小早志少年と売れない名探偵

愁堂れな

小早志少年と売れない名探偵

小早志少年と売れない名探偵

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頭脳明晰な毒舌美少年と元刑事の冴えない探偵が事件に挑む!
『忘れない男』の著者がおくる、痛快バディ・サスペンス。

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第一話 美少年、売れない探偵の世話になる

「......こんなところかな」
 荷物部屋となっていた六畳間の片付けを終え、室内を見回す俺の口から、我ながら疲労感溢れる声が漏れる。
 室内にあったのは俺がここに越してくるときに持ってきた荷物が殆ほとんどだったので、この機会にすべて捨てた。知り合いの便利屋に廃棄処分を頼んだのだが、友達料金と言いつつ、かなりの額を請求されたので、逆にボラれたのかもしれない。
 部屋を片付けたのは、今日から甥を住まわせるためだった。八丁堀駅近くにある三階建ての細長いこのビルは俺の高校からの友人、平井悟郎(ひらい・ごろう)の持ち物で、一階が事務所、二階三階が居住スペースとなっている。
 事務所の名称は『平井探偵事務所』。平井は探偵業を営んでおり、仕事が速く、かつ信頼性が高いということで結構な人気を誇っていた。またこの平井、背が高く顔もいいのだ。俺と同い年とはとても見えない若々しさで、そんな彼のイケてる容姿が人気に拍車をかけていたのではないかと思う。

