ラストは初めから決まっていた

小手鞠るい

ラストは初めから決まっていた

15

書く男(1)


転なんだよ、転。
点でもなく、天でもなく、店でもなく、転なんだ。当然のことだが、展でも添でも典もない(漢字変換だけで行数を稼いでいるセコイ男)。
転換の転、転回の転、転機の転、動転の転。
そうなんだ、ここで大きく転ばなくちゃならないんだ。
いんや、そうじゃない。僕が転んでしまっては、進む話も進まなくなる。そうだ、転ばせないといけないんだ。物陰から飛び出していって不意討ちを食らわせ、すってんころりと転ばせなくちゃ。転んでもただでは起きない奴には、さらにもう一度、足もとをすくうようにして、ストーンと転ばせる。
誰を?
そんなこと、わかり切ってるじゃありませんか。きみらだよ。僕のクソ小説をクソまじめに読んでくれている(と、期待してるんですけど)きみたち読者だ。
ここで勝手ながら、復習させてもらう。
僕は承(小でも章でも賞でもない――しつこいぞ)の章の最後にこう書いた。
「行動を開始しよう。僕はその夜、悲壮な決意をした。僕もいばらの道を歩いていこ 
う。好きになってはいけない人に向かって、残酷な幸せを目指して」
書いたからには、それを実行しなくてはならない。有言実行だ。
小説を小説で終わらせてしまうなんて、僕にはできない。
小説を現実に変えていく。それが僕にとって「書く」ということの意義であり、意味でもある。僕は「書く男」であり、同時に「書いた小説を生きる男」でもあるんだ。
さあ、行動開始!
というわけで、ここから「転」の章が始まる。
僕がその夜、起こした行動とその結果について、好きな人とのあいだに起こった真夜中のできごとについて、あますところなく僕はここに書く。
嘘は書かない、と、僕は誓う。どこかの大学の先生も言っていたじゃないか。「小説は真っ赤な嘘話なんだけど、そこには、真実が書かれていなくてはならない」って。
言いたいことなんて、僕にはない。
小説は意見じゃない。小説は主張じゃない。
テーマはきみらが決めてくれたらいい。
僕はただ、きみたちに語りたい。声を大にして語りたい。僕は恥もプライドもかなぐり捨てて、思いっ切り、彼女にぶつかってみたんだ。体当たりだ。好きになってはいけない人を好きになったんだから、残酷なことが起こるのは、目に見えている。だけど、進まないではいられなかった。
恋っていうのは、不条理なものなのだ。
傷つくとわかっていて、進むのをやめられない。
だから、頼む。最後まで、読んでくれ。
きみが僕の駄文を読んでくれているあいだだけ、僕はかろうじてここで、こうして生きていられる。きみらと同じ時間を共有していられる。それは孤独な時間だ。ページの上には、文字の中には、ここには、僕ときみしかいないんだから。
読み終えたら、僕のことなんかすっぱり忘れて、さっさと去っていってくれていい。
きみといっしょに過ごした時間。きみが僕を読んでくれていた時間。
小説は、そこにしか、ないんだから。
じゃあ、始めるぞ(前置き、やたらに長くてすまない)。

