半分日本人

モハメド・オマル・アブディン

半分日本人

写真:森 豊

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安眠デストロイヤー

 先月、別の研究機関に勤める研究者とともに、調査のため湾岸地域へ海外出張をした。
 レビューのいいホテルに宿泊して、5日間の短い調査に備えた。外の気温は25度前後で、人間とハエにとってもっとも過ごしやすい気候だったこともあり、コンディションとしては申し分なかった。

 最初の3日間は、時差ボケもほとんどなく、調査もスムーズに進んで、夜の12時には床に就くことができた。しかし、4日目と5日目の夜、ぼくはこれまで経験したことのない事態に見舞われることになる。

 まず4日目だが、夕食の後、同行していた研究者とともにホテル周辺の散歩に出掛けた。しかし、20分も経たないうちにホテルへ引き返すことに決めた。なぜなら、歩道が狭いうえに、いたるところに障害物があり、無秩序に車が停めてあったりして、とても歩けたものではなかったからだ。

 ぼくはたびたび車道に出て歩かざるを得なかった。湾岸地域のドライバーの運転マナーはとても良いとはいえず、車道に出るのは気が気ではなかった。

 ホテルに戻って雑用を終わらせると、ぼくは寝る体制に入った。
 意識が遠ざかったころ、はるかかなたから、何やら不気味なうごめきが意識の外側をかすり始めた。出張初日から何度か金縛りに遭っていたこともあり、ぼくはその不気味なうごめきを振り払うことができなかった。そうこうしているうちに、音は次第に大きくなっていった。

「こわいこわい......」

 ぼくは汗びっしょりになりながら必死にもがき、やっとの思いで金縛りを振りほどいて上体を起こした。一瞬の静寂の後、これまでかすかにしか聞こえなかったうめき声が、はっきりと聞こえてきた。

 そのときに気づいた。音の正体は隣室の男女が交わす熱い夜の声だったのだ。

 一瞬、ほっとした。そのうごめきは自分に物理的な危害を与えるものではない。深いため息をつくと、ぼくは汗びっしょりの身体をふたたびベッドに沈めた。
 そして、隣室からぶんぶんと立ち込める湿ったうごめきを意識から追い出そうと、駝鳥のごとく頭を二つの枕の間に潜らせると、上から布団をかぶった。

 おかげで声はよく聞こえなくなったが、ベースギターの低音のような響きは、しばらくの間、規則正しく鳴り続けた。

 この手の騒音は永遠に続かないのがせめてもの救いである。しばらくすると、ほとぼりが冷めたらしく、部屋には異様な静けさが高気圧のように広がってきた。

「寝てやるう......」

 ぼくはそのハプニングに負けじと、必死に意識を分厚い幕で遮断しようと努めた。そして、ふたたび眠りに落ちていった。

 身体の緊張が解け、質のよい眠りの領域に突入したころ、今度はけたたましい電話の音が部屋の静けさを一瞬にして切り裂いた。無意識に上体を右に反転させ、左腕をぱっと伸ばし、受話器をむしり取るように耳元に引っぱった。

「Hi」

 口をほとんど開けずに、やっとの思いでだみ声を発した。
「こんな時間に一体だれだよ!」と怒り心頭であるが、寝ぼけていてその怒りさえ咄嗟に出てこない。

「注文の宅配サービスが部屋にうかがいましたが、ドアを開けてもらえなかったようです」

 フロントからだった。

「そんなもの頼んだ覚えはありません」

 ぼくはガチャンと受話器を置き、罪のない布団にげんこつを一発お見舞いすると、ふたたび眠ろうと試みた。携帯電話の時計は、感情のない声で「午前2時半」と告げた。

 睡眠を奪われた怒りはいつまでも収まらず、ぼくはその後、寝つけることなく朝を迎えた。

 スポーツでは「中東の笛」はよく知られているが、ぼくは祖国に近いはずのQ国で、完全なアウェー感を突きつけられたのであった。

(次回、次の夜の波乱に続く)

Profile

モハメド・オマル・アブディン

1978年、スーダンの首都ハルツームに生まれる。生まれたときから弱視で、12歳のときに視力を失う。19歳のとき来日、福井県立盲学校で点字や鍼灸を学ぶ。その後、母国スーダンの紛争問題と平和について学びたいという思いから、東京外国語大学に入学。同大学の特任助教を経て、現在は学習院大学法学部政治学科特別客員教授。熱烈な広島カープファン。昨年、長年の夢だった優勝が実現して脱力状態にある。著書に自らの半生と、見たことのない日本をどのように感じてきたかを描いた『わが盲想』(ポプラ社)がある。

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