終電前のちょいごはん

標野凪

終電前のちょいごはん

1

月夜のグリューワイン

福岡の街、薬院の裏通り、

古いビルの二階にある小さなお店「文月」は、

《本が読めて手紙が書ける店》。

文さんが季節の〝こつまみ〟を用意して、

お帰りまえのあなたをお待ちしています。

ほっこりあたたかくなる、美味しい物語。


* * * * * * * * * * 

 からからからから。からからからから。
 まただ。頭の中でステンレスでできた輪っかが回っている音が止まらない。からからからから。からからからから。
 見たのはいつのことだったろう。友だちの家だったか、学校の教室の一角だったか。狭いケージの中でいつまでもまわし車を走り続けるハムスターは、夢中というよりもむしろ、思考をどこかに置き忘れたまま、永遠に回り続けているようだった。
 からからからから。からからからから。
 ステンレスの輪を回る小さなハムスターの姿はいつしか自分に置き換わる。からからからから。からからからから。

     *

「暑かぁっ~」
 募集をはじめたばかりの分譲マンションのモデルルームの自動ドアを出たとたん、強い日差しが降り掛かってきて、思わず目を細める。ぶわっと熱波が押し寄せてくるようだ。
「九月に入っても真夏日げな、どげんなっとっちゃろ。こうまで続くと、参ってしまうよね」
 見送りに出てくれたミヤホームの吉岡さんがうんざりしたような顔を見せる。
「大濠の花火の時は寒いくらいやったけん、今年は冷夏て言いよらんやった?」
 恨めしそうに空を見上げる吉岡さんの額には、すでに汗が滲んでいる。クールビズの期間中らしくネクタイこそ外しているけれど、シャツのボタンは首元までしっかり閉じられている。さっきまで打ち合わせをしていたデスクの傍らには、ジャケットが置かれていた。
 男の人は大変だな、と自分のノースリーブのブラウスから出た肩に目をやった。
 大きな池を囲む大濠公園は、市民の憩いの場でもある。夏のはじめには、ここで毎年、地元の新聞社が主催する花火大会が開催されている。
「花火かあ。今年は行けんかったなあ。物件、けっこう抱えとったけんねえ......」
 その花火大会が今年で終わるというニュースが、先日飛び込んできたばかりだ。最後だと知っていたら無理してでも行ったのに、と悔やまれる。
「さすが人気デザイナー、澤井日向子!」
 吉岡さんが《よっ》と言うように、右手を口の横にピッと立てる。
「やめてくださいよ。効率が悪いだけやないと」
 猿もおだてりゃなんちゃらら......ではないけれど、冗談だとわかっていても、心の中をくすぐられたような気持ちになる。
「では修正案と見積もり、明日の朝イチまでに送っておきますんで」
 いわゆる褒められて伸びるタイプのわかりやすいパターンだ。でもそんな単純な性格が我ながら嫌いでもない。
「いつもタイトなスケジュールですまんね。助かります」
 軽く頭を下げた吉岡さんのブルーのカッターシャツがふわりと風に揺れた。
「了解です」
 私は背筋を伸ばして、右手を頭の横に斜めに置いた《敬礼》の姿勢で答えてから、素足につっかけたミュールタイプのサンダルをペタペタさせながら、モデルルームの入ったビルの脇の駐輪場へと向かった。止めておいた愛用のオレンジ色の自転車の荷台におそるおそる手を乗せるとじんわりと熱く、慌てて手を離す。気休めとは思いつつも手の平でひらひらとサドルを扇いでから、カゴの中に図面の束をガサッと入れた。

