花のお江戸で粗茶一服

松村栄子

花のお江戸で粗茶一服

画:柴田ゆう

3

風太郎勿食の段/その2

 秀馬(ほつま)は床の間の前に腕組みをして坐っており、襖が開くまでは目を閉じていたようだ。廊下に坐ったまま覗き込むと、「入れ」と声がした。
「ここへ来て坐れ」
 言われるまま父の向かいに坐る。無論、正座だ。
「何か言うことはあるか」
「あ、はい......。えぇと......」 
 秀馬は不機嫌そうに肩を揺する。息子は京都へ行って成長したと公子(きみこ)やカンナは言うのだが、見ていると何も変わっていない。ぐにゃぐにゃしたままではないか。しかし、たしかに二年見ない間に身体つきだけは締まったようだ。ずいぶん日に焼けている。髪は伸びきってむさくるしいが、家を出たとき染めていたふざけた青い色はない。
「ないのか」
「あ、いや」
 遊馬(あすま)は意を決したように一膝下がり、両の拳を畳について頭を下げた。
「ただいま帰りました。勝手に家出して申し訳ありませんでした!」
 ふむと秀馬は小さく頷いた。満足した印だが、そう悟らせるつもりはない。聞きたいことはたくさんある。山での暮らしはどんなだったのかとか、一年前に送ってきた奇妙な手紙は何だったのかとか、それは候文(そうろうぶん)で書かれていたがいったい誰にそんなものを教わったのかとか、世話になった大阿闍梨(だいあじゃり)はどのような人物だったかとかいろいろだ。が、そんなことを語らせれば息子は図に乗るだろう。余計なことは後だ。
「で、なぜ帰ってきた」
「なぜって......なんとなくまた弥一と稽古したくなって......」
 ふんと秀馬は鼻を鳴らす。
「なんとなくか。あれだけ大騒ぎをして皆に迷惑をかけておいて、なんとなく帰ってきたと言うのか、おまえは」
「あ、そうじゃなくて」
 ぶるぶると首を横に振る。そうではない。たとえ家族でもきちんと言葉で説明しなければならないのだと、向こうで友に教わった。
「えっと、つまり、京都には立派な師匠もいたんだけど、考えてみると、それは比呂希(ひろき)の師匠だったり翠(みどり)ちゃんの師匠だったり峰男(みねお)の師匠だったりしたわけで、俺の師匠は、そうだ、弥一(やいち)だって思い出して、師匠が生きてるうちに教われることは教わらないと損だっていうか、弥一だっていつまでも元気とは限らないし」
「向こうで誰か亡くなったのか」
「いやいやいやいや」
 落語家のように目の前で掌をひらひらさせる。
「死ぬどころか、妖怪みたいな年寄り連中がぴんぴんして働いてるけど、それはそれで若い俺がのんびりしてる場合じゃねぇなって気にもなって」
「ほーぉ、跡取りの自覚ができたか。それで真面目に稽古をし直す気になったと」
「あ、いや、そこまでは......」
 なんだ、と秀馬は落胆した。
「そんなむさくるしいなりをして、少しは気骨ができたかと思えば、中身は蒟蒻(こんにゃく)のまんまだな、でれすけが。大学はどうする」
「大学? あ、いや、もうそういうのは」
「行く気がないのか」
「無理だと思うし、時間の無駄だし......」
 口籠もったところへ公子が茶を持って入ってきた。
「そんなことないとお母さんは思うわよ。今からでも勉強すれば間に合います」
「佐保(さほ)さんより後輩になっちまうがな」
「あなたっ。長い人生から見たら、今の二、三年なんてどうってことありませんよ。それが恥ずかしいなら、いっそアメリカへ留学でもしたらどうかしら。なんとか世間体は保てるし、英語のひとつも喋れるようになって帰ってくれば決して損ではないと思うわよ」
「そんなまやかしが通る世の中とも思えんが」
「あなたは黙っていて下さい」
 思わずそう言ってから、あらすみませんと口をつぐんだ。
 冗談じゃない、いまさら受験勉強などする気にはなれないし、アメリカって何だ、どこからそんなことを思いつくんだと遊馬は呆れ、いや、自分が今したいのは武道や茶道の稽古なのだとあらためて思った。
「するってぇと何か、お前は、家を継ぐつもりも大学に行く気もないが、弥一に指南を受けたいから戻ってきたと、そういうことか」
