ラストは初めから決まっていた

小手鞠るい

ラストは初めから決まっていた

飛べない小鳥ー2

トキオに初めて出会ったのは、小学六年生のときだった。

それはあくまでも「わたしにとって」初めて、ということで、それまでにも何度もトキオの姿は見かけていたはずだし、わたしが覚えていないだけで、もしかしたら言葉も交わしていたのかもしれない。

その頃、わたしの父は、町の少年野球の監督をつとめていて、トキオはそのチームの一員だった。土曜の夕方や日曜のお昼に、父が子どもたちを家に連れてくることがあって、母はそんなとき、台所でてんてこ舞いをしながら、おにぎりをつくったり、いなり寿司をつくったり、パンやケーキを焼いたりしていたものだった。

「風鈴、あなたもこっちへ来て手伝いなさい」

わたしもよく手伝わされていた。当時はすごくいやだったけれど、そのせいで、普通の小・中学生に比べると、料理が多少じょうずにできるようになったんだと思う。

だから母には感謝している。

母の両親、すなわちわたしの祖父母は、岡山に古くからある商店街のかたすみで「堂島画廊」というお店を経営していた。祖父母が立てつづけに亡くなったあと、末娘だった母がお店を引き継いで、ひとりで切り盛りしていた。

会社員だった父と恋愛結婚したあとも、母は画廊の仕事をつづけていた。

わたしが生まれた頃、店の名前は「堂島ギャラリー」に変わっていた。

祖父母の代には、書画、骨董、日本画などの展示と販売を中心にしていたらしいが、母はその枠を取りはずして、若い画家やイラストレーターや現代の写真家などの作品を中心にした展開と経営をするようになった。

「若い人の才能をのばしていく、手助けのようなことができればいいと思って」

 と、母が語っていたのを、子ども心にもわたしは覚えている。

母は献身の人だった。

人のために何かをしてあげるのが好きだった。

たとえば夕方、お店を閉めたあと、母はギャラリー内で近所の幼い子どもたちに、絵本の読み聞かせなどをしていることがよくあった。ほとんどが商店街の子どもたちだった。店が忙しくて、かまってもらえない子どもたちの面倒を、母は見てあげていた。

「無料の保育所みたいなものだな」

と、父は苦笑いしていた。

父は母を尊敬しているようだった。私の目にはそう映っていたし、この見立ては正しかったと、あとで証明されることになる。

母が亡くなったのは、ある晴れた夏の朝だった。

八月八日。広島と長崎に原爆が落とされた日の、まんなか。

およそ二十五人分のお弁当をつくって持参し、日傘をさして、少年野球の試合の観戦をしているさいちゅうに、母は倒れて病院に運ばれ、そのままあっけなく亡くなった。

わたしは小学六年生だった。

前々日から、父の両親が住んでいる大阪へ遊びに行っていた。

「すぐにもどっておいで」

父からの電話を受けて、あわてて家にもどった。おじいちゃんとおばあちゃんと、おじちゃんとおばちゃん――父の弟と奥さん――と、従姉妹の栞ちゃんもいっしょだった。

母の死よりも、「みんなで突然、岡山へ帰ることになった」ということの方に、わたしはびっくりしていたような気がする。

新幹線に乗ってからも、母の死などまるで実感できず、これは間違いだろう、誰かほかの人が亡くなったに違いないと思っていた。 

けれども、そんな思いは、その日の夜遅く、病院で母に対面したとき、こっぱみじんに打ち砕かれた。

母はそこにいたけれど、もう、ここにはいなかった。母の体はわたしの目の前にあるのに、母の心は抜き取られて、どこにもなかった。それなのに、母は笑顔だった。

母の遺体に取りすがって、わたしは泣いた。

たぶん、泣いたんだろうと思う。

実は、この日からあとの記憶はとぎれとぎれになっていて、いまだに、ひとつながりのものとしては思い出せない。

母の体から、わたしは離れようとしなかった、ということも、あとでおばちゃんから聞いて知ったことだ。

お葬式の日のことも、断片的にしか、浮かんでこない。

こんなに大ぜいの人が集まって、みんな黒っぽい服を着て、何をしているんだろう、なんて、思っていた、そういう記憶もある。当日の朝、おばちゃんに着せてもらった黒いワンピースのボタンがひとつ、取れたままになっていて、わたしは「ママに付け直してもらわなきゃ」って思っていた、そういう記憶もある。

母の遺体の入った棺を、玄関先に立って見送っているとき、体中から涙が吹き出してきた。まるで噴水みたいだった。自分でも訳がわからなかった。体の奥の方にある「何かが壊れた」――そんな気がしていた。

まるで羽をむしり取られた小鳥になったような、それでも飛ぼうとしてもがいているような、そんな状態だった、と、これは今のわたしが過去のわたしを思い出して、そう書いている。

