半分日本人

モハメド・オマル・アブディン

半分日本人

写真:森 豊

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お年玉

 少し遅くなってしまったが、今年のラマダン明けの日のことを書かせてください。

 その日、3人の子どもを車に乗せて帰ろうとすると、見知らぬ男が迷いなく私たちの車に向かって歩いてきた。運転席の妻は、「パキスタン風の人がこっちにくるけど、知り合い?」と尋ねた。

 先ほどまで行われていたラマダン(イスラム教徒の断食の月)明けの礼拝で、多くの国々のムスリムたちとあいさつを交わしたが、私たちはそのほとんどの方たちの名前を知らない。

 ラマダンとは、イスラム暦の9月にあたる月の名前だ。
 その月になると、健康な成人は毎日夜明けから日没まで、一切飲食しない。ちなみに、子どもや妊婦など、断食することにより健康に被害が及んでしまいそうな人は免除されている(目が見えなくても断食を免れる言い訳にはならない)。

 この習慣には、断食を通じて、普段満足にごはんを食べられない人々の気持ちを理解するといった意味合いがあるのだが、ラマダン中は、日没を迎えると同時に見切り発車的に暴食してしまう人が多い。その結果、かえって体重の新記録を打ち立てることになったりして、本末転倒な側面もある。だが、今年のラマダンで、ぼくは生まれて初めて減量に成功したのでプチ自慢させてください。理由は、仕事が忙しく、帰宅が遅い日が続き、単純に食べることよりも寝ることを優先したからである。

 さて、車に迫ってきたパキスタン人に話を戻そう。僕にはパキスタン人の知り合いはほぼいなかったので、だれなのかちょっと見当がつかなかった。
 男は車までやってきて、祭り(イード)のあいさつを済ませると、いきなりポケットから現金を取り出して、3人の子どもに次々と渡しはじめた。

 あっけにとられた妻が、あわてて断りの意思を伝えると、男は「せっかくのイードなんだから」といって、我々の言葉を全部聞くこともなく、車から離れていった。

 僕も妻もそれ以上の抵抗をせず、阿吽の呼吸でにっこりと「ありがとうございます」とだけ口にしていた。なぜか日本語が自然に出てきた。
 僕も、おそらく僕と1歳しか離れていない妻の頭にも、急に子どものころのお祭りの記憶がよみがえっていた。

 お祭りの日にはほんとうに楽しい思い出しかない。
 小さいころ、モスク前の広場で朝一番に礼拝を終わらせると、兄と弟と一緒に、よく近所の家々にお祝いを言いに回ったものだ。

 お祭りの日には、家々の玄関がすべて開け放たれ、だれもが入ってきやすいようになっていた。玄関が開いていないのは、空き家か、故郷へ帰省中か、あるいは近所づきあいを得意としない家のみであった。

 子どもの狙いは、当然ながら純粋にイードを祝うだけではない。
 その日は、それぞれの家が自慢の手作りクッキーを来客にふるまうので、子どもにとっては、甘いもの天国の一日なのだ。

 そして、もう一つの楽しみは、近い親族からもらうお年玉だった。だいたい、何年かそれをやっていると、どこのおじちゃんやおばちゃんがお年玉をくれるかわかってくるので戦略的に、しかも他の子どもたちに搾り取られる前に、我々はできるだけスピーディーにパトロンのところへあいさつに行くように心がけていた。

 そして、いくつかのお年玉が集まると、それを握りしめて、礼拝の片づけが終わったモスク前広場にダッシュで戻る。
 目指すは、貸し自転車のおじさんのところ。列に並んで順番を待ってから、広場5周分の代金を払って、乗り慣れない自転車にまたがり、目いっぱい格好をつけて、猛スピードでスタートを切る。そして、最初のカーブを曲がり切れずモスクの向かい側にある女子小学校のブロック塀(落書きのある辺り)に激突して転倒するのも毎年の恒例行事だった。
 そこまでやらないと、ぼくらの祭りの日は始まらないのだ。

 お年玉の使いみちとしては、他に貸しブランコや、綿あめなどの出店もあった。
 それらの出店は、お祭りの期間だけ降って湧いたように現れる。三日目が終わるころになると、いつのまにか広場は元の静けさを取り戻し、昨日までの熱気は嘘のように消える。そして、せっかく集めたお年玉も、一銭も残らず、すべてあの店主たちの懐に流れ込んでいるのである。

 このような楽しい記憶が、見知らぬパキスタン人が車から離れていく30秒の間に、僕と妻の脳裏に鮮明によみがえったのである。

 できれば、お祭りの時期に合わせて子どもを連れて故郷に帰りたいが、仕事や学校の都合上、それはむずかしい。そして、今のスーダンでは昔のような楽しいイードの雰囲気はほぼ失われてしまったと友人からも聞いている。

 家々の玄関は閉ざされ、貸し自転車のおじさんや、あの突然降って湧いてくる出店の店主たちも、姿をくらましてしまったのである。それも時代の流れなのだからしかたあるまい。

 しかし、今年のイードで我が子たちが大人からお年玉をいただくという嬉しい体験ができたことは、なにより大切なものとなった。欲を言うなら、一緒にいるでっかい子どもにもお年玉の対象を広げていただきたかった。

 名乗りもせずに去っていかれた、こちらからお名前を尋ねることもしなかったあのパキスタンの方に、この場を借りて御礼を伝えたい。

Profile

モハメド・オマル・アブディン

1978年、スーダンの首都ハルツームに生まれる。生まれたときから弱視で、12歳のときに視力を失う。19歳のとき来日、福井県立盲学校で点字や鍼灸を学ぶ。その後、母国スーダンの紛争問題と平和について学びたいという思いから、東京外国語大学に入学。同大学の特任助教を経て、現在は学習院大学法学部政治学科特別客員教授。熱烈な広島カープファン。昨年、長年の夢だった優勝が実現して脱力状態にある。著書に自らの半生と、見たことのない日本をどのように感じてきたかを描いた『わが盲想』(ポプラ社)がある。

Pick Up Book

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