ラストは初めから決まっていた

小手鞠るい

ラストは初めから決まっていた

8

深海の底のような濃緑の色彩、あるいは声に落ちる(1)

夏季特別講座「言語表現3 クリエイティブ・ライティング1 小説創作」の、きょうは三日目。今は朝の八時半。

あと十分ほどで一限目の授業が始まる。

座席は七割がた、うずまっている。残りの学生たちも、このあとバタバタと姿を現すだろう。事前の理由説明と予告なしの遅刻は、減点の対象になる。

教室の出入り口付近で、仕上げてきた小説の「承」の原稿をティーチングアシスタントの大学院生に渡して、代わりに、きょうの授業で使用されると思しきプリントを受け取ってから、私は自分の席に着いた。

近くに座っているクラスメイトたちと、「おはよう」「元気?」「まあまあかな」などとあいさつの言葉を交わし合う。

凛子先生はすでに、教壇の近くに置かれている自分専用の椅子に座っている。背丈のわりには長い足を組んで、ときどきぶらぶらさせながら、講義ノートのようなものに目を落としている。

本日の先生のファッションは、今までのフェミニン系とはがらりと違って、濃紺のスリムなデニムに、Tシャツとカジュアルなワークシャツを合わせている。足もとはごわごわした感じのロングブーツ。髪の毛はバンダナでぎゅっとまとめてある。カウボーイハットをかぶせて馬に乗せたら、そのまま西部劇に出られそう。

なんとはなしに先生の姿を見つめていたら、ふいにぱっと顔を上げた先生の目と、私の目がぶつかった。

「にっ」と、凛子先生は微笑んだ。

なんだか「にっ」っていう音がしたみたいだった。

私もあわてて笑顔を返そうとしたけれど、うまくいかなかった。

なぜなら、凛子先生の目がまっ赤になっていたから。瞼も心なしか、腫れているように見える。

私の経験上、あれは明らかに、ゆうべ泣き明かした目だと言える。

悲しくて、悔しくて、ひと晩中、鼻水を啜り上げながら、先生も泣き明かしたりすることがあるの?

その推察――邪推と言うべきか――は、まったく外れていた。

八時半きっかりに始まった講義の冒頭で、凛子先生はこう言った。

「みなさん、私はゆうべ、ほとんど徹夜で、みんなの書いた作品の冒頭の章を読ませていただきました。それぞれのパートナーの添削にもすべて目を通しました。その上で、私の気づいたことやリクエストや意見などを細かくびっしりと書き込んであります。あとで、そのコピー、全員の分を全員に配布します。そんなこんなで、きょうはこんな、うさぎさんみたいな目になってますけど、私もね、若かりし頃のほろ苦い恋を思い出したりなんかして、とっても充実した時間を過ごすことができました。まずはみんなにお礼を言います。若々しくて、みずみずしくて、とびきり素敵なラブストーリーになりそう! な予感のする作品を書いて、っていうか、書き始めて下さってありがとう。いろいろと厳しいことも言ってきましたが、まずは、滑り出し順調だと思います」

教室内の空気がふっとほどけて、風の凪いだ海みたいな雰囲気になったところで、凛子先生は口調を変えた。転調だ。

「ただ、ひとつ、これは全員の作品に共通して言えることだけれど、みんなはまだ、言葉を大切にできていないと思った。小説家にとって、何がいちばん大切か。それは言うまでもなく、言葉に決まってるでしょ。だって、小説は言葉でできているんだから。材木で建てられている家があるとして、大工さんがその材木を大切に扱わなかったらどうなる? 家は建たないわね。仮に建ったとしても、いい家にはならないわね。つまり、小説家にとって、言葉を大切にできていないってことは、これはもう致命的なことでしょ? では、言葉を大切にするということは、具体的にはどういうことなんでしょう。みんなに訊いてみましょうか。どういうことだと思いますか? 発言したい人、手を挙げて」

ぱらぱらっと、数人の手が挙がった。

凛子先生に指名されたのは、大人びた四回生の女子だった。彼女が髪の毛をかき上げた瞬間、耳たぶのピアスがきらりと光った。

「言葉を大切にできていないってことは、推敲が足りていないってことでしょうか?」

先生は大きくうなずいた。

「推敲。そうね、その通りです。書いたあとに、これでいいのか、この表現でいいのか、これでちゃんと読者に読んでもらえるような文章になっているのか、自分の書いた文章を徹底的に読み直して、厳しすぎるくらい厳しく検討して、必要とあらば、何度も何度も書き直さなくてはね。それが言葉を大切にする、ということ。まあ、半分は正しいです。でも、まだ半分よ」

