東京老舗ごはん 大正の味

森まゆみ

東京老舗ごはん 大正の味

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新橋「鳥かど家」

 新橋4丁目27番地、内幸町から日比谷通りをとことこ歩いていく。右が西新橋で左が新橋。広い、シントラ通り(新橋虎ノ門通り=新虎通り)を左折して4つ目の角から、鳥かど家が見える。
 1時をかなり回ったが、まだ暖簾が出ている。店に入ると、「いらっしゃ〜い」とのどかな女性の声である。人柄主義の私はこの声がまず気に入った。

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 角にないのに、なぜこういう屋号なんですか? と聞くと、主人の鈴木徹雄さんは「さあねえ」と手ぬぐいを巻いた頭をかしげた。ほっそりした体、柔らかい物腰は生粋の東京っ子という感じである。
「裏の和菓子の新正堂さんもうちと同じ大正元年の創業なんです。あちらは環状2号線に敷地が引っかかって移転されたんですけどね」
 シントラ通りは環状2号線なのである。なんでもこのあたりはその昔、田村右京太夫という人の屋敷。浅野内匠頭が吉良上野介に殿中で刃物沙汰に及んだとして切腹になった、ここが終焉の地である。新正堂では『切腹最中』を売っているが、とんでもないことをしたお詫びの時に、持参するのによく使われるそうだ。「本来なら切腹しておわびをいたすところでございますが......」ということらしい。
「今は新橋4丁目ですが、前は5丁目だったんです。その前は、露月町と言いました」
 旧芝区の地名、なんと風流ではないか。
 すでに1時半を回っている。歴史の前にまず鰻。
「残念ながらランチのうな丼は売り切れました」
 うな重の一番安い梅にする。最近はどうも胃が小さい。それでも松竹梅すべてに肝吸いが付いているのが嬉しい。
 小ぶりの赤いお重が運ばれてきた。おお、白いご飯が見えないくらい、大きな鰻が載っている。2200円で昨今これは驚き。お箸を袋から出し、少し先を擦り合わせ、さっそくいただく。おや、私好み、べとつかずさらっとして、味は甘くない。
「うちでは鰻を焼いた後、冷水で少し油を落としてから、蒸して、また炙っています。だからさっぱりした感じなんでしょう」
 鰻は分厚くてふっくらと柔らかい。肝吸いもちょうどよい味。お新香は沢庵にしば漬け。ハフハフとまたたく間に平らげる。鰻をのんべんだらりと食べるなんざ、できませんよ。
 そこへ「ちょっと味見をしてください」と『ぽっぽ煮』なる名物料理が運ばれてきた。これは鰻をぶつ切りにして、圧力鍋でしょうゆとダシで煮たもの。丸い鰻は機関車にも見え、いかにも汽笛一声の新橋らしいネーミングだ。うーん、昼からお酒が飲みたくなる。ご主人によれば、新潟の鶴齢がオススメだとか。実際、向こうの席では背広姿の3人が上着を脱いで、昼から焼酎のボトルを開けて飲んでいる。いかにも大企業のオフィスの多い新橋界隈の風景だ。
「横浜ゴム、松下電器、富士通さんなんかもいいお得意さんでした。昼は会社の会議の出前、夜はマージャン屋さんへの出前、高度成長期はそれは忙しかったですね。店を高校生の頃から手伝わされて、私も一応は大学出ているんですが、授業なんか満足に出させてもらえないくらいでした」
 儲かりました?
「ええ」
 創業者はどこから出てらしたんです?
「私で3代目、初代は鈴木勇助と言いまして、埼玉県の鴻巣の人で明治18年生まれです。上京してこの辺にあった鳥問屋に勤めたんです。それで大正元年に鳥を食べさせる店を開きましてね」
 そうですか。最初は鳥がメインだった。
「今も鳥は新橋3丁目に加賀屋さんて問屋さんがありまして、そこから仕入れています。長いお付き合いですね。鳥は串に刺してはいないんですが、鰻と同じタレで焼いております」
 それがどうして、鰻がメインになっちゃったんですか?
「その頃は生きた鳥を店で締めてさばいていたんですが、父の義雄は鳥の血がだらだら流れるのを見るのが嫌だった。それで祖父に頼んで、鰻を主にしてもらいました。鰻も近くに問屋さんがありましてね。三和淡水といって、このうちは江戸の文政年間からあるそうですわ。今、こちらも近くで『本丸』という鰻屋さんを経営されています。そんなわけで、近くでいい鰻を仕入れられるので、うちはお昼のうな丼は1600円。それでも鰻を1匹の3分の2くらいは使いますよ」
 3、4年前は鰻の稚魚が減って大変だったでしょう。
「あの時はねえ。それでもうちはうな重を200円上げただけですよ。今は鹿児島、宮崎、愛知、静岡、時たま三重のを使っていますが、ほとんど味は変わりません。鰻が払底した時、台湾と中国のを使ってみました。台湾のは日本向きに養殖していますが、中国のは油が強くて、明らかに味が違いましたね」

