東京老舗ごはん 大正の味

森まゆみ

東京老舗ごはん 大正の味

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赤坂「花むら」

 千代田線赤坂の駅を出ると、一瞬くらっとした。私はかつて溜池の会社に勤め、この辺をよく知っていたはずだ。なのに、巨大なビルばかり増え、方向すらわからなくなってしまったのである。B5番出口を出て、並木沿いに坂を上がると左手にも、白亜のヨーロッパ風というよりはサラセン風のホテルが見えた。これは普通のホテルなのだろうか。
 昔から赤坂というところはTBSなどの放送局に出入りする業界風の人々と、アパレル関係ぽい奇妙な形のビルが多くあったが、すっかり雰囲気は変わっている。もとはというとこの辺は赤坂区氷川町、そう、勝海舟の屋敷があり、有名な談話『氷川清話』が語られたところだ。
「本当にホテルばかりになっちゃってね、そうですよ。勝海舟がいたところ」と、初めて出会った花むらの主人はさらりと言った。
 坂の途中に、ここだけは昔の赤坂、というふうな、小体な日本家屋がある。赤い絨毯が敷かれた急な階段を上がって2階に行くと、大広間といってよい広々とした畳敷きである。普通と変わっているのは、その真ん中の8畳ほどが一段低い揚げ場になっていることである。足を下ろせるような掘りごたつスタイルのカウンターに、2つのお盆が置いてあった。まず夏らしい、冷たい前菜が2つ出た。
「うちがお座敷天ぷらを最初に始めた店なんです。もっとも最初は、店は池之端の仲町にありました。あの漢方薬の『守田寶丹』のあるあたり」

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 初代は川部米夫と言って報知新聞に勤める記者だった。食べ物探訪などであちこちめぐるうち、天ぷらにやみつきになって、そのルーツを探るために上海や長崎まで行ったという。
「天ぷらの語源はポルトガル語と言いますでしょう。東京では下町のものですね。池之端あたりには、いっぱいありました」
 花長と喜多むらという有名な2つの店の名前からいただいて『花むら』としたのだという。初代川部米夫さんは天ぷらに関する本も何冊かものされた。そして、どうやったら美味しい天ぷらを揚げられるかという「食味会」を、昭和40年台から各地で催したりした。この食味会は今のお店にも引き継がれ、「ご家庭のご婦人がたのために昼のコースは、天ぷらの揚げ方などをご指導いたします」という古風な文言に惹かれて、私たちは早速やってきたのである。それから1時間半あまり、大変おいしく、大変ためになる時間であった。 
 最初はさいまきエビで、大変小ぶりで味が濃い。
「エビは秋のものなんですが、最近は養殖で1年中あります。うちは九州、四国、沖縄の国産を使っています。エビやイカは火が通りやすいので、やや高い温度、 170~180度でさっと揚げます」
 大変小ぶりで味が濃いのを2本。
「お好みでお塩、タレを使い分けてください。タレはだしを5に、みりんと醤油を1の割合で他は使っておりません。もう少し辛くしようと思えば塩を足す、甘くしようと思ったらみりんを足す。昔は野菜なんか揚げようもんなら、邪道だ、精進揚げを食いに来たんじゃねえ、なんてお客様もいらっしゃいました。ですから海産物を揚げた時は、大根おろしを添えて、ビタミンを取るわけです。海産物は塩の方が味がよくわかるかもしれません。秋になるとハゼなんかも出てまいります」
 おお、なつかしい。昔私は父に連れられて江戸湾でハゼを釣ったものである。大量に持って帰ると母は「バカでも釣れる」と機嫌が悪かったが、それは母がみんなさばいて、天ぷらにするのが面倒だったのかも。
 次はハゼならぬ、キス。さらにイカのしそ巻き、メゴチ。穴子。
 目の前で、しゅわしゅわと油が音を立てる。それを聞きながら揚げたてを食べる贅沢。池波正太郎は天ぷらは火傷して食え、とまで言ったそうだ。
「そういうわけで祖父は、油の会社や粉の会社とも連携して全国を回り、天ぷらについて講演したり食味会をしたりしたそうです。天ぷらはまず油ですね。これは種類によって沸点が違いますから、混ぜない方がいいです。うちは低温で絞った国産の透明な太白油などを使い、時に味付けにゴマをちょっとだけ混ぜることがあります。沸騰さえさせなければ油はへたりませんから、一回で捨てることはありません。沸騰させるとべとべとしてきます。それを避けるためにも岩手の久慈の砂鉄で作った厚手の揚げ鍋を使います」
 下町の老舗といわれる店に行くと真っ黒焦げみたいな天ぷらもありますね。
「それは油を継ぎ足して使っているか、沸騰させてしまったのでしょう」
 私なんか、次の具を切っているうちに油がもうもうと煙が出てしまったりして。
「それは一番いけないです。水と油というくらいで、油は水気を嫌います。天ぷらは揚げる前にすべての下ごしらえをしておかなければなりません。そして水気をある程度切っておかないと、油がはねますし、衣と具の間に空気の層ができて、中まで熱が通らないんです」
 衣はどうしたらいいのでしょう。
「水と卵を混ぜておきます。粉と合わせて、あまり練らないことです」
 衣の作り置きはいけないということですね。私なん余ると次の日にまたそれで揚げたりしますが。
「それはいけませんね。時間を置くと粘りが出て、さくっと揚がりませんから。揚げる時は揚げることだけに集中します。だから寿司職人は話上手が多いですが、天ぷら職人は無口なのが多いです」
 と言っても、ご主人は揚げながらいろいろ説明してくださいますね。
「それは食味会を長年やっていて慣れているからですね」
 そもそもが大正13年に池之端、それから赤坂に移ったのはどういうわけですか?
「戦争です。戦時中、油は飛行機や軍艦を動かす貴重なエネルギーなので、天ぷらに使うなんて論外でした。政府の命令で油が使えなくなったんです。それで日米開戦の頃、いったん店を閉じて、戦後の27年に赤坂に来ました。10年くらいは商売ができなかったわけですね。その頃、ここは静かな住宅街でした。その前の占領中に進駐軍の将校さんをもてなせと、これもまた政府の命令で油をもらいました」
 なるほど、外国の方は天ぷらは好きですね。寿司はなま物だから食べないとか、お蕎麦もダメという方はありますが。
「たいていの外国人が天ぷらが好きですね。そういえば、天皇の料理番の秋山徳蔵さんが、昭和天皇のために天ぷらを揚げるというので祖父のところに相談に来ました。それで祖父があれこれ指南したり、協力したそうです。天皇は揚げたてを召し上がって、天ぷらは熱いね、とおっしゃったそうです。お客様の前で揚げますと、反応がそのままわかりますから、こちらも上達しますよ」
 おじいさんはいつまでお店にいらしたのですか。
「90歳くらいまでは揚げてましたね。明治24年生まれで、亡くなったのが100歳ですか。そのひとり娘が母で、父は養子に来て、そんなに長くはやりませんでした。私は男ばかりの三兄弟ですが、なぜか祖父に可愛がられてね。次男なので、長男みたいに両親に大切にもされないし、下の子が出来てからは放って置かれるし、割り食ったんでしょうね。それで祖父母と一緒に暮らしていました。中学を出て、高校くらいの時から、店を手伝っていたんです。教わったというより、背中を見ていたというくらいでしょうか。ある時、秋山さんが見えて、おう、君はもういっちょ前だから揚げていいよ、と言われました」
 秋山さんてどんな方でしたか。
「それは......やぱり気難しい方ですよ。神経質でなければあの仕事はできないでしょう」
 壁にかかったエビの絵のひとつは秋山さんの描いた文人画だ。
 他にはどんな方が見えましたか?
「池之端時代は画家の横山大観さんとか、赤坂に移ってからは『三田文学』の遠藤周作さんをはじめとして、作家の方々は石坂洋次郎さん、川端康成さんなどもお見えでした。柴田錬三郎さんが慶應病院に入院されていた頃、最後に天ぷらが食べたいと抜け出して見えたことがありました」
 お兄さんと弟さんはカメラマンをなさっているという。
 こういうお仕事はおかみさんも大事ですね。おばあさん、お母さん、そしてご主人の奥さんも三代の店の顔なんでしょうね。
「そうですねえ。祖母は江戸っ子で、三味線を弾き、祖父がそれに合わせて清元をうなっていました。うちのかみさんは、築地の仲買人の娘です。仕入れにいって、一緒に仕入れてきちゃってね」