 遊馬は黙って俯いた。まあ、そういうことだ。家を出たときに比べればかなり前向きにはなったが、状況としては何も違わない。なのにのこのこ戻ってくるというのは虫がよすぎるかもしれない。少なくとも父はそう思うだろう。
「かまわんぞ」
 だが、意外にも秀馬はそう言った。遊馬がびっくりしていると、もう一度、かまわんとくり返して腕組みを解いた。
「この家はお前の家だ。いてかまわん。家元を継ぐ覚悟ができんというなら仕方がない。簡単に引き受けられないというのは、それだけ責任の重さを感じているからなのかもしれん。まだ時間はある。おまえがダメなら行馬もいる。考えてみればどうしても世襲でなけりゃならんわけでもない。そうか、大学へは行かんか。大学へ行かなくて、何をするつもりだ」
「だから稽古を......」
「おまえな」
「はい」
「弥一の稽古はタダではないぞ」
「へっ?」
「へっじゃないだろう、弥一はおまえの親ではない。坂東巴流(ばんどうともえりゅう)の跡継ぎを育てると思えばこそ弟子の義務として鍛えてもくれようが、そうでないならおまえだって一門人に過ぎん。うちに通ってくる者たちはそれなりに月謝を持ってやってくるぞ」
「金払えってこと? 跡を継がないなら金払えって、そういうこと!?」
「遊馬っ」
 公子が眉尻をピッと上げた。
「そうではない。継ごうが継ぐまいが、同じだ。おまえいくつになった」
「二十歳。あ、もうすぐ二十一だけど」
「だったらな、もう、のんきにタダメシ食ってる歳ではないのだ。昔ならとっくに前髪を剃って元服も済ませている。一人前ということだ。家元云々の話じゃない、社会の一員として、家族の一員として、一人前に働く歳だ。まして長男じゃないか。これからは、おまえも友衛家の男子として家族を養う側だ。わたしは長らく警察学校の教官をしておまえたちを養ってきた。祖父さんもその昔は官吏をして家族を支えた。おまえはこれから何をして家族を養う?」
「手伝いはするつもりだよ。掃除とか、弥一の助手とか」
「当然だ。だが家の中でいくら働いても金にはならん。豆腐一丁買えやしない。それでは〈養う〉とは言えない。おまえもわかると思うが、うちみたいな小さな流派では、家元業で一家が食べていくなんてことはできないからな」
 遊馬はガツンと頭を殴られた気がした。〈坂東巴流〉が弱小流派なのは知っていた。家も狭くて贅沢できないのも知っていた。だが、自分がよそで働かなければならないほど困窮しているとは思わなかった。
「......でも、みんな月謝を......」
「そんなものはいくらでもない。門人が納めてくれるものはせいぜいが稽古場の維持費に過ぎん。我々の食い扶持(ぶち)は自分で稼がねばな」
〈坂東巴流〉の親にあたる〈宗家巴流〉は、京都を中心に海外まで軽く十万人を超える門人を抱えている。家元は毎日全国を飛び回っていて、当たり前だが勤めに出る暇も必要もない。が、〈坂東巴流〉は、茶道だけなら生きているのか死んでいるのかわからない者まで含めてせいぜい三千人、弓道、剣道を合わせても五、六千人といったところだろう。茶道と武道の掛け持ちも多いから、これもあくまでのべ人数だ。弓道、剣道は、道場主が流派の者ならその弟子もみな門人と数えるが、本人たちにその意識がどれほどあるものか、子供たちが多いし、むろん家元にまで会費を納めることはない。登録制度があるわけでもないから、門人数といってもかなりおおざっぱなものだ。
 父が経済の話をするのは初めてだった。これまでは、子供は金の心配などするものではないとばかり言われていた。しかし遊馬も、家出前ならいざしらず、今は金がないとはどういうことか骨身に沁みている。京都では小銭を稼ぐために托鉢(たくはつ)を真似たこともあれば、野草を摘んで糊口(ここう)をしのいだこともある。そんな体験によってずいぶん逞(たくま)しくもなったのだ。ショックから立ち直ると、遊馬は尋ねた。
「何人くらいいたら食ってけるの?」
「何?」
「門人が少ないから赤字なんだろ。何人に増えたら、うちは食ってけるの?」
 秀馬は少し驚いた顔をして息子を見た。公子もだ。
「そんなことは考えんでよろしい。いや、考えてもらっては困る」
