「一鬼夜行」余聞

小松エメル

「一鬼夜行」余聞

イラスト:森川侑

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付喪神会議(2)――「一鬼夜行」余聞

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夕日が沈み、夜の闇に包まれてから、半刻。荻の屋の付喪神たちと、連絡を受けて駆けつけた三味長老たち、それに勝負を引き受けた今屋の付喪神たちは、又七宅の一室にいた。

「これほど日が暮れるのを待ち望んだことはなかったでござる......」

神妙な面持ちで言ったどんどん土瓶に、古道具屋の付喪神たちは深く頷いた。昨夜の会

議に出ていた面々が、全員揃っている。誰が選ばれるのか分からぬため、皆緊張した面持ちをしていたが、「あたしは選ばれるに決まってるでしょ」と自信満々の前差櫛姫は、楽しそうに鼻歌など歌っている。

「こちらにもあちらにも支度がいるし、そう早く実行できるものではないさ」

「ふん......敵に支度の時など与えなくともいいじゃないか」

「まことにそうか? 卑怯な手を使って買っても嬉しくはあるまい」

 硯の精の言葉に、釜の怪はぐっと詰まった。

「別段構いませんよ」

 含み笑いの声を出したのは、荻の屋の付喪神たちの向かいに座す、琴古主だった。彼の斜め後ろには、会合に訪れた四妖が控えている。

「私たちは、わざわざ手入れなどせずとも、美しく磨かれています。欠けたところもなければ、汚れたところもない。あなたたちのように、必死に身を整える必要はありません」

 古道具屋の面々は、けっと鼻を鳴らした。今屋の道具は、古道具屋で売っている道具と違って、作りそのものが頑丈で、凝った装飾をしている。元値が張ると分かっているから、扱う人間も大事にしてきたのだろう。付喪神の魂が宿るほど古い品には見えなかった。

「勝負など分かりきっているのに。負けを知りながら戦うなんて酔狂な妖ですこと。もちろん、人間も......うふふ」

 嘲笑交じりに述べた水瀬は、ちらりと数間先を見上げた。柱に寄りかかるようにして立っている長身の男・喜蔵は、付喪神たちに視線を向けて「何だ」と低い声音を出した。

「ひえっ......な、何でもありませんわ!」

 睨まれただけで縮み上がった水瀬は、ひっくり返った声を上げた。

「な、何で閻魔が来たんだ......鬼姫が来るんじゃなかったのか?」

「他にいないと思い込んで、声をかけたのがまずかった。端から深雪に頼んでいれば......」

 堂々薬缶としゃもじもじが落胆しながら言うと、喜蔵の肩に乗っていた前差櫛姫が「馬鹿ねえ」と鼻を鳴らした。

「あの人の好い娘じゃ、勝負に不正が起きた時、相手を糺してぼこぼこにできないでしょ!」

「俺がまるで力を振るうかのように言うな」

 顔を顰めて言った喜蔵に、前差櫛姫は「喜蔵はひと睨みで倒せるわ」と太鼓判を押した。

「......情けないものよの」

 冷笑交じりに呟いたのは、鳥兜丸だった。

「妖怪のくせに、人間の力を頼りにするとは......情けなくて涙が出る」

「聞き捨てならんな! 誰が人間の力を頼りにしたというんだ! 拙者らはただ立会人として荻の屋の主を呼んだだけだ!」

「古道具の戯言など信じられると思うか?」

「何だと⁉」

 顔を朱に染めた提灯左衛門は、掴みかからん勢いだったが――

「喜蔵さん、そんなところに突っ立ってないで、お座りくださいな」

 朗らかな声で言ったのは、襖を開けて入ってきた又七だった。

 ――夜分に申し訳ありません......道具を見てもらえませんか。

 喜蔵からの突然の申し出に、又七は少し目を見開いただけで、「いいですよ」と承知した。断られたら、「他に目利きなどいない。勝負は諦めろ」と付喪神に言うつもりだった喜蔵は、思わぬ展開に驚き、呆れた。面倒見が良すぎるのも問題だ――又七が奥方に来客の旨を伝えにいっている間、喜蔵は頼んだ恩義も忘れて、ぶつぶつと文句を垂れていた。

