晴れたら空に骨まいて

川内有緒

晴れたら空に骨まいて

旅が好きだったから

大切な人への想いをのせて、白い粉はふわりと舞いあがり、青い空へと吸い込まれた――思い出の地での散骨をはじめ、愛する故人を自由に見送り、彼らを想いながら、その後も軽やかに生き続ける5組の家族や友人たち。新田次郎文学賞受賞の注目作家が、深いまなざしで「生と死」をユーモラスに綴る、傑作ノンフィクション。本の刊行を記念して、1章「地図のない世界旅行」の前半を特別に公開します。どうぞお楽しみください。

* * *

 その日のパリは、気持ちよく晴れ渡っていた。
 黒尽くめのその女性は、ホテルを出て十分ほど歩き、セーヌ川にかかる橋の上に立った。見下ろせば、足下には遊覧船が行き交い、観光客が対岸にあるルーブル美術館の写真を撮っている。ゆるやかな風が、吹いていた。
 今だ。
 彼女はあたりをさっと見回すと、カバンから写真のフィルムケースを取り出した。フタを取ると、中には白い粉が詰まっている。小麦粉よりもいびつで粗い粉だ。
 再び風が吹いた瞬間を見計らい、勢いよく撒くと、粉は風に乗ってさあっと広がった。それを見届けると、軽やかな足取りで立ち去った。一分ほどのできごとで、彼女が旦那さんの遺骨を撒いているなんて、誰にもわかるわけがなかった。

 その女性、畠中恵子さんは母の友人だ。ふたりはともに型破りで酒飲みの男と結婚したという共通項で結ばれている。偶然だがふたりが伴侶を失った時期もほぼ一緒。ただし、畠中さんのほうが母より少し若く、現在六十代前半である。
 うちの母は料理好きで、その手作りご飯を目がけてひっきりなしに人が訪れる。フリーのファッション・デザイナー畠中さんは、母の家から三分の所に事務所を構えていて、よく家で会う人の一人だ。しかし出会ってしばらくは、ふたりはお互いが「ある仲間」だなんて知らなかった。それを知ったのは、畠中さんが串カツをほおばりながら、「もうすぐネパールに行ってくるの」と言った時だ。
「へえ、旅行ですか? いいですね」と揚げたての串カツに夢中の私は、なかば条件反射のように訊いた。すると、「そう、旦那の骨を撒きに行こうと思って!」と元気よく答えるではないか。
 ん? 母と私は、思わず手をとめて身を乗り出した。
 実は、私たちも父の三回忌に遺骨を日本海に流していた。しかし、自分たちの他には実際に散骨をした人を知らなかった。あ、仲間をみつけたと嬉しかった。
 畠中さんは六十代という年齢から想像されるような、形式ばった雰囲気がまるでない。むしろカリフォルニアのヒッピーみたいに自由な雰囲気を纏いつつ、一線で働いてきた女性特有のどっしり感がある。この年齢になっても、旅行先はインドやブータン。もちろんツアーなどではない。マメな性格らしく、日々の営みを「小パンダ通信」というメールニュースに綴り、友人たちに送っている。小パンダ、と自らが呼ぶとおり、目が大きくて丸っこく、いつも黒い服に黒いベレー帽がトレードマークだ。
「やっぱり旦那さんの遺言ですか?」と私は尋ねた。
「そういうわけじゃないんだけどねー。土の中に入れてしまうのは可哀そうじゃない? あれだけ旅が好きな人だったんだもの」
 畠中さんは、瞳をクリクリと動かした。
「うん、わかる、わかる」と母は頷いた。
 ─―旅が好きだったから、旅を続けさせてあげたい。それは、シンプルで明快な理由だった。
 聞いてみると彼女は、ネパールだけではなく数々の場所、それこそ世界中で旦那さんの骨を撒いているらしいのだ。しかも、世界の友人たちとワイワイとにぎやかに。「セーヌ川とか万里の長城とか、あっちこっち行ったわね」という口調は、楽しげですらある。
 そんな自由な供養があるのか、なんてオリジナルなんだ、と私は感電したような衝撃を受けた。彼女は、仲間どころか、パイオニアだった。
「自分らしく生きる」という言葉が叫ばれるようになって久しいが、その人生には必ず「死」という終わりがある。そこで彼女は、さらにその人らしく自由な形式で見送ってあげようと考えたのだ。そうすれば、戸籍上は終わってしまった人生でも、緩やかに故人の物語は続いていく─―。
 すてきじゃないか。
「ネパールから帰ったら、詳しい話を聞かせてください!」と思わず頼んでいた。「土の中に入れちゃったらかわいそう」な旦那さんとは、どんな人だったのか、そしてふたりはどうやって生きてきたらここにたどりつくのかが知りたくなった。