 俺、武知正哉(たけち・まさや)は平井の事務所で働かせてもらっている。半年ほど前、仕事を急に辞めることになった俺に、親切にも平井が声をかけてくれたのだ。
 平井は今、ロンドンにいて帰国の目処は立っていない。留守中の事務所と住居の管理を任された俺は、それまで住んでいた安アパートを引き払い、平井の代わりにこのビルに住むことになった。
 好きに使っていいと言われていたので、俺は平井の部屋を使い、空いていた一室にはアパートから運んだ荷物を入れていたのだが、これまた急に甥を引き取ることになり、その部屋を再び空けたというわけだった。
 甥もここで暮らすことについては一応、平井の許可は取った。平井は『お前が高校生の面倒を見られるとは思えないけど』と心配そうにしつつも快諾してくれ、こうして準備を整えたところだ。
 そろそろ迎えに行く時間だ、と腕時計を見やった俺の耳に、インターホンの音が響く。
「はいはい」
 この音は一階の探偵事務所のものだ。平井が渡英して以来、客足はめっきり落ちており、今日の予約件数もゼロだったはずだ。
 飛び込みの客だろうか。マズいときに来たな、と思いつつ、事務所に通じているほうの階段を下り、ドアを開く。
「いらっしゃいま......え?」
 語尾が疑問形となってしまったのは、ドアの外に佇たたずんでいたのが、どう見ても高校生だったからだ。
 ブレザーにネクタイ、それにチェックのズボンは高校の制服だろう。しかし顔立ちがえらく整った子だ。
 色白で華奢といっていい細さ。身長は百六十五センチくらい。顔は小さく足は長い。髪の色は茶色がかっているが、染めているのではなく天然のようだ。
 キラキラ輝く大きな瞳。長い睫。高い鼻梁。薄すぎず厚すぎない形のいい唇。まさに美少年だ、と、気づかぬうちに顔を凝視してしまっていたらしい。
「あの」
 声をかけられ、我に返る。
「ああ、悪い。ええと、どうした? 何かこの事務所に用事があるのかな?」
 お前の強面、かつガサツな口調が客足を遠のかせているんだ。常に笑顔で、そして丁寧に、と平井から口を酸っぱくして言われているが、相手が高校生なら多少砕けてもいいだろう。
 そもそも、高校生は依頼人になり得ないのだから。いや、しかし親御さんを連れてきてもらえば立派に依頼人になり得るか。それで最後はちょっと媚びたような優しい口調にしてみたのだが、目の前の美少年は形のいい眉を顰ひそめたかと思うと、思いもかけない言葉を発した。
「何言ってるの? オジサン」
「ええと、だから......」
『オジサン』って、そりゃ俺は三十五歳の立派な『オジサン』だ。しかし用件を聞いた大人への答えが『何言ってるの?』はないだろう。
 こんな綺麗な顔をしておいて─いや、顔は関係ないか─態度は悪いな。しかし声もまた綺麗だ。顔のよさと声のよさは比例するんだろうか、などと、くだらないことを考えそうになったが、どうやらこいつは単なるひやかしだと判断を下し、少し厳しい態度に出ることにした。
「この探偵事務所に用事があるのかと聞いてるんだがな?」
 結構きつめに言ったにもかかわらず、俺の言葉に対する美少年の反応は、話にならないと
「探偵事務所には用はないよ」
「そうか。それなら用事ができたらまた来てくれるか」
 なんだろう。仲間内の罰ゲームだろうか。ピンポンダッシュ的な? 今の子供もそんなことをやっているのか? 小学生ならともかく、と呆れていた俺の目の前で、美少年は俺以上に呆れた顔になり口を開いた。
「叔父さん。麗人(れいと)なんだけど」
「え?」
 麗人。それは確か俺の─―。
「武知正哉叔父さん。今日からあなたのところで世話になる小早志(こばやし)麗人です」
 美少年はわざとらしい丁寧な口調でそう言ったかと思うと、これまたわざとらしく深く頭を下げたあとに、ちらと俺の顔を見た。「れ、麗人君。確か東京駅に迎えに行くことになってたよな?」
 まさかこれが俺の甥っ子? 姉にまったく似ていない。最後に会ったのは彼が六歳のとき─―そう、姉の葬儀でだった。
 当時はどんな顔をしていたか、ぼんやりとしか覚えていない。母親が死んだことに落ち込んでいるらしく、ずっと俯いていたから─と、十一年前の記憶を掘り起こしていた俺に、麗人は呆れた顔のまま言葉を返してくる。