又七は「おお、これはすごい」と歓喜の声を上げながら、座敷の真ん中に置かれている道具に近づいていった。襖が開く直前まで本性を露わにしていた付喪神たちは、いつのまにかただの道具に戻っている。荻の屋と今屋の道具だけでなく、三味長老やどんどん土瓶などの古道具や、それに喜蔵の肩に乗っていた前差櫛姫も、今は一緒に並んでいた。

「荻の屋さんの中で唯一『売リ物ニ非ズ』と札がついている硯がありますね......確かにこれは売れないでしょうな。相当値が張る一品でしょう。似たものを見たことがあります。お公家さんの家に代々伝わるという品でした。この店ごと売らねばならぬほどの価値があると......これがそこまでなのかは分からないが、非常に物がいいことは分かる」

 ただの硯の姿に戻った硯の精を丁重に眺めながら、又七はにこやかに言った。眉をぴくりと動かした喜蔵は、ようやく柱から身を離し、又七の近くまで来て腰を下ろした。

「......先ほどもお願いしましたが、この中から良品と思うものを五つ選んでください」

 いかにも不本意といった顔で頼んだ喜蔵に、又七は頭をかいた。

「選ぶのは構いませんがね......なぜまたこんなことを?」

 喜蔵は言葉に窮した。付喪神たちの喧嘩に巻き込まれた――本当のことを言えたら苦労はない。困惑の表情を浮かべた喜蔵は、いつも以上に迫力があった。

「ま、まあ色々あるんでしょう。人生というのはそういうものです」

 無理やりまとめた又七は、いそいそと道具を綺麗に並べ直した。その手伝いをしながら、喜蔵は道具一つ一つに睨みを利かせた。決して姿を現すな――そう言っているのが分かった付喪神たちは、恐怖から来る震えを必死に堪えた。

 手に取って見やすいように並べられた道具を前に、又七は首を傾げた。

「おや......荻の屋さんらしくないものがいくつもあるなあ。だが、そっちもどこかで見たことがあるような......」

 又七の物覚えのよさに、付喪神たちはぎくりとしたが、

「気のせいでしょう」

 喜蔵は無表情で言いきった。

「そうですかねえ......しかし、皆いい商品ですなあ。選んだものは、私に売ってくれるんですか?」

「それは......」

「はは、冗談ですよ。硯を含め、値が張りそうなものばかりだ。無駄遣いしてと妻に怒られてしまいます」

 言い淀んだ喜蔵に、又七は笑って返した。喜蔵の顔に未だ怯えることはあるものの、こうしてからかうことができるのは、年の功だろう。むっと唇を引き結んだ喜蔵から視線を戻し、又七はまず硯を手に取った。

「やはり、これは別格ですね。理由は先ほど述べた通りです。手に入らないと分かっていても、選ばぬわけにはいきません」

 横にそっと硯をよけると、又七は今度も迷わず手を伸ばした。優しく胸に抱いたのは、琴だった。

「楽器には象司が深くありませんが、それでもこれは素晴らしい品だと分かりますよ。美しい装飾に......やはり、素晴らしい音色だ。古道具屋に置いておくのがもったいないほど......いやはや、失礼。古道具屋ではなく、好事家に売れば高値がつくと思いましてね。なぜ古道具屋に持ちこんだんでしょうね?」

 不思議そうに述べた又七に、喜蔵はぐっと詰まった。

(......この爺、朴念仁かと思いきや、案外鋭いところがあるなあ)

(昼行燈を気取っているんでしょうか)

 付喪神たちは人間には聞こえぬほど小さな声で、こそこそと話し合った。無論気づいていない又七は、琴古主を硯の横にそっと置いた。

「さて、あと三つ......ここから三つ選ぶのはなかなか難しい。どれもいい品ですからねえ」

 又七は居住まいを正すと、じっくり道具を眺めた。何度か手を伸ばしかけて、やっと手にしたのは、鈴王子が宿っている鈴だった。

「小ぶりの鈴ですが、これも非常にいい品でしょう? まるで星のような輝きだ......それにほら――やはり、これもまたいい音色がします。鈴を転がしたような声と言いますが、こんな美しい声の持ち主なら、確かに惹かれてしまうでしょうね」

(くそーまた今屋か!)

