ラストは初めから決まっていた

小手鞠るい

ラストは初めから決まっていた

飛べない小鳥(1)

夕ごはんの下準備を済ませて、ふたたびパソコンの前に座った。

今は午後四時半をちょっとだけ回ったところ。

父がお店からもどってきて、ふたりで夕食のテーブルを囲むまで、二時間ほどある。父はうちで夕飯を食べたあと、店にもどって仕事をする。お店は、家の裏口から通り――表町商店街――へ出て、二、三分歩いたところにある。

父と私はだいたい毎日、かわりばんこに夕ごはんをつくる。日に一回、夕食だけは、ふたりでいっしょに食べる。もちろん例外はあるけれど。夕食以外の時間は父曰く「自由行動」で、相手にいっさい干渉しない。朝はばらばら。休日の昼間も別行動。

私が高校生になった頃から、そんな暗黙の決まりが成立している。これは、父の恋愛と関係しているのではないかと、私はひそかに思っているのだけれど、真偽のほどは定かではない。

本日のメニューは、焼き魚と野菜サラダ。

ラディッシュとわかめとちりめんじゃこと香菜の和風サラダは、すでにこしらえてある。あとは、父の顔を見てから魚を焼くだけ。魚を焼いているあいだに、大根をすりおろせばいい。父はビールで、私はごはんとお漬物。

「なんだ、また焼き魚定食?」

って、言われるだろうな。

そう言われたら、こう答えてやろう。

「今、小説を書いてるの。忙しいんだよ、作家というものは」

これは事実だ。

私は本当に忙しい。

集中講座は、朝の八時四十分から一限目が始まって、十分の休憩をはさみつつ、三限目が終わるのが十二時ちょうど。昼休みは五十分。そのあとの四限目が終わるのは一時五十分。この時間割がきょうから五日間、連続でつづく。

忙しい理由は、これだけじゃない。家にもどってから、翌朝までに仕上げなくてはならない課題に取り組む。この課題というのがすなわち、小説の執筆なのだ。

「この講座の目標は、最終日までに、短編小説もしくは中編小説を一作、書き上げることです。つまり、みなさんはきょうから五日間、小説家になります。小説家の仕事はもちろん、作品を書くことですね。実質上、四日間で一作を書き上げる。これは実のところ、プロの作家でも非常に難しい。エベレスト登頂ほど難しい課題に、みなさんには挑戦していただきます。この講座は、アクティブ・ラーニングの一環ですからね」

凛子先生はそのあとにこう言った。

「これは課題というよりは、奇跡みたいなもの。つまりみなさんは、五日間でひとつの奇跡を起こすのです」

教室の中に、笑いのさざ波が立った。

笑っている人は半分ほど、残り半分は真顔だった。私は真顔組。そんなこと、できるはずがないって、端から疑ってかかっていた。

サラダをつくったあと、三時半ごろから書き始めた作品の冒頭を画面に呼び出して、読み返してみる。

ラブソングなんて、大嫌い。

愛の歌なんて、この世から消えてなくなってしまえばいい。

きみが好きだ、きみだけが好きだ、今のままの......

ああ、だめだ。

こんなんじゃ、だめだ。箸にも棒にもかからない。

どうしてだめなのか、理由はわからないけれど、とにかくだめ。

だめなものは、だめ。

つづきを書く気がしない。苦しくて書けない。

そもそも、つづきを書く気になれないってことが、だめな理由なんだ、きっと。

だって、書いている人が苦しいと感じるような文章、読む人だって苦しくて読む気になれないだろう。

およそ十八行ほどの文章に「失恋ボツ1」というタイトルをつけて、保存した。

なぜか、ばっさり消去はできなかった。未練、だろうか。

未練? 

私はまだ彼に、未練があるのだろうか?

もしかしたらまた予期せぬ出来事が起こって、やり直せるとでも? たとえば、彼が彼女にふられて、私のところへもどってきてくれるとか? ありえない? 

