ラストは初めから決まっていた

小手鞠るい

ラストは初めから決まっていた

雪丸(1)

むかしむかし、あるところにいた僕が、つるっと足を滑らせて落っこちてしまった穴ボコ、すなわち、コイについて語るためにはまず、僕という人間、もしくは、パンツをはいた猿が、どういう男なのかを語らなくてはならんだろうと思う。

僕はどこからやってきたのか。

そうして僕は、これからどこへ行こうとしているのか。

最初に断っておくが、これはコイについての物語であって、恋愛小説ではない。正直に告白すると、僕は恋をしたことはあるが、恋愛をしたことはない。

だから都合上(無論、僕の都合ってことだが)、ここでは「恋」を「コイ」と書くことにする。

僕は恋をしたことはあるが、恋愛をしたことはない。

と、書いたばかりだが、逆もまた真なりで、もしかしたら僕は、恋愛をしたことはあるが、恋をしたことはないのかもしれない。ん?

いや、もしかしたら僕は愛をしたことはあるが、恋をしたことはないのか?

そうなんだ、僕は、愛したことがあるんだ。

激しく、激しく、燃え上がるように激しく......あれは、恋でも恋愛でもなく、まぎれもなく愛だったんじゃないかと思うんだ。

純粋無垢で、天真爛漫で、ときどき素直で、ときどき反抗的で、まっ白で、まん丸で、ふかふかしてて、背中には雨の匂いを、おなかにはひなたの匂いを、くっつけていたあの子。

僕はあの子を愛していたのか。

僕はあの子に恋をしていたのか。

僕はあの子と恋愛していたのか。

それはまあいい。今は脇へ置いておく。

愛と恋と恋愛の定義をしようと思って、この話を始めたわけじゃない。

なんの話だっけ?

そうだった、僕のコイの話だ。その前に、僕がどういう男なのか、まずはその話だ。

退屈かもしれないが、しばらくのあいだ、ご静聴、正しくはご精読、願えたらうれしい。疑問点、不明な点などがあれば、ご遠慮なくご指摘を(って、大学のレポートじゃないんですから)。

奈良県北葛城郡にある、王寺町という町で、僕は生まれた。

王子町じゃない。よく間違われるんだが、王子じゃなくて、王寺だ。

王の寺ですよ。名前の由来はね、聖徳太子が建立した寺、放光寺(別名、片岡王寺)にある。聖徳太子ゆかりの寺はほかにもあって、それは達磨寺という。

北葛城郡なんていうと、なんとなく田舎っていうイメージがあるかもしれないが、奈良県内では人口密度三位、大阪市までは快速電車で二十分ほどで行けるから、大阪市のベッドタウンとしても栄えている。でも、ごみごみごちゃごちゃした都会じゃなくて、本当にとっても自然の豊かな町なんだ。山があって、川があって、田園があって、散歩していると、せせらぎが聞こえてきて。僕にとっては今も、心のふるさとさ。

かつては僕の両親も、電車で大阪まで通勤していた。母は大阪市内にある証券会社の社員で、父は大学の先生。僕が小学五年生になるのと同時に、父は東京都内にある大学に転職したため、僕たち一家は、東京へ引越しをした。

東京で暮らすようになってからも、僕たちはよく、王寺町を訪ねていた。今もときどき。なぜなら王寺町には母の生家――花屋をいとなんでいる――があって、祖父母や親戚も何人か、住んでいるから。

王寺町――

この町の名前を、見たり聞いたり書いたり読んだりするとき、僕の胸はいまだに、しぼられた雑巾さながらに、ぎゅいーんとなる。

なつかしさと、せつなさと、あとはなんだろう、郷愁? 哀愁?

