終電前のちょいごはん

標野凪

終電前のちょいごはん

3

月夜のグリューワイン

自分のデザインがないがしろにされていくことに焦り、空回りと感じながらも手を尽くした日向子。その結果は......

     *

『予算の都合で、別の案で仕切り直すことにしました。こちらの力不足でお手を煩わせました』
 そろそろ本格的な冬が目前に迫ってきていた。来週あたりには福岡でも初雪が観測されそうだとニュースで流れていた。早瀬さんから一筆とともに、大きな箱が宅配便で送られてきた。しばらく眺めていたが、廊下に立てかけてある脚立を開いて、箱を抱えて登る。そしてそのまま押し入れの天袋の奥にしまいこんだ。箱の封をしていたガムテープは開かなかった。
 内覧会の招待状が届いたのは、それからすぐのことだった。
「行きたくなかー」
 と思った。でもどうなったか見届けるのも仕事のうちだと気持ちを奮い立たせた。
 ショッピングモールへは家からだと高速を使えば一時間弱。へたくそな運転で迷いながら行くよりも、天神から出る高速バスを使うと便利だとわかり、バスで行くことにした。三十分もすると窓の外は空が広くなり、最寄りのバス停に到着する頃には、すっかり果樹園が並ぶ景色に変わる。
 バスを降りると、目の前にできたばかりのショッピングモールが広がっていた。映画館 やテーマパークも併設されているらしく、敷地がいっぺんに視界に入らないほどの規模だ。関係者向けの内覧会だけあって、駐車場のあたりからスーツ姿の人でごった返していた。 入り口で渡されたフロアガイドを見ながら歩いていくと、後ろから声をかけられた。西田さんだ。
「澤井さん! 来てくれたんやね。お店こちらですよ」
 つかの間のチーム員だったけれど、懐かしいような心地になる。
 案内されたその店舗のデザインは、最初の案とはもちろん、私が最後に作った模型とも 全く違うものだった。これまでの案に比べて、いいのか悪いのかすら、私にはわからない。店内に並んだ商品の中でひときわ鮮やかなシリーズに目が行く。ソックスやシャツ、文具にも、ポップな楕円が賑やかに躍っている。田名部さんのはにかんだ笑顔が目に浮かぶようだ。
 その時、奥で商品の置き方を指示している早瀬さんの後ろ姿が見えた。途端に心臓が大きな音を立てはじめた。ショートヘアだった髪が伸び、やわらかいパーマが少し大人びた雰囲気に見せている。何て声を掛けたらいいんだろう、とためらっていると、設備業者に呼ばれて店の外に向かう西田さんが、先に声を掛けてくれた。
 早瀬さんがこちらを振り向いて、私に会釈をしたとほぼ同時だ。後ろから華やかな声が響いた。
「早瀬さぁん」
 すらりとしたパンツスーツ姿の女性が私の横を通り過ぎていった。一つに束ねた髪の毛の結び目のところを少しだけふんわりと浮かせている。ほどよくフィットした細身のニット素材のジャケットから伸びた腕を頭の高さまであげて、軽く手を振る。
「わ~! お忙しいのにすみません」
 早瀬さんがぱっと顔を輝かせて駆け寄る。
「ここ、ここです。壁の色、これにして大正解でしたよ。照明との相性もバッチリです。どうしても見ていただきたくて......」
 女性の手を引いて、店内に引き込む。位置的に、二人がちょうど私の目の前を横切ることになった。早瀬さんは女性の腕を取りながら目だけをこちらに向けて、
「色々とありがとうございました。ゆっくりしていってくださいね」
 軽く口角を上げたその表情のまま、女性のほうに向き直り、奥へと離れていく。
「このあとってランチ行く時間あります? フードコートにオススメのお店があるんですよ」
 上がったトーンの声が店内によく響く。はしゃぐような口調はこれまで知っていた早瀬さんとは別人のようだ。その声に耳をふさぐように、私は店を出た。出てすぐのところにあった下りのエスカレーターに乗る。
 目の前の店に何も考えずに入ってしまってから棚を見ると、シルバーのパックがずらっと並んでいる。東京の老舗の乾物店のようだ。出汁や調味料が並ぶ店内には、九州初という文字が躍っている。一番下の段のものを手に取ろうとかがんだ。
 その俯いた顔から、膝にぽたりと涙がこぼれた。溢れるものを抑えることができない。
慌てて目の前にあったパックを一つ取って裏の説明書きを読むふりをして顔を伏せた。

