あの夏を、いつかの君と。

苑水真茅

あの夏を、いつかの君と。

1

不穏な高校生活、スタート!

過去にタイムスリップした女子高生・美弥緒の前に現れた可愛い男の子。彼は、子供の頃の同級生のイケメン男子・祈だった。祈の父親捜しを手伝うことになった美弥緒、二人は父親を見つけられるのか? タイムスリップがもたらした運命の出会いの行方は? 笑って泣けるハートフル青春小説。

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不穏な高校生活、スタート!

 あたしのあだ名は「化け猫」だ。他にも、「猫娘」とか、「妖怪」とか呼ぶ奴も多い。化け猫の好物だという理由から、「油女(化け猫は行灯の油を舐めるのだそうだ)」、なんてオイリーな名前で呼ばれることも、たまにある。
 さて、これらの名称であるが、十五歳の女の子に与えられるものとして、どうよ?  ナシ、じゃないですかね?  ナシですよね。
 希望を持って高校に入学したその日、あたしは不本意ながらそんなあだ名をつけられた。そしてそこから三ヶ月が経ったいま、「化け猫」呼びはあたしの意思など関係なく、すっかり定着してしまったのだった。
 ことの起こりは、入学式でのひとりの男との出会いだった。
 淡く咲きみだれる桜が彩る校舎。少し大きめの、着慣れない制服。新生活の始まりに多少緊張しながら振りあてられた教室に入ると、そこには思わず目を奪われてしまうほど綺麗な顔をした男がいた。
 たくさんいる男子の中で、その男は否が応でも目立っており、おお、同じクラスにイケメンさんがいらっしゃるのか、とあたしはこっそり食いついた。
 無造作にセットされた艶やかな黒髪。意志の強そうな二重の目はうつくしいアーモンド形。すっと通った鼻梁の下の、無愛想に引きむすんだ唇も、なかなかいい形。ワイルドな感じがモテるんじゃないんだろうか。
 ざっと見回せば、女子の大半は彼の気配をうかがっており、その中の何人かの美人さんたちに至っては、すでに互いを牽制しあっているみたいだった。それを見てあたしは俄然、わくわくしてしまった。もしかして、これからイケメン争奪戦とか開始されたりするんじゃないだろうか。ああ、おもしろそうなクラスになってうれしい!
 あたしは残念ながら、美形どころと愛だの恋だの語りあえる関係に発展できるような、見目がよい人間ではない。純日本的、よく言えば古風な、悪く言えばモブ的な地味な顔立ち。彼の視界の隅に入っても、背景と変わらない扱いを受けること請けあいな、至極普通、大量生産的女子だ。
 では性格はと言えば、ごくごく小市民的思想の持ち主で、なにか特筆することはないかと言われたら、おばちゃんじみた好奇心くらいしかないという、これまた無個性な人間だ。
 であるので、あたしも争奪戦に参戦!  などと分不相応な方向ではなく、彼がこれからきっと起こすであろう、ごたごたした恋愛模様をこれからの生活の彩りとして楽しんでやろう、という不遜なことを真っ先に考えたのだった。
 しかし、事態は思わぬ方向へと動きだした。あたしの思惑と違い、綺麗な男はモブであるはずのあたしを見つけるなりなぜか凝視し、それどころか駆けよってきた。
「おい」
 ほほう、いい声してるじゃないか。声帯まで男前なのか。と、どうでもいいことをちらりと考えながら男を見返して、息を吞んだ。
 近くで見ると、ちょっと気圧されるくらい魅力的な顔をしている。肌のキメも細かいし、うらやましいくらいだ。しかし、用件はなんだろう。あんたが一目惚れしてくれるような見た目じゃないけど、あたし。
のんびりと構えたあたしに反し、男はあたしの顔を不躾にじろじろ見回し、ごくりと息を吞んだ。そして、微かに震える声で訊いた。
「な、名前は?」
「茅ヶ崎美弥緒」
 簡潔に答えると、男は信じられないというように、天を仰いだ。その顔は青ざめていて、おや、これは一目惚れなんてどきどきイベント的なものではなく、恐怖! 悪夢のような心霊体験といった感じではないか? と思う。あたしのなにに怯える要素があるのだろう。失礼な。まじまじ見た挙句、その態度はないだろう。
 このころには、教室内にいる人間の視線はあたしたちに注がれていた。知り合いでもない風の、バランスの取れないふたりが向かいあって立っていて、片方は酷く取りみだした様子。しかもそれが直前まで女子の視線を独り占めしていた男子とくれば、さもありなん、といったところなんだろうか。