(当然でしょう。私たちの方が断然美しいのですから)

(何だと......やるか⁉)

(望むところ――)

 付喪神たちの声が聞こえたわけではないだろうに、喜蔵は道具をじろりと一瞥した。

(......決闘は後にしましょう)

(そ、そうだな! 他人の家を壊すわけにもいかんしな!)

 意見がはじめてあった頃、又七は四つ目の選定に取りかかっていた。

「悩みますねえ......先ほどの琴のように、はっきりと見た目に美しさが表れているのは選びやすいんだが、私は一見魅力が分かりづらいものの方が好みなんです。見る人が見れば、良さが分かるような――いや、私は目利きではないので、単に好みなだけだな」

 又七が含み笑いをして言った時、喜蔵が咳払いをした。ただ咽ただけだったが、顰めた顔があまりにも凶悪だっただめ、又七や付喪神たちは、「無駄口を叩くな、さっさと選べ」と聞こえてしまい、顔色を悪くした。

(おい! 顔色はどうせ見えないからいいが、震えは我慢しろよ!)

(わ、分かってますよ......! 何なんです、あの顔は......本当に人間なのですか⁉)

(......あたしもずっと疑っていたのよねえ。もしかすると閻魔さまがこちらの世にお忍びで来てるのかも。姿を変えたはいいけれど、化けきれずあんな恐ろしい面になって......!)

(あ、青行灯殿......それはまことですか⁉ そ、それがまことなら......この勝負に負けた方は、地獄に落とされるのではありませんか⁉)

「嫌だー!」としゃもじもじが思わず叫びかけた瞬間、喜蔵がどんと畳を殴った。

「......ひっ!」

 鬼の形相で突如妙な行動に出た喜蔵に、又七は悲鳴を上げながら後退りした。

「失礼......やぶ蚊が飛んでいたので。残念ながら潰し損ねてしまいましたが」

 喜蔵は赤くなった拳を見せつけて言った。

「蚊......ですか?......いや、はは......」

 口許を引きつらせて笑った又七は、ややあって居住まいを正した。

「......ええっと、それでは四つ目はこちらで」

 又七が選んだのは、前差櫛だった。

(よし、これで二対だ!)

(なかなかいい目をしているじゃないの! 選ぶのが遅かったけど、その素敵な目に免じて許してあげるわ!)

 又七の手に持ち上げられた前差櫛姫はご機嫌だったが、その声は喜蔵と又七にはやはり聞こえていなかった。前差櫛を手のひらに乗せた又七は、慈しむような目をして言った。

「こう言っては何ですが、これは地味でしょう? だから、孫娘にあげるのは躊躇います。娘だったらいいかもしれませんが、『もっと華やかな方がいいのに』と拗ねられてしまうかな。これを贈るのにちょうどいい人が、私の妻です。あの人は、私と一緒に歳を重ねている。それが私にとって、この上ない幸せなんです。強くて優しいあの人にこそ、こんなしとやかで上品な櫛が似合う......ああ、すみませんねえ。関係のない話をしてしまって」

 照れくさそうに笑った又七に、喜蔵は仏頂面で首を横に振った。

(『俺が振られたばかりだというのに、色惚けを聞かせるな』という顔をしておるな)

(......おや、どなたかに袖にされたんですか?)

(あんたたちも知ってるんじゃないか? 裏長屋にいる綾子という、大層な美人さ)

(見たことはありませんが、有名ですね。あなた方のご主人、身の程知らずなのでは?)