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 そんなこともサラサラとお話しされるうちに、手はひとりでに動き、野菜を次々揚げてくれる。かぼちゃ、れんこん、アスパラ、生姜、ナス、これまたほっくりして、とてもおいしい。
「野菜を揚げる方がむずかしいです。なかなか火が通らない。ある程度水分を出さないとほっくり揚がらないし、揚げすぎるとやわらかくなったり、色が濃くなったりします。海鮮類が8種類、野菜が10種類くらいですかね。今日お出ししなかったもので、稚鮎、白魚、桜の頃だけに取れるギンボウという魚もあります。野菜は初夏はたけのこ、山菜、秋は松茸や栗、銀杏など、季節感が出ますし、今は菜食の方も多いですから喜ばれますね」
 お酒は何を置いておられるのですか?
「そんなにいろいろは置いてません。天ぷら屋はお酒を飲むところじゃありませんから。あくまで天ぷらを味わっていただきたいので、たくさん飲まれる方は困りますね」
 司牡丹が一合600円とリーズナブルである。ビールもある。
「外国のお客様も多いですよ。このカウンターがいっぱいになることもあります。その時は2人の息子が手伝います。穴子はシーイール、海のうなぎ、と説明します。本当はもっと難しい英語があるんだけど、わからないからね。聞かれることは決まってますから、大体対応できます。あそこにあるエビの絵は、上海市長さんが描いて送ってくださったものです」
 最後に、漬物とご飯、味噌汁が出た。ああ、満腹。
「いろいろ味わっていただきたいと思いましてね。少し多めに揚げてみました」
 今まで知らなかったのが惜しいお店である。今度は外国の友達も連れてきたいし、母も連れてきたい。夜は10時まで。

★花むら
大正10年(1921)創業
〒107-0052港区赤坂6-6-5 ☎03-3585-4570
http://hanamura.com/wp/

Profile

森まゆみ

もり・まゆみ。1954年、東京生まれ。84年、友人と地域雑誌『谷中・根津・千駄木』を創刊、2009年の終刊まで編集人を務めた。歴史的建造物の保存活動にも取り組み、日本建築学会文化賞、サントリー地域文化賞を受賞。東京の下町を歩き回り、庶民的な店での一杯を口福とする。著書は『鷗外の坂』(芸術選奨文部大臣新人賞)、『「即興詩人」のイタリア』(JTB紀行文学大賞)、『「青鞜」の冒険』(紫式部文学賞)など多数。近著に『子規の音』『暗い時代の人々』などがある。

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