まだ半分なのか。徹底的に推敲を重ねても、まだ半分に過ぎないのか。

もうひとり、手を挙げていた学生が別の意見を述べたものの、凛子先生は首を縦にはふらなかった。

「残りの半分はね。書いたあとの話じゃない。書く前に立ちもどって欲しいの」

そのあとに、先生はつづけた。

「たとえば、あじさい、という花があるわね。日本では梅雨の季節に咲く。ブルーの美しい花。香りはない。花びらに見えているのは実は萼。それを、あじさいとひらがなで書くのか、カタカナで書くのか、紫の陽の花、と漢字で書くのか。まず、そこから始めなくてはね。そして、ひらがなで書くのはなぜなのか。カタカナを選んだのは、漢字を選んだのはなぜなのか。自分に問いかけて、自分で答えを出す。その上で、きみたちは初めて『あじさい』と書くの。迷ったら、辞書を引いてみる。するとそこには、あじさいの別名が出ている。たとえば『手毬花』、たとえば『七変化』。そんな別名もある。あとは、英語ではどう言うのか。フランス語では? ロシア語では? 中国語では? そもそも、よその国には、日本で咲いているような紫陽花があるのかどうか。ちなみに、私の住んでいるボストンでは、紫陽花はピンクなの。ブルーの紫陽花は、めったに見かけないわね。あと、アメリカでは白い紫陽花は、墓地に植えられていることが多いの。つまり、あじさいは死者の花なの。その理由は......」

つまり「あじさい」という言葉ひとつをとっても、読者にとって、受け止め方は千差万別であるってこと。

長い発言の最後を、凛子先生はこうまとめた。

「いい? これが言葉を大切にするってことなの。きみたちは、たったひとつの言葉であっても、その言葉に対して、常に自覚的でなくてはいけないの。なぜこう書くのか、なぜこの言葉なのか、一語一語に対して、目覚めていなくてはならない。句読点だって、同じことよ。なぜここに点が必要なのか、なぜここに丸が必要なのか、自分に問いかけて、答えを出してから書くの。書き終えたあとの推敲だけじゃ不十分よ。書く前のシンギンが大切なの」

「先生、シギンって、なんですか?」

誰かの質問を受けて、凛子先生は黒板に向かった。

呻吟、と、大きな文字で書いてから、私たちの方をふり返った。

「詩吟じゃないの、呻吟よ。意味は、苦しんで、呻くこと。うんうん唸ること。小説家の仕事は、ほとんどこれだけに終始すると言っても、過言ではないわね。しかも、できあがった作品には、その呻吟のあとを、ほんの少しでも残してはいけないの。苦しんで苦しんで、その苦しみが透明になるくらいに苦しむの。でも、読者にはその苦しみは見えない。見えてしまったら、それは失敗作よ。むしろ、楽しんで、笑いながら、らくらくと書いているように見えなくちゃだめなの。だって、そうでしょ? 人がうんうん苦しみながら書いたとわかる作品を、誰が読みたいと思う? 読者はお産の現場は見たくないの。つやつやの、光り輝く赤ん坊だけが見たいの」

教室内は、水を打ったように静まり返っている。

苦しみが、透明になるくらい、苦しむ......

私はゆうべ、真夜中の一時過ぎまでかけて書き上げた「承」の全体像を思い浮かべている。

ギャラリーで再会した隆文からメールをもらったあと、私たちは初デートをした。

表町商店街にある本屋さんで待ち合わせて、近くのおうどん屋さんで夕ごはんを食べ、それから後楽園に向かって歩いていって、旭川のほとりを散歩した。

散歩しているとき偶然、手と手が触れ合って、まるでそのチャンスを捕らえるかのようにして、隆文が私の手をぎゅっと握りしめた。

あの、野球少年の手を思い出したのは、このときだった。

「つきあってくれる?」

うなずくかわりに、私も隆文の手をぎゅっと握り返した。

そのあとに偶然、見つけて入った、川沿いのオープンカフェの場面を、私は詳しく書いた。  

旭川沿いの土手のそばにあった、入り口のドアも仕切りの窓もないカフェ。おそらく、もともとは一軒家だった建物の外壁の一部を取り払って、お店にしたのだろう。

川の真正面にふたつ、並べて置かれていたデッキチェアみたいな椅子に、私たちは腰を下ろして、お酒を飲んだ。

私はモスコミュール。隆文はバーボンソーダ。

川から吹いてくるもわっとした夕風が、ふたりの肩と肩を近づけた。風の中には、花の香りがふくまれていた。

店内の様子、照明、飾り、メニュー、店員さんのことなど、かなり細かいところまで描写した。涼介のコメント「事実にもっと強弱をつけて」を取り入れながら。

このカフェは「転」の章で、風鈴がトキオから別れを突きつけられる重要な場所だ。つまり、恋が始まった場所で、この恋は終わる。だからこのカフェのことを、しっかりと描いておかなくてはならないと思ったのだった。

