ライオンのおやつ

ライオンのおやつ

<書評>『ライオンのおやつ』瀧井朝世


 小さい頃は、家族や周囲の人びとが死んでしまうことが怖かった。自分がいつか死ぬということに関しては、「いつか死ぬんだろうけれど今すぐではないだろう」と思い続けてきた気がする。
 大人になると、死は身近になってくる。いくつかの身近な死を体験したことも大きい。また、昨今の災害を体験、もしくは間近に見て「自分も含めて人はいつ死ぬか分からない」と実感した人も多いのではないか。自分はどんな死に方をするのか、どんなふうに最期を迎えたいのか、想像することもあるだろう。
 小川糸『ライオンのおやつ』は、余命を告げられた女性、海野雫が主人公だ。現在三十三歳。それは彼女の享年となる予定の数字だ。物語の冒頭、彼女は最後の日々を過ごすため、瀬戸内海の島にあるホスピスにやってくる。
 あらかじめ主人公の死が予言されているのだから、辛気臭い話かと思われるかもしれない。いやいや、最後の日々を辛気臭く過ごす義務なんて誰一人にもないのである。雫も、決してしんみり過ごすつもりではない。この淡々とした性格の女性は、ただただ穏やかに、海を見ながらゆっくり休み、ぐっすり眠って過ごしたいと思っている。
 彼女の新居はホスピス、ライオンの家。この家の代表は、メイドの服装をして髪をおさげにし、真っ赤なエナメルのストラップシューズをはいた老婦人、マドンナ。もちろん通称だ(のちに、マドンナがそのような格好をしている理由も分かる)。建物の外観は隠れ家ホテルのようで、部屋は広く、窓からは青空とぷっくりと膨らんだ黄色い果実が光るレモン畑、そしてその向こうに海が広がる景色が見渡せる。
 大ヒット作『食堂かたつむり』の頃から、著者は食を大事にしていると感じさせてきたが、本作もまさにそう。ライオンの家には料理担当の姉妹がおり、毎回丁寧な食事を提供してくれる。朝は毎回異なる具材のお粥、昼はバイキング形式で日替わりサンドウィッチや太巻き寿司やスープやお味噌汁、夜は一人一人に精進料理を基本とするお膳が提供される。希望すれば肉や魚も食べることができ、魚は100%瀬戸内産だ。変わった習慣といえば、日曜日午後三時のおやつの時間。ゲスト、つまり滞在者たちはもう一度食べたい思い出のおやつをリクエストでき、そこから毎回ひとつだけ、思い出のおやつを忠実に再現した菓子が提供される。誰の希望が通るかはマドンナによる抽選で決められ、それは当日まで明かされない。一瞬、余命が短い人のリクエストを優先すればいいのにと思ってしまうかもしれないが、それだと選ばれた人が「自分の死期が近いのだ」と改めて認識してしまうことになるので、抽選という方法は非常に有効に思われる。
 いつどこで食べて、何を感じたおやつなのか。リクエスト者の名前は明かされないが、用紙に書かれたエピソードが読み上げられると、おのずと誰のものかが分かる。そこからはその人の人生の大切な記憶、大切な経験、あるいは大切な人が見えてくるのだ。では雫はいったい、いつ食べた何をリクエストするのか――。
 雫の来し方はなかなか明かされない。どうやら幼い頃に両親を亡くし、叔父に引き取られて育ったようだ。ただ、その経緯や、これまでの生活が詳細に言及されないからこそ、読者は彼女の体験を、自分のことのような気持ちで寄り添って読み進められる。死を見つめながらも、食事を堪能し、島の空気をいっぱい吸い込み、ゆっくりとした時間を過ごす。他のゲストたちと交流がないわけではないが、適度な距離を保っているのも好印象。島でワインを作る青年と互いに淡い好意を抱くが、深入りはしない。でも、食や恋に突き動かされる姿は、余命を告げられたからといって、すべての欲望が消え去るわけでも諦めがつくわけでもなく、むしろそれらを積極的に堪能していいのだ、と思わせてくれる。だが、どうしても、次第に雫の身体は衰えていく......。それはやっぱり寂しくて切ないことだけれども、でも、雫のようにさまざまなしがらみから解き放たれ、本当に大切なものたちだけを大切に思いながら旅立てたら、と思わずにはいられない。
 死と向き合うことは、そこに至るまでの日々を生きることでもある。そう感じさせてくれる作品。読みながら、自分はどんなおやつをリクエストするだろう、どんな形で死を迎えたいだろう、ときっと誰もが考えるはず。それは、これまでどう生きてきて、この先どう生きていきたいのかを考えることでもある。本作が死を描きながらも、生きることの物語になっているのは、著者がそれをよく分かっているからだろう。

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瀧井朝世(たきい・あさよ)

1970年生まれ。東京都出身。慶應義塾大学文学部卒業。出版社勤務を経てライターに。作家インタビュー、書評などを執筆。著書に『偏愛読書トライアングル』(新潮社)、『あの人とあの本の話』(小学館)。岩崎書店〈恋の絵本〉シリーズ監修。

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