 福岡の街はとてもコンパクトだ。バスも電車も地下鉄もあるけれど、市内のたいていのところは自転車で回りきることができる。ちょっと足を延ばせば、海へも山へも行け、都会も自然もいっぺんに満喫できるのが、よく「暮らしやすい」と言われるところなのだろう。
 市内の中心部に流れる那珂川を挟んで東側が商人の街として栄えた「博多」と呼ばれるエリア。一方、西側は城下町、武士の街として発展した「福岡」。外の人間からすればどちらも「フクオカ」なんだろうけれど、地元の者にはそれぞれ微妙なプライドがある。中心地から西──海の近くの住宅街で生まれ育った私も、出張先などで「博多から来た」などと紹介されるとちょっとばかり居心地が悪いむずむずしたような気持ちになってしまう。
 その武士の街「福岡」エリアの中心地にあたるのが天神だ。デパートや市役所、中央郵便局などが建ち並ぶ賑やかな繁華街だけに、街行く女性も男性もみなこぞってオシャレだ。
 天神をさらに西にいくと、若者向けの洋服屋さんや雑貨店がある大名地区、作家もののシルバーアクセサリーや革小物など個性的な店が揃う警固、上質なブティックやカフェの多い薬院と続く。このあたりまでならどこも徒歩圏内だ。
 打ち合わせをしたミヤホームのある高宮は、薬院の南、天神から電車で三駅のところにある住宅街だ。とはいっても、警固にある私の事務所兼自宅マンションまでは、自転車でも十分程度で、大急ぎで飛ばせば八分で着く。
 私の仕事はインテリアデザイナーだ。デザイナーなんて言うとカッコいいけれど、実際にやっていることといえば、ハウスメーカーの下請け。住宅や店舗に合わせて間取りを調整し、予算に合わせて設備を入れていく。特別な独自性やデザインなんて、求められていない。依頼を受けて、型通りのデザインをするだけだ。
 大学卒業後に勤めたハウスメーカーを独立したのは三十代のちょうど真ん中にさしかかった年だから、今から三年前のことだ。自社で抱えるよりも、外部スタッフとしてつき合うほうが安上がりな上に何かと便利なのだろう。独立といえば聞こえはいいが、要はていのいいリストラだ。それでも、古巣のメーカーからは定期的に仕事が貰えたし、先に独立したかつての同僚から声を掛けてもらうことも多く、こんなご時世でも食いっぱぐれることはない。駆け出しの頃には《自分らしいデザインをしたい》なんて鼻息を荒くしていた時期もあったけれど、今ではそんなことを思い出しもしないほど日々の仕事に忙殺されている。

 打ち合わせが思いのほか長引いた。このあと事務所に戻って見積もりをして、明日の朝までに修正案を作らなくてはならない。今日もきっと眠れない。
「マンハッタンでも買っとくか」
 高宮から事務所に戻る道すがら、よく立ち寄る薬院六つ角のコンビニが近づいてきて、私は自分のお腹に聞いてみるようにつぶやいてみる。そういえばランチも食べていなかった。
 信号が青に変わって、コンビニの自転車置き場に差し掛かると、ちょうど搬入のトラックが到着して、方向を変えているところだった。狭い駐車場で、若いドライバーが行きつ戻りつしている。少し待ってみたところで状況があまり変わらないようなので、裏の空き地にでも止めようと、建物沿いに自転車をひいていった。
「あれ こんなお店あったったい?」
 コンビニとちょうど背中合わせになった位置に、小さな看板が出ていた。黒板に控えめな手書きの文字が並ぶ。
《おかえりまえのちょいごはん どうぞ》
 その横にはこれまた小さな三日月の絵がちょこん。《本が読めて手紙が書ける店》と添えられている。二階、と書かれた文字につられて隣のビルを見上げると、細長い階段の横に小さな灯りがポツンと灯っている。ステンドグラスだ。一辺二十センチくらいの立方体の照明には、三日月の絵と「ふみつき」という文字がデザインされている。ビルの一階は何かの教室だろうか。《生徒募集》という紙が貼られているが、この時間はもう閉まっているようで、室内は真っ暗だ。
「ふ~ん」
 伸ばした首をそのまま左にめぐらすと、二階の窓から、暖かそうなオレンジ色の光が見えた。フィラメントの形が見える。エジソンランプだ。
「窓枠はサッシに木を被せてペンキ塗装。灯りの広がりかた見ると、天井も板貼りにペンキやろ」
 こんなところは職業病である。居心地のいい店内を瞬時に想像することができるのも、勘だけではない。でも今日はこんなところでゆっくりしている場合じゃない。
「さっさ」
 自分を追い立てるように、勢いよくまわれ右すると、エジソンランプの五百倍くらい明るく感じるまっ白い光に照らされたコンビニへと足を向けた。