そんなことはお構いなしに、はあ、と気持ちを整えるように深いため息をついた男に、小さく舌打ちした。本当に、いったいなんの用で声をかけてきた。
「なあ。オマエ」
「なんでしょうか」
 オマエ呼ばわりするな。きちんと名乗っただろうが。不満を、顔と口調に存分に滲ませてやったが、男はそれに構っている余裕はないらしい。躊躇う様子を見せた後、ひと呼吸置いて口を開いた。
「オマエ、化け猫だったのか」
「ば?」
 ......?  ......ばけねこ?
 耳を疑い、機能停止したあたしに、男は言葉を付けくわえた。
「妖怪の類だったのか。びっくりした」
「よ?」
 いやいやいや。びっくりしたのは、こっちだってば。なに、しみじみ呟いちゃってるの。女を手玉にとりそうな外見してるくせに、化け猫だの妖怪だのの存在を信じているのだろうか。というか、初対面の人間に化け猫だ妖怪だと断言されちゃうくらい、あたしの外見はヤバいのか。
夢いっぱいの入学式。華々しい高校生活(予定)の、記念すべき初日。
 新しいクラスメイトたちの見守る中、あたしはなぜか初対面の男から「化け猫」認定を受け、それ以来、みんなから「化け猫」と呼ばれる運びになった。しかも、呼び方が多岐に亘るようになっていったのだった。不本意、極まりない。
 さて。入学早々、失礼なあだ名をあたしに与えてくれた男だが、名前を「大澤祈」という。
 この男、入学して以来ずっと、あたしを観察している。視線を感じたら、その先に必ず大澤がいるのだ。大澤があたしを化け猫呼ばわりした際、「精神的な疾患の可能性が大いにあるから、病院に行かれたらどうですか」というような内容を少しだけ乱暴に告げた。
 しかしあいつはそれに対し、「本当に違うのか」などとしつこく食いさがってきた。そりゃもう、しつこく。なので、そろそろこぶしで理解してもらおうか、とあたしが右手をぎゅ、と握ったら、ようやく空気を察したのか、離れていった。
 でも、「おかしい」だの、「あれは絶対」だの、わけの分からないことをぶつぶつ言っていたので、本人的にはぜんぜん納得していないようだった。本気であたしを妖怪だと思っていた様子なのが、非常にムカついた。人様を人外のモノ扱いしちゃいけませんって、親に習わなかったのだろうか。
 入学式での接触以後、大澤が直接あたしになにか言ってくることはない。同じクラスではあるけれど、あたしに関わってこない。「妖怪」だの「化け猫」だのは周囲の奴等が勝手に呼んでいるだけで、大澤本人からは呼ばれていない。
 いや、呼ばれたら今度こそ、殴るつもりでいるが。だいたい、女の子に不名誉なあだ名を付けといて、一度も謝ってもらっていないし。なので、入学式以来、あいつとの接点は、ない。しかし、それは表面上でのこと。奴はいまも観察しているのだ。あたしを。
 もちろん、あたしの自意識過剰などではない。一日一回は必ず目が合うし、なによりあいつは、あたしが気付いても視線を逸らさない。じいー、と見てきて、あたしが「なに見てんだコラ」という意味を込めて眉間に深いシワを刻んだらようやく逸らす。そんなことの繰り返し。妖怪嫌疑は、あいつの中で晴れていないようだ。
 もうかれこれ三ヶ月だし、季節も変わろうとしてるのだし、いい加減にしてほしい。あたしは囲碁が趣味の孝三(四十五)と、合唱サークルに夢中の晴子(四十三)の間にできた子で、ついでに、由緒ある古武道の師範代の重雄(七十八)の孫である普通の人間なのに。
 行灯の油なんて舐めないし、二股の尻尾もない。どんなにじっと見ても、顔から毛がぶわっと生える、なんてことももちろんない。体重の増減とかほっぺたにできたにきびとかを気にする、どこにでもいる女子高生なのだ。なのに、あいつはどうしてあたしを気にしてるんだろう。あたしを見たときの驚きようは、ただごとじゃなかった。
 理由を訊きたい、と思わなくもない。もしかしたら一風変わった一目惚れで、動揺のあまり妖怪扱いしました、なんてことなら、許してやらなくもない。ていうか、それなら許す。
 まあ、告白なんてありえない話は置いておいたとしても、あの綺麗な瞳をそっと伏せて、「あのときはおふざけが過ぎました。ごめんなさい」とでも殊勝に言われたら、即座に許すことだろう。遺恨はいつまでも残さないっていうのは、数少ないあたしの美点なのだ。でも、あいつはただじっと観察してくるのみで、日々いたずらにあたしをイラつかせているのだった。