「東京駅みたいな混雑したところで待ち合わせをしても、到底会えないと思ったもので。なにせ叔父さん、僕の顔、わかりませんでしたよね?」
「............」
 なんだかこの子、やたらと感じが悪くないか?
 当人とわからなかった俺にも非はある。でも十年以上交流のなかった、しかも成長している甥の顔がわからなかったのがそうも責められることだろうか。
 いや待て。彼は今、傷心なのだ。父親を亡くしたあと、同居していた祖父も亡くなった。斜に構えたくもなるだろう。
 そんな彼に対し、むっとしてみせるなど大人げなさすぎる。ここは広く大きな心で、と、俺は滅多に浮かべない愛想笑いを頰に刻むと、
「そうだな。来てもらえて助かったよ」
 と、相手を持ち上げる方向に舵を切った。
「............」
 麗人はそんな俺に対し、実に冷めた目線を向けてきたあと、またあの感じの悪い、上を向いて肩を竦めるというポーズをして寄越した。
 カチンときたが、怒るのは大人げない。そう自身に言い聞かせ、愛想笑いをキープする。
「ここは事務所の入口なんだ。玄関は外階段を上ったところなんだけど、事務所からも居住スペースには行けるから。さあ、入ってくれ」
 どうぞ、と中に招くと麗人はすたすたと事務所内に足を踏み入れ、ぐるりと室内を見渡した。
「ここが俺の職場。二階へはバックヤードにしている部屋から行けるけど、普段は二階の玄関を使ってくれ。あれ? 荷物は?」
 迎えに行こうと思ったのは、きっと大荷物だろうと予想したからだった。が、麗人が持っているのは一泊くらいの旅行用と思われるボストンバッグのみで、外に置いてあるのかと視線をドアへと向ける。
「これだけです」
「え」
 確かに『身一つで来てもらって大丈夫』とは言ったが、本当に『身一つ』で来るとは予想していなかった。
 洋服は? いや、それより教科書は? 参考書とかも、全部置いてきたというのか?
「冗談です」
 啞然としたが、直後に麗人にそう言われ、思わず大声を上げてしまった。
「はあ?」
「宅配便で五箱ほど来ます。今日の午後着指定にしたので間もなく届くかと」
「......へ、へえ......」
 なんなんださっきから。むかっとくるのを気力で抑え込み、再び愛想笑いを浮かべようとした俺だったが、麗人がそんな俺を見てますます呆れた口調で告げた言葉を聞いてはもう、我慢できなくなった。
「そのくらいのこと、想像できないんですか? 叔父さん、元警視庁捜査一課の刑事なんですよね?」
「お前なあっ」
 大声を上げてしまってから、はっと我に返り、咳払いで誤魔化そうとする。
「いや、その......」
「もうやめませんか、叔父さん。さっきから僕に対してむかつきまくっていることは、顔を見れば一目瞭然です。六歳のとき以来会っていない、自分以外に身内が一人もいなくなった可哀想な甥っ子なんだ、多少感じが悪くても受け容れてあげようとか思っているんでしょうけど、そうした配慮は不要ですから」
「な......っ」
 麗人に淡々と己の思考を指摘され、言葉がまったく出なくなる。
「可哀想と思われるほうが精神的にはこたえます。それに僕以外の身内がいないのはあなたも同じですよね? お互い以外天涯孤独な者同士、仲良く暮らしていこうじゃないですか」
「............」
 それは─―俺が言うべき台詞じゃないのか。
 なんだって年齢が自分の半分しかない高校生に『仲良く暮らしていこうじゃないですか』などと上から目線で語られなきゃならんのだ。
 とはいえ、むかつくばかりではあるが、彼の言うことにも一理ある。決して『可哀想な子』扱いをするつもりはなかったが、結果としてはそうなっていたのだから、とその部分だけ反省すると俺は改めて麗人に向かい、右手を差し出した。
「わかった。ほぼ初対面ではあるが、叔父と甥だ。うまいことやっていこう」
「ありがとうございます。よろしくお願いします」
 麗人はにっこり微笑み、俺の右手を握ったあとに、
「僕の部屋はどこですか?」
 と問うてきた。
「案内するよ」