 付喪神たちが小声で言い合っている最中、喜蔵は皮肉げにこぼした。

「長らく共にいて、色々なことがあったと思います。腹の立つことも嫌なことも――それでも相手を嫌いにならず、今もずっと想いつづけていられる......あなたは幸せ者だ」

「ええ、そうですね......私は幸せ者です」

 目を見開いた又七は、すぐに朗らかな表情を浮かべ、きっぱり言いきった。

「生涯を共にと誓った愛妻や、しっかり者の子たち、可愛い孫や、働き者の店の者たち――それに、喜蔵さんや深雪さんたちのような優しい友たちに囲まれて、幸せでないわけがありません。こんな呑気な私でも、辛いことや苦しいことはたくさんありましたが、そこで駄目だと思わず乗り越えられたのは、皆がいてくれたからこそですよ」

「.........」

 喜蔵は微かに顎を引いた。そんな喜蔵に穏やかな笑みを向けた又七は、ずっと手の平に乗せていた前差櫛を、ことさら丁寧に選んだ道具の方に置いた。

 姿勢を正した又七は、じっくりと道具を見回して、何度か頷いた。その様子から、又七が五つめの道具を決めたと分かり、部屋の中に緊張感が漂った。いよいよ勝敗が決する――古道具屋の付喪神たちも、骨董屋の付喪神たちも、ごくりと唾を飲み下した。

「それでは、五つめを選ばせてもらいます」

「お願いします」

 表情を引き締め、喜蔵は頭を下げた。すっと息を吸い込んだ又七が、道具に手を伸ばしかけたとき――

「ここか......!」

 バーンという、何かが破れたような音と怒声が響いた。喜蔵と又七、それに付喪神たちは、音と声が響いた方を同時に見遣った。部屋の出入り口の前に立っていたのは、今屋主人の今次郎。その足許にあったのは、彼に蹴り破られ、無残な姿と化した襖だった。

 突然のことに呆気に取られている面々を尻目に、今次郎は肩で息をしながら、部屋の中に入ってきた。額には青筋が浮かび、目の端と口許が痙攣している。

 部屋の中央に立った今次郎は、主である又七は無視して、喜蔵を鋭く睨みつけて怒鳴った。

「この――盗人め......!」

          ***

 しばしの沈黙の後、口を開いたのは又七だった。

「今屋さん、一体どういうことでしょう......?」

「どうしたもこうしたもありません! この男が盗人だと言うだけです!」

 顔を朱に染めた今次郎は、ずいぶんと年嵩であろう又七にも食ってかかった。その勢いに驚きつつも、又七は重ねて問うた。

「盗人ですか......一体何を盗まれたとおっしゃるんです?」

 今次郎が口を開く前に、答えが分かった喜蔵と付喪神たちは、

(......道具のことだ)

(......私たちのことだ!)

 と、それぞれ心の中で叫んだ。

 ――ご主人は、店じまいをした後、外に出るのが日課。......失礼な。遊んでいるわけではありません。大事なご用事があるから、出ざるを得ないのです。用事の内容は......黙秘します。......ともかく、勝負をするなら、店じまい後数刻の間です。日が変わるまでは、決して帰ってきません。その間に又七殿の許へ行き、勝負を終わらせてここへ帰る――そうすれば、ご主人は、私たちが外に出たことに気づかないでしょう。

荻の屋の付喪神たちから連絡を受けた時、琴古主は厳かな様子でそう言った。

日が変わるまで、あと二刻もあった。

(琴古主......話が違うでござる!)

