たばかり稼業の六悪人

竹内清人

たばかり稼業の六悪人

2

序章<一>

 その流星をはじめに見たのは、和田倉門の門衛であった。

 天保九年(1838)旧暦三月十日のことである。

 江戸の夜明けをどこよりもはやく告げるのは、日本橋本石町の明け六ツ(午前六時)の鐘だが、いまは一刻ほどはやい暁七ツ(午前四時)、あたりはまだ闇のなかにあった。

 ──ひょう!

 と、風を切り裂くその音に、宿直の門衛が夜空を振り仰いだ。

 門衛の頭上を一条の光が飛び去っていった。

 光は和田倉門の高麗屋根を越え御城内の方角に飛び去っていったかと思うと、直後、彼方の空から爆発音が響き渡り、にわかに空が赤く染まった。

 一瞬、なにが起きたか掴みかねた門衛は、いましがた飛び去った光が夜空から降ったのではなく、目の前の道三堀から撃ち放たれたものであったことを知った。

 漆黒に塗られた猪牙舟が一艘、闇に紛れて道三堀を漕ぎ進んでいたのだ。

 舟に乗るものの姿は、暗くてよくわからない。だが、門衛の目が捉えたのは、舳先でちりちりと火花を放つ砲弾のようなものの存在であった。

 堀のゆきどまりには、辰の口と呼ばれる内濠への関門がある。

 和田倉門が守る御城の要衝でもある。

 門衛はあらん限りの声を張り上げて叫んだ。

「出合え、出合えぇ! 敵襲っ、敵襲でござるぞっ!!」

 ──ひょう!

 ──ひょう!

 と、今度はつづけざまに二つ、道三堀から流星が放たれた。

 春雷のような轟きに、水野越前守忠邦は寝床のなかで目を覚ました。

 齢四十五。童顔の生白い顔にひげ剃り痕がやけに目立つ、どこか腺病質を思わせる男である。

 もとより眠りは浅い方だが、雷鳴にしては近く重く響き渡るその音に、ただならぬ気配を感じていた。

 さらに二度、雷鳴が轟いた。

 ほどなく、庭に面した廊下を足袋の擦る音があわただしく近づいてきた。障子戸の向こうに月明かりを背にした家臣の影が控え、張りつめた声が発せられる。

「殿、お休みのところご無礼仕ります」

「かまわぬ、申せ」

 忠邦はすでに寝床に身体を起こしていた。

「御城にて異変があった模様にございます」

 火事を知らせる太鼓と半鐘の音が御城の方角から鳴り響いてきた。

「......近いな。異変は西ノ丸か」

 老中職に就く忠邦の役宅は、西ノ丸御殿のお膝元──西ノ丸下と呼ばれる、幕政に携わる者が住む一画にあった。

「その様子にございます」

 と、家臣がこたえる。

「供揃えはいらぬ、すぐに駕籠の支度をせえ!」

「は!」

 家臣は、すぐさま廊下を取って返した。

 忠邦は急ぎ支度を済ますと、四半刻(約三十分)とかからぬうちに役宅を出立した。

 本来、もっとも近い登城口の西ノ丸大手門に向かうところだが、火事場の混乱を避けるため、その先にある本丸への登城口、桔梗門へと駕籠を向けた。

 ふたたび、さらに激しい爆音が轟いたのは、そのときである。

 わずかに付き従う供侍の一人が、駕籠のなかの忠邦に声をかけた。

「殿、ただいま道三堀の方角にて爆発があった模様にございます!」

 供侍の報告を聞いた忠邦は駕籠を降りた。

 西ノ丸下の北東の方角に目をやると、大名屋敷の家並の向こうに赤々と染まる道三堀の空が窺えた。

 事態を確かめに走っていた別の供侍が息せき切って戻ってくる。

「お、御城での異変は、棒火矢による襲撃......。道三堀より攻め寄せた賊によるものです」

「賊はどうした!?」

「け、警固の番士たちの前で、ば、爆発、爆発をっ......!」

 息も切れ切れに、供侍がそう告げた。

「あいわかった。西ノ丸にお住まいの大御所様の安否が気掛かりじゃ」

 西ノ丸御殿は、十二代将軍、家慶の父でいまは隠居生活を送る大御所、家斉の御殿となっていた。

 吹き付ける風に、忠邦は御城の火の手のまわりが、思いの外早い予感を抱いた。

「急ぎ、登城するぞ!」

 そう命ずると、忠邦はふたたび駕籠に乗り込んだ。

 忠邦が本丸御殿の老中用部屋に着くと、時を置かずほかの老中たちも駆けつけた。

 そこへ、現場の指揮を執る目付から知らせが上がった。

「大御所、家斉様は無事御救出あそばされ、吹上御庭に避難なされました」

 その知らせに、老中一同、ほっと安堵の息をもらした。

「ただいま、大名火消しと定火消しが消火にあたっておりますが、火勢は衰えを見せず、御本丸への類焼のおそれもございます。この上は、町火消し投入のご決断を!」

 本来、御城内の出火は、諸侯が請け負う大名火消しと旗本による定火消しで消し止めるのが習わしだ。しかし、江戸市中で「いろは四十八組」「本所深川十六組」をかかえる町火消しとくらべれば、人手も場数も雲泥の差があった。目付が助けを求めるのも無理からぬことだ。

 これに異を唱えたのは、忠邦であった。

「御城の重大事に町人がかかわることなど、開闢以来、一度たりとてない。その上、道三堀襲撃の事実が知れ渡るようなことがあれば、御上の御威光にもかかわる由々しき事態じゃ!」

 老中たちは侃々諤々の末、家慶の判断を仰ぐこととなった。

 連絡役を務める側用人がお伺いを立てに走った結果、いとも容易く、

「そうせえ」

 と、返ってきた。

 家慶に深い考えはない。それが長年の習い性なのだ。

 頑健な父、家斉は、十五の歳で将軍職に就き、五十年の長きにわたってその地位に居座りつづけた。家慶が将軍職を引き継いだのは四十五になってからのことだ。

 その上、家斉は大御所になったいまも幕府の実権を手放そうとはしない。

 なにごとも父の意のままに生きてきた家慶にとって、「そうせえ」ほど便利なことばはなかった。

 上意によって、駆けつけた町火消しの活躍で事態は一気に好転した。

 町火消したちは刺叉や鳶口を振るい、まだ火が燃え移っていない建物を手際よく打ち壊していった。

 火が消し止められたのは、朝五ツ(午前八時)を過ぎたころであった。

 西ノ丸御殿は全焼であった。

 当分のあいだは、家斉も本丸御殿に居候することとなる。家慶にとって居心地の悪い日々がつづくことだろうと、家臣の誰もが同情した。

<※次回更新は3月1日予定です!>

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Profile

竹内清人

1968年神奈川県生まれ。91年日本映画学校を卒業後、映画宣伝業務に携わる。2005年、映画『戦国自衛隊1549』で脚本家デビュー。
主な作品に『エクスマキナ -APPLESEED SAGA-』、『キャプテンハーロック』(福井晴敏氏と共同脚本)、 『劇場版 びったれ‼︎!』など。また、作家としても、実話を基にした『風流時圭男』、『小説 機動戦士ガンダムNT』などを手掛ける。本作が初のオリジナル小説。

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