「その前に水か何か、いただけますか? 喉が渇いて」
「ああ、悪い。気が利かなくて」
 遠路はるばる──というほど遠くから来たわけではないが、確かに最初にまず『よく来たね』的な労りの言葉をかけ、飲み物を振る舞うくらいのことはやってあげるべきだった。
 いくら登場の仕方が失礼としか言いようのないものだったとはいえ、と心の中で呟きつつも、それならまずダイニングに案内しよう、と階段を上りかけた俺の耳に、失礼極まりない麗人の言葉が響く。
「気にしないでください。叔父さんに気遣いは期待できないということは、来て早々わかりましたので」
「......っ」
 嫌みが過ぎるだろう、と振り返った俺の目に飛び込んできたのは、天使かと思えるような麗人の笑顔だった。
 天真爛漫──ではないことは今までの言動からわかっているはずなのに、ついそれを忘れそうになる。まさに天使の笑顔である。
「なあ、君、いい性格しているって言われないか?」
 言うつもりのない嫌みがつい、口から漏れる。しまった、子供相手にムキになってしまったと思うも、麗人の返しを聞き、言い足りないくらいだったかと反省を覆くつがえした。
「言われませんね。今時の高校生はシャイなんです。面と向かって相手を褒めるなど、恥ずかしくてできません」
「......君は本当に『いい性格』をしているよ」
 嫌みとわかった上でそう返す。そこまで厚こう顔がん無恥になれるのなら、もう遠慮はすまい。先ほど彼に言われたとおり、気遣いゼロでやらせてもらおう。
 早々に開き直ったことを言葉で示すと、麗人はあたかも、それでいい、というように微笑んでみせ、本当にこいつは何様だ、とますます俺をむかつかせてくれた。
 ダイニングに案内し、「何を飲む?」と聞くと、
「冷たい水を」
 と告げながら麗人は、俺に続いてキッチンに入ってきた。
「座ってていいぞ」
 言いながら冷蔵庫を開けると俺の後ろから中を覗き込んできた彼に、
「自炊していませんね」
 と指摘される。
「ああ。一人だとどうしても面倒くさくてな」
 大学から一人暮らしをしているので、自炊をしようと思えばできる。だが自分だけのために作るのは面倒だし、コンビニでもデパ地下でも一人前の食事を簡単に買うことができるので、ここに越してきてからはずっとそれで済ませていた。
 とはいえ、そうか。これからは二人で暮らすことになるのだし、高校生の彼に食事を作ってもらうわけにはいかない。朝食と夕食を作る必要が出てくるのかと、今更ながら気づき、憂鬱になった。
 昼はどうしているのだろう。弁当を作ることになったら更に面倒が増す。が、作ってやらないわけにはいかない。
 乱れきった生活を改めるチャンスと思えばいい。自炊すれば少しは節約にもなるだろう。そんなことを考えていた俺の耳に、麗人の呆れた声が響く。
「仕方ありません。料理は僕が担当しましょう。養っていただくのですから、そのくらいのことはしないと肩身が狭いですし」
「いや、いいよ。子供はそんなこと気にしなくていい」
 言い返してから俺は、『子供』と言われるのを麗人は好まないかもしれないと思い、慌てて言葉を足した。
「別に料理をしてもらうために君を引き取ったわけじゃない。君は今までどおりに生活してくれればいいんだ。それこそ、さっき言ったとおり、仲良く暮らしていこう」
「......今までも僕が食事を作っていたので、そこは気遣ってくれなくてもいいんですけどね」
 麗人はそう返してきたが、どこかバツの悪そうな顔となっている。もしや照れているのかとわかると、今までの態度が態度だっただけに、可愛いところもあるじゃないか、と可笑しくなった。
「なんで笑うんです」
 ムッとしている顔を見て、ますます笑いがこみ上げてくる。
 癖クセの強そうな子ではあるが、姉の忘れ形見だ。たった一人の肉親として共に暮らしていこうじゃないか。
 彼が成人するまで、責任をもって育ててみせるので安心してほしい。おそらく天国で我が子の行く末を心配しているに違いない姉に心の中でそう約束すると俺は、
「とりあえず水でもなんでも飲んで、くつろいでくれ」
 と、可愛い甥っ子に向かい笑いかけたのだった。

