半分日本人

モハメド・オマル・アブディン

半分日本人

写真:森 豊

寂しい東京のある風景

「すみません。ご案内は京王の改札口までとなります」

 渋谷着の井の頭線ホームを降りたところで京王の駅員さんに告げられ、ぼくは耳を疑った。

「JRの改札口まで案内していただけませんか。先ほど駒場東大前でお願いしたときには何も言われませんでしたよ」

 自然と湧きだす怒りを押し殺しながら、できるだけ穏やかに伝える。

 めんどいことになるのは間違いないな。ぼくは思った。以前、JR立川駅で改札からバス乗り場までの誘導をお願いして拒否されたとき、怒りに身を任せた結果、駅員さんとまともな交渉ができず、しかたなく電車に乗って引き返したことを思い出した。今回はそんな自滅行為をする余裕はない。

 これから家に帰るには、なんとかしてJR乗り場までたどり着かなくてはならない。しかし、駅員さんは「申し訳ありませんが、会社のきまりで改札口までしかお連れできません」を連発するばかり。これでは埒があかない。

「じゃあ、すみません。責任者の方を呼んでください」

 ぼくはしかたなく、気持ちのこもらない言葉を投げかけた。

 駅員さんは駅長らしき人を呼んできた。そこで、また同じ説明をされた。
 ぼくは、「乗車するとき、JR秋葉原駅までの案内をお願いした際には何もいわれませんでしたよ」と説明した。

 そのお願いが認められるならば、渋谷駅に到着した際に井の頭線の職員にJRの改札まで連れて行ってもらう必要がある。もしできないなら、乗車の時点でJRへの移動はできないと伝えてもらわなければ困ってしまう。

 そのようにぼくが懸命に理屈をこねても、駅長は先ほどの駅員と同じことを繰り返すばかりだった。
 もはや怒りの感情は湧いてこず、どんどんあきれというより悲しい気持ちでいっぱいになってしまった。

 東京の最大の魅力は、障害があっても目的地の最寄り駅やバス停まで、駅員さんなどのヘルプを得て一人で行けることだと思っている。だからその日も、駒場東大前で研究会に出席した後、仕事とは関係のない友人にも会ってきた。ぼくは日本に暮らして、こういうことにすごく自由を感じてきたし、そのこと自体が、東京が世界に自慢できる一つの大切なサービスだと思っている。

 案内サービスをお願いすると、だいぶ待つことになる場合も多いけど、それよりも一人で出かけられる喜びのほうが大きい。そうやってぼくの生活は成り立っているのだ。

 東京オリンピックパラリンピックに向けて、東京は障害者にとってもっともっと住みやすい街になるだろう。そう期待していた矢先だけに、流れに逆行するような出来事に遭遇してとても残念だった。

 でも、ぼくは目の前の駅長に対して「障害者差別解消法」で定められている「合理的配慮」の必要性などを持ちだして議論するつもりはなかった。とりあえず、この局面からどうやって脱しようかなと考えて、こう切り出した。

「案内ができないことは、会社の規則のどこに書いてありますか?」

 駅長は迷わず、「規則には書いてありませんが、そうするように会社から周知を受けています」と応戦してきた。

 よし、とぼくは思った。とにかく家に帰ることだけ考えよう。

「規則に書かれていないことを、われわれ客はどうやって知ればいいですか?」

 ホームページに書いていただいたり、CMで流してもらったりしないとね。

 だが、駅長はこのバトルに引きずられまいと、先ほどから連発している「改札口までしかご案内できない」的な決まり文句にすがっている。

 ぼくは皮肉を交えて、「じゃあ、その辺のお客さんに声をかけて、『すみませんが、京王のきまりで連れていけないので、この目の不自由な方をJRまで連れて行ってください』と頼んでもらえませんか?」といってみた。

 しかし、駅長はさすがだ。そんな誘いには応じない。感情の起伏が感じられない声でこういった。

「申し訳ございませんが、それはできません」

 まいったな。

 が、ギブアップする寸前のところでぼくは思い出した。以前、JR立川駅でやはり駅長が出てきて規則規則と繰り返されたのだが、後になって、そういう場合は駅長の裁量で決められることがわかったのだ。
 ぼくは、最後の切り札を使った。