どう表現したらいいのか、語彙の乏しい僕にはいまひとつ、わからないのだが、要は、居ても立ってもいられないような気持ちになってしまう。

みなさんはもう、お気づきのことだろう。

これって、まさに、コイする男の状態じゃないだろうか。

そう、何を隠そう、王寺町には、僕の初めてのコイが埋まっているんだ。

あの、美しいきらめきと、あたたかいやわらぎの町には、僕の初コイの墓がある。

みんなで王寺町に帰ってきて、両親といっしょにご先祖様の墓参りをしているとき、僕は、僕の初コイの墓参りをする。

墓標(って、心の墓標ってことだけどさ)に刻まれている文字は「雪丸」――

これが、僕の初コイの相手、僕の愛した者の名前なのである。

そこまでを一気に読んで、赤ペンを握りしめたまま、私は小さなため息をついた。

文章にこもっている、摩訶不思議な熱のようなものに浮かされたまま、立ち止まらずひと息に読んでしまった。読まされてしまった、と言うべきか。

もう一度、最初にもどって、初めからゆっくり読まなくては、と、思った。そうしないと、添削なんてできないし、コメントも書き込めない。

作品から顔を上げて、私は何気なく、真向かいに座っているクラスメイトの手もとに視線をのばした。

「将来は、小説家になりたいと思っている人?」

「今まで、小説をきちんと最後まで書き上げたことのある人?」

きのう、凛子先生から学生たちに投げかけられた質問。

その両方に、まっすぐに手を挙げていた人だ。

彼女は、自分の担当している作品の余白に、一心不乱に書き込みをしている。細かい文字でぎっしりと。

「すごいなぁ」と、私は単純に感心する。小説家志望の人はやっぱり、他人の作品を読み込む力もあるんだなぁって。

――いいですか。書くことは、読むことなんです。だって、そうでしょ? 小説を書いているとき、あなたたちは、自分の書いた小説を読んでいるわけよね? ということは、書くことはそのまんま読むことである、と言えるよね? つまり、書くことと読むことは表裏一体であり、同時進行でなされている行為でもあるってことなの。だから、小説家になりたければ、とにかく小説をたくさん読むこと。読むことでしか、書く力は養えない。かく言う私もね、一時間、自分の原稿を書くために、ほかの作家の書いた作品を三時間、読むようにしているの。

一時限目の最後に、凛子先生はそう言った。

今は二時限目。

私たちは、きのう出されていた課題――恋愛小説の「起」の章――を提出し、そのコピーを交換し合って、互いに作品を読み合っているところだ。

三限目の途中で、作品を書き手にもどして、そのあとはみんなで感想を話し合ったり、意見交換をしたりして、四限目の後半に「承」の構想を立てる。家に帰ってから、承のパートを書く。これが即席小説家の本日の時間割。

きのうの受講者は確か、二十二人だった。

きょうは、私を入れて十九人に減っている。

自分の体験をもとにした恋愛小説、もしくは失恋小説を書く、という凛子先生の指示に恐れをなして、三人が講座をギブアップしたものと思われる。

「では、ティーチングアシスタントがコピーを取ってくれているあいだに、私たちは『ビンゴ』をします」

災いは、1限目の途中で降りかかってきた。

ビンゴ?

凛子先生は含み笑いをしながら、机と机のあいだを歩き回って、私たち十九人に、封筒の中から小さな紙片を引かせた。

きょうからは、ふたりでひと組みになって、互いの書いた小説を交換し合い、徹底的に添削し合い、意見を出し合う。いわば、夏季講座「言語表現3 クリエイティブ・ライティング1 小説創作」のパートナーとも言える存在を決めるためのくじ引き。

「はい、堂島さん、どうぞ」

私は茶色の封筒の中に手を突っ込んで、最初につかんだ一枚を手放したあと、二枚目をつかんで抜き取った。

確率は低い。十八分の一。

教室内でたったひとりだけ、当たりたくない人がいる。

「十九人だから、最後に残った一枚は、私の分ね」

教壇にもどったときには、凛子先生も一枚を手にしていた。凛子先生と組めたら、最高にラッキーだなぁ。

「じゃあ、あけて!」

二つ折りにされた紙片を開くと、そこには数字だけが記されていた。

私の数字は「7」だった。

ラッキーセブン? 

なんて考えは、甘かった。甘すぎた。

「はい、1の人」

ふたりが手を挙げた。

凛子先生はうなずきながら、受講生名簿を見て確認したあと、ふたりの名前を読み上げた。

「2の人」「3の人」「4の人」......

「7の人」

私は左手を挙げた。左ということに、特に意味はない。

挙げた瞬間、左斜め前方から、四十五度くらいの角度で前にぬうっと突き出された腕が視界に入った。

やばい!