「ふぁ......おはよー」
「あ、おはよう。化け猫」
「猫娘おはよ。朝から眠そうにしないでよね」
 朝である。欠伸を嚙みころしながら教室に入ると、そこかしこから挨拶が返ってくる。あの一件で妙なあだ名がついたものの、ほとんどのクラスメイトに好意的に受け入れられた。同じ中学出身だった子があまりいなくて、知り合いがゼロに等しかったあたしとしては、それはうれしいことだ。
「おはよー。ミャオちゃん」
「おはよ。琴音」
 あたしの前の席の柘植琴音は、唯一の同中出身の子。中学時代からの一番の仲良し。ふわふわとした柔らかな茶色の髪がよく似合う、かわいらしい子だ。
ちなみに、「ミャオ」というのは昔からあたしを知っている人たちの呼び方である。美弥緒という名前がだんだん「ミャオ」という風に変化したのだ。
「ミャオちゃん、なんだかすごく眠そうだねえ」
「本読んでたらさ、それがめちゃくちゃおもしろくって。それでつい最後まで」
「それってまた時代小説?」
「そう。名奉行鳴沢右衛門之介シリーズの最新刊! 昨日が発売日だったんだ」
 時代劇が大好きなあたしは、愛読書ももちろん時代小説である。その中でも一番のお気に入りが、「名奉行鳴沢右衛門之介シリーズ」。何度もドラマ化されている、名作中の名作だ。あたしのスマホの待ち受け画面は、いつでも鳴沢様(三代目)だ。
 ちなみに鳴沢様は、三代目がいちばん原作に忠実だった。四代目であるいまの俳優は、最悪だ。話題性だけで抜擢しやがって。人生の酸いも甘いも知らない経験足らずの若い俳優に、鳴沢様のいぶし銀のような魅力が出せるはずがない。さっさと降板させればいいのに。年寄りにも不評なんだぞ。視聴率が落ちて来期の予算が下りなかったらどうしてくれる。
 しかし原作は下降どころか上昇する一方。とにかくおもしろいのだ。とくに、前作から登場した女隠密と、鳴沢様のかけあいが絶妙。
 ああ、あたしも鳴沢様の手足となって江戸の闇を飛びまわりたい。奥方、いやいや、妾すら恐れ多い。部下のひとりでいい。でも最後は、桜がはらはらと舞いちる中、鳴沢様の腕の中で看取られたい。ただし、その際の鳴沢様は三代目でお願いしたい。
 そういった内容を、多少げんなりした様子の琴音に熱く語っていると、いつもの視線を感じた。おうおう、朝からかい。いい気分が台無しだぜ。
 振りかえってみれば、予想通り。窓際いちばん後ろの席に座っている大澤が、こちらを見ていた。例の観察するかのような視線とかちあう。
「また、大澤くん?」
 あたしの顔つきで分かったらしい。琴音が訊いた。
「うん。いったいなんなんだ、あいつ」
「ミャオちゃんが好きなんじゃないの?」
「ないない。あるはずがない」
 はは、と軽く笑って否定した。最近では、視線を感じると同時に睨みつけている。気持ちの中ではびしびし殺光線を出している。仮に向こうに恋心だのなんだのがあったとしても、瞬殺でなくなるはずだ。
「でもさあ、彼女とか作らないじゃん?  告られても断ってるっていうし。大澤くんが意識してる女の子って、ミャオちゃんだけなんだよ」
「え、そうなの? あたし、大澤争奪戦が絶対あると踏んでたんだけどな」
 言いながら、寝不足の充血した目で大澤を睨みかえすと、ぷいと逸らされた。ふん、朝からイラつかせんなっつーの。大澤から琴音に視線を戻すと、琴音は首を横に振った。
「争奪戦なんて、そんなのないよ。大澤くんって誰が声かけても無愛想だし、告れば即座に断るって話だし」
「ふうん。変な奴」
 あたしなんかに怪視線を送るくらいなら、他の女の子と仲良くすればいいのに。せっかくの容姿がもったいないじゃないか。
「だからミャオちゃんが好きなんだよ、きっと」
「それはないってば」
「おし、座れー。朝のホームルーム始めるぞ」
 ガラガラのしゃがれた声が響き、見れば担任の森じいが出席簿を片手にのそりと入ってきたところだった。熊みたいな大きな体の森じいは、さながら森の番人といった感じのおっさんだ。のっしのっしという擬音がお似合いの、威圧感たっぷりの歩みで教卓の前に立った。てきぱきと出欠をとり、連絡事項を伝える。
