パドルの子

虻川枕

パドルの子

3

試し読み第二回

 そんなぼくら二人にとっての収穫の季節はしかし、父から聞いていたよりもずっと早くに訪れた。

 六月に入るとすぐ、今月いっぱいでまた転校することになった、と三輪くんから打明けられたのだ。しかも今度の転居先は隣の県の山奥の村で、なかなか気軽に会えるような距離でもないらしい。

 ここまで残念な気持ちになることはそうそうなかったが、家庭の都合ならば仕方あるまいと割り切り、残り少ない時間を大切にしてかけがえのない思い出を作ろう。そう心に誓っていた。――はず、だった。

 なのにその日から徐々に、三輪くんと過ごす時間が気まずくなってしまったのだから心ってのは信用ならない。

 原因ははっきりとはわからない。何か話さなくては、思い残すことがないようにしなければ、と考えるほどに何を話していいか途端にわからなくなってしまっていたことがその気まずさの一端を担っていたようには思う。結果として昼休みも帰り道も、ぼくらは沈黙することが多くなってしまっていた。

 さらに三輪くんも三輪くんで引っ越しの準備に大忙しだったのだろう。なんだか疲れが溜まっているようにぼくには見えた。帰り道はずっと何かを思案している様子が見て取れたし、ある時から「昼休みは用事ができてしまった」とあからさまに断られてしまうようになっていた。ぼくもぼくで、疲れているならば、用事があるならば、と輪をかけて気を遣ってしまうものだから、気まずさはますます膨れあがっていき、もう悪循環でどうしようもなかった。

 そんな日々が続いて、さてついに。今日である。

 今日は三輪くんの転校前最後の日で、今はその放課後で。ぼくは屋上の手前の踊り場のところで、身を隠していて。

 つまるところ、逃げていた。

 帰りの会を済ませるとそのまま誰も寄りつかなそうな場所を探し当て、三輪くんには何も言わず、姿も見せず、隠れてその場をやり過ごすことに決めたのだ。

 知り合って三ヶ月という短さではあったが、三輪くんのように始終時間をともにし、ましてやお互いの個人的な部分にまで深く突っ込んで話す間柄になった友達なんて今まで一人もいない。

 そう。三輪くんは紛れもなく、ぼくの親友だった。

 なのに、そんな三輪くんとのお別れですら、上手に出来ないのだ、ぼくは。

 絶望的にお別れが下手なのかもしれない。あるいはそんな三輪くんだからこそ、お別れが上手に出来なかったのか――。

 どちらにせよ、今の自分がとんでもなく情けないことには変わりなかった。

 屋上の扉の先から雨の音が聞こえる。

 雨の音は、ユーウツを加速させる。雨そのものがユーウツなのだから仕方のないこと、とは言え、せめて雨のあとにはご褒美みたいなものがあったらいいのにな。そしたら雨に対する嫌な印象も、少しはマシになるのに。

 ぼくのこのどうしようもなく不甲斐ない心境も、少しは、マシに。

 なんて関係のないことを考えて、自分をごまかしてみる。それでもその時折には思い出してしまうので、その場でグッとうずくまって、やがて目すらもギュッと瞑ることにした。眠るつもりはなかった。逃げた、という現実を見つめ続けるのが辛かっただけだ。

 ――恐らく。次に、この目を開けたとき。

三輪くんはもう、この学校にはいない。

 そうしたら、あとは、一人で暮らそう。ここで、一人で。お別れが苦手ならば、誰とも交わらなければいい。どんなに邪魔されたって、目を開けなければいい。

 誰にも心開かず、どんな音にも反応せず。

 何にも混乱せずに、生きていくのだ。今、そう決めた。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

一.

「水そうの中なんて、もう、うんざりよ。苔くさくって、たまんない!」

 人魚の姿のお姫さまは、尾ひれを宙にまわせながら、そう言いきった。龍の使いの見習いの男の子は、これは困ったことになったぞ、と頭を抱えていたが、すでに目の色を変えて手のつけられなくなった龍はというと、東に向けて大きく身体をうねらせていくだけだったんだ。

(『龍の通り道』頁七より)

 ザッパーン、ザッパーンーー。

 ぼくの眠りを妨げた、あの音が耳を劈つんざく。

 目を、子リスのようにこすり、凝らす。当然、事態は何も変わらない。相変わらず気持ちよさそうに泳ぐ彼女に、この目は力なく捕らえられていくだけだった。

 両腕が水中から現れる。同時に水から顔が出てくる。開口し、体内の二酸化炭素と空中の酸素を素早く交換する。腕が交差するかどうかというところで、水を力強く叩きつける。飛沫を宙に舞わせて、日光を反射させる。