ふだんは使うまいと心がけている――これにも深い意味はないんだけど、なんとなく――言葉がとっさに脳裏に浮かんだ。ほとんど同時に、

超やば、やば過ぎ。

仲良しの友人がしょっちゅう使っている、やばい、よりも、やや過激な言葉まで出現してしまった。

常に品行方正、清らかな乙女でいたい私、堂島ことりとしては、 

「まさか、嘘でしょ!」

と、言うしかない。

なんと、ラッパーよろしく、人さし指とっしょに腕を突き出しているのは、経済学部生なのになぜか、特別に受講を許されたという「あいつ」こと、熊野涼介ではないか!

そんなのあり?

って、私は思わず毒づいた。

勘弁してよ、とも思った。やだよー。

脳内で、蜜蜂がブンブンブンブン、舞っている。やだよ、やだよ、って言いながら。

今ごろ、教務室のすぐ隣にあるコピー室のコピーマシンの中から、ピシピシピシピシ飛び出してきているはずの私の作品『飛べない小鳥』の第一章。

小学生時代のトキオとの出会いの場面。

六年後の再会の場面。

あれをあいつが読むのか、あいつに読まれるのか。

そう思うと、私は居ても立ってもいられない気持ちになった。

気持ちはそわそわ。胸はぞわぞわ。背中はもぞもぞ。

あんなこと、書くんじゃなかった。

あんなこと、正直に、何もかも書くんじゃなかった。

トキオとの出会い。ハンカチのエピソードなんて書かないで、もっと適当にお茶を濁しておけばよかった。

後悔先に立たず。

書いてしまったものは、仕方がない。

嘘を書いてはいけないって、凛子先生は厳しく言っていたんだし、ええい、こうなったらもう開き直るしかない。

ふだんは気が小さくて、どうしようもない臆病者だけど、いったん土壇場に立たされると妙に肝が座るのは、持って生まれた私の性格だ。友だちからは「ことりには、火事場の馬鹿力があるね」なんて言われてる。「修羅場に強い女だね」とも。

火事場か修羅場か、わからないけれど、文学部講義棟Bの別館、二階の204号室は今、静まり返っている。静かなる戦場か。

静けさの中にはしかし、奇妙な熱気が漂っている。まるで微妙に温度の違う層が重なり合った、透明な空気のミルフィーユみたいだ。

深呼吸をして、背筋をのばして、涼介の姿に目を向ける。

ボブ・マーレイ――だと思う――の肖像がプリントされた黒いTシャツ。

ボトムは、ダメージジーンズだ。授業が始まる前に目にしていた。長い足に、憎らしいくらい似合っていた。

私に失恋の苦しみを味わわせてくれた、隆文の友人。文学部の教室に、迷い込んできた蜜蜂男。涼介は背中を丸めて、机の上に広げた用紙をじっと見つめている。

見つめているだけじゃない、読んでいる。私の書いた作品を読んでいる。表情は見えない。でも確かに、私の書いた文章を、彼は読んでいる。

彼が私を読んでいる?

そう思ってから、強く打ち消す。とんでもない。あれは、私の書いた作品であって、決して私ではない。彼は私を読めない。彼は私の書いた文字を読めても、心までは読めない、はず。

勝手な分析をしたあと、私は「よし、亮介を読んでやる」って思った。あいつがどんなことを考えていて、あいつがどんな男なのか、読み取ってやるぞって。

私も、机の上の作品に目を落とした。赤ペンはひとまず脇へ置いて。

涼介の書いた文章を、まずは最後まで読み通そうと思った。

とにかく行ってみよう。

行ったこともなければ、いまだ見たこともない、王寺町へ。未知の世界へ。

涼介の初コイが眠っているという町へ。

Profile

小手鞠るい

1956年岡山県生れ。同志社大学法学部卒業。1981年「詩とメルヘン」賞、1993年「海燕」新人文学賞、2005年『欲しいのは、あなただけ』で島清恋愛文学賞、2009年絵本『ルウとリンデン 旅とおるすばん』(絵/北見葉胡)でボローニャ国際児童図書賞を受賞。主な著書に、『美しい心臓』『アップルソング』『君が笑えば』『テルアビブの犬』『星ちりばめたる旗』『炎の来歴』など多数。アメリカ、ニューヨーク州在住。

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