イマスグアイタイ

メールの最後をそう結んで、彼女に送信して二分後、ちょうど日付が変わって、きのうがきょうになった。三分後、彼女から届いた返信には、こう書かれていた。
<わかりました。びっくりしたけど! 五分以内に行けるところって、どこ? まさか、うちの近く? 表町商店街?>
電光石火のごとく、僕はメールを打ち返した。
<イエス、表町商店街の東の入り口の看板の下デス>
<了解。だったら、うちのギャラリー、わかる?>
<もちろん>
<じゃ、そこで、十分後に>
あっけなく、真夜中に会う約束は成立した。しかも十分後に。
いいんだろうか、こんなにトントン拍子に進んでしまって。と、一抹の不安を抱きながらも、僕は堂島ギャラリーを目指した。
目を閉じていたって、正確に扉の前に立てる、という自信があった。なぜならば、忘れもしない、というべきか、ほかでもない、というべきか、僕が彼女の姿を初めて見たのもこのギャラリーだったし、彼女を好きになってから何度か、こっそり訪ねたことだってあったのだから。
正直に告白すれば、彼女が時任(筆者注・タカシ、こと、時任隆文だ。彼女の小説の中にはトキオとして出てくる)とつきあい始めてからは、ギャラリーの前を通りかかって、受付デスクに座っている彼女の小さな姿を遠くから目にしただけで、僕の胸はズタズタになっていたものだったが、それはまあ、今はちょっと脇へ置いておき(話を前に進めないとね)。
「熊野くん、どうしたの、こんな真夜中に突然」
「熊野くん、非常識だよ、こんな真夜中に突然」
「熊野くん、いい加減にしてよ、いったいどういうつもりなの」
「熊野くん、いきなりこんなことされたら、困るよ、迷惑だよ」
彼女の開口一番の台詞を陳腐な頭でいろいろ想像しながら、ギャラリーの近くまで来たとき、僕の両足がぴたっと止まった。「ぴたっ」っていう音が、僕の耳には聞こえた(聞こえるはず、ねぇだろ)。
なんと、彼女はわざわざ通りに出て、扉の前に立って、僕を待ってくれているではないか。それだけで、胸がいっぱいになって感激している僕は、なんて能天気でなんて愚かなんだろう。だって、僕は彼女を傷つけるようなことを、確信犯的にしてしまった、言語道断な男なのに。
ブルージーズに、白いコットンシャツ。その上から、薄めのロングカーディガンを羽織っている。教室でもそうだけど、いつもさり気ない感じの彼女のファッションが、僕は好きだ。それも、脇へ置いておく。ファッションなんて、今はどうでもいい。
問題は、開口一番の台詞だ。
事実は小説よりも奇なりというか、現実は厳しいというか、否、素晴らしいというべきか。
「堂島さん、ごめん、こんな変な時間に呼び出したりして」
と、開口一番、謝った僕の顔を見て、彼女はにっこりはしないで、でもむすっとした感じでもなく、曖昧な笑みを浮かべたまま「こんばんは」と、小さくつぶやくように挨拶をしたあと、パキッとした口調になって、こう言った。
「ね、熊野くん、どこか具合でも悪いの? 何か深刻な病気にでもかかってるの?」
不意を突かれて、というか、真実をいきなり暴かれて、僕は言葉を失った。ほんとは気も失いたくなったくらいだ。
なんで、彼女にわかるんだろう? なんでだ。なんでなんだ。
僕の頭の中で、小人が鐘を打ち鳴らしているかのように、そう思った。なんで、わかるんだ。なんで、わかったんだ。なんでなんだ? なんで、彼女にわかるんだ。僕のビョーキが深刻なんだってことが。
僕の沈黙をさぁっと箒で吐き捨てるようにして、彼女は笑った。
「だって、こんなところまで突然、来るなんて、病気としか思えないよ。冗談は置いといて、とりあえず入って。コーヒーでよかったら......」
ああ、冗談ではなくて、彼女が僕のためにコーヒーを淹れてくれる。神様、ありがとう。これからはおこないを改めて、もっといい男になります。もう遅いぞって、そんなこと、言わないでくれます?
さまざまな思いを封じ込めるようにして、僕は言った。彼女の背中に対して、声を発しているような格好になっていた。うしろから抱きついてしまいたいような背中だ。
「堂島さん、ごめんね。怒ってるでしょう? 怒られて当然のことをしてしまったと思ってる。本当にごめん。あんなこと書いて、あんなこと書いて、ひどいこと書いて」
