ラストは初めから決まっていた

小手鞠るい

ラストは初めから決まっていた

23

悠久の鐘(2)

あれから、一年が過ぎた。
言っておくけど、一年というのは、三百六十五日だ。
そんなこと、おまえに言われなくてもわかってるって? まあまあ落ち着いて。
だったら訊くけどさ、そこのきみ、三百六十五日って、何時間か、わかる?
365X24=8760
そう、一年というのは、八千七百六十時間なのだ。
だったら、八千七百六十時間は、何分だと思う?
8760X60=525600
いきなり数字が跳ね上がって、五十二万五千六百分。
だったら......次の問いは、もうおわかりかな?
そう、一年は、何秒なのか?
52560X60=31536000
というわけで、一年というのは、三千百五十三万六千秒なのだ。
いきなり、数字男になっちまった僕だが、これには深い訳がある。いや、浅い訳かもしれないが、とにかく訳がある。
この一年、彼女のことを思わない日はなかった。
つまり僕は、三千百五十万六千秒、彼女のことを思いつづけてきた。寝ても覚めても、朝から晩まで、夢の中でも思いつづけてきた。だから僕はこの一年、海を隔てて遠く離れていたけれど、ずっと彼女といっしょにいたんだと思っている。
彼女はこの一年、僕のことを、どう思っていたんだろう。
それについては、わからない。
これは僕の人生哲学でもあるのだが、まだ二十数年しか生きていないのに、ずいぶん生意気なことを書かせてもらうと、人は、自分のことならある程度はわかるけれど、他人のことは、まったくと言っていいほどわかっていないんじゃないかと思うんだ。
自分のことはせいぜい七十パーセント。
他人のことはせいぜい三十パーセント。
それくらいしか、理解できていないんじゃないか、と。
自分の内面にも、自分でも理解不能な部分が三十パーセントくらいはあると思うし、他人について理解できているのは、多く見積もって三十パーセントくらいじゃないか。しかも他人に関するその三十パーセントの中には「誤解」だって含まれている。
だから、恋に落ちた人と人は、なんとか、わかり合おうとする。その努力を重ねる。しかし、それにも限度がある。限度があるってことをあらかじめ認識しておきたいと、僕は思うんだ。要は、僕の人生哲学とは「人と人はわかり合うことなどできない」ということ。なんだけど、だからこそ、人は人に惹かれるのだし、わからない部分があるからこそ、わかりたいと思うんだし、わかりたいという欲望から、愛が芽生える、ってことなんではなかろうか(数字男から、理屈男へ変身)。
僕たちはこの一年、普通の恋人たちがするようなこと――手紙やメールや電話やラインやテキストやSNSその他で連絡を取り合い、愛を伝え合う――をなんにもしなかった。
それは僕自身の希望であり、おそらく彼女も、それでいいと考えていたのだろう。
お互いに、お互いを試してみたかったのかもしれない。ここで言う「お互い」とは、相手のことじゃなくて、自分のことだ。
会いたくても会えない一年、そして、連絡も取り合わないと決めたこの一年のあいだに、自分の愛がどうなるのか、どこへ行くのか、どこへも行かないのか、行ったきり、もどってこなくなるのか、もどってくるのか、それを見極めたかったのかもしれない。
僕の愛は、どこへも行かなかった。
僕の体の中で大きく育って、今もこの胸の中で泳いでいる。
本当にりっぱになった。
誰の目から見ても、これはりっぱな鯉だ。人に自慢できる鯉だ。
僕は今、この丸々と太った鯉を抱えたまま、明神山の山頂に立っている。
ポロシャツの胸のポケットには、一年前に彼女から届いた一通の手紙が入っている。メールで届いた文面を印字したものだ。
この一年間、これが僕のお守りだった。

熊野涼介さま
凛子先生がメール添付で転送して下さった「結」の章、読みました。
今、胸がいっぱいになっています。
私の「転」の章も読んでくれたと思うけど、私はあの日、
ひたすら涼介くんのことを思いながら、王寺町を歩き回りました。
王寺町、とってもいいところだった。私の第二のふるさとになったよ。
町全体が私を歓迎してくれて、包み込んでくれるようだった。
あの町は涼介の原点そのものだと思った。あたたかくて、優しくて、
どこかなつかしい感じがして。でも、とってもユニークでもあって。
雪丸くんにも、いろんなところで、いっぱい会ったよ。
途中で迷子になったりもしたけれど、親切な人たちに助けられて、
恋は迷子にならずに済みました。
夏期講座の最終日、実は私、ジョン・F・ケネディ空港まで行ってしまったの。
旅立とうとしている涼介くんにひと目、会いたくて、見送りたくて。
でも、ニューヨークの空港じゃなくて、ニューアーク空港だったんだね。
知らなかった! 
ニュージャージー州にも空港があるなんて(あははは、アホじゃねぇ!)。
「ヨ」と「ア」の違いで会えなかったけど、一年後に会えるね!
合言葉は、明神山で会おう。
必ず行くからね。
それまでに、しっかりランニングして、足腰を鍛えておかなきゃ。
夏期講座は単位を落としてしまったので、来年も取る予定。
そのときには、さらなる大傑作ラブストーリーを書くよ。
その小説を携えて、悠久の鐘のもとへ行く!          