確かに、あの場面を書いているとき、私は苦しんでいた。額に脂汗を滲ませて、唸っていた。それは当然だろう。思い出したくないことを思い出すために、塞がりかけている傷口を無理矢理、こじあけていたのだから。

苦しんだことは、苦しんだ。

けれども、透明になるまで苦しんだかどうかについては、自信はない。そしてあの苦しみが、凛子先生の言うところの「呻吟=言葉を大切にするがゆえの苦しみ」だったかどうかについても。

じゃあ、私は、何が苦しかったの? 思い出すこと? それとも、書くこと?

どっちも苦しかった。どっちもすごく。

その苦しみが透明になり、読者の目に見えなくなっている、という自信は、情けないほどない。だとすると、涼介は私の苦しみなんて、読みたくもないと思っただろうな。

ああ、なんだか頭が痛くなってきた。

さっきから、頭の中で、何か得体の知れないものがぐるぐるぐるぐる回っている。

なんだろう、これは。

言葉にならない思いというか、思いにならない言葉というか。言葉と思いが追いかけっこをしているようだ。そこに苦しみが加わって、三人でかくれんぼをしているみたいだ。

「言葉はね、生き物なの。使い方によっては美しくもなるし、醜くもなる。マジとか、チョーとか、めっちゃとか、そういう言葉がそこにあるだけで、ほかの素敵な言葉が汚く見えることだってあるのよ。大切なのは、きみたちがそのことに自覚的でいるかどうか......」

凛子先生はまだ、言葉について、話しつづけている。

大事なことを教えてもらっている、という意識はあるものの、私の理解力がついていけていない。

何気なく、涼介の方を見た。

紺色の長袖のフーディを着ている。その下のティーシャツの胸には、白く「K」というアルファベットが染め抜かれている。「熊野」だから、K? フーディの袖は折り返されていて、左手に赤いベルトの腕時計。朝寝坊をしたのか、起き抜けなのか、髪の毛がちょっとだけ乱れている。

涼介はきょう、私の提出した「承」をどう読むのだろう。

涼介に「読まれたい」という思いに突き動かされて書いた原稿。

涼介がコメントを書き入れやすいように、レイアウトを工夫して、行と行のあいだをたっぷり空けて印字した。

あの、小学生の筆跡みたいな、独特な手書きの文字を思い出す。

  まとめ=お母さんの亡くなられた場面については、強烈な物語を感じました。特にボタンの描写が心に残った(ブラボー

  す)。

と、そのとき、涼介もなぜか、私の方を見た。

私の目には、そのように見えた。

涼介の目と私の目が合った。

反射的に、私は微笑んだ。

ついさっき、凛子先生が私にくれた「にっ」を、涼介に返すかのようにして。

涼介も「にっ」と、微笑んでくれるに違いないと思っていた。つまり、私は彼の微笑みを期待していた。なぜなら私たちは小説交換のパートナー同士。いわば共犯者同士のような間柄なのだから。

期待に反して涼介は、私の目に視線を当てたまま、厳しい目つきのままだった。

にらまれている、というほどではないものの、それに近い冷たさ、険しさのようなものを感じた。

思わず目を逸らした。

ひとり芝居をしてしまったようで、ばつが悪かった。

涼介の「雪丸」を読んだことで、そして涼介に私の作品を読んでもらったことで、勝手に親近感を抱いてしまっていた自分が恥ずかしかった。

涼介にとって私はきっと、隆文にふられた、みじめで哀れな女に過ぎないのだろう。

 

交通整理のできていない私の脳に、凛子先生の声が響いた。

「さて、偉そうな講釈はここまでにして、みんなの作品のコピーができあがるまでのあいだ、心踊る読書の時間を過ごしましょう。プリント、行き届いてますか? まだもらっていない人?」

Profile

小手鞠るい

1956年岡山県生れ。同志社大学法学部卒業。1981年「詩とメルヘン」賞、1993年「海燕」新人文学賞、2005年『欲しいのは、あなただけ』で島清恋愛文学賞、2009年絵本『ルウとリンデン 旅とおるすばん』(絵/北見葉胡)でボローニャ国際児童図書賞を受賞。主な著書に、『美しい心臓』『アップルソング』『君が笑えば』『テルアビブの犬』『星ちりばめたる旗』『炎の来歴』など多数。アメリカ、ニューヨーク州在住。

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