執筆中につき後宮ではお静かに

執筆中につき後宮ではお静かに

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第一幕 後宮の奇妃(かわりもの)


発売直後から大反響! 

田井ノエルさんの新刊『執筆中につき後宮ではお静かに 愛書妃の朱国宮廷抄』の第一章を無料試し読みいたします!

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自称「天才作家」のかわりもの妃が、後宮内の不審死事件に巻き込まれ......!?
『暖簾の向こうは神様のお宿でした』著者が贈る、中華後宮ロマン!

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 翔青楓(しょう・せいふう)は、目の前に座った両親へ向けて、深々と頭をさげた。
「お世話になりました」
 よどみなく言った青楓に、両親は目を伏せていた。
 もうしわけない。そんな感情が読みとれる。
「本当に、いいのかい?」
「はい、これも家のため。そして、朱国(しゅこく)のためでございます」
 朱国は広大な土地を支配する大帝国である。
 ことに都・栄陽(えいよう)は豊かで、人民は皆恵まれていた。その証拠に、現在の朱国は西域文化を積極的に取り入れ、急成長している最中だ。
 朱国の中心たる朱宮は、国内の贅をあつめた楽園であった。
 金や銀、宝飾品といった財宝もさることながら、とくに後宮には、国内全土からまねいた美女を住まわせていた。妃嬪だけではなく、それに仕える侍女や宮女をあわせると実に三千人以上の女がいる。
 そこにあるのは「女の園」などという生ぬるいものではない。欲望と権力の渦巻く、戦場である。
 しかしながら、後宮にあつまる女は自ら志願する者ばかりではない。
 借金のかたに売られる者や、人さらいに遭い、無理やり連れてこられる者までいた。それだけのことをして、後宮という場所はつくられている。
 そんな後宮に入れる男はただ一人。
 皇帝、その人のみである。
 寵愛を得るのは生半可ではない。
 それを理解していない女は、いないだろう。
 現在の皇帝が即位して、四年が経とうとしている。後宮では妃嬪たちの権力争いが繰り広げられ、人員の入れ替わりが激しい。常に美女を探している状態であった。
「この青楓、後宮へあがり......これからは、皇帝陛下のお役に立ちます」
 翔青楓という女性も、後宮へあがる妃の一人として選ばれたのだ。
 翔家は貴族とは名ばかりの貧しさである。
 膨れあがった借金にこまっていたところへ、後宮勤めをする宦官(かんがん)より誘いを受けたのだ。後宮の妃嬪になれば充分な報奨金が支払われ、翔家の借金などすぐに返済できる。給金も支払われ、実家への仕送りも可能だった。
 言ってしまえば、娘を金で売るのだ。
 両親には後ろめたさがあった。
「ご安心ください」
 だが......このとき、青楓の両親は彼女がこのような、にこやかな顔をするところを初めて見たであろう。
 齢二十六の行き遅れになるまで、青楓には色恋の気配が一つもなかった。おどろくほどに、まったく。
 身なりを整えれば、母親ゆずりの「美女」ではある。
 けれども、普段は長い髪を結うこともしない。はっきりとした言い方をすれば散らかしている。連日、なんの役に立つのかわからない書物を大量に読みあさっているせいで、目の下には常に濃い隈ができていた。
 いつも、つまらなそうに、なにごとにも俯瞰した物言いで相手を論破しようとするため、顔立ちのよさに反して、かわいげを一切感じない。
 貧しいとは言え、翔家は貴族。その娘にしては、いささか無精者と言える。
 書物の虫で、他への関心が薄いため、ついた仇名は「愛書娘」であった。
 そんな娘が、このときはどうだろう。
「青楓は、幸せにございます。どうか、そのような顔をなさらないでください」
 青楓の黒くてしなやかな髪は整えられ、髷(まげ)には簪(かんざし)が挿さっている。よそゆきの襦裙(じゅくん)を着こなす背筋は伸びており、堂々としていた。いつもの隈は白粉でかくされ、唇は形よく弧を描いている。書物を読むときに使用する片眼鏡も、見当たらない。
 そこにいるのは、後宮に相応しい「美女」ではないか。
 これから後宮へ向かう青楓は、いつもとは別人のようであった。
「青楓、達者でね......」
 最初に後宮からお呼びがかかったのは、青楓の妹であった。
 しかし、そこは美しい姉妹愛かな。青楓は、妹の代わりに自らが後宮へあがると言ったのである。
 そのために、身なりを整えているのだ。妃の人数さえあつまればよいと考えていた宦官は、妹の代わりの美女として青楓を連れていくと言ってくれた。自分の身代わりに姉を差し出した妹は、後ろめたさで泣いて部屋から出てこない。
「はい。お二人も、お達者で」
 母が泣き崩れた。父も声には出さないが、娘との別れを惜しんでいるようだ。
 愛憎渦巻く後宮へ売られる娘は、このあと、どのような人生を送るのだろう――。
 青楓だけが、おだやかな笑みを浮かべている。
 その光景は、両親を心配させまいと笑う健気な娘のそれであった。