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 関東の鰻は「切腹」を嫌って背開きだそうですね。
「そうなんです。焼いて、冷やして、蒸して、焼いて、手がかかります。先代がみりんにこだわってね、全国からみりんを取り寄せて味見をして、これがいい、といったのが、相生みりんです。江戸前はあっさり好み、甘くしてありません。辛めに仕上げています」
 この辺は横浜から輸入された西洋家具を作る職人が多かった。「職人さんは1日体使って働いてんだ。飯はたっぷりよそってやんなよ」というのが、父義雄さんの口癖だったという。
 仕事はお父さんから教わったんですか?
「いえ、父は頑固で、私とは喧嘩ばかりでした。6つ上の兄がいまして、とてもやさしくて腕が良かった。兄に教わったことが大きいんです。一緒にやってたんですが、残念ながら4年前に亡くなりまして。あとを頼むよと言って」
 どなたか、有名なお客さんは来られましたか、というと、棋士の加藤一二三さん、重量挙げの三宅義信さん、ボクシングの村田諒太さんなどの色紙を出してこられた。
「作曲家の團伊玖磨さんがよく見えましたよ。運転手さんがうちのお客でね、先生を案内してきたら気に入られて」
 あと、歌手の沢田研二さんがふらりと入ってきたこともあったようだ。
 徹雄さんは赤レンガ通りの商店会長も務める。
 店は昭和43年に建て替えたが、前の建物の欄間を1枚、今も残している。息子さんがニューヨークの焼き鳥屋などで修行していたが、なんとお嫁さんをつれてきた。それが最初の伸びやか、朗らかな声の主である。4代目も決まり、お店はこれからも続くだろう。
 私は満足して、炎天下の街に出た。芝区は我が父の故郷である。父の家は芝白金にあり、昭和20年5月の山手の空襲で焼けた。それでも父は芝に来るのが好きで、よく東京プリンスホテルのゴルフ練習場に行き、お供をすると帰りに中華料理をおごってくれた。新橋周辺はこれまた横浜から鉄道で入ってきた中華料理のメッカだったのである街を歩くと、ビルの陰にまだ昔風の店を見つけることができる。明治創業の建て具金物のパイオニア堀商店は、角に立派なスクラッチタイル張りのビルを構えている。でも小さな表具屋さん、刀屋さん、琵琶屋さん、碁盤屋さんなど、ひっそりとしぶとく佇んでいるような風情に惹かれるものがあった。

★鳥かど家
大正元年(1912)創業
〒105-0004 港区新橋4-27−9 ☎03-3431-0534

Profile

森まゆみ

もり・まゆみ。1954年、東京生まれ。84年、友人と地域雑誌『谷中・根津・千駄木』を創刊、2009年の終刊まで編集人を務めた。歴史的建造物の保存活動にも取り組み、日本建築学会文化賞、サントリー地域文化賞を受賞。東京の下町を歩き回り、庶民的な店での一杯を口福とする。著書は『鷗外の坂』(芸術選奨文部大臣新人賞)、『「即興詩人」のイタリア』(JTB紀行文学大賞)、『「青鞜」の冒険』(紫式部文学賞)など多数。近著に『子規の音』『暗い時代の人々』などがある。

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