「今日の一限目は、俺の授業の予定だったんだが、それを変更して来週の十一、十二日の一年生親睦旅行についての説明及び班分けを行う」
 それを聞いて、教室内が少しざわめいた。一年生親睦旅行とは、その名の通り一年生の親睦を深めることを目的とした、一泊二日の旅行だ。目的地は、電車で数時間ほどの山奥にある簡易宿泊施設。そこで、オリエンテーリングなどを行うのだそうだ。
 わざわざ校外、しかも山奥まで行かないと深められない親睦とはいったいなんなのだろう。仲良くなろうと思えば場所なんて関係ないじゃん、なんてひねくれたことを考えてしまうのは、日にちの問題である。十一日、木曜日は鳴沢様の放映日なのだ。録画するつもりだけれど、でもやっぱりリアルタイムで観たい。四代目は好きではないが、だからといって見ないという選択肢はない。じいちゃんと一緒にお菓子を食べながら観るのが至福の時間なのだ。
 そんなことをぼんやりと考えていたら、前の琴音から「旅のしおり」なるベタなプリント冊子が回ってきた。すごい、高校生にもなってこんなものがあるとは。思わずにやりとしながら残りを後ろに回し、ぺらぺらと捲った。
「進行は学級委員が行います。まずは班決めからね。とりあえず、適当に六人ずつ分かれてみて。あ、今回は親睦が目的なので、必ず男女混合にしてね」
 教壇に立つ、学級委員の田中くんが声を張りあげた。田中くんは涼やかな眼差しの素敵な、理知的な男の子だ。背も高くて顔も整っている、いわゆる完璧男子。
「ミャオちゃん。悠美ちゃんと神楽ちゃんも一緒の班でいいよね?」
「へ?  ああ、もちろん。よろしくね」
 咄嗟に琴音にそう答える。田中くんを見ていたわずかな時間で、メンバーが増えたようだ。手芸部に入っているというふたりは、いつも教室の隅で羊毛フェルトとやらでなにか作っている静か系女子だ。
「後は男子を入れなくちゃいけないんだよね。女子だけでいいのになあ」
「だよね。気を遣うからやだよね。せめておとなしそうな子がいいなあ」
 三人が盛りあがりはじめたので、残りふたりのメンバー選定はお任せすることにした。揃うまであたしはしおりでも見ていよう。
 学校ではなくて駅に集合らしい。ふむふむ。私服――動きやすい、華美でない服装のこと、か。ジーンズにTシャツでいいか。スニーカーは、新しく買おうかなあ。じいちゃんにお小遣いもらおうっと。
「なあ、俺もここに入っていい?」
 男子の自己申告者が現れたようだ。あぶれたのだろうか。
「え!?  い、いいけど、いいの?」
 手芸部ふたりがなにやら動揺している。そんな面倒くさそうな男子いたっけ? と顔を上げてみて、啞然とした。そこには、仏頂面の大澤がいたのだ。
「いいの? って、こっちが訊いてるんだけど。じゃあ、いいんだな、柘植?」
「え? ああ、ええと、その」
 琴音がちらりとあたしを見た。どうしますか!?  と瞳が訴えている。
「いいよ! ぜんっぜんいいに決まってるし! よろしくね、大澤くん!」
 あたしがなにか言う前に、悠美と神楽が答えてしまっていた。さっきまで男子を入れたくないと言っていたのに。急にどうした。
「じゃあ、よろしく」
小さく頭を下げた大澤はそれから、あたしに視線を向けた。
「......茅ヶ崎、さん。よろしく」
 頭を下げられ、つられてあたしも会釈してしまった。どうしてあたしと同じ班に来るんだ、大澤。あんたと一緒の班になりたがってる女の子は、他にたくさんいるのに。あんたなら、五人の女の子をはべらすハーレムチームを結成することも可能だろうに。
 辺りを見回せば、顔色を変えた女の子を数人確認できた。男女混合ってことで、期待してたんだろうな。なんなら代わりませんか、と言いたくなってしまう。
「そろそろ決まった? 確認するよー」
 教室内の妙な空気を一掃するように、田中くんの声が響いた。
