託された子は、陰陽師!?

望月麻衣

託された子は、陰陽師!?

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 今にも飛び降りようと屋上の手すりから身を乗り出している女性の手をつかんで、
「何をやってるんだ、死ぬぞ!」
 そう怒鳴ると、
「――死ぬつもりなんです!」
 彼女は泣きながら振り返った。
 その姿に驚いた。
 まだ、歳の頃は十四、五くらい。
 白無垢を纏い、朱い口紅という花嫁姿。
 何より、息を呑むほどに美しい少女だった。
 
 ――それが、小夜子との出会いだった。


第一章 出会い

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 ――一九九五年、東京。
 朝の時点では、何の変哲もない一日を過ごすことになりそうだった。
 とくに予定も約束もない、昨日と同じ一日。
 それなのに......。
 久瀬学は淹れたばかりのコーヒーカップを手に、何を見るでもなく、窓の外に目を向ける。
 交差点で信号待ちをするサラリーマンや学生の姿、強風を気にして短いスカートを懸命に押さえる女子高生を眼下に見て、苦笑した。
 そんなに気になるなら短いスカートを穿かなければいいのに......。
 小さく息をつくと同時に、そんな若々しい女子高生の姿に、あえて思い出さぬように努めていた記憶を呼び覚まされそうになり、窓から目を背けた。
 朝七時に起きて、まだ寝惚け眼のままシャワーを浴び、コーヒーをゆっくり飲む。
 いつもと何ら変わらない朝。
 それなのに目覚めたときから感じる、ザワザワとした胸騒ぎ。
 動物は地震を予知してその地を去るというが、自分もそうらしい。
 何かが起こる気がして落ち着かないが、何が起こるかは分からない。自分が動物ならばこの場所から逃げ出すかもしれない。
 この感覚は初めてではなかった。
 何か大きな変化がある日の朝は決まって、目覚めと同時に『胸騒ぎ』がした。
 母が他界した日、父が再婚相手を連れてきた日......そして小夜子が現れた日、すべての朝に、この奇妙な感覚を味わった。
 小夜子、か――。
 突然、香り高く美味だったコーヒーが苦いだけのものに変化したかのように感じて、学は顔を強張らせる。
 彼女の姿を思い浮かべると、今もまだ胸が痛み自嘲気味に笑う。
 あれから、六年。
 いい加減、吹っ切れてもいい頃だ。
 気持ちを切り換えるようにコーヒーをグイッと飲み干し、壁掛けカレンダーに目を向け、関西大震災(後に阪神・淡路大震災と呼ばれる)からもう約三ヶ月が過ぎたことを実感した。
 今年、一九九五年の幕開けは大変なものだった。
 唯一の身内である父が関西にいるため、震災のニュースが伝えられた朝は息が止まるほどの衝撃を受けた。
 父は現在再婚した妻とともに京都に住んでいる。もともとは都内の大学で教鞭を執っていたが、数年前に京都の大学に移ったのだ。
 そのとき、学は大学の研究室にいた。
 自分は都内の薬科大学に通う院生で、その日は薬学会の準備に追われ、教授や他の学生とともに研究室で一夜を明かしていたのだ。
 怒濤のような作業も朝八時頃にはある程度目処がつき、皆が一息ついていた頃、突然、乱暴にドアが開けられ、他学部の友人が血相を変えて声を上げた。
「関西で大地震が起こったらしいぞ!」
 唐突すぎて一瞬、何を言われたか分からなかった。
 それは自分だけでなく、徹夜明けのせいか、皆が彼の言葉の重さにピンと来ないまま顔を見合わせていた。
 その反応に不満を感じた友人は、イライラしながら研究室のテレビをつけるよう捲し立てる。
 急かされるままにテレビをつけると、どこのチャンネルも地震のニュース一色だった。
 画面右下の『兵庫県南部地震!』という、書き殴られたような赤字のロゴが目に入るよりも先に衝撃の映像が飛び込んでくる。
 横倒れになった家に、折れるように落ちた陸橋、ただの残骸と化した建物。
 リポーターの悲痛な声などかき消されるほど、映像はすべてを伝えていた。
 これが現実に起こったニュースだとはにわかに信じがたく、皆は一言も発しないまま立ち尽くす。
 しばしの沈黙のあと、誰ともなしに関西に関わりがある者は公衆電話へと走った。
 勿論、自分も電話へと急いだ。受話器を手にしながら指が震えてテレホンカードがなかなか差し込めなかったことをよく覚えている。
 母を亡くし、このうえ父までと思うと、喉の奥に石がつかえているように呼吸が苦しくなった。
 何度も電話をしたが、混線状態でなかなかつながらず、イライラが募る。
 ――父の住むマンションも崩れ落ちているのかもしれない。
 最悪の事態を想像していると、研究室に残っていた友人が駆けてきた。
「教授が向こうの大学に連絡してくれて、お前の父さんが無事だってこと確認してくれたぞ! 京都は被害が少なかったみたいだ」
 友人の言葉に張り詰めていた気持ちが一気に軟化する。
 災害が起こった際に電話が混線状態になってしまうことが多いが、緊急連絡等のため、大学間の電話はつながりやすくしていることをこのとき初めて知った。
 その後、想像を絶するほど多くの人が被害に遭っていることを知り、身内が無事だったからといって、たとえ一瞬でもすべて解決したような気持ちになっていた自分を恥じた。
 震災被害者の中には今も病院に入院したままの人がいて、街も壊れたままの場所もあり、復興活動も思うように進んでいないようだ。
 そして震災の衝撃が冷めやらぬ、先月三月二十日。都内の地下鉄にサリンが散布されるという、前代未聞の事件が起こった。
 戦後から五十年目の今年は常に暗雲が立ち込めているかのようだ。
 また、何かが起こるのだろうか? もし、この地に災害が起こったら?
 とはいえ、何を不安に思うことがあるのだろう。
 この地で何かが起こったとしても、自分には失うものはないのだ。
 心を許す友人も、愛する存在も、今はもういない――。
 頭を掠めたふたりの姿に胸の中がじりり、と焦げるような痛みを覚えて、学は目を瞑る。
 ちりりん、とアラーム音が鳴り、学は時計を確認した。
 八時半。椅子に掛けてあるグレーのブレザーを手に取る。マンションを出て、そして目と鼻の先にある大学に向かう。
 どこか不安な心中とは裏腹に、穏やかな朝だった。

Profile

望月麻衣

望月麻衣(もちづき・まい)
北海道出身、現在は京都在住。2013年にエブリスタ主催第二回電子書籍大賞でデビュー。2016年「京都寺町三条のホームズ」(双葉社)が『京都本大賞』を受賞し、大ヒットシリーズとなっている。「わが家は祇園の拝み屋さん」(KADOKAWA)「京洛の森のアリス」(文藝春秋)など著作多数。

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