道徳入門

髙橋秀実

道徳入門

イラスト:宇田川新聞

3

「だから」の気持ち

 果たして子供たちは「道徳」をどう受けとめているのだろうか。
 私などは「だれにでも公正で公平な態度でいるために必要なのは、どんな気持ちだろう」(『道徳6 きみがいちばんひかるとき』光村図書 平成30年)と訊かれても答えられない。まったく答えが思いつかず、気持ちがないほうが態度は明確になるのではないかと疑問を抱いてしまうくらいで、間主観的にも「絶句する自分」を思い知るばかりである。
 そもそも気持ちというのは気の持ちようであって、言葉にするのは難しい。かのカントも道徳的な気持ちを理解する限界を示していたわけだし、中国の「道」も気持ちを避けるかのように決まり事やしきたり、エピソードの羅列に終始していた。哲学の歴史からしても道徳の根拠は神や聖人、あるいはお天道様に委ねるしかなかったようで、それを子供たちに考えさせるのはやはり無茶ではないだろうか。
「『道徳』はふつうです」
 さらりと答えたのは都内の公立小学校に通う山本君(小4)だった。彼の同級生たちにもたずねてみたが、全員が「ふつう」と口を揃えた。得意、不得意ということもなく、簡単でもなく難しいわけでもないので「ふつう」らしいのである。
「でも、ちょっと楽しい」
 思い出したように山本君が付け加えた。
――楽しいの?
 私が問い返すと、彼は小さくうなずく。
――どういう点が楽しいんですか?
「点?」
――どういうところが......。
「相手の言いたいことがわかるから。みんなが答えることもわかるし。他の科目だとそういうことが、大体、ない」
 聞けば、彼は全体的に勉強が苦手。授業にもついていけないそうで、特に国語は作文がまったく書けないのだという。
――道徳はわかるっていうこと?
 うなずく山本君。
「ええとね。道徳の授業は教科書(物語)を読んで、気持ちを訊かれます。登場人物の気持ちとか自分の気持ちとか」
――それに答えられる、ってこと?
「はい。すぐに答えられなくても、ちょっと考えれば答えられる」
 彼にとって道徳は、解答できる唯一の科目らしい。
――どうやって答えるんですか?
 あらたまって私がたずねると、彼はきっぱりとこう言った。
「『だから』を付けます」
――だから?
「○○だから、とか。『だから』を付ければいい。僕は『だから』を付ける。大体、みんな『だから』です」
――なんで、だから?
「理由だから。『だから』だとわかりやすいから」
 例えば「登場人物はなぜこうしたのでしょうか?」との問いには「そうしたほうがよいから」と答えるという。「だれにでも公正で公平な態度でいるために必要なのは、どんな気持ちだろう」の場合も「そうしたほうがよいから」なのである。
 それは気持ちか?
 一瞬そう思ったのだが、よくよく考えてみると「そうしたほうがよいから」とは「そうしたほうがよい(と思う)から」ということで、気持ちの表明である。「から」を付けることで(と思う)というニュアンスを発生させている。哲学上の難問をあっさり解かれたようで、私は返す言葉を失った。
 私は気持ちと行為を内面と外面のように分別していたが、それは思い込みだったのかもしれない。行為である「行く」は「行くから」、「笑う」は「笑うから」とすれば気持ちになる。約束も「約束だから」と言えば、それは気持ちである。「公平で公正」も「公平で公正だから」と言えば気持ちになる。物事は「だから」を付けることで気持ちに変換される。国語辞典などによると「だから」は接続詞とされているが、実は気持ちを表わす副詞だったのではないだろうか。実際、人は呆れた時などによくこう言う。
「だからさ!」
 と。「だから」だけでも気持ちなのだ。
「道徳は『だから』なんです」
 涼しげに断言する山本君。なんでも「道徳」のおかげで、日常生活でも「『だから』を使うようになりました」とのこと。考えてみれば道徳も「道徳だから」と言えば気持ちになるわけで、山本君は「だから」に救われているようなのだった。
――道徳は国語とは違うんですか?
 私はそう質問した。国語の授業でも登場人物の気持ちは問われるのではないかと思ったのである。
「国語は、す」
 即答する山本君。
――す?
「す」
――すって何?
「すは、す。思います、とかの、す」
 山本君は語尾のことを言っていた。国語は「です」「ます」で答えなければいけないわけで、彼は「す」が苦手らしい。「思います」は気持ちのようだが、それは本当の気持ちではないということなのか。確かに「正しいから」と「正しいと思います」を比べてみると、前者は行為に連動しているが、後者は傍観者としてうそぶいている印象がある。そういえば同級生の進藤君も「大体、国語に出てくるのは架空の人物じゃないですか」と指摘していた。道徳は実在の人物をベースにした物語が多く、その点でも国語はうそくさい。かねがね私は国語は道徳くさいと思っていたが、道徳が教科として独立することで国語のうそくささが浮き彫りになったのだろうか。