     *

 早瀬さんからはじめて仕事の依頼のメールが来たのは、ようやく夕方の風が《生温い》から《心地よい》と感じられるようになってきた頃だった。メーカーにいた時に出したコ
ンペの作品を見てくれたらしい。
「新規店舗の外観や内装のトータルプロデュースをお願いしたいんです」
 東京に本社のある早瀬さんの会社は、和服には詳しくない私でも聞いたことのある老舗の和装メーカーである。そこが若い人向けの和小物のブランドを立ち上げ、その一号店を、大分との県境に来年の年明けオープンする大型ショッピングモールに出店するという。
 概要はメールで聞いていたが、改めて、と事務所まで出向いてくれた早瀬さんの名刺の肩書きはエデュケーションチーム・チームリーダー。今回のような新規店舗出店の際のチーフらしい。私よりも少し若いだろうか。小さな顔にショートカットがよく似合う。濃紺の麻のワンピースから覗く細い手首では真鍮製のブレスレットが鈍い光を放っている。
「和のイメージを大切にしつつ、都会の大人が普段の暮らしの中で気軽に楽しめるようなブランドにしたいと思っていて。見せていただいたコンペの作品のように、自然を感じるような空間を店内に取り入れていただきたいのです」
 その時の作品は、自然とともに暮らすことをコンセプトにした住宅だった。雨の音がそのまま室内まで響くような屋根の構造が面白い、と審査員から講評時に言われていた。
「本物志向でいきたいので、什器もオリジナルのものを江戸工芸の職人に作らせようと思っているんです」
 店舗のデザインはメーカーにいた頃にも手がけたことはある。しかし、今回はお仕着せのデザインの使い回しではない。私にできるのだろうか......。そう思ったのが吹き出しのように私の顔の横から出たはずはないと思うが、早瀬さんは力強く言い切った。
「設計自体は施工する建築会社がやりますから、アイデアを頂戴したいんです。それを私たちが形にしますから」
 心の奥でぐわっと小さな音がした。
「やらせてください」
 気持ちよりも先に言葉が出て、口にしたことに自分で驚いてしまった。かつて抱いていた《自分らしいデザイン》への憧れが、まだどこかに残っていたなんて。
「和雑貨というとどうしても落ち着いた感じか、逆にファンシーすぎるイメージを持つ人が多いかもしれませんね」
「そうなんです。そこがネックで」
 私の言葉に早瀬さんが深く頷く。
「でもきっと取り入れ方によってはすごくおしゃれになるって思うんやけど......」
 実際私も、漆工芸を現代風にアレンジしたアクセサリーや、木工の手仕事の器などを愛用している。話していくうちに、頭の中に一気にイメージが膨らみ出した。
 話が一段落して落ち着いたのか、早瀬さんがふっと顔をほころばせた。
「実は私、日向子さんに前にもお目に掛かっているんですよ」
「え?」
「田名部絵里さんの個展で」
 鮮やかな色彩と楕円をポンポンと置いたような独特なデザインが魅力のイラストレーターさんだ。メーカーにいた時に仕事をしたご縁で、独立してからも個展の設営や配置を考える会場構成を、お手伝いしている。
「絵里さんのテキスタイルってヴィヴィッドな色使いでしょう? それなのに、前衛的すぎず、ほっとくつろげる素敵な会場だなって。いつかこんな雰囲気の店を作りたい、って思ってリーフレットにあった日向子さんのお名前を覚えていたんです。今回の店舗の企画が進んだ時に、改めてこれまでの作品を見させていただいて、やっぱりこの方に、と思って......」
「そうやったんですか......」
 個展の際には関係者やメディア向けのオープニングパーティが行われることがある。おそらくその時に顔を合わせたのだろう。まさかあの時、私の仕事をそんな風に感じてくれた人がいたなんて。そう思うとこそばゆいような誇らしいような気持ちがむくむくと湧いてくる。
「今回のお店、絵里さんにも商品のデザインをいくつかお願いしているんですよ。絵里さんの雑貨と店舗の内装、きっと合うと思うんですよね」
 開店予定のショッピングモールは、祖母の家のほど近くだ。祖母はもう亡くなり、今は私よりひと回り上の従兄弟が一人で暮らしている。完成したら、久しぶりに会いに行こう。
そんなことを考えていた。
 その後、早瀬さんとは何度もメールでやり取りをし、ラフデザインを固めていった。早瀬さんの反応は概ね好評で、そのラフをもとに施工する建築会社の担当者に図面を引いてもらうところまで進んだ。明日は早瀬さんの来福に合わせ、建築会社の担当者との顔合わせを含めたはじめての打ち合わせが行われる。