僕の方をふり向いて、彼女は初めて、にこっと笑った。
「小説のこと? それなら大丈夫だよ。最初はすごいショックだったし、熊野くんの顔なんて一生、見たくもないって思ったし(ここで、笑いが入った)、でもね、本当のことがわかって、今は良かったかなって思ってる。熊野くんが教えてくれなかったら、私、立ち直るのに、もっと時間がかかったかも」
「え? ほんと?」
「うん、ほんとだよ。実はさっきまで『承』のところ、書き直してた。だって、あんな事実が裏にあったと知ったら、当然のことながら、あんな柔な展開じゃ駄目でしょ。だから、全面的に書き直してやったの」
 書き直してやった、と、得意げに言った口調が心に残っている。あれは、誰に対して言った言葉だったのか。時任にか、僕にか、あるいは小説に対して、なのか。
「じゃ、転はまだ?」
「うん、それはまだ。とりあえず、承を書き直さないと、前には進めないかなと思って」
僕はその承も、転も、読めないことになるんだけど、それは今はまだ言えない。
「でね、書き直しているうちに、気持ちの整理ができていったの。隆文のこと、好きだ好きだって思ってたけど、実際には私、彼とつきあっている自分というか、彼氏がいる自分って存在と状況が好きだっただけなのかもしれないって。なんか、うまく言えないけど、なんとなくそんな感じ?」
彼女の声は、場違いなほど明るかった。気持ちの整理ができたっていうのは、本当のことなんだなって思った。
ギャラリーの中に、コーヒーの香りが漂い始めて、彼女はパーコレーターで淹れたコーヒーを大きめのマグカップーー熊の模様とうさぎの模様がついていた――に注ぎ分けたあと、熊のカップを僕に手渡してくれた。
「はいこれ、熊野くんだから、熊さん」
とっさに、僕はこう言った(まだ、うさぎの模様は見えていなかった)。
「サンキュ、堂島さんのカップは、小鳥だったりして」
「あ、残念ながら、あたしのは、ほら、うさぎさん」
そう言いながら、彼女はカップの模様を僕に見せた。
「可愛いね」
って僕が言ったのは、うさぎが可愛かったからじゃなくて、彼女が可愛かったからだ。
そのときまでずっと、あまりにも緊張していたせいか、僕は彼女に恋をしているってことを、忘れてしまっていた(って、んなわけ、ねぇだろ)。実のところ、このシチュエーション――彼女といっしょに真夜中のコーヒーを飲んでいる。しかも、ふたりきり――があまりにも幸せ過ぎて、忘れそうになっていることがあった。
咳払いをひとつ、僕はした。
「いただきます」
頭が痺れそうなほどウマいコーヒーを、ひと口だけ飲んだあと、本題を切り出した。
「堂島さん、あのね、どうしてもきょう、こんな時間に強引に押しかけてでも、会いたかった理由なんだけど」
そうなんだ、理由があるんだよ、僕には。
シリアスな理由があるんだ。
だから、あんなことを小説に書いたんだし、だから今夜、意を決して、ここにこうして来てるんだ。これは、書く男にとって、一世一代の賭けになる。
僕は、僕は、僕は......
「だからもういいんだって、小説のことなら、謝ってくれる必要なんてないよ。隆文とのこともね、これ以上、心配しないで。私もう、なんにも気にしてないから」
そうじゃないんだ。
そうじゃないんだ、堂島さん。僕の話を聞いてくれ。
きみたちは、読んでくれ。しっかりと目をあけて、読んでくれ。転ばないように、注意してくれよ。僕はここで、この物語を、ぶっ転ばすからな。

Profile

小手鞠るい

1956年岡山県生れ。同志社大学法学部卒業。1981年「詩とメルヘン」賞、1993年「海燕」新人文学賞、2005年『欲しいのは、あなただけ』で島清恋愛文学賞、2009年絵本『ルウとリンデン 旅とおるすばん』(絵/北見葉胡)でボローニャ国際児童図書賞を受賞。主な著書に、『美しい心臓』『アップルソング』『君が笑えば』『テルアビブの犬』『星ちりばめたる旗』『炎の来歴』など多数。アメリカ、ニューヨーク州在住。

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