※   ※   ※

 祖父が亡くなった知らせを、僕は学校で聞いた。
すぐに病院へと向かい、物言わぬ祖父と対面する。
「苦しまない最期だったよ。眠るように亡くなった」
 この病院は祖父の友人が設立したもので、院長は祖父の友人の息子となる。祖父には世話になったということで、非常に手厚い治療をしてくれたのだが、入院したときは既に手の施しようがなかった末期癌だったため、院長の見立てどおり半年で帰らぬ人となった。
 祖父が信頼していただけあり、名医だったんだなと感心しつつ、
「お世話になりました」
 と頭を下げる。
「ご本人の希望によると葬儀は行わずにそのまま火葬の手続きをとってほしいとのことだった。君もそれでいいのかな?」
 院長がなんともいえない表情で聞いてきたのは、いくら故人の希望とはいえ、僧侶に経くらいはあげてもらったほうがいいのではと思っているからだろう。
 祖父がいらないというものを頼むのもな、とは思ったが、厚意で言ってくれているのがわかるので僕は、
「そうですね。お経くらいは......」
 と答え、院長を安心させることにした。
「ところで、これからどうするの? 小早志さんと二人で暮らしていたんだよね?」
 院長が早くも次なる心配の種を見つけ出し僕に尋ねる。
「君はまだ十七歳だし、これから大学受験も控えているのに、一人で暮らしていくのは大変だろう。小早志さんには父の代から非常にお世話になっているし、君さえよかったらウチに来ないか? 妻も娘も大歓迎だと言っている」
「......ありがとうございます」
 院長の子供は娘が二人。二人とも文系で医者になる気はまるでない。この病院の跡取りは娘婿を想定しているのだろう。
 長女の知人が僕のクラスにいるそうなので、僕の成績がいいことはおそらく彼も知っている。勿論、純粋な親切心からの申し出ではあろうが、将来の可能性を狭めたくはない。
 世話をすると言われることは予想できていたので、できるだけ角が立たないような回答も事前に考えてあった。
「亡くなった母の弟──僕にとっては叔父にあたる人が、保護者になってくれるそうです。祖父が頼んでくれていますので、先生のお気持ちは大変ありがたいのですが、叔父の世話になろうと思います。公務員で生活も安定しているから安心して来てほしいと叔父からも言われていますし」
「そうだったんだ。小早志さんは何も言っていなかったから心配していたんだが、そういうことなら安心だね」
 院長が少し残念そうに見えるのは穿うがちすぎだろうと反省しつつ、「本当にありがとうございます」と丁寧に礼を言ったものの、さて、これからどうするかと密かに思考を巡らせた。
 祖父と今後についての話し合いをしたのは噓ではない。叔父に世話になるしかあるまいという結論に達したのも事実だった。しかしその先のことは何もしていない。これから連絡をとることになるが、果たして叔父は僕を覚えているだろうか。
 六歳のときに会ったきりの叔父が公務員というのも実は噓で『元公務員』である。名前と前職で検索し、所在は突き止めていた。
 八丁堀の探偵事務所で働いているらしい。現在、所長は渡英しており所長代行を務めているというが、叔父がその職についてからはめっきり客が減っているという情報もネットで拾うことができた。
 インターネット上には様々な情報が落ちている。加えて今回はネット以外にも情報源があった。ともあれ、祖父に関する手続きをする必要もあるし、明日にでも叔父に連絡しようと心を決め、僕は祖父の現世からの旅立ちを見送った。
 翌日、探偵事務所の営業開始時間を待って事務所に電話をかけた。しかし応対に出る人はいない。仕方なく一時間後にかけると、ようやく五コールで受話器が取られた。
『はい。ええと......平井。平井探偵事務所』
「............」
 なんだこの、好感度ゼロの電話の応対は。寝起きと思われるガラガラ声の上、事務所の名前も満足に言えていない。投げやりにしか聞こえない口調。探偵業って一応、接客業じゃないのか?
 やはり、こういうところが『元公務員』たる所以か。ただの公務員ではないし、なんだろう、そうした意識はないのかもしれないが、どうにも『偉そう』に感じてしまう。
 おっと、しまった。十年以上ぶりに会うことになる叔父にダメ出しをしている場合ではなかった、と僕は気持ちを切り替え、間違いないと思いながらも叔父当人であるかの確認をとった。
「あの、小早志麗人です。もしや正哉叔父さんですか?」
『え?』
 その瞬間、電話の向こうで叔父が固まったのがわかった。
 もしや覚えていなかったりして──?
 ない話ではない。母と彼女の弟である叔父はさほど仲良くはなさそうだった。険悪というほどではない。ただお互いに興味がなかっただけではないかと思う。
 そうはいっても、母が亡くなったときには忙しい中、葬儀に駆けつけてくれた。そこに望みを繫ぐしかない、と僕は思い出してもらおうと話し始めた。
