たばかり稼業の六悪人

竹内清人

たばかり稼業の六悪人

2

序章<二>

「大御所様は、ただいま御本丸にてご休息にあらせられます」

 居並ぶ老中たちにそう報告したのは、瓦のように四角く浅黒い顔をした男──西ノ丸目付の鳥居耀蔵という。

「ご苦労であった。して、襲撃の委細は──?」

 忠邦が問うと、鳥居が報告をつづける。

「和田倉門の警固の者によれば、道三堀より猪牙舟で攻め寄せた賊は三名──、龕灯の明かりを差し向けたところ、侍と思われる男が一名と、後の二名は百姓でございました。賊は計三発の棒火矢を御城に撃ち放つと、その場に籠城いたしました」

「たったの三名でこの騒ぎか」

 そうもらす老中のことばを「否」と、忠邦が打ち消した。

「三名なればこそ、夜陰に乗じて御城近くまで忍び入れたのでしょう」

 鳥居が報告をつづける。

「和田倉門の番士にくわえ、大手門の百人番所からも鉄砲組、弓組を動員し、賊を取り囲みましたところ、逃げ果せぬとみた賊は舟ごと自爆いたしました」

「し、死んだのか、一人残らず」

 さらに別の老中が問う。

「侍は爆発と共に跡形もなく消し飛びました。ただ一人、堀へ投げ出された百姓が、虫の息ながら取り押さえられました」

「なにか申したか?」

「自分はただ侍に金で雇われただけだ。自爆のことなど聞かされてもいなかったと。それだけいい残し、果てましてございます......」

「ううむ......」

 と、重く声をもらしたのは、老中首座、松平和泉守乗寛である。

 この男も家斉とたいして歳のかわらぬ六十を過ぎた老体である。昨晩からの騒動は高齢に響くばかりか、心臓にも悪いようだ。

 追い打ちをかけるように、鳥居が一枚の紙片を懐から取り出した。

「爆発の直前、舟からばら撒かれた千社札でございます」

 そこには、こうしたためてあった。

《窮民救済 徳政大塩大明神》

「大塩とは、昨年、大坂で乱を起こした、あの大塩平八郎か!!」

 老中の一人が声をあげると、御用部屋は騒然となった。

 このころ、東北地方を襲った冷害や大洪水を発端に、全国的な大凶作がつづいていた。米価高騰で巷には窮民が溢れ、各地で百姓一揆が相次いでいた。

 いわゆる、天保の大飢饉である。

 この窮状を憂えた、元大坂東町奉行所与力、大塩平八郎は大坂町奉行所に御用米の放出を進言した。だが、その願いは聞き届けられることはなく、なおも窮状はつづいた。

 天保八年(1837)二月十九日──大塩は窮民救済のために立ち上がった。

 事前に武器弾薬を調達し、市中に決起を呼びかける檄文を撒いた上での周到な企てであった。しかし、内通者の密告によって乱はわずか半日で鎮圧されたという。

「大塩ならば、乱の鎮圧後、息子の格之助ともども爆死したのではござらぬか」

 老中の一人が口にすると、さらにまた別の老中が口を開く。

「焼け跡から見つかったのは、年格好はおろか、性別すらわからぬ骸であったとか」

「先般、浦賀沖で撃ち払われた異国船に、大塩が乗りこんでいたという噂もある」

 口々に噂をする老中たちに、忠邦が割ってはいる。

「真偽のほどはともかく、御城が襲撃されたことはまぎれもない事実。異国船の来航もつづく昨今、内憂外患、この日の本の護りを今一度見直す時ではござらぬかな」

 忠邦の視線が、もっとも上座に座す男に向けられた。

 大老・井伊掃部頭直亮──歳は忠邦よりも若く、四十四である。

 譜代大名のなかでも、家康の代より信任厚い井伊家は、代々、大老職に就く名門。直亮がここにいるのは家柄のおかげだ。

「そう申されても」

 しどろもどろの直亮に、忠邦が詰め寄る。

「夷狄や謀反人に対する備はなによりの急務、そのことは先般も建議書にて進言申し上げたはずでござる」

 一気にたたみかける忠邦に、直亮はただ口ごもるばかりだ。

「まあ、そういじめなさるな、越前殿」

 と、廊下の襖戸越しに、しゃがれた声が返ってきた。

 坊主の案内で、小柄な老人が御用部屋へはいってくると、忠邦の顔はあからさまに曇った。

「これは碩翁殿......」

 と、直亮が老人にすがるような目を向ける。

 中野播磨守清茂──、いまは隠居の身となって、碩翁という。

 広大な庭園を有する向島の下屋敷に住むことから、「向島のご隠居」とも呼ばれている。

 本来ならば、御役を離れた身分の者が御用部屋に足を踏み入れるようなことはあってはならない。だが、碩翁だけは事情が違った。

 この老人は、家斉の寵愛を受ける側室、お美代の方の養父であり、家斉の相談役でもあった。老中とはいえ頭のあげられる相手ではない。

 碩翁は、身体が思うように動かないのか左足を引きずるように一座に歩み寄ると、やれやれと難渋そうに末席に腰を下ろした。