 斯くして、のちに「愛書妃」と呼ばれる奇人が後宮へあがったのである。

  *  *  *

 皇帝・朱紅劉(しゅ・こうりゅう)の治世に入って、早五年が経とうとしていた。
 そして、翔青楓が入宮して一年である。
「娘娘(ニャンニャン)」
 香(こう)の匂いがした。
 侍女の桃花(タオファ)が焚いてくれたものであると、青楓はおぼろげに考える。
 毎朝毎朝、働き者の侍女だ。
「娘娘、お目覚めですか?」
 まだ頭が冴えないが、桃花のために起きるとしよう。きっと、いつものように、あたたかい茶を淹れて朝餉の用意をしてくれている。
「おはようございます、桃花」
「はい。おはようございます、娘娘」
 目を開けると、うれしそうに笑う幼顔があった。
 桃花の年齢は青楓とさほど変わらないはずだが、十も十五も離れているように見える。包
子(パオズ)のようにふっくらと、白桃のように瑞々しい頰がかわいらしい。
 もっとも、「可爱(かわいい)」などと本人に伝えると、荒れ狂ったように、へそを曲げてしまう。そこがまた愛らしいのだけれど。
 手早く寝衣を脱いで、襦裙に袖を通す。あまり華美な装飾などない、地味な青色だ。うるさい柄物を青楓はあまり好まなかった。
 それでも桃花は、青楓の着物を整え、髪をとかしてくれる。この侍女は、青楓の身なりを正すのが好きなのだ。さすがに、化粧は断わっておく。白粉は苦手だ。
「今日の朝餉は、なんでしょう?」
「本日は娘娘がお好きな干し海老の粥ですよ」
「まあ、それは早起きした甲斐がありま――」
 献立を確認して笑う青楓の声をかき消すように、どこからともなく怒声が聞こえた。その内容を聞き取って、青楓は「気のせいということにしましょう」と、咳払いする。
「翔妃(しょうひ)! 翔妃! 翔妃は起きておられますか!」
「......早起きしないほうが、よかったかもしれません」
 ここは後宮。入宮したときから青楓は、たいていの場合「翔妃」と呼ばれていた。下級妃嬪は、だれもが家名で呼ばれている。家柄がよかったり、皇帝に気に入られたりすれば、位が与えられ、呼び方が変わる仕組みだ。
 あまり自分の名という実感がない。だが、慣れてはいる。
「翔妃!」
 ほどなくして、青楓の部屋の戸を叩く音がする。叩くというよりも、殴りつけている。後宮の扉を壊すつもりだろうか。迷惑な話だ。
「翔妃! 起きておられるのでしょう!」
 梁紫珊(りょう・しさん)である。後宮で青楓を世話している女官だ。
 青楓が目配せすると桃花は息をつく。
「桃花は朝儀には出ていただきたいのですが......娘娘は美しいと、みなに見せたいのです」
「いいえ、出ません」
 青楓が頑ななので、桃花が折れる。そして、渋々と対応してくれた。
「娘娘はただいま、おやすみです。頭痛がひどく、吐き気をもよおしています。近ごろ、後宮をさわがせている呪詛がかけられているのかもしれません。お会いにならないほうが、よいと思いますよ」
「噓をつかないでください! 海老の匂いがしております。今日こそは......今日こそは、真面目につとめていただきます!」
「鼻がいいこと......」
 ああ、甲高くて耳が痛い。
 青楓は外で騒ぐ女官の言葉を聞き流し、桃花の淹れた茶をたしなむ。
 そんな青楓の姿を想像しているのか、紫珊は扉の向こうで泣き言を垂れはじめた。
「嗚呼、嗚呼......どうして、こんな......貧乏くじです! 身だしなみは整えず、毎日毎日、部屋にこもるばかりの奇人の世話など......大家(ターチャ)の気を惹こうとも努力されない! あなたには、向上心の欠片も見当たらない!」
 紫珊が本気で嘆いていても、青楓にはまったく響かなかった。毎朝の恒例行事だ。