     *

 からからからから。からからからから。
 相変わらず頭の中でステンレスの輪っかが回っている。でももうハムスターはいない。きっと疲れ果ててどこかで倒れてしまっているのだ。主を失った輪っかは、それでも変わらず回り続けている。
 からからからから。からからからから。

 そういえば、完成した店舗を見に行くついでに、従兄弟に会おうなんて思っていたこともあったっけ。たった数ヶ月前のことなのに、もはや自分のことではないような遠い記憶だ。帰りのバスの中は暖かかった。ふうっとため息をつくとまた頬を涙が伝ってきた。もう拭うこともせず、流れていく外の風景をただ眺めていた。
 いつの間にか眠ってしまっていたようだ。気付いたら西鉄天神高速バスターミナルに入る信号にさしかかっていた。外はもう真っ暗。歩いて帰る気力もなく、路線バスに乗り換える。朝から何も食べていない。事務所のある警固を通過し、薬院六つ角が見えたところでバスを降り、小さな灯りを目指した。
 今夜は看板の横に、店主の文さんが立っていた。誰かを見送ったあとだろうか、ぼんやりした表情で空をじっと見上げている。
「こんばんは。まだ開いとう?」
「あ、どうぞ、どうぞ」
 いたずらが見つかった子供のように、恥ずかしそうに俯きながら、文さんは階段をタンタンと上がって行く。それに続いて私も一段いちだんゆっくり上る。ピンクベージュのパンプスが、足を圧迫して小指のあたりがむくんで重い。踵の脇にも擦れたような痛みが走る。
 店内に入るとふわりと森のような香りに包まれた。見ると窓際に小さなリースがいくつも飾られている。
「いい香り......」
 ぽつりと言うと、
「ローズマリーを丸めただけなんですよ」
 文さんが眠たそうな瞳を細めた。
 ここに来るといつも季節を思い出させてくれる。街中のイルミネーションは落ち着かなくて避けて歩くけれど、こんなリースなら、家に飾ってもいいかもしれない。
「お休み前なのに遅い時間にすみません」
 と言うと、不思議そうな顔でこちらを見る。この間、閉まっていたのが確か水曜だったので、水曜定休日かと思っていたのだ。
「うちは、三日月から満月までが営業日なんですよ」
 遅い時間だからだろうか。眠たそうな目をもっと細めながら、キッチンの壁に掛かっているカレンダーをこちらに見せてくれる。日付の下に月の満ち欠けがイラストで描かれている。指差されたところを見ると、今日は満月の少し手前のようだ。
「三日月から満月っていうと一ヶ月の半分くらいやろ?」
「え~と、実は二週間弱ってとこなんです」
 きまり悪そうに文さんが肩をすくめる。驚いた。個人経営の小さなお店では、不定休というところも多いし、店主の都合でいきなり臨時休業なんていう店も珍しくない。主婦が自宅の一部を開放したりダブルワークなどで週末だけ営業するという店もある。でも見たところ悠々自適な奥様稼業という風でもなさそうだ。
「何か他に仕事しようと?」
 返事の代わりに、文さんはやわらかい笑みを湛えた。
 椅子に置いたバッグからシルバーのパッケージが顔を覗かせている。それを取り出す。
「これ、出先で見つけたけん」
 さっきのお店で買ったものだ。平袋にはシンプルなロゴが控えめに描かれた和紙が、掛け紙のように巻かれている。
「わあ、懐かしい!」
 文さんはくるくるとした目を細める。
「文さん、東京の人かなって思ったけん」
「そうなんですよ?」
 うふふ、と小さく笑う。
 手渡されたメニューには《冬限定 グリューワイン》という文字と湯気のたつマグカップの絵が添えられている。ヘタウマというか、味のある絵だ。
「グリューワインって...... 」
 待ってましたという笑顔を見せて文さんが説明する。
「ホットワインのことです。うちではスパイスやフルーツをハチミツと一緒に赤ワインに漬け込んでいるんですよ。あったまりますよ~」
 注文してしばらくすると、幾何学模様が刺繍されたコースターに、レンガ色のマグカップが載せられる。カップを抱え込むと、湯気が顔にかかった。中を覗くと、よく漬かったオレンジが一切れ入っている。ふ~っと息を吹きかけ、ゆっくり口に含む。スパイスの刺 激とワインの苦み、ハチミツの甘さがいっぺんに重なりあって、体にじんわりと染み渡る。