「国語は大嫌い。読むのも書くのもすべてが大嫌い」
 そう切り捨てたのは新井君(小6)だ。
――そんなに嫌いなの?
 私がたずねると、彼は勢いのまま続けた。
「文がめちゃくちゃ長いし。細かく書かれすぎていて頭がぐちゃぐちゃになる。それで『作者の言いたいことは何ですか?』とか訊かれるじゃないですか。そんなことわかるわけないでしょ。作者本人に訊いてみないと」
――確かにそうですね。
 思わず私は納得してしまった。実際、私の書いた本も入試問題などに採用され、「作者の言いたいこと」が問題になっているが、本人としては書いたことは言いたいことではなく、むしろ言えないことを文章に綴っているのだ。
「なんで国語があるんですか?」
 新井君は私に問い、「国語の存在に疑問を感じます」と批判した上でこう続けた。
「道徳はふつうに好きです」
――好きなの?
 大きくうなずく新井君。彼の言い分をまとめると、まず第一に文章が短い。長くても3ページしかないので「頭の中がこんがらがらない」。授業では登場人物の気持ちを問われるが、それにも答えられるとのこと。なぜかというと、
「パターンが似ているから」
――何と似ているんですか?
「同じ学年の誰かと似ている。これはあの人のことだと思えば、すぐわかります。それに登場人物はやってしまったことを後悔するのも共通しているから。すぐにわからなくても考えればわかる」
――わかるんですか?
「僕は考える力はあります。ふつうに『謎解きの時間』もやってるから」
 彼の言う「謎解きの時間」とは、スマホの推理ゲームのこと。犯行現場の画面などを見て真犯人を当てるそうで、道徳は勉強よりゲームに近いようである。
「道徳はフラグが多いです」
 そう言い放ったのは福田君(小6)だ。彼は国語が得意。特に「漢字がむっちゃ好き」なのだそうだ。
――フラグ? フラグって何?
 思わず問い返す私。
「えっ、知らないんですか?」
――ごめん、知らない。
 そう答えると、彼は目を丸くした。
「フラグっていうのは、簡単にいうと未来予知」
――未来を予知するんですか?
「一気に説明するのは難しいんだけど、例えば登場人物が戦争に行くとするでしょ。母親が『きっと帰ってきてね』と言ったりすると、それがフラグ」
――その、どこが?
「そういうセリフがあるということは、登場人物は戦争で死ぬということ。死ぬという前提があるからそういうセリフになる。それがフラグです」
 あらためて調べてみると、「フラグ」とはコンピュータのプログラミング用語だった。ゲームの設計をする際に、プレイヤーの選択を記録することを「フラグを立てる」と呼んでいたそうだが、やがてプレイヤーたちが登場人物のセリフや行動からゲームの展開を読み取ることを「フラグが立った」などと言うようになったらしい。「きっと帰ってきてね」などというセリフは、その先の展開としては死亡を予測させるので「死亡フラグ」と呼ぶそうなのである。要するに「フラグ」とは「伏線」のことではないかと思ったのだが、そうではない。「伏線」は予想できない、意外な結末のために用意するものだが、「フラグ」のほうはありがちな、パターン化された展開を読み取るもの。話としてはつまらないが、つまらなさを推測するのが「フラグ」。道徳はありがちなストーリーということなのだ。
「だから道徳は息抜きです。ふう」
 福田君は爽やかにそう言った。
――息抜きなの?
「だってサッと終わるから。ササササッと終わる。ササササッとやってフィン(終わり)だから」
 授業では登場人物の気持ちなどを生徒がサッと言う。先生がそれをサッとまとめて終わりなのだという。確かに道徳の原則は「共に考え、共に語ろう」。正解があるわけでもなく、生徒の評価も「人格を否定せず、よいところをすくいあげる」(富岡栄さん/麗澤大学大学院学校教育研究科准教授)ためにテストなどもない。他の科目の勉強がつらいと思っている時はなおさら「すごい息抜き」になるらしいのだ。
――フラグだから息抜きになるわけ?
 私が確認すると、彼は「う~ん」と呻(うめ)き、フラグを説明し直した。
「例えば、女の子たちが恋バナ(恋の話)をするでしょ。それで僕が誰かに『君ならあの子と付き合えるよ』と言われたとするでしょ。それもガチフラグ」
――ガチなフラグってこと?
「そんなこと言ったって、結局は傷つくから」
――誰が?
「僕が」
――そうなの? 
「そうに決まってる」
――でも本当に好きかもしれないでしょ。
「本当のことなんてわからないじゃないですか。だからフラグ」
――もしかして余計なお世話ってことですか?
「そう。さっき僕に言ってたこともフラグです」
 福田君は現在、私立中学を目指して受験勉強中だった。そう聞いて私は彼に「きっと受かるよ」と声をかけたのだが、それもフラグだったらしい。
「だって僕の成績を知らないでしょ」
――......。
「知らないのになんでそんなことが言えるんですか。内心はどうせ落ちると思っている。だからフラグ。落ちることが前提になっているから」
 だからフラグか......。ありがちな社交辞令を見抜かれたようで私は絶句した。
 どうやら道徳の話をしていると子供たちのほうが優勢になる。道徳は大人が教えるものではなく、むしろ子供たちから突きつけられるもの。大人が教えられるのはせいぜいごまかし方くらいではないかと私は思ったのである。

                    ※登場する小学生たちはすべて仮名です。

Profile

髙橋秀実

たかはし・ひでみね。1961年横浜市生まれ。東京外国語大学モンゴル語学科卒業。テレビ番組制作会社を経て、ノンフィクション作家に。『ご先祖様はどちら様』で第10回小林秀雄賞、『「弱くても勝てます」開成高校野球部のセオリー』で第23回ミズノ スポーツライター賞優秀賞を受賞。その他の著書に『TOKYO外国人裁判』『ゴングまであと30秒』『素晴らしきラジオ体操』『からくり民主主義』『トラウマの国ニッポン』『はい、泳げません』『趣味は何ですか?』『おすもうさん』『損したくないニッポン人』『不明解日本語辞典』『やせれば美人』『人生はマナーでできている』『日本男子♂余れるところ』『定年入門 イキイキしなくちゃダメですか』『悩む人 人生相談のフィロソフィー』など。近著に『パワースポットはここですね』がある。

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