 それでも、少しばかり、ほんの少しばかり不憫だったので、扉越しに青楓は女官へ語りかけることにした。
 扉についた小窓を開ける。
「紫珊の言っていることは、わかりますとも。ここは後宮。美女が集い、国の頂点たる大家の寵愛を受け、子を成すのが目的の場所......しかしながら、後宮には三千人を超える美女がおります。その中で目立つのは、大変困難なのです。私は所詮、下級貴族の出身。朝儀に出席したところで、一番うしろの列にございます。自己研鑽に勤しんでも無謀。おわかりになりますか? 無駄な努力はしないに限るのです。人の生は有限です。であれば、私は有効に活用しとうございます」
 青楓があまりに淡々と述べるので、紫珊が黙りこくってしまう。口を半開きにし、扉のほうを見ていた。
「私は自分にしかできない業(わざ)を磨いているのです」
「業、ですか?」
「筆により人民に娯楽を与え、和を保つための業でございます。つまり、それは文筆。この後宮ならば、時間を有効に活用できます。私はその時間を使って、小説を書いているのです。ただいま執筆中の作品は、傑作まちがいなしの超大作でございます。朱国の文化に貢献するのですよ。これをもって、大家の心を射止めて見せましょう」
 小窓からのぞくと、紫珊が前のめりになっている。
 青楓は気分をよくしながらつづきを語った。
「この超大作が貸本屋に採用され、人民に広く知れ渡った暁には、翔青楓は売れっ子作家となるわけです。そうなれば、必ず大家も興味を持つことでしょう。目立つかどうかわからない美を競うよりも、よほど建設的な方法かと、愚考いたします」
「な、なるほど......? いいえしかし、それはそれ――」
「物語のはじまりは、こうです。很久很久以前(むかしむかし)、ある荒野に捨てられた赤子がおりました。このままでは野垂れ死んでしまう赤子を拾ったのは、一匹の狼でございます。狼は赤子を大事に持ち帰り......自分の子供に喰わせました」
「翔妃、よろしいでしょうか。それでは、赤子がかわいそうではありませんか......」
 紫珊の反応は青楓の想定内であった。
 読者の感情を予測しながら書くのは、作家としての基本だ。
「やがて、狼は遊牧民の羊を襲い――返り討ちに遭って死にました。これは、その遊牧民の集落で育った娘の物語です。ああ、もちろん、狼は調理されて美味しく食べられました」
「ど、どうして、そうなってしまうのです。最初の赤子と狼のくだりは、なんだったのですか!? 早く主人公を登場させてはどうなのですか!」
「自然界とは非情なのですよ、紫珊。常に読者の予想を裏切るのが真の作家でございます。どうですか? あっと驚く冒頭でしょう?」
「そのようなくだらない小説で、大家に見初められるわけがありません!」
「はあ......これだから」
 文学が理解できないなんて、かわいそうな人。これは出世しない人間だ。
「だいたい、朝儀は義務でございます。後宮の妃である以上は、出ていただかなくては、こまります」
「私、妹の身代わりで後宮へ入りましたもの......少しの自由くらいゆるしてくださいませ」
「それは......わたくしにも、妹がおりますので同情しますが......それと、これとは......!」
 さて、朝餉のつづきを摂ろう。
 青楓は扉の向こうでさえずる女官をいっそう不憫に思いながら、小窓を閉めた。
「桃花、食べましょうか」
「はい、娘娘」
 翔青楓は金で後宮に売られたが、自分の境遇について、まったく悲観していなかった。