「甥の麗人です。十年ほど前、母の葬儀に来てくださったの、覚えていますか? そのとき六歳だった麗人です」
『麗人......そんな名前だったな。麗人君。どうした? 久しぶりだな。というか、よく俺のこと、覚えていたな? それにここの連絡先は? どうやって調べたのかな?』
 どうやら叔父は僕のことを思い出してくれたらしい。だいぶ訝いぶかしがられてはいるが、これからする話を受け入れてくれるだろうか。
 可能性としては八割がたイケると思うのだが、と考えながら僕は、どうか二割に入りませんようにと祈りつつ口を開いた。
「実は母が亡くなった五年後に父が車の事故で亡くなり、そのあと僕は父方の祖父母に引き取られたんですけど、去年、祖母が亡くなったのに続いて祖父もこの度亡くなったんです。それで身寄りが誰もいなくなってしまって」
『えっ? お義兄さん、亡くなったのか? 知らなかった......葬儀にも行けずに申し訳なかった......あ、お祖父さんも亡くなったのか。これもまた知らなかったとはいえ、葬儀にも参列できず申し訳なかったね』
 叔父はどうやら相当人がいいらしい。なぜ連絡先を知ったのかという疑問に答えることなく、天涯孤独となった経緯を説明する僕の話を聞き、同情溢れる声で詫びてくる。これはイケるんじゃないかと確信しながら僕は一気に押していこう、と言葉を続けた。
「気にしないでください。お知らせしていなかったので。それより僕の今後のことなんですが、僕、今十七歳なんです。保護者が必要なんですが、僕にとっては唯一の肉親となった叔父さんの世話になりたいと思っているんです。いかがでしょうか」
 急にそんなことを言われても。
 今の叔父の心境を想像してみる。誰でもそう思うに違いない。そこをどう上手く説得していくか。
 金銭的に世話になるつもりはない。言っちゃなんだが自分の面倒くらいは自分で見られる。だから書類上の『保護者』になってくれればいい。あとは住居。祖父の家は広大で、一人暮らしには適さない。しかも相続税を支払うとなると、手放さざるを得なくなる可能性大だ。
 今の高校に通い続けるためには、保護者はなんとしてでも必要となる。名前だけでいいので貸してほしい。
 それを上手く伝えるには、と思考を巡らせていた僕の耳に、焦った口調の叔父の声がスマートフォン越しに響く。
『勿論大歓迎だ。とにかく、話を聞かせてくれ。今、どこに住んでいる? これから行ってもいいか?』
「え? いや、でも......」
 このリアクションは、ある意味予想外だった、と僕は慌てた。
「僕が叔父さんのところに行きます。今、忌引きで高校を休んでいるんです。叔父さんの都合がよければ明日にでも伺います」
『ああ、是非来てくれ。なんなら明日からウチに住んでくれてもいい。一人だと不安だろう。コッチの準備は整えておくよ。身一つで来てくれて全然大丈夫だから』
 きっと戸惑われるだろうから、あとは押せ押せで、という作戦を立てていたにもかかわらず、向こうから同居を申し出てくれるとは。
 善人を絵に描いたような人だなと感心しながら僕は、
「それなら明日、伺います」
 と返事をし、実は既に調べ上げていた叔父の連絡先を問うたのだった。
 叔父は東京駅まで迎えに行くと言ってくれた。が、東京駅の混雑ぶりを知っているだけに、会える気がしないと、叔父が家を出るより前に到着するよう、住居兼仕事場に向かうことにした。
 八丁堀の事務所を訪ねるのは初めてだったが、すぐに見つけることができた。さて、どう来るか、とリアクションを予想しながらインターホンを押す。
 しばらく待たされたあとで、ようやくドアが開き、十一年ぶりに顔を合わせる叔父が姿を現した。
「いらっしゃいま......え?」
 語尾が疑問形となっていたのは、僕と──甥とわかっていないからのようだ。まあ、十年以上会っていないし、『会った』といってもほんの一瞬なので覚えていなくても当然だろう。自己紹介するか、と口を開きかけると、慌てた口調で叔父が声をかけてきた。
「あの」
「ああ、悪い。ええと、どうした? 何かこの事務所に用事があるのかな?」
 やはり叔父は、僕が甥だとわからないらしい。しかしいくら高校生相手とはいえ、接客業としてその応対はどうなんだ。
 だから依頼者数も右肩下がりなのでは、と呆れたせいもあって、つい、物言いが乱暴になってしまった。
「何言ってるの? 叔父さん」
「ええと、だから......この探偵事務所に用事があるのかと聞いてるんだがな?」
『叔父さん』といえばわかるだろうと思ったのだが、どうやら中年男性全体の呼称『オジサン』と勘違いしたらしく、心持ちむっとした顔になった彼に問いを重ねられ、やれやれ、と肩を竦める。
 僕のほうは叔父の顔を覚えていた。十一年前とあまり印象に変化はない。葬儀に参列するというのに、直前まで捜査をしていたとのことで普通のスーツに黒ネクタイで来た彼は、いつ切ったのかと思われるようなボサボサ頭に無精髭という姿だった。