「だって、今、父さんが......」
「いいか、遊馬、勘違いするな。我が友衛家は、元禄(げんろく)時代に初代仙馬(せんま)が上京して以来、武家の嗜(たしな)みとしての弓、剣、そして茶の道を伝えてきた。仙馬は京都の宗家で茶を学び極めた人だが、茶家を継ぐために刀を捨てることをよしとしなかった。江戸へやってきて武士の本分に立ち戻らんとしたのだ。だから、同じ〈巴流〉でも宗家と当家ではずいぶん茶の形が違う。また、同じ武家流であっても、大名の名をいただく諸流派ともまったく違う。なにしろ仙馬は仕官先もない素浪人だったんだからな。それでも武士の誇りを失うまいと黙々鍛錬した結果の心と技だ。どことも違うその教えを我々は三百年大切に伝えてきた。望むひとがあれば教えてもきた。だから、これは友衛家の家業だ。この家にしかないという意味でな。だがしかし、これは稼業、稼ぐための仕事ではない。〈家業〉ではあるが〈稼業〉ではない。わかるか。友衛家の人間は、巴流三道(さんとう)を生業(なりわい)としてはならないと初代からきつく伝えられている。六代目琢馬(たくま)がきちんと文字にもして遺している。坂東巴流に〈弟子〉はいても〈客〉はいない。彼らを相手に商いをすることは断じて許さん。門人を増やして儲けようなどとはゆめ思うな。わかったか」
 しかしそれでは流派も廃(すた)れてしまうだろう。遊馬は弱々しく抵抗したけれども、自らの言葉に酔ってきたらしい秀馬は、そんなことはないと大きく首を横に振った。
「門人がたとえゼロになっても、友衛家の人間がいれば教えは絶えない」
「え~っ、それだけのために修行するのかよぉ」
「......かよぉ?」
「あ、いや、するんですか」
「そうだ。おまえは、何か? 金儲けのために家元が存在すると思うのか。だから儲けの少ないうちの流派を恥ずかしいと思っているのか。馬鹿者が。それとこれとは別の話だ。流派の大小と我々の身過ぎ世過ぎは関係ない。今は、身過ぎ世過ぎの話をしているのだ。おまえは何をして生計を立てるつもりだ。え? どうやって家に金を入れる、何ができる?」
「......新聞配達なら」
 家出中に体験した唯一まっとうな仕事がそれだった。真面目にしていたらけっこうな給料をくれたものだ。
「おまえな、自分ひとりが食えればよいわけではないぞ。ゆくゆくはお前だって嫁を迎え子を生すつもりだろう。バイトのようなものでは家族は養えん」
「公務員がいいと思うわよ」
 横から公子が口をはさむ。しばらく我慢して黙っていたが、やはり無理だ。
「ね、そうなさい」
 遊馬はまだまだ稽古に励まねばならぬ身だ。流派の行事も手伝ってもらわねばならない。だから、きちんと時間が決まっていて普通に休暇のとれる仕事が望ましい。がしかし、遊馬に事務職が務まるとは思えない。毎日八時間、机におとなしく座っている姿を想像できない。どちらかといえば体育会系の息子に務まる公務員職と言えば、警察か、消防、または自衛隊、そんなところか。
「世の中の役に立つ立派なお仕事ですしね。潰れる心配もないし。ああ、でも、命に危険が及ぶのはやっぱり困るわ。友衛家の跡継ぎなんですから、安全が一番」
「何だよ、それ」
 母親というものは勝手なことを言う。
「まあ、大学に行けとわたしが強く言ったのは、教養を深める意味もあるが、就職の選択肢もそれだけ拡がるからだ。誰だって自分で望んだ職に就くのが一番いいに決まっている。だが行かないと言うなら仕方がない。おまえの学歴で、おまえの能力で今現在望める最良の条件の仕事は何か、父さんと母さんで少し考えてやったから、これをよく見ておけ」
 ぱさりと大きな封筒が遊馬の前に差し出された。

(つづく)

Profile

松村栄子

1961年静岡県生まれ、福島県育ち。1990年「僕はかぐや姫」で海燕新人文学賞、1992年「至高聖所(アバトーン)」で芥川賞を受賞。著書に『雨にもまけず粗茶一服』『風にもまけず粗茶一服』『ひよっこ茶人、茶会へまいる。』などがある。

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