東京老舗ごはん 大正の味

森まゆみ

東京老舗ごはん 大正の味

3

虎ノ門「松屋珈琲店」

 芝の虎ノ門の通りから少し入ると、小さなコーヒー豆屋さんがある。
その名を松屋珈琲店。昼下がり、会社員らしい女性が次々と入ってきては、アイスコーヒーをテイクアウト。小柄で目のぱっちりしたやさしい感じの女性が応対する。豆を頼む人もいる。というか、ここは大正7年から続く、コーヒー豆屋さん。世界中から仕入れた豆をブレンドして焙煎し、豆のまま、あるいは粉に引いて売るのが本業である。

matuya_1.jpg
 現在の店主、3代目の畔柳(くろやなぎ)一夫さんはまだ若々しい。麻のシャツを着た、短髪のおにいさんだ。
「初代が畔柳松太郎と言って、そこからこの店の名前がつきました」
 畔柳というのは珍しいお名前ですね。幕臣で有名な方がいますよね。
「はい。三河から家康についてきた譜代の武士で、もともとは湯島三組町あたりにいて、中間頭と言って江戸城を守るお役目を与えられていたそうです。お墓は本郷の浄心寺にあります。松太郎は明治25年の生まれ、前に森さんがお書きになった『カフェー・パウリスタ』の経緯と同じですよ。うちの祖父も最初はシップ・チャンドラーといって、大型船の長期航海に必要な食材だの道具だの、品物を揃えて船に売るような仕事をしていたらしいです」
 ブラジル移民の世話をする皇国植民合資会社というところにお勤めになったようですね。水野龍という方が社長ですね。
「それがよくわからない。戦争でいろんなものが失われてしまいましてね」
 家に伝わっている話では、松太郎さんは、ブラジルのサンパウロ州政府が宣伝のために無料で送ってくる豆の受け入れと、販売を任されたという。最初、日本政府は「日本はお茶の国、異国の飲み物の輸入などまかりならん」といった政策で輸入品目に加えることを拒んだ。松太郎さんたちは、時の大政治家・大隈重信につてを求めて訴えた。大隈は「ブラジルには多くの日本人が行ってコーヒー園で働いている。同胞の汗を無にすることはできん」と政府を説得してくれた。
「これに励まされた松太郎らは、コーヒーを広く庶民に広めていこうと、その神戸にパウリスタの珈琲店を立ち上げたんです。ただ、最初の店は神戸三宮という説と、大阪の箕面という説があって、この辺もよくわからない。最近、大阪の道頓堀の近くの古い店舗を調査したら、どうもこれがパウリスタという名の珈琲店だったことがわかったと建築関係の方が教えてくれました。惜しくもこの家は壊されてしまいましたが」
 東京に帰って、大正7年に現在地でコーヒー豆屋を独立。
「元は芝巴町と言いました。この店は戦災では焼けなかったのですが、その前にもうとっくにコーヒー豆が入ってこなくなっていて、ゆりの根やタンポポやゴボウやさつまいもなどを乾燥させ炒って作った代用コーヒーの時代になったので、店を閉めて疎開したらしいんです。
 愛宕山の向こう、新橋の方は丸焼け。でもこの山の裏側は残ったんです。アメリカ大使館があったからだという説もありますが。松太郎は昭和52年、85歳まで元気でした。松太郎には友康という長男がいたんですが、レイテ島で戦死。次男の潤も戦争に行き、通信兵で無事帰還して跡を継ぎました。その年は東大が無試験だったようで、自分も行きたかったらしい。それなのに祖父の命令で家を継がされて、最後までぼやいていましたよ。本当に勉強が好きでしたからね」
 戦後、再開した松屋は大変な繁盛を見せた。
「住み込みの店員が何人もいたそうです。この辺の牛乳屋のおばさんが、朝牛乳を配達するとあとはすることがないので、うちが作った、とっても甘いコーヒーシロップを牛乳に混ぜて売ったりしてた。コーヒー牛乳ですね。それも飛ぶように売れたそうです」
 潤さんの下に2人女の子がいて、和夫さんの父は三男である。
「父は高砂香料という会社のサラリーマンになって、たまたまその会社が、倒産した鈴木珈琲という豆の会社を引き受けたもので、そこに回されました。実家がコーヒー豆屋だとは言わなかったらしいんですが」
 兄の潤さんは研究熱心で、職人肌の豆を焙煎し、弟は大手の缶コーヒーなどに使う豆を売った。
「戦前は新橋の旦那衆がよく買いに来てくださいました。その頃は使用人も住み込みで、配達も大変だったそうです。新橋の駅前に『梅屋』という喫茶店がこの前まであったんです。これが親戚筋で、ここで使うコーヒー豆だけでも大した量だった。新橋に喫茶室のある小川軒さんも長いお得意様です。潤は生涯独身で跡継ぎがいません。みんなこの辺に住んでいたもので、僕は学生時代から伯父に手伝わされて、今に至る、です」と一夫さんは笑った。
 でも、伯父さんに似て研究熱心。そのあと聞いた珈琲の歴史はとても面白かった。
「すでに江戸時代から長崎の出島とか、宣教師などはコーヒーを取り寄せて飲んでいた。明治になって上野に『珈琲茶館』という店ができています。作ったのは鄭永寧という長崎にいた通訳です。こんな泥水みたいなものを最初に飲まされた時はどんな感じだったんでしょうね。そのうち居留地の外国人、鹿鳴館、外国人用ホテル、レストランなどで珈琲が出されるようになり、ハイカラな飲み物として、珈琲は根付いていったんです」
 今、豆は世界中から来ているのでしょうか?
「珈琲豆の栽培に向いているのは、標高が高くて昼と夜の寒暖の差があり、水はけがいい火山性土壌の土地です。ブラジルは最大の輸出国で、それだけに値段も安いのでブレンドする場合は柱になります。そのほか、中南米ではグアテマラ、コロンビア、エルサルバドルなどが産出国です。アメリカならハワイ、モカはエチオピア産、『コーヒールンバ』に出てくるモカマタリはイエメン産です。あとアフリカはケニア産、キリマンジャロは山の名前ですが、タンザニア産です。アフリカからアラブ、そしてインドネシアのマンデリンも有名です。最近ではタイでも栽培していますね。
 それぞれの豆の特徴がありますから、それをブレンドするのがまずその店の特徴になります。うちは親戚の梅屋にちなんだ『梅屋ブレンド』もまだ売っています」
 豆は直輸入ではないとすると、ブレンドと焙煎技術が大事なんですね。
「焙煎の機械は、伯父が考案したものをまだ使っています」

