ。カラフルな中庭を歩きながら、キャサリンも今どこかでこの紅葉を見ているのだ、と思った。

 1年ほど前に初めてここに来たときのことを思い出す。あれから、私もキャサリンも大きく変わった気がした。何より彼女は私に心を開き、とても大切なことを教えてくれた。喪失にはさまざまな形があり、グリーフは経験するまでわからないものだということを。

 私のグリーフはまだ始まったばかりだったが、少しずつ前に進める気がした。"Taking it day by day." そう、一日一日を乗り越えていければいい。


【キャサリン編 完】


[*1]William Worden"Grief Counseling and Grief Therapy"の中で引用されたジョン・ブラントナーの言葉を著者訳。

[*2]アイルランド民謡の"MY WILD IRISH ROSE"を著者訳。作詞はCHAUNCEY OLCOTT。以下は、著作権表示。

MY WILD IRISH ROSE
Traditional
Arranged by Lenny Carroll
©by EMI BLACKWOOD MUSIC INC.
Permission granted by FUJIPACIFIC MUSIC INC.
Authorized for sale in Japan only.

[*3]当時、POWと戦闘兵士のPTSDに関するリサーチは1993年のこちらの論文を参照した("Psychopathology and psychiatric diagnoses of World War II Pacific theater prisoner of war survivors and combat veterans.")。ただし、このリサーチは太平洋戦争に参加した退役軍人を対象にしたものであり、ボビーが経験したのは欧州戦域だった。欧州戦域と太平洋戦争に参加した退役軍人のPTSDについて調べて、2009年に別の論文が発表されている"Persistence of traumatic memories in World War II prisoners of war.")。それによれば、退役軍人の16.6%にPTSDの症状がみられた。そのうち、34%が太平洋戦争のPOWで、12%が欧州戦域のPOWだったとされている

[*4]JOHNNY CASH"MAN IN BLACK"を著者訳。作詞はJOHNNY CASH。以下は、著作権表示。

MAN IN BLACK
Words & Music by John R.Cash
©by SONG OF CASH, INC.
Permission granted by FUJIPACIFIC MUSIC INC.
Authorized for sale in Japan only.

Profile

佐藤由美子

ホスピス緩和ケアの音楽療法を専門とする米国認定音楽療法士。バージニア州立ラッドフォード大学大学院音楽科を卒業後、オハイオ州のホスピスで10年間音楽療法を実践。2013年に帰国し、国内の緩和ケア病棟や在宅医療の現場で音楽療法を実践。その様子は、テレビ朝日「テレメンタリー」や朝日新聞「ひと欄」で報道される。2017年に再び渡米し、現地で執筆活動などを行う。著書に『ラスト・ソング――人生の最期に聴く音楽』、『死に逝く人は何を想うのか――遺される家族にできること』(ともにポプラ社)がある。 HP: https://yumikosato.com

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