半分日本人

モハメド・オマル・アブディン

半分日本人

写真:森 豊

2

コイをやめます。

 コイをやめます。
 心を寄せ続けて18年。もうかれこれぼくの人生の半分くらい、愛が芽生えるのをじいっとじいっと待っていたのだ。
 その日は来ないかもしれない。だけど、来るかもしれないという淡い期待を持つことに意味があった。そう、夢ってやつだ。

 夢を抱くことは、つらい毎日を乗り越えるには何よりのクスリだ。
 しょうもない夢といわれてもしかたない。だけど、身近でありながら、かつ遠いものでなければ、ぼくの場合は夢として機能しづらい。すぐに実現されてしまうようだと困るのだ。そのあたり、カープの優勝というのは、すぐに実現しそうな夢の類ではあるまい。

 来日した1998年から2012年までのおよそ15年間、カープがAクラスになることは一度もなかった。かといって、ダントツのビリに安住しているわけでもない。一応、毎年、夏までの間は期待をさせてくれる。ぼくたちのような暑苦しいファンが勝手に妄想しているだけかもしれないが。

 8月になると、だいたい優勝は絶望的になる。だが二軍の選手が上がってきて、ちょこっと活躍しだしたりして、ファンは次のシーズンに希望をもつ。

 9月になればドラフトの話題で、カープファンは大盛り上がりする。成績だけをみれば紛れもなく暗黒時代なのだが、ファンはシーズンを通して、なにかにつけて楽しんでいる。人生だって、希望と挫折が折り重なってできている。だから、カープは人生を映し出しているような気がするのだ。

「そもそも、なんでカープを好きになったの?」という質問は今でも頻繁に受けるのだが、理由なんてどうだっていいではないか。コイに落ちるのに理由が必要だろうか? 落ちるときは、なにかに取り憑かれたかのようにずるずると落ちてゆくものなのだ。
 ......なんてぼくがいっても説得力がないだろうから、一応のきっかけを書いておきたい。

 来日した1998年当時、ぼくは野球というスポーツの存在すら知らなかった。
 だが、日本では毎晩、テレビをつけてもラジオをつけても野球の中継をしている。

 スポーツといえば、それまでのぼくにとってはサッカーだった。サッカーは好きなチームがあっても、せいぜい1週間に2試合ぐらいしかやらない。だが野球ときたら、普通の労働者よりも休みが少なく、週6日間も試合が組まれているではないか。しかも同じ相手と3日連続で試合をするときている。

 最初は3連戦をやっていると気づかず、再放送を2回やっているのだと勘違いしたくらいだ。それに、ほとんど毎晩巨人が勝っていたから退屈だった。

 それが、ある時、広島カープというチームが巨人に勝利した。広島は小さい時から原爆を落とされた町と教わって知っていたし、巨人に勝つぐらいの強いチームなんだと思いこんでしまった。そして、気づけばカープが好きになっていた。コイは往々にして勘違いから生まれるものだ。その後、カープがめっぽう弱いチームだという事実が明らかになっても、ぼくはコイから抜け出せずにここまできてしまった。

 カープと15年も付き合ううちに、自分が日本にいる間、いや、生きている間はリーグ優勝どころかクライマックスシリーズに出場することもないだろうと内心あきらめていた。

 ところが、2013年から、なにやらチームが変わり始めた。若い女子に人気が出たり、小ぎれいなホームスタジアムができたり、おまけにチームがAクラスに残り、クライマックスシリーズを戦ったりと、ぼくのデータベースになかったことが次々と起こった。

 こうなると、へそ曲がりのぼくは急に不安になる。優勝をマジで期待し始める。夢の実現も見えてくる。と同時に、夢が実現してしまえば、次はいったい何を人生の目標にしたらいいのか、気が気でなくなってくる。

 2014年のオフには、ドラマが起きた。
 かつてカープのエースを務めた黒田博樹投手がメジャーリーグの驚愕の年俸を断って、カープに戻ることを決意したのだ。ぼくのような小さな人間にはなかなか理解しがたい行動だ。

 この黒田の決断が、日本では男気男気と騒がれたが、ぼくはこの言葉が苦手だ。人間は常に居心地の良い場所を探すものだから、本人はただ素直に自分の心に従っただけなのだろう。

 黒田が戻ってきて、誰しもが優勝を確信した。マエケンと黒田という二枚甲板なら大丈夫だ。
「黒田なら25勝ぐらいできるんじゃないの」などという浅はかなことを言う人まで現れてわーわー騒いでおった。

 すこし記憶力のよいオールドファンなら、黒田が帰ってくることで優勝が近づくなんて思わなかったはずだ。だって、彼がキレキレのエースだった時代は、まさにカープの暗黒時代と重なっているし、ぼくの記憶では、黒田が先発する試合はだいたい監督が交代を引っぱりすぎて、結局完投負けになることが多かった。

 2015年のシーズン、カープは勝ったり負けたりして結局最終試合に負け、クライマックスシリーズ出場を逃した。「さすが黒田だなぁ」と思った。ついてない。

 そして、一昨年のオフに大エースのマエケンがメジャーにいってしまった。暗黒時代が再到来したとぼくは確信した。なぜなら、チームの中心に、新井と黒田という暗黒時代の中心選手がまた復活したからだ。