matuya_2.jpg

 ヨーロッパみたいな立ち飲みのバール文化は、日本には根付かないのでしょうか?
「あちらは肉食で、エスプレッソマシーンで濃いのを出してキュッと引っ掛ける。それで口の中の肉の匂いを消すそうです。日本ではいわゆるアメリカンタイプの、薄くて量の多いものがコーヒーと言われてきましたからね。それを一1杯頼んで、喫茶店で粘るわけです。でも、それももう第4段階に入っています」
 へえ、それはどういうことですか?
「明治大正の頃は、白いシャツにネクタイをした人が、目の前で1杯ずつ、ネルドリップとか、サイフォンとかで神妙に入れて高級品でした。第1段階ですね。そして、戦後は一時、「違いがわかる」なんてコマーシャルもありましたが、家で手軽に入れられるインスタントコーヒー全盛の時代でした。これが第2段階。それから、昭和40年台くらいからでしょうか、ドトールなどの安いコーヒーチェーンができ、一世を風靡しました。その仕上げがスターバックスに代表されるシアトル系で、第3段階です。
 ところが、アメリカでは、マグカップでがぶ飲みするような大量消費のコーヒーに対抗して、かつての日本みたいに1杯ずつ丁寧に淹れるコーヒーチェーンが、また流行ってきたんです。ブルーボトルなどが代表格で、数年前に『サードウェーブの上陸』といって話題になりました。インスタントコーヒーのファーストウェーブ、スタバとかのセカンドウェーブに次ぐものということでサードウェーブなんですが、もとはと言えば、日本の昔ながらの喫茶店のコーヒーの逆輸入なんですよ。
 日本に来たブルーボトルのオーナーが、丁寧に1杯ずつ淹れる日本のスタイルに憧れてアメリカに持ち帰り、スタバのキャラメルマキアートみたいなバラエティものに対抗して、コーヒーの味そのものを味わうというのを打ち出したそうなんです。それが入ってきて、日本でも自分のところで焙煎して1杯ずつ淹れるスタイルの喫茶店がまた流行りだした。第4段階ですね。あちこちで若者が新規開業しています」
 あ、京都に行くとそんな、おしゃれな、古い民家をリノベしたような感じのカフェがたくさんできています。
「そうです、そうです。今の最新式の機械はコンピューター管理ですから、誰でも焙煎できるんです。それと比べると、うちみたいな古い機械では味に多少ブレがありますが、その方が変化があっていいというお客様もいます。いつも同じ味じゃ、つまらないでしょ」
 これから、コーヒーはどうなるんでしょう。
「最近はコンビニでも100円コーヒーを売っていますが、マシーンもいいので、それなりの味を出してます。一方、インスタントコーヒーもかなりおいしくなっていますし、缶コーヒーの味も改良され続けています。その隙間でうちみたいなレギュラーコーヒーも頑張っていかなければなりません。この虎ノ門あたりは、今、再開発が進んでいて空き地だらけになっているんですが、そのあおりで小さな事務所がなくなってしまったのが痛いです。でも遠くからネットで注文してくれる方も、懐かしいからと遠くから買いにきてくれる方もいて、どうにかもっていくと思います」
 いただいたアイスコーヒーはすっきりと爽やかだった。オススメの松屋ブレンドは家に帰って飲んだのだが、これまた癖のない、すっきりとした飲み心地だった。

