想いであずかり処 にじや質店

想いであずかり処 にじや質店

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てのひらの鍵<2>

 いろはは困って店主の顔を見つめた。色素の薄い瞳がこちらを静かに見返している。はしばみ色というのだろうか、けっして明るくはない店内で、その青年の瞳は不思議な色の光を放っていた。表情が読みとれないぶん、いろはは焦った。何か云わなければいけないような気がして、だけど何を云えばいいのか見当もつかない。期待されたものを差しだすのは昔から苦手だった。それにこの人は何もわたしに期待なんてしていないだろう、といろはは思い直す。ただ待っているだけだ。でも黙って待たれることがこんなに苦痛だとは知らなかった。

「ひとり暮らしをはじめたばかりなので、お金は必要なんですけど......」

 沈黙に耐えかねて、いろはは現状で一番気がかりなことを挙げてみた。いろはの通いはじめた大学は美術系なので画材費などいろいろお金がかかる。それに生まれてはじめてのひとり暮らし。ほしいものだってあるし、切実な問題には違いなかった。

「おもしろいことを云いますね。ここがふつうの質屋だったらすぐにでも用立てしてあげられるのですが」

 店主は少々皮肉まじりに、でもどこかおもしろそうに云った。どうも冗談だと受けとられてしまったようだ。

 ふつうの質屋、と云われても、いろはにはいまいちぴんとこなかった。ではここはふつうじゃない質屋ということか。質屋という単語自体、いろはの年代にはなじみがない。物をあずけてお金を借りるところ、というのがかろうじて判るくらいだった。

願いを叶える質屋ってこと? それってどういう意味なんだろう? 占いみたいなもの?

疑問がぐるぐると頭の中でまわっている。少しでも状況を把握しようといろは部屋をこっそりと観察した。壁にあるつくりつけの棚には骨董品的な品々が置いてある。飾ってあるというよりは無秩序に保管してあるという感じの並べかただ。その棚と中央でふたりが座っているアンティーク調のテーブルと椅子、そして店主のすぐ右後方に置かれたひとり暮らし用の冷蔵庫くらいの大きさの木箱らしきもの、それ以外は何もない簡素な部屋だった。

 いろはは明らかに他の品々とは別の目的で置かれているらしい店主の背後の箱にちらりと目をやった。あまりじろじろと見るのははばかれるが、木目を生かした箱にはうつくしい金色の蒔絵が施されており、つい目を奪われてしまったのだ。

蒔絵とはうるし工芸の絵付け技法のひとつで、うるしで描いた文様が乾く前に金・銀・錫などの金属の粉や色粉を蒔いて定着させるやりかただ。いろはも知識としては知っていたが実際にやったことはなく、それ以上の細かい工程については判らなかった。箱に描かれた文様についても、店主の身体で隠れていて何の絵なのかよく見えなかった。

「ここで叶えられるのは、心から求めている願いだけですよ」

「心から......」

 まだぼんやりと箱のほうに視線を投げかけたまま、いろははくり返した。

「あ」

 ふいに小さく声をあげ、いろはは持っていた自分のかばんに右手をつっ込んだ。しばらくごそごそとやったのち、とり出したのはキーホルダーだった。いくつかある鍵から選んだのはその中でも目立たない一番小さな鍵だった。それをキーホルダーからはずし、てのひらにのせる。

「だったらこれを。これが何の鍵なのか、知りたいんです」

 どうして咄嗟に思いついたとはいえ、この鍵を見せてしまったのか、驚いたのはいろは自身だった。これまで誰かに見せたこともなければ、話したこともない。父親にさえうち明けたことがないのだ。なのにいろはは鍵の事情についてこれから話そうとしている。それも会ったばかりのよく知らない男の人に。

 鍵は亡くなった母親からあずかったものだった。ふたりだけの秘密だと云って。

 母が死んだのは、いろはが六歳の時だった。もう十三年も前のことだ。小学校にあがる前の冬だったと記憶している。若くして乳がんを患った母は入退院をくり返し、死期が迫ったのを悟ったのか、ある日、病院のベッドで小さな鍵をいろはに手渡した。

「この鍵はいろはが大事に持っていてね。このことは誰にも云っちゃ駄目よ。もちろん、お父さんにも。お母さんと、いろはの、ふたりだけの秘密」

 あの時自分がどういう風に母の言葉を受けとめたのか、時が流れるにつれていろははだんだん思いだせなくなっていた。ただ自分が幼いながらも真剣な顔でこっくりと頷いたことだけは覚えている。これは絶対に破っちゃいけない約束なんだと、それだけは頭にすり込んで今日まできた筈だった。だけど心の奥底では、この鍵が何の鍵なのか知りたいという気持ちは常にあった。母が自分に鍵をあずけたのも、ほんとうはいつか娘が大きくなって、鍵を開けてくれるのをどこかで願っていたんじゃないかと考える時もあった。でも、そんなことを考えだしたのは最近になってからだ。母がわざわざ自分にあずけた、その意味を大人に近づいたいろははつい考えてしまう。