二つの凧が一緒になった

 旦那さんの名は、平川光二さん。映像制作や編集を生業にし、テレビ番組やCMの製作に携わっていた。
「どんな人だったんですか、旦那さんって」
「そうねえ。一言でいうなら、糸が切れた凧かな!」
 ふたりの出会いは、まだ三十代のはじめのころで、飲み会の席だった。その時、酔っ払った平川さんはこう豪語した。
「僕は、飲んで帰ったら家で女房が待ってるような生活だけはいやだ! ついでに飲みに行く時に女房に電話するのはもっといやだ!」
 それを聞いて畠中さんは思った。
 やった、この人だ!
「私もじっとしていられない性格だからねえ」とさらに串カツを食べながら朗らかに笑った。彼女もとかく誰かに干渉されるのが嫌いだし、外出や旅が大好きだった。
「畠中さんって、マグロとか、ぐるぐるしてる回遊魚みたいなものじゃない? 止まってられないから」と私の母が、うまいこと言ったでしょ、というような得意顔で付け加えた。
「そうそう、止まったら死んじゃうのよね」
 今や独身となった彼女は、ありとあらゆる祭りやお祝いごとに駆け付け、友人宅に遊びに行き、ふらりと旅に出る。つまりは、彼女も立派な糸の切れた凧だったのだ。

 凧同士で意気投合したふたりは、友人たちを誘って風に吹かれるようにインドに行くことにした。文字通り「西にいけよ、若者よ(ゴー・ウェスト、ヤングマン!)」というわけだ。当時、畠中さんは一流のアパレル企業に勤めるファッションデザイナーだったが、「ちょうどいいから辞めるわ」と、三ヶ月オープンのチケットを買った。
 ふたりは、とかくインドが気に入った。
「ある美術館に行ったら、『オープンは夜明けから日没まで』って書いてあって。そういう感じがいいなあって」
 縛られることが嫌いなふたりにとって、インドはパラダイスのような場所だった。一ヶ月かけて北インドを一周した後、一路北上しネパールへ。
 首都カトマンズに着くと、最大の見どころであるパシュパティナート寺院に向かった。ここは昔からのヒンドゥー教の巡礼の地で、ネパール最高の聖地である。大きな河の傍らでは無数の遺体が焼かれては河に流されていた。
 ふたりはじっとその光景を見ていた。まだインドに旅する人も少なく、情報もガイドブックもない時代で、映画のような異世界の光景に見入っていた。ここでは偉大な人も貧しい人も同じように母なるガンジスへと戻ってゆく。
 平川さんは、何気なく言った。
「こんなところだったら気持ちいいだろうなあ。なにもなくなるのも、すっきりしちゃっていいね」
 うんうん、と畠中さんは頷いた。どこにでもありそうな若いカップルの会話は、二十五年後に意味を持って蘇ることになる。

 インドから戻ると平川さんは、畠中さんのアパートに転がりこんできた。彼女は一滴もお酒が飲めないが、彼につまみを作ってあげると、美味しそうにお酒を飲んだ。
 本人の予告通り、彼の生活はメチャクチャで、酔いつぶれて家にたどりつけなかったり、知らない外国人を家に引っ張りこんだり。さらに彼はドキュメンタリー番組の制作やスポーツイベントの取材などでしょっちゅう家をあける。しかし、そんな生活は、畠中さんにとってどこか心地の良いものだった。彼女は彼女で、インドから帰国してすぐにファッションデザイナーとして独立し、年中パリやミラノのファッション・ショーや展示会に飛び回っていた。
 ふたりとも、時間だけは自由になる。時には予定を合わせて長い旅にでかけた。中国は特にふたりのお気に入りの国で、北から南、雲南省昆明、新疆ウイグル自治区まで。ふたりの部屋には、いつも少数民族の衣装や、曼荼羅の絵、民族楽器がところ狭しと転がっていた。

 気づけば一緒に住み始めて八年という日々が経っていた。
「八年! その間、結婚は考えなかったんですか」
 私は、お土産にと自分で持ってきたチーズケーキを食べながら尋ねた。
「ぜんぜん。絶対、名前変えたくなかったし、子どももいないから、そのまんまでも問題なかったのね」
「じゃあ、どうして結婚を決めたんですか?」
「だってー、四十歳を目の前にしたら、親兄弟に呼び出されて、いい年していい加減にしろってたしなめられちゃって......てへへ! しょうがないかって」
 というわけで、観念して平成元年に入籍。二つの凧はようやく一本の糸でつながって大空に飛び立った。しかし、結婚しても、ふたりの関係はなにも変わらず、出会った当時のまま、「平川さん」「畠中さん」と呼び合っていた。