 背も高いし、もともとの顔立ちはそう悪くないのに、むさくるしい様子をしているから容姿もがた落ちになっているのは今も昔も変わらない。
 いや、昔よりむさくるしさは増しているか、と思いつつ、もう一度チャンスを与えてやろうと口を開く。
「『探偵事務所』には用はないよ」
 用があるのはあなただ。しかしこれでわからなかったら、仕方がない。名乗るとしよう。
 しかし『探偵』としてどうなのだろう。僕は今日、訪れると予告している。待ち合わせを無視したのは悪かったが、甥が来たという可能性をまったく思いつかないとなると、相当鈍いってことじゃないのか。心配になるレベルだが、さすがに元の職業を鑑みるに、そこまで鈍くはないか、という僕の期待は、大きく外れることとなった。
「そうか。それなら用事ができたらまた来てくれるか」
 まったく。呆れたせいで口調がぞんざいになった。
「叔父さん。麗人なんだけど」
「え?」
 なんだその、鳩が豆鉄砲を食らったような表情は。
「正哉叔父さん。今日からあなたのところで世話になる小早志麗人です」
 途端に叔父の顔つきが変わる。はっとした表情を浮かべた叔父は、あわあわしながら言い訳を始めた。
「れ、麗人君。確か東京駅に迎えに行くことになってたよな?」
 なんだか─―やはり残念だ。
 期待しすぎていたのだろうか。叔父の前職─警視庁刑事部捜査一課の刑事だったということに。
 警察官の憧れの的、本庁捜査一課。検挙率も素晴らしかったというのに、とある事情で退職を決めた。その『とある事情』がなんであるかを知ったとき、さすが、と感心したのに、今、目の前にいるのは冴えない、むさくるしい、死んだ魚の目をしている中年男だ。
 こんなはずではなかった。そもそも叔父の世話になりたいと願ったのは、彼が唯一の身内だからという理由からではない。彼が『正義の人』だと思ったからだ。
 ある理由から僕は犯罪を憎んでいる。罪を犯した人間が大手を振って世の中を闊歩していることが許せない。
 犯罪は必ず摘発されねばならない。叔父が警察を辞めた理由を知ったとき、彼もまた僕と同じ志を持つ者なのではないかと感じ、嬉しくなった。
 しかし、実際の彼はどうなのだ。見るからに覇気のない叔父の姿を前に、次第に苛立ちが募ってくる。
 そのせいで自然と物言いはぞんざい、かつ嫌みというか、いかにも馬鹿にしたものになっていったが、叔父にとって僕はどうやら身内を亡くした可哀想な子という認識らしく、むっとしつつも作った笑顔で対応していた。
 要は本音で語り合う気はないということか、と、そのことにもむかついて、身一つで来いと言われたから荷物は持ってこなかったと噓をつき、信じた彼を馬鹿にして怒らせたあとに、そうした配慮は不要と言い放つと、叔父は思うところありありな様子ではあったが、どうやらいらぬ気遣いはしない方向に心を決めてくれたようだった。
「ほぼ初対面ではあるが、叔父と甥だ。うまいことやっていこう」
「ありがとうございます。よろしくお願いします」
 差し出された右手を握り返し、笑顔を向ける。
 その後、叔父の顔に僕をむかつかせる愛想笑いが浮かぶことはなくなり、随分過ごしやすくなったと安堵した。
 何せこれから毎日、生活を共にするのだ。互いに気遣ったままでは疲れるばかりである。
 早々に地を出した理由はそれだけだろうか、と喋りながら僕は自身の心に問いかけた。
 僕は未だ期待しているのかもしれない。今は死んだ魚の目をしている叔父だが、心の中には未だ正義の炎が立ち上っていると。
 そのためにも早く本音で話し合えるようになりたいと願ったのではないだろうか。
 そんな自己分析をしていた僕を前に、叔父が嫌みを口にする。
「......君は本当にいい性格をしているよ」
 どうやら僕の望みどおり、叔父は本音を見せ始めたようだ。そうでなくては、と微笑みたくなるのを堪え、正しい意味で『いい性格』をしているに違いない叔父を見やる。
「とりあえず水でもなんでも飲んで、くつろいでくれ」
 何せ散々悪態をついた僕にそうして笑顔を向けてくれるくらいなのだから。
 心の中で呟くと僕は「ありがとうございます」と礼を言い、冷蔵庫からミネラルウォーターのペットボトルを取り出したのだった。

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続きは発売中の『小早志少年と売れない名探偵』にてお楽しみください!

Profile

愁堂れな

愁堂れな(しゅうどう・れな)
2002年『罪なくちづけ』でデビュー。BL作家として人気を博し、一般文芸に活動の幅を広げる。著書に「キャスター探偵」「忘れない男」(ともに集英社オレンジ文庫)シリーズなど多数。

Pick Up Book

  • かがみの孤城
  • i
  • 私のスポットライト
  • ビオレタ
ポプラ社一般書通信 note

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