ラストは初めから決まっていた

小手鞠るい

ラストは初めから決まっていた

14

泣きながら書く(3)

ラブソングなんて、大嫌い。

愛の歌なんて、この世から消えてなくなってしまえばいい。

きみが好きだ、きみだけが好きだ、今のままのきみが好きだよ、なんて、よくそんなことが言えたものだとわたしは思う。

ラブソングなんて、嘘のかたまりだ。

甘くてまっ赤な嘘だ。ショートケーキの上にのっかっている苺みたいな、バースデイに贈られた十九本の薔薇の花みたいな嘘だ。

だけど、その、色あざやかな嘘に、舌の上でとろけそうな嘘に、心を奪われ、心を体から抜き取られ、心をどこかへ持っていかれ、そのために軽くなった体が舞い上がり、糸の切れた風船みたいにふわふわと虚空を漂い、自分で自分を見失い、迷い、戸惑い、前後の見境もつかなくなり、よれよれになり、ふにゃふにゃになり、途方に暮れ、毎晩、ひと晩中、かかってこない電話と届かないメールの返事を待っていたのは、いったいどこの誰?

あなたは、誰?

わたしは小鳥だ。

勇気を出して巣から飛び立ってみたものの、太陽に近づき過ぎて、翼が焼け焦げてしまい、そのまま地上にまっさかさまに落下した、わたしはイカロスだ。

イカロスは、ラブソングを憎む。

きみが好きだ、きみだけが好きだ、今のままのきみが好きだよ、と、真顔で言われた川沿いのオープンカフェで、トキオはわたしに言い渡した。

わたしはギムレットを、トキオはアイスコーヒーを「俺、つめたいコーヒー」と言って注文したあと、ふたつの飲み物がテーブルに届く前に、

「え? きょうはコーヒーなの? どうして?」

笑顔でそう問いかけたわたしに対して、

「素面で話さないといけないことがある」

まず牽制をかけたあと、

「きょうは、別れ話をしに来た」

と、爆弾を落としたのだった。

ふだんから、メールの返事は遅れがちで、「すぐに電話して」と頼んでもすぐにかかってこないことが多くて、いらいらさせられることもあったけれど、それでも、喧嘩をしたわけでもないし、ふたりの関係にひびが入っていたわけでもないし、すきま風が吹いていたわけでもないし、先月のわたしの誕生日には、十九本の薔薇の花束をプレゼントしてもらったばかりだったし、「桜が咲いたら、お花見しような」って約束もしていたし、あまりにも突然の出来事だったから、私の耳には「別れ話」という言葉が「ワカレバナシ」という外国語のように聞こえた。だから、

「誰かと誰かが別れたの? 誰と誰との別れ話?」

なんて、まぬけな質問をしてしまった。

トキオはうつむいたまま、しかしはっきりと答えた。

「風ちゃんのこと、嫌いになったわけじゃないんだ」

まるでフォークでお皿を突き刺すような言い方だった。いつもの、関西弁のアクセントの混じった、柔らかい口調ではなかった。これはジョークでもなんでもなくて、正真正銘の本気なんだなとわかった。

「だったらなぜ?」

そのとき、川の方から吹いてきた柔らかい春風がわたしの頰を撫でていった。その風には棘が含まれていた。風に指がついていて、指の先に棘があるかのようだった。痛い、とわたしは思った。両手を頰に当てて、ゆっくりと上下にこすった。

「おまえよりももっと、好きな人ができた。ごめん」

そうか、そういうことだったのか。

いかにも陳腐な筋書きのドラマを見せられているようだった。どう答えたらいいのだろう、こういうとき、ふられた側は。ドラマではこういうとき、ふられた方がふった方の頬っぺたを思い切り叩いたりする。「馬鹿にしないでよ!」なんて言いながら。

好きな人ができたって、それは、いつからなの? 誰なの? どこで知り合ったの? まさか、おんなじ大学の子じゃないよね? このあいだデートしたときにも、そういう人がいたの? いろんな疑問文が、胸の中でぐるぐる回っていた。自分のしっぽを追いかけている犬のようだった。すべてを封じ込めた。何も尋ねまい。何も知りたくない。知ったところで、この別れを止められるわけではないだろう。

つかのまの逡巡のあと、わたしの口からとっさに出た台詞は、

「謝らないで」

だった。

自分でも自分の気持ちがよくわからなかったけれど、こういう場面で、好きな人から「ごめん」と謝られると、わたしのみじめさがいっそう増すような、そんな気持ちになってしまっていた。

「ごめん!」

今度はトキオは胸の前で手を合わせて、わたしに対して拝んでいるような格好をしている。こんなことをされたら、もっとみじめになる。

「謝らないでって、言ってるじゃない」

「ごめん......」

トキオはそのあとに「何もかも最初から話すから」と言っていたような気もしたが、わたしはすでに椅子から立ち上がって、彼に背中を向けていた。「馬鹿にしないで」って、心の中で捨て台詞を吐きながら、バッグをつかんで、店から飛び出した。幸いなことにここはオープンカフェで、すぐ目の前には川沿いの土手の道が伸びている。

わたしはただその道を、まっすぐに歩いていくだけでよかった。ついさっき、馬鹿にしたばかりの台詞「馬鹿にしないでよ」は、真実味のある言葉だなと思いながら、わたしは土手を駆け下りて、川にじゃぶじゃぶ入ってしまいたい衝動を抑えるのに必死だった。