ああ、もう、何を考えてるの。

そんなこと、考えている場合じゃないでしょ。  

気を取り直して、机の上に広げて置いてある講義ノートに目をやる。

そこには、きょう教わったばかりの「奇跡を起こすための方法論」――凛子先生の板書の言葉だ――が記されている。これらは、これから書こうとしている小説の決まりというか、制約というか、要は提出課題の必要条件みたいなもの。

条件は五つ。

板書を終えたあと、ふり向いて、先生は言った。

「小説の自由というのは、ある種の縛りがあってこそ、成立するものなの。つまり、不自由があってこその自由ね。今はまだ理解できないかもしれないけれど、書いているうちに、だんだんわかってきます」

不自由があってこその自由か。

籠の中の鳥の自由ってこと? 

そんなんじゃないだろう。確かに理解できない、今はまだ。

(1)起・承・転・結の四つのパートで構成する。

(2)自分の体験したことだけを書く。

(3)自分の理解している言葉だけを使って書く。

(4)テーマは恋愛(失恋でもOK)、経験がなかったら、あこがれ。

(5)主人公は自分。必ず一人称で書く。名前や地名は実名でも仮名でも可。

このほかの決まりとしては、一枚の用紙に収めるべき字詰めと行数の指定。最終日に完成させる作品の目標枚数は、四百字詰め原稿用紙に換算して三十枚以上、五十枚以下。

あしたまでに、「起」のパートを完成させる、というのがきょうの課題。

冒頭にタイトルと作者名を記して、全ページ印字したものを一部、持参するように、という指示もあった。

「テーマは恋愛です」

と、凛子先生が発表したとき、教室の中には小さなどよめきが湧き起こった。少なくとも私の耳には「どよめき」のように聞こえた。「えーっ」という声も混じっていた。「嘘!」という声も。

凛子先生は満面に笑みをたたえて言った。

「去年のテーマは『家族』だったの。その前は『幸福とは何か?』で、その前は『戦争と平和』だったかな。『恋愛』なんて、簡単な方よ。覚悟しなさい」

確かに、戦争と平和よりは、恋愛の方が、簡単なように思えないこともないけれど、どうなんだろう。私の場合は、恋愛じゃなくて、失恋。

クラスメイトのひとりが手を挙げて、質問をした。

「先生、自分の体験した恋愛じゃないと、だめなんですか。たとえば、友だちの経験談を書いちゃだめですか?」

「だめです」

即答だった。

「さっきも言ったでしょ。あなたの体験したことだけを書くの。いっさいの創作を交えないで書くの。それが小説の基本なの。体験していないことを書いたって、下手な作り話になるだけです。いい? 小説は、嘘じゃなくて、真実を描くものなの。ただし、名前は好きなように創作したらいい。そこから小説が始まっていく」

わかったような、わからないような――。

私はそのとき、凛子先生の方から流れてくる煙に巻かれていた。狐につままれたような気分というのは、こんな気分なのだろうかと思いながら。

私は、私をふって泣かせた彼に「トキオ」という名前をつけた。

本名に、ちょっとだけ似せてみた。彼の名前は「時任隆文」だから。私の名前は「風鈴」にした。たまたま、縁側の方から風鈴の音が聞こえてきたから。うちの風鈴は、備前焼でできている。風鈴は、風の鈴。なんて素敵なネーミングなんだろう。日本語ってきれいだな。

さあ、風鈴とトキオの、本当にあった恋の物語を書こう。

まずは「起」のパートを。ふたりの出会いの場面を。

私の体験したことを、私の理解している言葉だけを使って書くのだ。

「心配しなくていい。自分が体験したことを、自分の理解している言葉で書けば、自然に小説になるから」と、凛子先生は言った。「頭で考えて書こうとするから、嘘話になるの。お話をつくろうとしないこと。お話はつくるものではなくて、生まれてくるもの。お話の方から、あなたのもとへやってきてくれるの。本当にあったことを淡々と書いていけば、書いた言葉がそれをフィクション化してくれる。言葉の力を信じなさい」と。

Profile

小手鞠るい

1956年岡山県生れ。同志社大学法学部卒業。1981年「詩とメルヘン」賞、1993年「海燕」新人文学賞、2005年『欲しいのは、あなただけ』で島清恋愛文学賞、2009年絵本『ルウとリンデン 旅とおるすばん』(絵/北見葉胡)でボローニャ国際児童図書賞を受賞。主な著書に、『美しい心臓』『アップルソング』『君が笑えば』『テルアビブの犬』『星ちりばめたる旗』『炎の来歴』など多数。アメリカ、ニューヨーク州在住。

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