「北欧風ならグロッグ、フランスならヴァン・ショー。グリューワインって呼び方はドイツ風なんです。作り方に違いがあるのかは......どうなんでしょうねえ~」
 わかんないなあ、と他人事のように話すのが可笑しくて、つられて笑ってしまう。
 笑い声が途切れたところで、文さんが言った。
「いつもお忙しそうですね」
 心に沁み入るような声だった。最初にこの店を訪れてから今日で三度めだったか四度め だったか。まだそれくらいなのに、覚えていてくれるのだ。通り一遍の会話のようでいて、ちゃんと見ていてくれている。それでいて立ち入りすぎない間合いがありがたい。この人になら話してみようかと思った。
「私、輪っかを回るハムスターなんよねえ」
「え?」
 いつも頭の中にある、からからした音と輪っかの説明を、文さんは洗い終えた食器を、手に馴染んだやわらかそうな麻の布巾で拭きながら静かに聞いてくれた。全部話し終えたあとで、
「走り続けられるって素敵じゃないですか」
 心から羨ましいという表情で文さんが言った。
「同じところをくるくる回っているだけに見えても、ふと横を見たら、小さな洞穴があったりするかもしれませんよ」
「ええ?」
 意外な一言に思わず気の抜けた声が出た。
 そういえば、横を見ようなんて思ったこともなかった。前だけ見ることが正しいと思い込んでいたからだ。よそ見をすると後れを取る、それは逃げだとどこかで感じていた。
「そっか......。もうだめやって思ったら、そこに逃げ込めばいいんやね」
 洞穴はどんな場所だろう。このお店のようなほっとする場所かもしれない。
「ええ。そこで休んで元気になったら、また輪っかに戻ればいいんですもん」
 早瀬さんの横顔を思い出す。私は自分の意見を通さなくてはいけない、と気負っていただけかもしれない。もっとみんなの意見を聞いて、まとめていく方法があったのではないだろうか。肩に入っていた力がふわっと軽くなっていくようだ。
「洞穴の先に、抜け道があるかもしれんけんね」
 そう言う私に、文さんがにっこりと頷く。
「それに、輪っかだって、金属製だけじゃないかもしれませんよ」
 はっとした。走る道は木や竹だっていい。麻紐を組んでも作れる。型通りの仕事の中でも、やれることはもっとあるはずだ。
 顔を上げると文さんの姿はキッチンの奥に隠れていた。シンクを静かに磨く音がしている。
 机に置いたスマホがブルッと震えた。仕事用のアドレスから転送されたメールだった。タイトルに『お仕事のご依頼』。メールの中身は帰ってから見よう。そして、どんな仕事であっても、今度こそ、ちゃんとやり遂げよう。
 手元のマグカップはまだほんのり温かい。くいっと飲み切る。刺激、苦み、甘さ。まるで毎日の仕事のようだな、と思ってふと気が付くと、頭の中のからからいう音がいつの間にか止まっていた。
 もしかしたらステンレスのまわし車が木製に替わったのかもしれない。これなら走り続けられるような気がして、私はカタリと席を立った。
 窓の外では、左側が少し欠けた楕円のような明るい月が輝いていた。

「月夜のグリューワイン」終わり

『終電前のちょいごはん 薬院文月のみかづきレシピ』(ポプラ文庫ピュアフル)は、6月4、5日発売です。続きのお話もぜひおたのしみください。日向子の食べた「ぶどうの親子」のレシピも載っています。

Profile

標野凪

静岡県浜松市出身。東京、福岡、札幌と移り住む。福岡で開業し、現在は東京都内にて小さなお店を切り盛りしている現役カフェ店主でもある。
2018年「第1回おいしい文学賞」にて最終候補となり、2019年に『終電前のちょいごはん 薬院文月のみかづきレシピ』でデビュー。

Pick Up Book

  • かがみの孤城
  • i
  • 私のスポットライト
  • ビオレタ
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