ラストは初めから決まっていた

小手鞠るい

ラストは初めから決まっていた

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横恋慕(2)

私は、涼介の作品――私の下らない書き込みの入ったコピー――を、無意識のうちに裏返しにして、机の上に置いた。

パソコンはさっきから、スリープモードに入っている。

立ち上がって、部屋を出ていこうとした。

きょうの夕食の当番は、私だ。そろそろ支度に取りかかろう。こういうときには、料理をするに限る。なぜなら私の場合、料理をしているときに、まとまった考え事をするのは苦手だから。料理に集中していれば、小説のことも、「あんなこと」も考えないで済む。今夜は思いっ切り、手の込んだものをつくろう。たとえば、海老のチリソース和えに、胡瓜とちりめんじゃことわかめのサラダに、揚げ出し豆腐に、玄米豆ご飯。

部屋を離れる前に、うしろ髪を引かれたかのようにふり返って、机の上に置かれた原稿の最後の一枚の白紙に目をやる。

あの紙の束の中に、後半に、あんなことが書かれているなんて。

今もまだ信じられないし、信じたくない。

でも、あれが現実。真実はすでに、書かれてしまった。

さて、好きになってはいけない人を好きになった僕がどんな行動に出たのか。

若さを使い果たすべく猪突猛進する、実践的かつ行動的かつ肉体的(要は、観念的ではない、ということです)鯉の物語を語る前に、僕は、ある友人の恋行動について、語っておかねばなるまいと思う。

この男の話を避けて、僕の鯉話は語れんだろうと思うし、また、語ってはならんと思うからである(突然の「である」の出現、お許しを)。

彼は僕の親友、と言える友だちだ。

さっぱりした気性の持ち主で、大ぶりな体格のわりには繊細な神経の持ち主でもあり、頭もよく、姿形も見目麗しく、まあ、紆余曲折というか、陰影といいますか、屈折のある僕と違って、まっすぐで、表裏がなくて、とってもいいやつだ。「わかりやすいいいやつ」って書けば、どんなにいいやつか、わかってもらえるだろうか。

少年時代は、野球少年だったらしい。夕陽に向かって走れタイプだな。

女にもモテるし、男友だちも多い。本人の話によれば、年上の女に惚れられる傾向が強いようだが、それは脇へ置いておき。

名前を仮に「タカシ」と付けておく。

同じ学部の同じゼミを受講していることから、僕らは急速に親しくなった。妙に気が合ったという気がしている。タカシがカレーなら、僕は福神漬けで、僕がピザなら、タカシはチリペッパーか。うまいたとえじゃないな。要は、気の置けない、隅に置けない友だちってことだ。

さっきも書いた通り、タカシはモテる男であるからして、恋の経験多し。

だから僕は「一生に一度でいいから、命がけの恋をしたい」と思ったとき、まっさきにタカシに相談したんだ。

「好きになってはいけない人を、好きになりたいんだ」

って、単刀直入に。

この相談は、あまりにも正解だった。なぜならタカシには過去に、そういう経験があったと言うではないか。いや、現在進行形の経験が。

「不倫か? まさか、結婚してる人?」

「いや、そんなんじゃない。俺らとおんなじ大学の一学年上の人な。文学部フランス文学専攻。すでに彼氏がいた人だけど、猛烈な勢いで好きになった」

「へえ、それで?」

「もちろん、アタックしたよ。せずにいられますかいな。猛攻撃だ。盗塁と言うべきか、強奪と言うべきか、好きになったら、奪わなソンソンやろ」

これはぜひとも、参考にさせていただきたいと僕は考えた。まだ、具体的な相手もいないくせに(いや、実はいたんだけどさ、それはここでは内緒にさせてもらう)、方法論だけでも学んでおこうとしたのである。

「で、どんなふうに?」

「方法論か? それはまあ、当たって砕けろというか、出たとこ勝負というか、まあ、火事場の馬鹿力みたいなモンやな」

わかったような、わからないような。

きょとんとしている僕に、タカシは自分の体験談を披露してくれた。

岡山駅の真向かいにある、ちょっと怪しげな地下の飲食店街のお好み焼き屋で、タカシは広島風のそば入り海老入りモダン焼きを、僕は大好物の牡蠣入りのお好み焼きを注文して、ジョッキのビールで乾杯したあと。

以下、満月が二枚、満ちる=焼けるのを待ちながら、僕らの交わした不埒な会話を復元すると。

「まずは、ストレートにアタックする。好きです、俺とつきあってくださいってな。彼氏がいようが、フィアンセがいようが、そんなことはおかまいなし。まずは告白。そこから始める。万里の道も一歩から」