 いつものように素足にサンダルというわけにはいかない。明日のために、天神にある三軒のデパートのすべての靴売り場をハシゴして、ピンクベージュのパンプスを買った。甲のステッチが控えめながら上品だ。大人っぽい女性らしさの中にキリッとした強さも感じる。少々贅沢なお値段だったけれど、私だって、こんな大きな仕事を任せられるのだ。それなりのデザイナーじゃないか。まずは形から、だ。
 いい買いものをしたせいか、少しばかり高揚していた。天神からの帰り道、自転車をこぐ風も心地いい。月が眩しいほどに明るく輝いている。そのまま帰宅するのが惜しいような気持ちだった。
 少し遠回りしようかと思って、ふっと頭によぎったのは、黒板に描かれた小さな三日月の絵と、《おかえりまえのちょいごはん どうぞ》の文字......。
「そうだ。あの店に行ってみよ」
 コンビニの裏手には、今夜も小さな黒板がちょこんと出ていた。二階の窓では、エジソンランプの暖かな灯りが揺れている。看板のすぐ隣にあった細いくぼみに自転車を止め、狭くて急な階段を上っていくと、大きなガラスの入った鉄製のドアがあった。黄色が混ざったような褪せたグレーの色が、テレビで見る、昔ながらの鄙びた探偵事務所のようだ。ドアの上には、片手で握れるくらいの小さなペンダントランプが吊り下がり、ポツンと光を灯している。ガラス越しに中を窺うと、窓際に外を向いた白いカウンターと小さな木のテーブルが一つ。テーブル席には肩までのボブヘアに毛先にだけやわらかなウェーブをかけた若い女性が一人で座っている。そっとドアを押して入ると、
「こんばんは~」
 白いコットンのシャツにリネンの胸当てのエプロンをした女性が顔を出した。三十代前半くらいだろうか、頭の高い位置で髪をきゅっとお団子にまとめている。眉毛のあたりでパッツンと切りそろえた前髪の下で、大きな瞳が動く。くっきりした目鼻立ちなのに威圧感がないのは、やや重めのまぶたがどことなく眠そうな雰囲気を漂わせているからだろうか。やわらかい笑顔に緊張がほぐれる。
「一人なんですがいいですか?」
「もちろんです。どうぞ」
 明るい声に誘われ、道路側に大きく開いた窓に向かって置かれたカウンター席に目を向ける。キッチンとは背中合わせの配置になるカウンターは、店主ではなく、外の風景と向
き合う格好で開放感がある。
 カウンター席には年月を経た味わいのある木の椅子が並んでいる。右端の席に座って視線を上げると、電球のフィラメントがオレンジ色の細い線を描いているのが見えた。暖か
な光にくるまれ、気持ちが緩んでいくのを感じる。
 カウンターの隅には白磁の一輪挿しにすすきが一本いけられていた。そうか、お月見が近いからか。正面の窓からも大きな月が輝いているのがよく見える。
 注文をしようと振り向くと、店主がキッチンに立って沸かしたお湯をケトルからポットに移し替えているところだった。厨房とはとても呼べないようなコンパクトなキッチンは、まるでコックピットのようで、器や道具が使いやすそうに積まれている。出窓には、絵本や古い画集とともに、アンティークのおもちゃやポットがところどころに交ざって置かれ ている。前に見た、北欧の街のこぢんまりした食堂を舞台にした映画を思い起こさせる。
 店内は全体で五坪くらいだろう。キッチンは一坪ちょっとか。かなりコンパクトなのに、 上手に配置してあるな、とキッチンの奥を覗きこむ。コンロの置かれたガス台の先に、引 き戸のようなものが見える。裏に収納庫のようなものがあるのだろうか。間口が狭かった ばかりに小さいビルだと思っていたけれど、案外奥行きがあるのかも知れない。どうなっ ているんだろうか......と、ついこんな時にも職業柄、建物を詮索してしまっている自分を、いかんいかん、と戒める。
 キッチンから逸らせた目を、メニューに落とす。わら半紙を折り畳んで作ったメニュー表には、手書きの文字が並んでいる。
「本日のおつまみ三品とビールください」
 小さなメモ帳とボールペンを手にやってきた店主に声を掛ける。一人でこのお店を切り盛りしているようだ。
「《こつまみ》ですね」
 眠そうな目を細めて言う。おっとりとしているのにきびきびした動きが、なんだか小動物のようだ。
「こつまみ?」
 思わず聞き返すと、
「小さなおつまみだから《こつまみ》なんです」
 秘密基地を自慢げに披露する子どものように、嬉しそうにメニューを指差された。確かにそう書かれている。
 おつまみならぬ《こつまみ》は季節の野菜を使ったものを中心に用意されているようだ。盛り合わせが来るものと思っていたら、一品一品が順々にやってきた。最初は皮付きのま ま、ぶどうを半分に切って白ワインをかけたもの。ぱらりと振りかけてあるエスニックな 香りのスパイスがアクセントになっている。手の平にすっぽり収まるような豆皿にちんま りと載せられている。なるほど「こ」つまみなだけある。思わず、