 バタフライだ。こんなに綺麗なバタフライはもしかすると、ぼくは初めて見たかもしれない。見惚れてしまいそうになるほどそれは自信満々で、ドーモーだった。

 ――が、今はそれどころではない。

 ぼくは首を何度も横に振って、辺りの景色をもう一度注視する。

 すると上は開けた青い空、下は抜けのよい校庭。柵で仕切られたその中央に、ぽつんと佇む銀の天文台。こうして足を踏み入れるのは初めてのことだったが、それにしたって想像していた通りの、屋上の姿である。

 そう。そこに広がる水たまりと、そこで泳ぐ彼女の姿を除けば、だ。

 今度は背後を、過去を。振り返ってみる。

 先ほどまでぼくは、この扉の奥。つまりぼくの〈別荘〉にいた。

 水無月中学は教室棟と実習棟の二つの建物に分かれている。それらの建物は渡り廊下で繫がっていて、その渡り廊下を境に動と静とがくっきり二分されていた。教室棟は言わずもがな教室があって、授業中以外は四六時中うるさい。一方の実習棟には職員室があり、生徒たちは不必要な出入りはしたがらない。そのせいかおかげか、水を打ったような静けさが保たれていた。

 渡り廊下を突っ切って、職員室前をなるべく静かに歩く。そのまま実習棟の階段を、とにかく上へと上る。その最上部、屋上へと続く扉の前に広がる踊り場こそ、ぼくが〈別荘〉と名付けた秘密の場所だった。

 ここを見つけたのは三輪くんとの、あの不甲斐ない別れの日のことだった。古くなって使われなくなったものをしまう物置みたいに使われていたこの場所には古いマネキンやらボロの体操マットやらが無造作に置かれており、不気味で誰も近寄りたがらない。

隠れ場所としては実に好条件で、ぼくはここを発見したときから今後は一人になるであろう昼休み時間の隠れ家とすることに決めていた。

 さて、ぼくは別荘に来るとまず冷えた座布団マットに腰掛け、次いで携帯伝話を取り出し、すかさず音楽を耳に流し込む。積み上がった机の中にはお気に入りの小説や雑誌が隠されており、その中の一冊を取り出すと、読書に没頭しながら窓から洩れる陽気を受け取る。するとやがて、陽気が眠気へとグラデーションしながら姿を変えていく。抗う必要はない。本は一旦閉じてしまい、そうして誰にも邪魔されることなく、昼休みが終わるまで至福の眠りを堪能する――。

 と、その時だった。今日に限って、どこからか。

 ザッパーン。

 と、例の水面を叩くような音が聞こえてきたのである。水を打ったような静けさ、とはいったものの、実際に聞こえてきた水の打たれる音は静かなどとはかけ離れた大きさで、眠気なんて一瞬で吹き飛んでしまうほどだった。

 違和感を覚え、携帯に目を落とす。するとこちらがうつらうつらとしている間にその画面は真っ暗になっていたようで、応答すらなかった。昨晩コンセントに差し忘れた報いだろう。なるほどこれで音がイヤフォンを貫通してきたのだ、と独りでに納得し。

 では、音の出所はどこか。そう思ってまだ眠たそうな身体に鞭打つと、どうにかこうにか立ち上がる。するとすぐにその音は、屋上の扉から洩れ聞こえてきていたことに気がついたのだった。

 ――あれ、この扉? たしか施錠されているはずではなかったか。

 そうだ。危険だからという理由で屋上は立入禁止のはずで「施錠されているから開きませんけどね」と入学当初のオリエンテーションにて説明も受けていたように思う。恐らくここから屋上には出られない、そのはず。

 とは言え、念のため、ドアノブを握ってみる。回してみる。するとスルッと、ノブが回る。あっとしてると風に引かれ、ぼくもろとも呆気なく、屋上へと放たれていき――。

 今に至る。

 そう。やはりここはただの屋上で。彼女は、その屋上に広がる大きな水たまりの中でバタフライをしているに違いなかった。

 だとすると、だ。

 君は何故、そんなにも。

 自信満々に泳いでいられる、というのか。

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★試し読みは以上です! 「パドル」の秘密や、水原・水野の関係はいかに?

続きは6月5日発売の文庫『パドルの子』にてお楽しみください!

Profile

虻川枕

1990年、宮城県生まれ。日本大学芸術学部映画学科脚本コース卒業。卒業後はゲーム会社に入社し、プランナー/シナリオライターとして務めたのちに退社。第六回ポプラ社小説新人賞を受賞し、本作でデビュー。
ツイッターアカウント @abu_maku

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