「それって、千里の道じゃ......」

「俺の知ったことか。千里も万里もすべてはローマに通じる道だろ」

「ま、とにかく果敢にアタックする。で、その次は?」

「当然のことやけど、最初の返事は、ノーやわな。彼氏がいるんだから」

「目の上のたんこぶ彼氏」

「しかし、ここからが勝負よ。立てつづけに俺は、別の女にアタックをする。いちばん簡単そうな、いちばん手軽で、いちばん物欲しそうにしとる女を落とすんや。これはいとも簡単だ。ゆるめのストライクを軽々と打ち返せばいいだけやから」

「好きになった人とは、別の人?」

「そ、別の女」

「へえっ! それは驚いたな。意外というか、意表を突かれたというか」

「そこや。そこを突くんや。女心の中心にあるハートの柔らかい部分をな、チクチクと針で突くんや」

姑が嫁をいじめるようにな、と、タカシは言った。たとえが古風過ぎて、僕にはよくわからなかったが、要するにタカシは、その簡単に落とした女の子――なんでも、小学生の頃からの知り合いだったらしい――と、キャンパス内でも外でも終始、節操なくいちゃいちゃして、ベタベタ仲良くしているところを、その本命の女に、これみよがしに見せつけだんだそうな。

「お客さん、お待たせ。焼けました! 青のりと鰹とマヨネーズは?」

そのとき、目の前のお好み焼きは二枚ともきれいに焼けて、ソースが「ジューン」と音を立てていたっけ。

「俺、全部」

「僕も」

タカシは最初の一口を食べたあと、辞書で言葉の意味を確認するように言った。

「そや、嫉妬さすんや。焼かせるんや。それが本命を落とす方法や」

タカシには、酒が体に入ると、次第に関西が入ってくるという特徴がある(筆者注・タカシは中2から高3まで大阪と神戸に在住経験あり)。

「大将、ビールもういっぱい」

「僕はウーロンハイを」

二杯目の酒を飲みながら、僕は耳を傾けていた。タカシの恋の成功談に。

タカシの書いた台本通りに、本命だった年上の女は彼氏と別れて、みずからタカシのもとへ転がり込んできたという。

「お願い、あたしとつきあって、ってな、頭を下げて」

「それでおまえは? あ、でもその前に、その簡単に落とした彼女の方は?」

「そら、別れるしかないわな。お役目終了というか、任務完了というか、彼女には、消えてもらうしかないやろ。こうして俺は晴れて、本命の女と結ばれます、というわけや」

「もう、消えてもらう段取りはつけたの?」

「いや、それはまだ。でも近いうちにな」

「じゃ、今はまだ二股か?」

「人聞きの悪いこと言うなよ。別れるにしたって、それなりの礼儀を示さなあかんやろ」

「それはまあ、そうだけど」

かわいそうな話だと思った。そのお役目終了となった彼女に、僕は心から同情した。しかし同時に、そんなふうに人を利用して、人をだましてまで、好きになった人を手に入れたいと思ったタカシに、妙な尊敬の気持ちを抱いている僕がいた。僕もそこまで、人を好きになってみたいものだと、正直なところ、思っていた。

「好きになってはいけない人を手に入れた感想は?」

「まあな」

そう言ったきり、タカシはちょっとうつむいて、ひとり笑いを噛み殺している。今、よほど、幸せなんだろう。幸せでたまらない。そういう表情に見えた。

「そんなに?」

「幸せや、申し訳ないくらい。彼女がそばにいてくれるだけで、俺、幸せなんや。おまえにこういう気持ち、わかるかなぁ」

「僕も味わってみたいです」

思わず小学生みたいなことを言ってしまった。

しかし僕はそのとき、こんなことを思っていた。この世界のどこかに、こいつに利用され捨てられて、泣きを見る運命の子がいる。こいつが幸せになるために、不幸のどん底に突き落とされる子がいる。

人を好きになるってことは、なんて残酷なことなんだろう。

幸せな恋っていうのは、誰かの不幸の上に成り立っているのか。

それでもおまえは、誰かを好きになりたいか?

誰かを不幸にしても、おまえは自分が幸せになりたいか?

答えは、イエスだった。イエス、幸せになりたい。イエス、好きになりたい。

行動を開始しよう。僕はその夜、悲壮な決意した。僕もいばらの道を歩いていこう。好きになってはいけない人に向かって、残酷な幸せを目指して。

Profile

小手鞠るい

1956年岡山県生れ。同志社大学法学部卒業。1981年「詩とメルヘン」賞、1993年「海燕」新人文学賞、2005年『欲しいのは、あなただけ』で島清恋愛文学賞、2009年絵本『ルウとリンデン 旅とおるすばん』(絵/北見葉胡)でボローニャ国際児童図書賞を受賞。主な著書に、『美しい心臓』『アップルソング』『君が笑えば』『テルアビブの犬』『星ちりばめたる旗』『炎の来歴』など多数。アメリカ、ニューヨーク州在住。

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