「かわいか~!」
 と声をあげてしまう。普段そういうことをしない私でも、ついスマホのカメラを向けてしまう。なんだかままごとのようでワクワクしてきた。
「なんで親子って言うと?」
 メニューには「ぶどうの親子」とある。前で結んだエプロンの紐をきゅっと縛り直しながらキッチンに戻っていく店主に声を掛ける。
「白ワインはぶどうからできているからですよ?」
 歌うような口調が静かな店内に響く。二品目は、れんこんを一センチくらいの輪切りにしたものをオリーブオイルで炒めた「厚切りレンコンソテー」。しゃきしゃきというよりもほっくりとした口あたりだ。レンコンというとキンピラしか思い浮かばない私からする
と、シンプルな味付けがとても新鮮だ。三品目はメニュー表に《秋の定番!》の文字が躍る「なすの揚げ浸し」。
 置かれた器からは湯気がたっている。てっきり作り置きしたものが出てくると想像していたから嬉しい驚きだ。そういえば奥からジュージューと音がしていた気もする。
「その都度揚げようと?」
「あったかいほうが美味しいですもんね~」
 自分の店なのに他人事のように嬉しそうに話す店主のペースに乗せられて、
「そうそう」
 と同意をしてしまう。揚げたてを出汁につけているので、カリッとした食感が残り、薬味の大葉やみょうがが爽やかに香る。どれも凝ってはいないけれど、丁寧に作られている
のが感じられ、じんわりと味わい深い。
 先ほどからテーブル席に座っていた女性は、あらかた食事を終えていたようで、背の高いグラスをゆらしている。作業中の店主にはおかまいなしに、時折甘えたような声で話しかけている。常連客なのだろう。
 ひまわりのような深い黄色の半袖ニットにグレーの台形型のスカート。足下はブーティと呼ばれる足首までのショートブーツだ。さっきの売り場で見かけたものとよく似ている。私が買ったパンプスと同じブランドのものかもしれないと思い、やっぱりここのにして正解だったな、と、心の中でV サインをする。
「さて文さんに質問です。お金も時間もあったら、なんがしたいと?」
「そうだな~。長い休みを取って旅行に行きたいなあ」
 心理テストのようだ。人の会話で楽しんでしまうのも申し訳ないが、こういう小さな店では聞かれていることをわかって話しているはずだ。
「じゃあ、行きたいとこ全部行ったら、そのあとなんする?」
 舌ったらずな声が楽しそうに促す。
「その中で特に気に入った場所で、しばらく暮らしてみたいな」
 動きながら答える店主の声に、時おりカチャカチャと食器の音が交ざる。
 珍しいな、と思った。お客さん相手に丁寧語を使っているつもりでも、博多弁で話しかけられ──文さんというらしい ──は一貫して関東の言葉を話している。東京の人なのだろうか。会話は続く。
「じゃあ、そのあとどうすると?」
 作業の手を一瞬止め、考えるような間を取ってから、文さんのにこやかな声が続いた。
「満たされたと思ったら、帰ってきて、う~んそうだなぁ、ここでまた文月をやるんじゃない?」
「ぷっ。文さんらしいなあ。実はこのテストね、三つめの答えが本心なんやって。やけん、文さんが一番やりたいことは、文月っちゃんね~」
 なんだかほほえましい。自分の一番やりたいことをやっているんだ。いいな、と素直に思った。私はなんだろう。種明かしを聞いたあとだ。なかなかコレというものが思い当たらない。ま、いまは明日の打ち合わせの成功か。私はこつまみとビールをきれいに平らげると、お会計をしてドアに手をかけた。
「今日はお月様がきれいですよね?。眺めながら帰ってくださいね。あ、でも上ばかり見ていないで車にも気をつけて」
 いたずらっぽい笑顔に見送られる。探偵事務所のようなドアをしめるとき、常連の彼女の足下でブーツの金具が、控えめに小さく揺れているのが目に入った。

<「ぶどうの親子」、簡単なのに美味しそうですね。続きは5月28日にアップいたします。>

Profile

標野凪

静岡県浜松市出身。東京、福岡、札幌と移り住む。福岡で開業し、現在は東京都内にて小さなお店を切り盛りしている現役カフェ店主でもある。
2018年「第1回おいしい文学賞」にて最終候補となり、2019年に『終電前のちょいごはん 薬院文月のみかづきレシピ』でデビュー。

Pick Up Book

  • かがみの孤城
  • i
  • 私のスポットライト
  • ビオレタ
ポプラ社一般書通信 note

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