「えー......と。うん、できてるみたいだね。あ、オレが決まってないんだった。五人しかいない班どこかな?」
 田中くんは、周囲の確認に気をとられていて自分があぶれたらしい。真面目だなあ。だから学級委員なんて役をやっているのかもしれない。
「あ、茅ヶ崎さんのところ、五人だね。オレもそこに入るね」
 尊敬の眼差しを向けていたら目が合い、田中くんはにこりと笑った。
「じゃあ次は班内での係決めを行います。班長や保健係とか、全員なにかの担当になるからね。いまから用紙を配るので、それに記入してオレに提出して」
 田中くんはさっさと用紙を配りはじめた。
「うちの班、男子のレベル高すぎじゃない?」
 悠美たちが真っ赤になった顔を寄せて、きゃあ、とかわいらしい声を上げた。
「ヤバい! 旅行、めちゃくちゃ楽しみになってきたあ」
 学年でもトップクラスにかっこいい男子ふたりがいる班だ。まあ、はしゃぐ気持ちは分からなくもない。でも、あたしの心境はちょっと複雑だ。
 どうして、あたしのいる班に来たんだろう。少し離れたところに立つ大澤をちらりとうかがった。大澤は顔を背けて、窓の向こうを見ている。その身長は高くて、椅子に座っているあたしはけっこう見上げなくてはいけない。
 いつもと少し違う角度から見る顔がなんとなく新鮮で、ついまじまじと見てしまった。と、顎のところに、うっすらと赤い線が入っているのに気付く。傷跡だろうか。新しくはないみたいだけれど。
 せっかくの綺麗な顔なのに、もったいないな。目立たない位置とはいえ、どうしてそんな傷を作るかな。もっとその顔は大事にしないと。綺麗な顔って、ある種の財産なのに。
 なんてことを考えていたのがいけなかった。いきなり大澤があたしに視線を下ろしたせいで、ばちんと目が合ってしまった。大澤が首を傾げてあたしを見る。うわ、なんかこれ気まずい。いつもは見られる側だったのに、これじゃ立場が逆じゃないか!
「茅ヶ崎、なに?」
 なに、って、それはあたしがあんたに毎日訊きたいことなんだよ! と言いたい。でもいまはあたしがまじまじ見てしまってた側だし、ええと、なんで動揺してるんだろう。
「ええと、ええと。その顎下の傷、どうしたの?」
 直前まで考えていたことがぽろんと口からこぼれた。ああああ、これじゃ顔をガン見してたことが、丸分かりだよ!
「......ああ、これ?」
 大澤は顎に手を当てて、傷跡を撫でた。
「ガキのとき、こけてガラスの破片で切った」
「うわ。痛そう」
「べつにたいしたことない。遊んでてケガすることなんてしょっちゅうだったから」
「おいおい。せっかくの綺麗な顔なんだから大事にしなさい、って教わらなかった?」
男子というのは考えなしに暴れるから、ケガが絶えないんだよね。小学校のころにもいつも顔に絆創膏を貼ってた子がいた。思いだしてくすりと笑うと、大澤が顔つきを変えた。
「なあ。オマエさ、俺を覚えてないのか」
「え? あたし、あんたと会ったことなんてあったっけ?」
まったく記憶にない。大澤くらい綺麗な子なら、会えば絶対忘れない自信がある。あたしの時代劇好きと、綺麗なもの好きは筋金入りなのだ。なんといっても、幼稚園児のころにはすでに鳴沢様に恋心を抱いていたくらいだ。
「本当に覚えてないのか? だってオマエ、ミャオだろ?」
おっと、いきなりその名前で呼ぶ? いまでは数人の女の子からしか呼ばれていない、貴重な呼称なのに。琴音が呼んでいるのを、聞いていたのだろうか。
「たしかにミャオとは呼ばれてるけど。でも大澤のことは知らないよ?」
「ホントに言ってんのか? 俺はオマエのこと、覚えてるんだぞ」
 覚えてるってことは、昔どこかで会ったことがあるってこと? もしかして、それでじろじろ見てきたのだろうか。
「あたしのこと覚えてるって、それ他人の空似だと思うよ。あたしみたいな女って、そこらへんに群生してるしさ」