「規則に書いていないことは、駅長の裁量に委ねられているでしょう。あなたの裁量で、JRに連れていけないと判断したと思っていいですね?」

 個人の責任をほのめかすよう、できるだけ厳しく、乾いた声で伝えると、状況が一変した。

 駅長は「ちょっと待ってください」と言い残し、2~3分くらいどこかへいってしまった。

 帰ってきたとき、駅長の声のトーンがすこし変わっていた。優しくなったわけではなく、意思を貫徹できなかった口惜しさでいっぱいの声だった。

「今、駒場東大前に連絡して聞いたら、乗車の際、京王がJRまで連れていけないことをお伝えできていなかったようなので、今回はご案内しますが、次回からはできないので気をつけてください」

 ぼくは勝利にひたるべきだった。無事にJRに連れて行ってもらえることになったんだから。でも、ぼくは喜ぶどころか、むしろテンションが下がってしまった。

「次回からはどうすればいいですか?」

「介護の人をつれてきてください」

 そうばっさり切り捨てられ、ぼくは思わずへんなことをいってしまった。

「駅長さん、お名前はなんとおっしゃいますか?」

「Sと申しますが」

「Sさん、今おっしゃっていることや、この対応にSさんご自身納得がいっていますか?」

 きっと現場の職員たちは、現状にそぐわない会社からの命令に苦しみ、板ばさみになっているんじゃないかと、ねぎらいの言葉をかけたつもりだった。すると、

「会社のきまりなんです」

 とまた振り出しに戻ってしまった。
 ぼくはもうこれ以上なにかいうのをあきらめて、JRの改札口まで案内するよう命じられた若い職員の肘につかまって玉川改札を目指した。

 時代錯誤で、コスト削減しか考えていないこの鉄道会社の対応に怒りを覚えることはあっても、ぼくは現場の駅員たちのことを嫌いにはなれない。これまでたくさんの駅員さんに親切に案内していただいたし、その合間にかわした他愛のない会話を楽しんできた。

 駅の改築などで乗り換えルートが複雑になるのは仕方がない。でも、せめて同じ駅での鉄道会社間の案内はお願いできないだろうか? ショッピングモール、コーヒーショップ、レストランなどに連れて行ってくれというなら、もちろん断られてもしかたないが、乗り換えの案内を拒否されると、少なくとも僕自身は移動の自由が著しく制限されてしまう。

「駅員が忙しくて手が回らない」という言い分もあろう。経営のことについても、ぼくにはまったくわからない。しかし、駅における障害者の案内や、乗り換えのサポートを、会社がやるべき業務と考えるか、ボランティアと考えるのか、一度議論する必要があるのではないだろうか。

 この問題は鉄道会社だけのものではない。スポーツジムの利用に関しても、ことごとく同じような問題に出くわしてきており、ぼくはいまだ便利にスポーツジムを利用できていない。

 多くの人が享受している当たり前の生活を、「危険だから」「人手が足りないから」といった理由で障害者ができなくなることは、花の都大東京ではあってほしくない、あまりにも寂しい現実だ。

Profile

モハメド・オマル・アブディン

1978年、スーダンの首都ハルツームに生まれる。生まれたときから弱視で、12歳のときに視力を失う。19歳のとき来日、福井県立盲学校で点字や鍼灸を学ぶ。その後、母国スーダンの紛争問題と平和について学びたいという思いから、東京外国語大学に入学。同大学の特任助教を経て、現在は学習院大学法学部政治学科特別客員教授。熱烈な広島カープファン。昨年、長年の夢だった優勝が実現して脱力状態にある。著書に自らの半生と、見たことのない日本をどのように感じてきたかを描いた『わが盲想』(ポプラ社)がある。

Pick Up Book

  • かがみの孤城
  • i
  • 私のスポットライト
  • ビオレタ

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