「よし、これでにわかファンは離れていくな」と、ぼくの中の独占欲がまた勢いづいてきた。自分だけが本物のファンであることを証明したいがために、ぼくはチームの停滞をどこかで期待していた。コイの炎が燃えすぎて、わが身を燃やしてしまうかのように。

 そして昨年。予想だにしなかったことが起きた。カープが優勝してしまったのだ。心の準備もないのに、夢が実現してしまった。今のぼくの気持ちは、嬉しさと虚無感が半々だ。

 ぼくは思った。カープファンを辞めるのには、今が最高のタイミングではないか。夢は叶ったし、これ以上期待することはない。それに、ガチで応援してきて、ぼくはほとほと疲れてしまった。野球から距離を置こう。

 まず、カープ戦ではないのに、ちょこちょこ入ってくる他球場の途中経過でカープ情報が聞けるかもしれないという理由で、他チームのラジオ中継を3時間ぶっ通しで聞くのをやめよう。

 そして、ラジオ中継を聞きながら、いちいちピッチャーの気持ちになったり、バッターの気持ちになったりするのはやめよう。これって、やっている選手よりも疲れるのだ。しかもこちらはただ働き。

 それ以上に問題なのは、ナイターを聞いていると、妻の言葉がまるで耳に入ってこないことだ。体をゆすられるまで気づかない。このままだと家庭内の平和が脅かされるだろう。

 だからぼくは決めたんだ。
 もうコイはやめます。
 家庭を顧みるようにします。仕事も今まで以上に頑張ります。

 暑苦しいファンがいなくなることは、チームにとってもよいかもしれない。
 コイをやめます。
 これ以上は、心身がついてゆかない。
 コイをやめます。
 今までめいっぱい応援させていただいて幸せでした。
 コイをやめます。
 やめるんだ。
 絶対に。
 これを書いたら、もう後戻りはできない。
 ぼくは、コイをやめます。

Profile

モハメド・オマル・アブディン

1978年、スーダンの首都ハルツームに生まれる。生まれたときから弱視で、12歳のときに視力を失う。19歳のとき来日、福井県立盲学校で点字や鍼灸を学ぶ。その後、母国スーダンの紛争問題と平和について学びたいという思いから、東京外国語大学に入学。同大学の特任助教を経て、現在は学習院大学法学部政治学科特別客員教授。熱烈な広島カープファン。昨年、長年の夢だった優勝が実現して脱力状態にある。著書に自らの半生と、見たことのない日本をどのように感じてきたかを描いた『わが盲想』(ポプラ社)がある。

Pick Up Book

  • かがみの孤城
  • i
  • 私のスポットライト
  • ビオレタ

お知らせ

papakue17821.jpg ご愛読いただいていた「お父さんクエスト」(小山健)がついに本になります!連載された29本のマンガとともに以下のような豪華描きおろしが満載!「お父さんのためのワンポイントアドバイス!」幸せな家庭を築くために、お父さんが知っておかなければならない心構えやテクニックを11のイラストコラムにして解説。日本中のお父さん必読!「さち子さん、特別インタビュー」いつもダンナさんに描かれっぱなしのさち子さんの単独インタビューに成功。二人の出会いから、結婚、出産にいたるまで小山家の知られざる日常を語ります。And more...

170713_img.jpgポプラ文庫ピュアフルの人気シリーズ、「ばんぱいやのパフェ屋さん」(佐々木禎子 著)の1巻が、コミックスになりました! 漫画はやぎさん、このたび新創刊したレーベル「アニメージュコミックスmiere」(発行:ティーダワークス 発売:徳間書店)にて、7月5日発売です。文庫もコミックスも、よろしくお願いいたします!

978-4-591-15498-4.jpgのサムネイル画像ポプラ文庫ピュアフル7月新刊『英国幻視の少年たち5 ブラッド・オーヴァ・ウォーター』発売を記念して、著者深沢仁さんから読者の皆さんに、抽選で、キーホルダーやコンパクトミラーなどの英国土産をプレゼントいたします。新刊オビの応募券にてご応募ください。詳細と英国旅行のミニレポートをこちらでご紹介しています。

『あざみ野高校女子送球部! 』(ポプラ文庫ピュアフル、680円+税)の刊行を記念して、小瀬木麻美さん トーク&サイン会を開催いたします。

場所 :リブロ港北東急SC店特設会場  日時 : 2017年7月16日(日) 午後2時~

参加特典として、小瀬木麻美さんが今回のイベントのために書き下ろした「『あざみ野高校女子送球部!』番外編」をもれなくプレゼント!センター南が舞台になった短編小説です。

Cov_shigotoba_R.jpg佐藤ジュンコさんのコミックエッセイ『仕事場のちょっと奥までよろしいですか?』が刊行になりました。作家・伊坂幸太郎さん、漫画家・いがらしみきおさんから伝統工芸の職人さんまで「作ること」のプロ15名の仕事術をイラストでルポ!

達人たちの仕事場にお邪魔したら、楽しい驚きがいっぱい。まさに大人の社会科見学!ふむふむ、へーと読んでいるうちに、むくむくとやる気が湧いてくるお仕事エッセイです。

Pick Up Book

  • かがみの孤城
  • i
  • 私のスポットライト
  • ビオレタ