 断言できるくらい、あたしは大澤を知らない。たぶん、他の誰かと勘違いしてるのだろう。そうか、ようやく理解した。大澤はあたしを知り合いじゃないかと思っていたわけだ。
 相当珍しいと思うけれど、「みやお」という名前で、「ミャオ」というあだ名の女の子が他にいるのだ。しかもあたし似。これってとても確率の低い話ではないだろうか。たぶん、天文学的数字になると思う。しかし、現実は奇跡の連続だと誰かが言っていたし、こんなこともあるのだろう。
「信じられないけど、偶然が重なりすぎてるだけで、大澤の勘違いだよ」
 奇跡に接したことに若干感動しながら親切に教えたあたしに対し、大澤は苛立ったように頭を振った。
「オマエみたいな女が、ごろごろいるわけないだろ」
苦々しく言われて、浮かべていた笑みが引きつった。なんでそんなことを言われなくてはいけないのだ。
「あれ? ど、どうかしたの、ミャオちゃん」
 あたしと大澤の間に変な空気が生まれたことに気付いた琴音が、おずおずと訊いてきた。あたしと大澤を交互に眺めている。
「......こいつ、あたしのこと知ってるみたいなんだけど、あたしは知らないの」
 最後の部分を、力を込めて言ってやった。知らないものは、知らない。ついでに睨みつけてやる。しかし大澤は、じろ、とあたしを見下ろし、「織部のじいさん、会いたがってるぞ。オマエ、帰ってから一度も連絡しないからさ」と意味不明なことを言った。
 おりべのじいさんって、誰?
 こいつ、あたしの意表をつくのはうまいのかもしれない。なんというか、毒気を抜かれる。本当にあたしが自分の知り合いだと思っているのだろうか。
「会いたがってると言われても、知らん。ていうか、あたしがあんたにいつ会ったっていうわけ?」
 そうだ、そこが大事じゃないか。話を聞けば、大澤に自分の勘違いだったと納得させられるだろう。自分が間違っていたと大澤が気付けば、最敬礼の角度で謝罪させてやる。
「......九年前」
「ずいぶん前だな。ええーと、小学、一年生、かな?」
指を折って確認する。大澤はこくんと頷いた。
「一年生のとき? 大澤と? どこで?」
「......駅。美室台駅」
「美室台駅? じゃあ、やっぱり人違いだ。あたし、小学校三年のときに父親の転勤でこっちに越してきたんだ。それ以前はここに来たこともなかったもん」
 これで決定的だ。どうだ、と胸を張ったあたしに対し、大澤は「そんなわけない」と呟いた。
「は? そんなわけないってどういうわけなのさ」
 会っているはずがないのは、覆しようがない事実だ。
「みんな、どうしたのー? 係決めしようよ」
 大澤が眉間にシワを刻んであたしを見据えたとき、のんびりと田中くんがやってきた。
「全部の班に用紙配ってきた。オレは学級委員としての仕事があるから、班長はできないんだよね。だから、それ以外の係がいいんだけど。って、どうかしたの?」
 あたしと大澤は顔をしかめ、琴音はおろおろとそれを見ている。悠美と神楽は田中くんと大澤を見比べて、こそこそと盛りあがっている。
 そんな状況を、田中くんは不思議そうに見ていた。
「えーと、いや、なんでもない」
 どう説明したらいいのかが分からない。へらりと笑ってみせた。
「係決めだっけ? あたし、なんでもいいよ」
「あ。そう? じゃあ班長やってもらってもいいかな、って、大澤、どこ行くんだ?」
 大澤はあたしたちから離れ、荷物を纏めてさっさと教室を出て行こうとしていた。
「気分悪いんで、帰る。俺のは勝手に決めていい」
 不機嫌そうに言い捨てて、大澤は教室を出て行った。
「困るな、急に。森先生! 大澤が帰るそうです」
「んあ? なに? 誰が帰るって?」
 大きな口を開けてうたた寝(本気寝?)をしていた森じいが慌てて起きる。しかしそのころにはもう大澤の姿はなかった。
「......どうしたんだろうねえ、大澤くん」
 琴音が心配そうに言って、あたしを見た。
「ミャオちゃん、大澤くんのこと知らないんだよねえ?」
「知らない。絶対に会ったことない」
