この冬、いなくなる君へ

いぬじゅん

この冬、いなくなる君へ

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「せんぷぁい~」
前の席にいるリカが、ディスプレイの向こうから沙織に声をかけた。
「ん?」
「今日は電話当番じゃないですよね? お昼どこ食べに行きますぅ?」
気づけば十二時になっていた。今日も半日怒られて終わったと知る。ざわざわと談笑する声がようやく耳に届き、少しだけ張りつめた緊張がゆるむ。
沙織になついているリカは、よく一緒にランチに行っているようだ。仕事の遅い私は、いつだってコンビニのサンドイッチをほおばりながら、少しでも遅れを取り戻すのに必死。
「あたし、しばらくパス」
沙織はそう言うと、バッグからピンクの布で包まれたお弁当箱を取り出した。
「パス?」
きょとんとするリカに、
「実はさ、料理教室に通いだしたんだよね」
と、沙織は肩をすくめてみせる。
「あれ、英会話教室はやめたんですか?」
「それも継続中。だから、節約と復習を兼ねて飽きるまではお弁当を作ろうかな、って」
照れくさそうな横顔を見て、それからリカを見ると眉をひそめて固まっている。奇妙な間が流れたのち、
「あたしのことだから、すぐに飽きちゃうんだろうけどね」
さらりと言うと沙織は「トイレ」と席を立った。
リカも出かけるのだろう、立ち上がってから思い出したように私を見た。
「菜摘さんは今日もパンですか?」
「うん。ごめんね」
リカが私を『先輩』と呼ばなくなってからしばらく経つ。無意識なんだろうけれど、少しだけ気になっている。それでもヘラヘラ笑うしかない自分が情けなくなる。
「なんか元気ないですけど、大丈夫ですか? 私でよかったら相談に乗りますよぉ」
キラキラとした目のリカは、つけまつ毛をバサッと揺らせしそんなことを言ってくる。沙織よりも明るい茶髪にウェーブをかけて、ピンクのルージュがやけにまぶしい。
「大丈夫だよ。ありがとう」
優しくうなずいて見せると、
「そうですか」
と、あっさり関心をなくしたようだ。
すぐに歩き去っていくリカに悪気がないからこそ先日の企画書の件は許したけれど、そもそも悪気がないこと自体がやっかいなのだ。
ふう、とため息を宙に逃がす。
低い天井を見上げると、LEDの活躍もむなしく昼前というのに薄暗い。まるで私の気持ちを表しているみたい。
こんなはずじゃなかった、と思う。
入社したときは、憧れだった文具に携わる仕事に就けたことがとにかくうれしかった。新商品を開発できるというワクワク感もあったはず。
それが、今では大好きな文具店に行ってもリサーチすることばかりに気を取られる始末。たくさんのノートや鉛筆、付箋紙を見るだけで楽しかったはずなのに、どうしてこんなふうになてしまったのだろう......。
コンビニのパンをかじりながら、改めてディスプレイに企画書を呼び戻して眺めても、補修できるほどの内容でないことは明白だ。いちから全部やり直すしかない事実を頭では理解しているものの、気持ちが切り替えられない。
トイレから戻ってきた沙織が、
「そうだ。聞いてくれた?」
と、主語のない会話をし出したので、意識を隣に向けた。
「なにが?」
「ほら、今度の合コンの話」
「ああ」とさらに重い気持ちになる。先日、沙織から何度目かの合コンの誘いがあり、苦し紛れに『友達に聞いてみる』と逃げたんだった。
「友達ってさ、晴海さんって名前だっけ?」
「福山晴海。ごめん、まだ聞いてないんだ。今夜にでも聞いておくね」
会話を切り上げてパソコンに向かう私に、沙織は不満の声を上げた。
「ダメダメ。ずいぶん返事が延びちゃっているの。あたしがいい加減な女だと思われちゃうじゃん。今聞いてみてよ、お願い」
沙織の『お願い』はいつだって強引で、それでいてしぶといのは二年弱の間で身に染みている。
表情で拒否を示しながらも、仕方なくスマホを取り出してバックライトをつけた。ロック画面にボールペンの写真が映し出される。ターコイスブルーがアクセントの、有名ブランドのボールペンの写真。就職祝いに父が買ってくれたものだ。
もったいなくて使えないから、ずっと部屋の引き出しにしまってあり、時折眺めてはうっとりしている。けれど、近ごろは見るたびに心が重くなってしまう。
ロックを解除し、ホーム画面を呼び出した。メッセージアプリで晴海の名前を探し、
『お仕事中ごめんね。この間話した合コンなんだけど、どうする?』
と、メッセージを打ち込むけれど、『既読』はつかない。
大学時代は一緒にいることが多かったから、いつだって連絡は簡単についた。
けれど、社会人になってお互いに二年目。最近ではメッセージのやり取りが多く、晴海と電話で話をすることも減ってきている。
晴海は就職活動序盤で大手銀行の内定を取り、卒業してからはこの町の駅前の支店で窓口業務をしている。
会うたびに『忙しくてトイレも行けない』と言っていたっけ。
「返事が来たらすぐに教えるね」
そう伝えて話を切りあげると、沙織は渋々ながらうなずいてくれた。少しホッとした気分になりながらスマホをしまう。
とにかく企画書を作り直さなくちゃ。パワーポイントの〈新規〉タブをクリックし企画書用のデザインを選択すると、真っ白な画面が現れた。
美香に怒られないようなアイデアはどこに転がっているのか......。
あこがれていた仕事に就けたというのに、現実は思ったよりも厳しい。最近の私はやりたいことではなく、やってはいけないことにばかり注視しながら仕事をしているみたい。
どんどん袋小路に流されて、少ない酸素を必死で吸いこもうとしている。だから、こんなに息苦しいんだ。

Profile

いぬじゅん

奈良県出身。2014年、「いつか、眠りにつく日」(スターツ出版)で毎日新聞社&スターツ共催の第8回日本ケータイ小説大賞を受賞し、デビュー。「奈良まちはじまり朝ごはん」シリーズ(スターツ出版)、「新卒ですが、介護の相談うけたまわります」(一迅社)などヒット作を数多く手掛ける。

Pick Up Book

  • かがみの孤城
  • i
  • 私のスポットライト
  • ビオレタ
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