★松屋珈琲店
大正7年(1918)創業
〒105-0001 港区虎ノ門3-8-16
電話 03-3431-1380
http://www.la-vie-en-cafe.co.jp/

Profile

森まゆみ

もり・まゆみ。1954年、東京生まれ。84年、友人と地域雑誌『谷中・根津・千駄木』を創刊、2009年の終刊まで編集人を務めた。歴史的建造物の保存活動にも取り組み、日本建築学会文化賞、サントリー地域文化賞を受賞。東京の下町を歩き回り、庶民的な店での一杯を口福とする。著書は『鷗外の坂』(芸術選奨文部大臣新人賞)、『「即興詩人」のイタリア』(JTB紀行文学大賞)、『「青鞜」の冒険』(紫式部文学賞)など多数。近著に『子規の音』『暗い時代の人々』などがある。

Pick Up Book

  • かがみの孤城
  • i
  • 私のスポットライト
  • ビオレタ

お知らせ

papakue17821.jpg ご愛読いただいていた「お父さんクエスト」(小山健)がついに本になります!連載された29本のマンガとともに以下のような豪華描きおろしが満載!「お父さんのためのワンポイントアドバイス!」幸せな家庭を築くために、お父さんが知っておかなければならない心構えやテクニックを11のイラストコラムにして解説。日本中のお父さん必読!「さち子さん、特別インタビュー」いつもダンナさんに描かれっぱなしのさち子さんの単独インタビューに成功。二人の出会いから、結婚、出産にいたるまで小山家の知られざる日常を語ります。And more...

170713_img.jpgポプラ文庫ピュアフルの人気シリーズ、「ばんぱいやのパフェ屋さん」(佐々木禎子 著)の1巻が、コミックスになりました! 漫画はやぎさん、このたび新創刊したレーベル「アニメージュコミックスmiere」(発行:ティーダワークス 発売:徳間書店)にて、7月5日発売です。文庫もコミックスも、よろしくお願いいたします!

978-4-591-15498-4.jpgのサムネイル画像ポプラ文庫ピュアフル7月新刊『英国幻視の少年たち5 ブラッド・オーヴァ・ウォーター』発売を記念して、著者深沢仁さんから読者の皆さんに、抽選で、キーホルダーやコンパクトミラーなどの英国土産をプレゼントいたします。新刊オビの応募券にてご応募ください。詳細と英国旅行のミニレポートをこちらでご紹介しています。

『あざみ野高校女子送球部! 』(ポプラ文庫ピュアフル、680円+税)の刊行を記念して、小瀬木麻美さん トーク&サイン会を開催いたします。

場所 :リブロ港北東急SC店特設会場  日時 : 2017年7月16日(日) 午後2時~

参加特典として、小瀬木麻美さんが今回のイベントのために書き下ろした「『あざみ野高校女子送球部!』番外編」をもれなくプレゼント!センター南が舞台になった短編小説です。

Cov_shigotoba_R.jpg佐藤ジュンコさんのコミックエッセイ『仕事場のちょっと奥までよろしいですか?』が刊行になりました。作家・伊坂幸太郎さん、漫画家・いがらしみきおさんから伝統工芸の職人さんまで「作ること」のプロ15名の仕事術をイラストでルポ!

達人たちの仕事場にお邪魔したら、楽しい驚きがいっぱい。まさに大人の社会科見学!ふむふむ、へーと読んでいるうちに、むくむくとやる気が湧いてくるお仕事エッセイです。

Pick Up Book

  • かがみの孤城
  • i
  • 私のスポットライト
  • ビオレタ