 あたしの記憶力は悪くない。九年前と言われたらたしかに記憶もあやふやかもしれないけれど、こっちに来たことがないのだから、断言していいだろう。
「だとしたら、大澤くんの知ってるミャオちゃんって、どんな子なんだろうねえ。好きな子なのかなあ?」
「さあね。でも、好きな子だとしたら、間違えんなっつーの」
 肩を竦めてみせる。怒るくらい気になってる子なら、ちゃんと覚えていてほしい。
「大澤には困ったなあ。とにかく、係決めちゃおうか」
 廊下まで大澤を追いかけていった田中くんは、けっきょく捕まえられなかったらしく、ため息をつきながら戻ってきた。
「ええと。茅ヶ崎さんには、班長を頼んでもいいかな?」
「あー、と。うん、いいよ。やる」
「ありがとう。班長ってなかなか決まらないんだよね。放課後に打ち合わせとかあるから、みんな面倒みたいで」
「あたし部活やってないし、放課後も暇だから」
 琴音はブラスバンド部だし、悠美たちは手芸部。暇なのはあたししかいないのだ。大澤も部活はやっていないはずだから暇かもしれないけれど、帰っちゃったし。
 その後は、残りの係もあっさり決まり、できあがった班構成表を書きおえた田中くんは満足そうに頷いた。
「じゃあ、これからよろしく。茅ヶ崎さんも班長大変だろうけど、頑張ってね」
「へーきへーき。適当に力抜くんで」
「そうだね、そのほうがいいよ」
 くすりと笑って、田中くんは思いだしたように「そういえばさ」と言った。
「いつか訊こうと思ってたんだけど、茅ヶ崎さんってどうして猫娘とかって呼ばれてるの? 猫みたいに気まぐれとか、そういう意味なの?」
 え、と間抜けた声が出る。あのときのやりとりを知らない人がいたのか。少しだけ、新鮮な気持ちになる。そういえば田中くんは、あたしのことをちゃんと苗字で呼んでくれていたっけ。
「いや、そんな気の利いた理由じゃないよ。入学式のときに、ちょっと『化け猫』認定されたんで、なし崩し的に?」
 へへ、と笑うと、田中くんはますます不思議そうに訊いてきた。
「なんで化け猫なの? 茅ヶ崎さん、普通の子なのにね」
 ええ、本当に。この数ヶ月、あたしだってそう思ってきた。
「わたしはミャオちゃんって呼んでるんだけど。そっちのほうがかわいいのにねえ」
 琴音が言うと、田中くんは「そっちのがかわいいね」と頷いた。それから、「オレも、ミャオって呼ばせてもらっていい? せっかく同じ班になったんだし」と爽やかに言った。
「えー、猫娘いいなあ。田中くん、わたしのことは悠美って呼んでね!」
「わたしも! 神楽って呼んで」
 手芸部ふたりとも、いい食いつきっぷりだ。やっぱり女の子は積極的なほうがかわいい。
「うん。悠美に、神楽だね。で、いい? ミャオで」
「ああ。べつにいい、けど」
「じゃあみんなはオレのことを穂ほ積づみって呼んでよ。柘植さんは、ええと琴ちゃんって呼んでもいいかな?」
「いいよお。これからよろしくね、穂積くん」
 田中くん、いや穂積って、もしかして女の子の扱いに長けているのではないだろうか。きゃいきゃいと会話している様は、女の子に囲まれていることに慣れた人、という感じがする。頭もよく、学級委員をし、おまけにかっこよくて背も高い。モテて当然だろうなあ。
 四人を眺めていてふと、出て行った大澤を思いだす。大澤と同じ班の親睦旅行。問題が起きなければいいけれど、なにか起こりそうで怖い。とても憂鬱になってきたあたしであった。

Profile

苑水真茅

2014年『君にすべてを捧げよう』(スターツ出版)で作家デビュー。2015年『シンデレラを捕まえて』(スターツ出版)で第2回ベリーズ文庫大賞の優秀賞を受賞。

Pick Up Book

  • かがみの孤城
  • i
  • 私のスポットライト
  • ビオレタ
ポプラ社一般書通信 note

Pick Up Book

  • かがみの孤城
  • i
  • 私のスポットライト
  • ビオレタ