涙が出てきた。出るなよ、って思った。

それから、うしろをふり返った。ふり返るなよ、って思った。

もしかしたら、トキオが追いかけてきているかもしれないって、ちらっとでも思った自分が大嫌い、って思った。

ひどいよ、馬鹿にしないでよ、泣いたりしないよ、泣くもんか、泣くもんか、こんなことで泣いてなんかやらない。馬鹿にしないで。

無我夢中で息が切れるまで走ってから、突然、スイッチが切れたロボットのように立ち止まって、わたしはバッグからハンカチを取り出した。

ハンカチで思い切り鼻をかんでから、ぎゅっと丸めて、近くにあったごみ箱に投げ捨てた。薔薇の花束に添えられていた、トキオからの誕生日プレゼントのハンカチ。

ハンカチを捨てたとき、わたしは、あの輝かしい野球少年の思い出を捨てた。

あの日以来、わたしはラブソングを憎んでいる。

 *

「NIKUNDEIRU」と打ち込んで、「憎んでいる」と変換したとき、胸の奥につっかえていた何かがぽろりと落ちたような感覚があった。剥がれ落ちた、と言えばいいのだろうか。障害になっていた物――たとえば、溝に溜まっていた落ち葉や小枝のかたまり――が押し流されて、それまで淀んでいた水流に、健全な勢いがついた。そんな気がした。

書くのが苦しくて、こんなことは到底、書けないと思い込んでいて、だから書くことのできなかった「憎しみ」について、隆文が憎いという生々しい感情について、つまり、きのう書いてきょう提出していた「承」の章からはすっぽり抜け落ちていた「恋の苦しみ」について、気がついたら私は、すらすらと淀みなく書き進めていた。

隆文の好きになった人は、誰だったのか。

隆文に教えてもらわなくても、わかってしまった。

別れを言い渡された二日後に、手をつないで歩いているふたりの姿を、キャンパス内で見かけた。フランス文学専攻の先輩だった。美人で、スタイルもファッションセンスもよくて優しくて、みんなから慕われている素敵な人だ。私だって慕っていた。

あの人だったのか、と、私はうなだれた。あんな人に、かないっこない。

その日から、私の苦しみが始まった。苦しみの行進曲の第一楽章は憎しみで、第二楽章は恨みで、第三楽章は嫉妬だった。醜い感情のオンパレード。

これが恋というものの正体だったのだと、私は思い知った。

恋はいいものだなんて言う人を、私は信じない。

私は恋を美化しない。いっさいの美化を排除して、どろどろ、ぐしゃぐしゃの失恋小説を書く。私にとって恋とは、妖怪みたいにおどろおどろしいものなのだ。

これでもか、これでもかと、憎しみを描写しながら、軽快にパタパタとキーボードを叩きながら、私は凛子先生の言葉を思い出している。

――あなたの書いたものが、他人にどう読まれるか。あるいは、あなたは他人の書いたものをどう読むか。小説はそこにこそ、存在しているものなの。いい? 書かれただけではまだ、それは小説ではないの。読まれたときに初めて、それは小説になるの。書店に並んでいる本と同じよ。買って読まれなければ、それらは本じゃないの。読まれて初めて、本になるのよ。

人を憎むこと、人を憎んでいる自分の醜い心について書きながら、私は、自分の書いている文章が蛇のように脱皮をくり返して、少しずつ小説に変貌していっているのを近くしていた。そして驚いたことに、その過程を楽しんでいる私がいた。書くことによって私は、私の恋を理解し、私という人間を理解し、その理解によって、私は浄化されている。でもまだだ。まだ小説じゃない。この文章を涼介が読んだとき、この文章は初めて小説になる。

読ませてやる、あいつに。書かなくてもいい、書くべきではないかもしれない秘密を暴露して、私を苦しませてみせたあいつに向かって、私は書いてやる。

泣きながら書き始めた新しい「承」の章が書き上ったとき、涙はすっかり乾いていた。乾いた涙が頰に、瘡蓋のようにくっついている。

指先で涙の瘡蓋を剥がしながら、最初にもどって最後まで読み直して「これでよし」と思ったときだった。

机の上に置きっぱなしにしていたスマートフォンが震えて、新着メールがあることを告げていた。パソコンの画面に、そのメールを呼び出した。

あと二分ほどで、午前零時になる。きょうとあしたの境目に、私にメッセージを送ってきたのは――

<堂島ことりサマ とつぜんだけど、これから会えないか? 心配している。話がある。きょうの授業で、僕の小説には無反応。途中からコメントなし。それは当然だと思っています。当たり前だ。僕はクソ話を書いた最低のクソ男だ。でも、だから、だからこそ、会いたいんです。会ってきみと話がしたいんです。お返事を待っています。五分以内に会いに行けるところに今、イマス。イマスグアイタイ>

Profile

小手鞠るい

1956年岡山県生れ。同志社大学法学部卒業。1981年「詩とメルヘン」賞、1993年「海燕」新人文学賞、2005年『欲しいのは、あなただけ』で島清恋愛文学賞、2009年絵本『ルウとリンデン 旅とおるすばん』(絵/北見葉胡)でボローニャ国際児童図書賞を受賞。主な著書に、『美しい心臓』『アップルソング』『君が笑えば』『テルアビブの犬』『星ちりばめたる旗』『炎の来歴』など多数。アメリカ、ニューヨーク州在住。

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