 坊主の差し出した茶を一服すすると、いかにも不味そうな顔をしてみせる。

「これにて、御免仕ります」

 鳥居がそういい残して辞していくと、碩翁があらためて口を開いた。

「いましがた、大御所様のお見舞いにあがって参った。ことのほかご健勝のご様子でひと安心じゃった。わが娘御、お美代の方様も息災でなにより」

 毛筆のようにたくわえた白い眉が眼光を覆い、話している最中もどこを見ているのかわからない。六十をとうに過ぎているはずだが肌つやはよい。身のこなしには、どこかぬめりとした湿り気を帯びている。

「越前殿の建議書は某が預かり申した」

 碩翁のことばに忠邦が直亮の顔を窺うと、直亮は気まずそうに視線を逸らした。

「御公儀を憂う貴殿の思い、この碩翁、いたく胸を打たれた。然るべき時に大御所様に御目通し願う所存じゃ」

「然るべき時、とは?」

 忠邦が問い返す。

「勝手御用掛として、御公儀の財政を預かる貴殿ならば存じておろう。御用金を用立てようにも、いまはその貯えがない」

 忠邦は老中職と兼任して、幕府の財務担当ともいえる勝手御用掛を務めていた。碩翁はそのことを盾に取って切り返したのだ。

「江戸市中には、諸国から逃れてきた農民どもが溢れ返り、御救小屋も足りぬばかりか、野放しになった輩は盗みや押し込みを働く始末。いまはこの窮状を乗り切るのが、先決ではござらぬかな」

 茶をすすった碩翁が、またぞろ渋い顔をみせてからことばを継いだ。

「越前殿が謀反人の横行を懸念するのもようわかる。ならば、どうでござろう。此度の出火は、飽くまでも、西ノ丸御殿での不審火としては。さしずめ、御膳所あたりでの火の不始末のせいではいかがかな?」

 御膳所とは、大御所の食事の支度をする台所のことである。

「それはよい知恵にござる」

 直亮が碩翁の案に飛びついた。

「落着して、なにより」と、碩翁が腰を浮かせかけたところで「ああ、それから」

 と、あらためて忠邦を振り返った。

「越前殿には、全焼した西ノ丸再建の陣頭指揮にあたっていただくよう、某より大御所様に言上奉った。追って沙汰あろうが、存分にお働きめされよ」

 そういい残して、碩翁は御用部屋を辞していった。

 遠ざかる碩翁の足音を聞きながら、忠邦は腸が煮えたぎる思いであった。

 忠邦を政の中枢から追い払おうという、碩翁の魂胆は見え透いている。いや、むしろ忠邦に悟らせるためにあからさまな口実を使ったのであろう。

 松平和泉守が気まずい空気を打ち破るように、まとめに入った。

「門番を務める諸侯には、より一層の警戒と見張りの強化を呼びかけ、大事に備えること。ご異存ござらぬな」

 老中一同、うなずくなかで、忠邦は膝に添えた扇子をへし折れんばかりに握りしめていた。

 西ノ丸御殿の焼け跡に忠邦が赴くと、検分をしていた鳥居が辞儀をした。

「向島のじじいめ、このわしに西ノ丸の普請掛を押しつけおったわ」

 忠邦は、鳥居にだけ聞こえるようにそうこぼした。「御本丸は老害どもの巣窟よ。建て直さねばならぬのは御殿ではなく、幕閣そのものじゃ」

 鳥居は検分の結果を帳面に書き留めながら、黙って聞いている。

「鳥居、おぬしを西ノ丸目付に取り立てたのは、わしと志を同じうすると見込んでのことだ」

 鳥居が帳面から顔を上げてこたえる。

「重々、承知いたしております」

「力を貸せ。腐った材木を根こそぎ取り払うぞ」

 そういうと忠邦は、足下の消し炭をぐしゃりと踏みしだいた。

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※試し読みはここまでになります。

天保の動乱の時代を舞台に、六悪人がどんな活躍を見せるのか。続きはぜひ文庫でお楽しみください。

たばり稼業の六悪人』は、3月5日発売予定です。ぜひよろしくお願いいたします!

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Profile

竹内清人

竹内清人
1968年神奈川県生まれ。91年日本映画学校を卒業後、映画宣伝業務に携わる。2005年、映画『戦国自衛隊1549』で脚本家デビュー。
主な作品に『エクスマキナ -APPLESEED SAGA-』、『キャプテンハーロック』(福井晴敏氏と共同脚本)、 『劇場版 びったれ‼︎!』など。また、作家としても、実話を基にした『風流時圭男』、『小説 機動戦士ガンダムNT』などを手掛ける。本作が初のオリジナル小説。

Pick Up Book

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  • 私のスポットライト
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