 すべてが変わってしまったのは、出会って二十年目の冬のことだった。
 深夜二時に電話が鳴り、寝ぼけながらとると平川さんの会社の人だった。
「今、内モンゴルから電話しています。旦那さんが倒れました! すぐに来てください。場所はフフホト(中国内蒙古自治区の省都)にある、内蒙古病院です!」
 その時、彼女は「なんでフフホトにいるわけ?」とゾッとした。そこは、本来ならば、彼がいてはいけない場所だった。
 平川さんは数年前に受けた人間ドックで、肝臓関係の数値が非常に悪いと注意を受けた。しかし本人は至って元気一杯で、医者に「精密検査をしますので三階まで行ってください」と言われると、「どうだ!」と階段を駆け上がってみせるというタイプの人だった。それを見た医者は「普通なら身動きできないほどの病状のはずなのですが」と絶句し、それを見て自信満々に平川さんは病院を去った。しかしついに一年前、体調を崩して病院にいくと、肝硬変と診断された。肝臓の細胞が固まり石のようになった状態で、絶対安静が一番の治療だ。それでも、通院しながら仕事は今まで通りに続けていた。
 そんな時に舞い込んできたのが、内モンゴルでのCM撮影だった。馬が草原を駆け抜ける場面が必要だ、というので中国に詳しい平川さんが駆り出された。
 畠中さんは、「撮影はどこなの? え、フフホト? 絶対だめ! まだ北京ならば行ってもいいけど、絶対に内モンゴルはだめ」と釘を刺した。なにしろ二月の内モンゴルの気温は零下十五度である。平川さんは軽くいなした。
「心配しないで。僕は北京から指令を出して、後方支援をするだけだから。内モンゴルには別のディレクターが行くからさ」
 それを聞いて安心した畠中さんは、自分もパリの展示会に行く準備を始めた。

Profile

川内有緒

東京生まれ。日本大学芸術学部卒業。ジョージタウン大学にて修士号を取得。コンサルティング会社やシンクタンクに勤務し、その合間に南米やアジアの少数民族を訪ねた旅の記録などを雑誌に発表。2004年からパリの国連機関に5年半勤務したあと、フリーのもの書きに。現在は、書籍、コラムやルポを書くかたわら、アートや音楽イベントの企画にも関わり、アート・スペース「山小屋」を運営。14年、『バウルを探して』で新田次郎文学賞を受賞。ほか著書に『パリでメシを食う。』『パリの国連で夢を食う。』がある。

Pick Up Book

  • かがみの孤城
  • i
  • 私のスポットライト
  • ビオレタ

お知らせ

Cov_Kuko_R.jpg『最高の空港の歩き方』の刊行を記念してトークイベント「夏休み、空の玄関で逢いましょう。」を7月23日(日)にジュンク堂書店大阪本店で開催いたします。いま空港がアミューズメントパーク化しています。ご当地グルメ、空港限定グッズ、お風呂、空港アート、飛行機撮影、工場見学ーー飛行機に乗る人も、乗らない人も楽しめる「空の玄関」の遊び方と、その背景にある「進化の理由」を『最高の空港の歩き方』の著者・齊藤成人さんと空港ファンであるイラストレーターの綱本武雄のふたりが熱く語ります。入場無料(先着40名)です。

170713_img.jpgポプラ文庫ピュアフルの人気シリーズ、「ばんぱいやのパフェ屋さん」(佐々木禎子 著)の1巻が、コミックスになりました! 漫画はやぎさん、このたび新創刊したレーベル「アニメージュコミックスmiere」(発行:ティーダワークス 発売:徳間書店)にて、7月5日発売です。文庫もコミックスも、よろしくお願いいたします!

978-4-591-15498-4.jpgのサムネイル画像ポプラ文庫ピュアフル7月新刊『英国幻視の少年たち5 ブラッド・オーヴァ・ウォーター』発売を記念して、著者深沢仁さんから読者の皆さんに、抽選で、キーホルダーやコンパクトミラーなどの英国土産をプレゼントいたします。新刊オビの応募券にてご応募ください。詳細と英国旅行のミニレポートをこちらでご紹介しています。

『あざみ野高校女子送球部! 』(ポプラ文庫ピュアフル、680円+税)の刊行を記念して、小瀬木麻美さん トーク&サイン会を開催いたします。

場所 :リブロ港北東急SC店特設会場  日時 : 2017年7月16日(日) 午後2時~

参加特典として、小瀬木麻美さんが今回のイベントのために書き下ろした「『あざみ野高校女子送球部!』番外編」をもれなくプレゼント!センター南が舞台になった短編小説です。

Cov_shigotoba_R.jpg佐藤ジュンコさんのコミックエッセイ『仕事場のちょっと奥までよろしいですか?』が刊行になりました。作家・伊坂幸太郎さん、漫画家・いがらしみきおさんから伝統工芸の職人さんまで「作ること」のプロ15名の仕事術をイラストでルポ!

達人たちの仕事場にお邪魔したら、楽しい驚きがいっぱい。まさに大人の社会科見学!ふむふむ、へーと読んでいるうちに、むくむくとやる気が湧いてくるお仕事エッセイです。

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