 青楓が自分で述べたように、後宮には美女がひしめきあっている。そのような場所で、いくら目立とうとしたところで無意味であった。皇帝の寵愛を受ける妃など、一握りもいない。多くは、存在すら認知されず、無為に一生を過ごす。下級妃嬪など人数あわせだ。
 では、青楓は紫珊に述べたように、小説で皇帝の気を惹こうとしているのか――これは、残念ながら、紫珊に向けた都合のいい方便である。
 青楓に皇帝の寵愛を得ようという気はなかった。
 翔青楓には、大きな夢がある。
 豊かで恵まれた朱国は文学も盛んだ。ことに、現皇帝の治世に入ってからは、西域からの流通品も増え、歴史上、最も文化が栄えようとしている。識字率があがり、庶民の間でも読める書物をあつかう場として、貸本屋が急速な流行を見せていた。
 そこに原稿を送り、作家として活躍するのは一部の天才。文化人としての誉れである。
 青楓は自分の小説を貸本屋に並べることを目標としていた。
 けれども、青楓の家は貴族とは名ばかりの貧しさだ。
 家では兄弟が多くて執筆がはかどらない。おまけに、紙は高価でたくさん使えなかった。さらには、資料である書物を買う金さえ惜しい。贅沢は敵である。西域で開発されたという活版印刷が普及すれば、もっと書物が安くなるはずだが......残念ながら、もう少し先の話だろう。
 後宮という場所は、青楓にとって理想の環境であった。
 妃嬪たちには、個室が与えられる。騒ぐ者も女官の紫珊くらいで、基本的には静かだ。そして、実家に仕送りしても余るほどの給金が支払われた。
 お金を気にせず、好きな書物が買える。
 青楓が求める「智」を、享受できるのだ。
 なによりも。
 皇帝に見初められる<事故>さえなければ、隅の個室で静かで有意義な暮らしができる。なにもしなくとも給金が支払われ、有り余る時間をすべて読書と小説の執筆にあてられるのだ。
 このような理想の環境、他にありはしない。
 青楓は妹の代わりに売られた身だが、逆に感謝したいくらいだ。
 小説以外に、なんの取り柄もないと自負している青楓だったが、後宮に入れる程度に容姿が整っていてよかった。両親に感謝しなくては。
 家にとっても、借金を返せるうえに、青楓のような年増の行き遅れを厄介払いできたのだ。だれもが得をする最高の話である。
「翔妃! 翔妃! 朝儀くらいは、出てください! 大家にお目見えする貴重な機会なのですよ!」
 蝶番が壊れるほど扉を殴りつける紫珊の声を無視して、青楓は席につく。几(つくえ)には、すでに桃花が美味しい粥を並べてくれていた。
「朝儀と言っても、豆粒程度の大家を遠くからながめるだけではありませんか。ここには、大勢の美女がいるのですから、私が欠席しても問題ありません。病欠いたします」
 青楓はこともなげに、至極健康的な笑みで言ってやるのだった。
 かたわらに置いた片眼鏡をつける。西域から来た商人が売っていた、めずらしい品だ。なけなしの手持ちで買って以来、ずっと愛用している。
 桃花の用意した粥を食(は)みながら、左手で書物をめくった。
 これが青楓の日課である。


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続きは発売中の『執筆中につき後宮ではお静かに 愛書妃の朱国宮廷抄』にてお楽しみください!

Profile

田井ノエル

田井ノエル(たい・のえる)
愛媛県在住。『道後温泉 湯築屋 暖簾のむこうは神様のお宿でした』で「第6回ネット小説大賞」を受賞しデビュー。主な作品に「道後温泉 湯築屋」シリーズのほか、『松山あやかし桜 坂の上のレストラン《東雲》』など。

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