声を上げて泣いているわたしの背中を親戚の人がさすってくれて、わたしはやっとのことで泣きやんだ。

両手で、ほっぺたの涙を拭おうとしたときだった。

「風ちゃん、これ」

どこからか、誰かの声が聞こえた気がして、ふり向くと、手のひらが見えた。

小さな手のひらだった。あわてて目をごしごしこすった。涙でまぶたがくっついてしまって、よく見えなかった。

でも、見えた。白いものだった。

手のひらじゃなくて、それは、手に握りしめられた一枚のハンカチだった。

ちっともきれいでも可愛くもなくて、くしゃくしゃのハンカチ。

反射的に、わたしはそのハンカチをつかんだ。

そのとき、誰かの手のひらもいっしょにつかんだ。

誰だろう? すぐに名前は浮かんでこなかった。

誰なのか、そのときにはわからなかった。

しばらくあとで、父の作成した写真アルバムを見ていたとき、「この子だ」とわかった。野球のユニフォームを着ている少年たちの中から、わたしは「誰か」の顔を発見した。

それが、トキオとの初めての出会いだった。

トキオは今から六年前のあの日、泣いているわたしに、ハンカチを手渡してくれたのだった。

トキオと再会したのは、ハンカチから六年後だ。

トキオとわたしは、同じ大学の文学部と経済学部の学生として、ふたたび出会った。トキオは第一志望だった東京の大学受験に失敗し、滑り止めだった地元の大学にしぶしぶ進学したのだと語った。

誘われて、初めてのデートをした日だった。

「だけど、滑ったおかげで、こうして風ちゃんに会えたんだから、俺はラッキーだった」

そう言って、くしゃくしゃの笑顔を見せた。

そのハンカチみたいな笑顔は、あの日アルバムで見つけた、野球少年そのまんまだった。

「つきあってくれる?」

そう言って、わたしの手をぎゅっと握りしめてくれた手は、わたしに

そこまで書き進めたとき、私ははっと我に返った。

台所の方から、魚の焼ける匂いが漂ってくる。大学の帰りに立ち寄った近所の魚屋さんで見つけた、生きのいい鯵。

パソコンの右上に表示されている時刻を見て「あっ」と驚いた。

すでに七時に近いではないか。

ということはかれこれ二時間半近く、ほかのことは何も考えずに、父が店からもどってきたことにも気づかないで、私は執筆に没頭していたようだ。

あわてて、最後の一文を書き終えた。

そう言って、わたしの手をぎゅっと握りしめてくれた手は、わたしにハンカチを渡してくれたあの手だった。

「あの手だった。」と締めくくって文書保存キーを押し、椅子を引いて立ち上がってから、父に声をかけた。

「パパ、おかえりー。ごめん、今すぐ行くー」

父からは「おう」というような返事が返ってきた。そのあとに

「宿題してるんなら、いいぞ」

宿題って、子どもじゃないんだから。小説だよ、小説。

不思議なことに、なんだか自分の体が軽くなっているような気がする。もしかしたら、書き上げた――と言っても、これは下書きに過ぎなくて、夕食後、最初にもどって推敲するつもりだ――小説の「起」のせいだろうか。

書きながら、作品の中で、久しぶりに母といっしょに時間を過ごしたせいだろうか。

母のことを書いているとき、涙こそ流れなかったけれど、体の中には温かい液体が満ちていた。それだけじゃない。優しかった隆文が一瞬、私のもとにもどってきてくれたみたいで、書きながら、どんどん自分が元気になっていくのがわかった。

今の私にとっては、失恋が近景だけど、遠景になってしまった恋愛には、いいことが、素敵なことがいっぱいあった。その「いいこと」を思い出しながら書こうとしたことによって、私は慰められていたのかもしれない。

小説に、書き始めた小説に、励まされている。

これも凛子先生の言っていた「言葉の力」なのだろうか。

「今行くね」

 もう一度、父に声をかけて、台所へ向かおうとした足がふと、止まった。

何か、忘れていることがある。なんだろう。

そうだ、タイトルだ。

忘れないうちに、冒頭にタイトルと作者名を書き入れておこう。

この失恋小説のタイトルは、書く前から決めてあった。

全員、四時限目の最後に決めさせられたのだ。

「タイトルは書く前にまず決めてしまうの。あとで変更してもかまわない。でもちゃんと決めてから、書き始めるの。なぜなら、タイトルは小説の一行目だから。タイトルはね、小説のテーマを表したり、内容を象徴したりするものじゃないの。小説を引っ張っていくものなの。牽引していくものなの。すべてはそこから始まるの。強い言葉がいい。強くてシンプルで美しい言葉。あんまり考え込まないで、ぱっと浮かんできたものがいい。さ、今、ぱっと浮かんできた言葉はどんな言葉?」

「飛べない小鳥」――

 これがぱっと浮かんできたタイトルだ。

作者の名前は、堂島ことり。

飛べない小鳥だ。

Profile

小手鞠るい

1956年岡山県生れ。同志社大学法学部卒業。1981年「詩とメルヘン」賞、1993年「海燕」新人文学賞、2005年『欲しいのは、あなただけ』で島清恋愛文学賞、2009年絵本『ルウとリンデン 旅とおるすばん』(絵/北見葉胡)でボローニャ国際児童図書賞を受賞。主な著書に、『美しい心臓』『アップルソング』『君が笑えば』『テルアビブの犬』『星ちりばめたる旗』『炎の来歴』など多数。アメリカ、ニューヨーク州在住。

Pick Up Book

  • かがみの孤城
  • i
  • 私のスポットライト
  • ビオレタ

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