涼介の手術の成功を祈る。

失敗しても、それは成功のうち。                         

                              堂島ことりより

もうすっかり暗記してしまっている手紙の文面を、僕は今、明神山の頂上にある「悠久の鐘」の下で読み返している。
何度、読み返しても、そのたびに新しい力が湧いてくる。
この文章は僕に、生きる力を与えてくれる。
手術後の経過が思わしくなくて、絶望の沼で溺れそうになっていたときにも、僕の手をぐいっとつかんで、明るい世界へ引っ張り上げてくれた。命の恩人だ。
視界を遮るものが何もない、はるかかなたまでつづく、美しい夏空のもとで、僕はきみを待っている。
「来たよ!」
「待った?」
「遅れてごめん!」
「やっほー!」
きみの声が僕の背中に届く瞬間を、待っている。この四つの言葉のうち、どれになるのだろう? どれにもならないか?
「涼介」
だけかもしれないな。うん、名前だけでいい。シンプル&ビューティだ。
名前を呼ばれただけで、僕はじゅうぶん幸せだ。
「涼介」
ふり向くと、そこにはきみが立っている。
僕には、きみの姿が見える。
見えるんだ! ことりちゃん。
僕にはきみが見えるんだよ。
最後に言っておくが、これは小説ではない。現実だ。

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京都へ向かう新幹線に乗っている。腕時計に目をやる。時間の計算をする。
明神山の山頂に着けるのは、十時過ぎになるだろう。
涼介の姿を見つけたら、最初になんて言おう?
「待ち遠しかったよ!」
「やっほー!」
「あ、涼介!」
「嘘、ほんとに涼介なの?」
私の言葉はたぶん、どんな言葉にもならない。
だからただ、涼介の名前を呼ぶだけで、せいいっぱいになるだろう。
明神山へは、今年の春、試しに登ってみた。道筋はもうしっかりと頭の中に入っている。まぶたを閉じていても、行けそうなくらい。
頂上で会えたら、ふたりで何をしよう。
散歩? 景色を眺める? 涼介の解説に耳を傾ける?
何をしても、何もしなくても、楽しくて、うれしくてたまらないだろうな。手をつないで、幼稚園児みたいに、飛び跳ねてしまうかもしれない。
それからふたりでいっしょに下山して、山のふもとにあるお蕎麦屋さん「尚古」へ行く。ネットで見つけた、予約制のお店。一週間前に、抜かりなく予約してある。涼介はお蕎麦が大好きだって知っているから。石臼で挽いて、手打ちでつくられたお蕎麦に、ヘルシーなおかずが何品も添えられている。見た目もきれいな蕎麦ランチプレート。これもすでに試食済み。
デザートは「森の庭カフェ」に立ち寄って「ゆきま〜る」を。私はきな粉、涼介はマロンかな。「尚古」の看板猫と、森の庭カフェの犬たちにも会えるといいな。
ふーっとため息をひとつ。
胸が膨らみ過ぎていて、苦しいくらい。
気持ちを落ち着けるために、スマホを操作して、原稿を呼び出す。 
自分の書いた作品「歌う小鳥」のラストを読み返してみる。 
自分で書いておきながら、自分で自分が恥ずかしくなる。こんなに手放しで「好き」を連呼している自分が恥ずかしいような、可愛いような。
凛子先生が今年の作品につけてくれた成績は「優」だった。
ラストがキュートでとってもよかった、というコメントもついていた。
手放しで、うれしかった。
一年前、最終日の授業を途中で放棄した私は、今年も同じ講座を取り直して、去年の作品を大幅に書き直したのだった。
楽しい時間だった。
小説というのは、それを書いている「時間の中」に存在しているのだなと思った。
一行、一行に、一字一句に、涼介への思いをこめて、書き上げた。
書くということは、思うということに重なる、ということを実感しながら。
私の作品は、涼介ひとりに宛てて書いた、ラブレターなんだと思いながら。

 *

ラブソングを、わたしは愛する。
愛の歌が満ちているこの世界と、世界に訪れる新しい朝を愛する。
リョウが好き。過去のリョウが好き。今のリョウが好き。今のままのリョウが好き。わたしのよく知ってるリョウも、知らないリョウも好き。知らないリョウを、これから知っていく喜びがあるから。
ラブソングには、永遠の力がある。古い歌にも、新しい歌にも。
甘い苺のショートケーキよりも、燃えるように赤い薔薇よりも、わたしの歌うラブソングは、甘くて赤い。
あなたは誰?
わたしは小鳥だ。
飛べない小鳥じゃない。
わたしは歌う小鳥だ。
世界最強のラブソングを、あなたに向かって、歌う。
ラストは初めから決まっていた。
ふたりは会える。この物語は、ハッピーエンドで終わる。
でも、現実は終わらない。
ふたりの物語はきょう、ここから始まる。ここからふたりで築いていく。悠久の鐘のもとから始まる、リアルなラブストーリーを、わたしは愛する。

Profile

小手鞠るい

1956年岡山県生れ。同志社大学法学部卒業。1981年「詩とメルヘン」賞、1993年「海燕」新人文学賞、2005年『欲しいのは、あなただけ』で島清恋愛文学賞、2009年絵本『ルウとリンデン 旅とおるすばん』(絵/北見葉胡)でボローニャ国際児童図書賞を受賞。主な著書に、『美しい心臓』『アップルソング』『君が笑えば』『テルアビブの犬』『星ちりばめたる旗』『炎の来歴』など多数。アメリカ、ニューヨーク州在住。

Pick Up Book

  • かがみの孤城
  • i
  • 私のスポットライト
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