 だからこんな風に秘密をしゃべってしまったんだろうか。

 かいつまんで店主に説明している自分の声を他人のもののように聞きながら、いろはは考えていた。そして当時の母の気持ちをあれこれ想像するのは単なる憶測に過ぎないと自嘲する。何かしらと理由をつけて約束を破った云い訳をする自分は見苦しい。ただ単純に知りたい、それだけだ。現在の家族との微妙な関係から逃げるように実家を出てひとり暮らしをはじめた自分が、このタイミングで何か区切りをつけたがっているということにいろはは気づいた。

「じゃあこれは、あなたが守ってきたお母さんとの大切な秘密の鍵なんですね」

「はい。でも、今ばらしちゃいましたけど」

 若干の後悔と罪悪感でいろはは答えた。

「そうかもしれせんが、十三年間ですよ。秘密の約束を守り続けるのに、けっして短い時間ではないとぼくは思います」

 その言葉には店主の青年の実感がこもっているように聞こえて、いろははふっと心が軽くなる気がした。この店が万が一怪しげな占いまがいの店だとしても、この話ができてよかったと思う。

「では願いはこれでいいとして。質草としてその鍵をあずかる訳にもいかないから、他に何かないですか? お母さんとの想いでのあるものなら何でもかまいませんよ」

「あ、はい」

 いろはが考えている間、店主は上半身をねじるようにしてうしろを向き、蒔絵の箱の観音開きの扉を開いて中から何かとり出した。出してきたのは木札で、そこに丁寧な字でいろはの願いをしたためはじめる。

「これでもいいですか? 母の形見なんです」

 自分の髪につけていたスズランの形をしたシルバーの髪留めをいろはが差しだすと、店主は頷いて受けとり、願いと同様に木札に記した。髪留めは大人っぽいデザインなので近頃になってからつけはじめたものだったが、母はこれを放射線治療で抜けた髪を隠すためのウィッグに留めていた。そんなつらい時でも自分で工夫しておしゃれしてみせるような、きれいなもの、うつくしいものを愛する人だったのだ。母の名前は鈴花といい、スズランは自分の花だとよく云っていた。だからこの髪留めも気に入っていつもつけていたように思う。

「あの、これって返してもらえるんですよね?」

 ふと心配になり訊いてみた。

「ええ、もちろん。質草ですから願いが叶えばお返しします。いただくのは利息のほうです」

「利息?」

 そんなものがあるのかと一瞬いろはは身構える。

「代償、と云ってもいいかもしれませんね。願いをひとつ叶える代わりに、あなたにとって今現在大切なものをひとつ失う。何の犠牲も払わずに願いを叶えようなんて虫がいい話ですからね。ここは願いを叶える質屋であって、神社やお寺じゃないんです。いただくものはいただきますよ」

 あいかわらずたんたんとした口調だが、いろははそれを聞いて少しこわくなった。けれども母の形見のスズランの髪留めはすでに店主の手にあり、やっぱりやめたと強引に奪い返すのもためらわれた。あの人もおらず、母との約束もうっかり破り、このまま何が起こるか見届けずに逃げ帰れば、残るのは騙された悔しさと罪悪感からくる後悔の念だけだろう。そんなことになるくらいなら、いっそ......。

「だったら、ある人に貸したものが返らなくてもいいことにします」

 どうせもう会うこともないだろう。今ここにあの人がいないことですでに証明済みだ。貸したものは今の自分にとって必要なものだけど、それならそれで二度と返らないときっぱりあきらめてしまったほうがいいと考えたのだ。

「具体的には?」

「云いたくありません」

 騙されただけでも恥ずかしいのに、そのうえ自分を客だと勘違いしているこの人にまで正直に話してしまうのは恥の上塗りだった。

 ふうん、とため息のような息を漏らして店主はあごに指をあてた。何事か考えている様子の彼はあの独特の色を湛えた瞳でいろはをじっと見つめた。

試されている。

何を試されているのか判らなかったけれど、いろはは直感的にそう思った。そしてここで目をそらしてはいけないと思い、負けずに店主をじっと見つめ返した。

「まあ、いいです。でも、特別ですよ」

 店主は少し考えてからそう云って、続けて利息を書いた木札をいろはに渡した。

「これは質札です。願いが叶う時はこの札が教えてくれる筈ですから、肌身離さず持っていてください」

「願いが......叶ったら?」

「どうぞまたこちらへいらしてください。といっても、にじや質店は満月の夜しか開いていないので、次にこられる時はカフェ虹夜鳥(にじやどり)のほうへ。おいしいコーヒーを淹れてお待ちしてますよ」

 店主はいろはが持っていた名刺にあるほうの店名を告げ、にこやかに笑った。

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※試し読みはここまでになります。

不思議な質屋の不思議な力とは――。

『想いであずかり処 にじや質店は、4月5日発売予定です。ぜひよろしくお願いいたします!

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Profile

片島麦子

片島麦子
1972年広島県生まれ、広島県廿日市市在住。第28回大阪女性文芸賞佳作、第4回パピルス新人賞特別賞等を経て、デビュー作となる「中指の魔法」にてワルプルギス賞を受賞。著作に『銀杏アパート ななめイチョウと小さな奇跡』など。

Pick Up Book

  • かがみの孤城
  • i
  • 私のスポットライト
  • ビオレタ

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