(そ、そんなはずは......⁉)

 どんどん土瓶の詰りに、琴古主は動揺を露わにした。

「これも、これも、これも......これも、これも! 私のものだ......‼」

 指差しながら上げた今次郎の大音声に、部屋の中はまた静まり返った。ここでもやはり沈黙を破ったのは、驚きの表情を浮かべた又七だった。

「見覚えがあると思っていましたが......今屋さんのものでしたか。ま、まさか......⁉」

「違います」

 おろおろとしはじめた又七に、ようやく我に返った喜蔵は、素早く反論した。

「何が違うと言うのです! 他人の家から勝手に道具を奪っておいて、知らぬふりをするつもりか! おまけに、他人様の家に持ち込んで......そうか、分かりましたよ。又七殿に売り飛ばす気だったのですね⁉」

「違う。こたびの件は――」

「ええい、黙れ! 盗品だと露見せぬうちに売り飛ばせれば、多額の金が入る。そんなもののために盗みを働くなど、人間の屑です! この屑め......!」

「......違うと申している」

 激高する今次郎に喜蔵はそう繰り返したが、道具がここにあるのは確かだ。付喪神たちの威信をかけた勝負のために、彼らと共に又七の許へ来た――真実をそのまま伝えたところで、信じてもらえるはずがない。どう説明しても、得心してもらえる気がしなかった。

 違うと言いつつ説明しない喜蔵に、今次郎はますます怒りを深めたようだった。その証に、目は燃えるように赤く光り、逆毛を立てるようにして、全身から薄色の毛が上向きに生えだし、頭上には角のごとき三角の硬そうな耳が出現し――

「き、狐......⁉」

「今次郎さまが狐に憑かれた⁉」

 大声を上げたのは、鳥兜丸――だけではなかった。今屋の付喪神たち全員が、同じようなことを叫び、同時に本性を露わにした。

 今次郎は瞬く間に化けた。目が赤く光っていることと、上背が喜蔵ほどあることを除けば、立派な狐だ。

「い、一体いつの間に今次郎さまの身を......⁉」

「なんと......狐! 一体いつからその方にとり憑いているのです⁉」

「さっさと出なさい! さもなくば......さもなくば――」

 鳥兜丸たちは前のめりになり、真っ青に染まった顔で声を荒げた。そんな彼らを穴が空くほど見つめつづけた又七は、よろめきながら腰を上げた。

「申し訳ない......どうも目の調子がよくないようなので、顔を洗ってきます。ついでといっては何ですが、茶と菓子も持ってきましょう」

「目のせい......それとも夢か?」とぶつぶつ言いつつ、又七はふらふらと覚束ない足取りで部屋から出て行った。

「......人前で姿を現すとは何事だ! 大家に露見したじゃないか!」

「煩い! そういうあなたたちも、本性を露わにしているではありませんか!」

「嘘を吐くな!」と怒鳴った堂々薬缶だったが、自身を足許からじっくり眺めて絶句した。

「......いつの間に!」

「つられて本性を出すなんて、間抜けにもほどがありますよ!」

「先に変化しておいて、その言い草はないでしょ! 驚きのあまり正体を現すなんて、妖怪失格よ! さっさとただの道具に戻りなさい!」

「何ですって......婆臭い冴えない地味櫛のくせに!」

「はあ~⁉ 櫛刺しにされたいの⁉」

 本性を露わにした付喪神たちは、取っ組み合う勢いで言い合っていたが、

「――ぐっ」

呻き声がした瞬間、ぴたりと動きを止めた。狐に憑かれている今次郎が、喜蔵に襲いかかったのだと皆は思った。しかし――

「さっさとその身から出て行け」

 冷たい声音を出し、狐と化した今次郎の首を絞めていたのは、喜蔵の方だった。

「ぐ、ぐぐ......ぐぐっ!」

「何を申しているか分からん。はっきりと言え」

 お前が首を絞めているから話せないんだろ!――付喪神たちは同じことを思ったが、声には出さなかった。冷徹な表情で今次郎の首を絞める喜蔵は、あまりにも恐ろしい。今次郎の顔色が赤から青に変わりだした頃、ようやく我に返った今屋の付喪神たちが動いた。

「やめてください! その身は今次郎さまです! 死んでしまったらどうするんです⁉」

 琴古主たちの必死の訴えに、喜蔵は手の力を緩めぬまま、首を傾げて言った。

「宿り主の身が死ぬ前に出て行くものではないのか?」

「それは妖怪によります......死後なお寄生つづける者もいるんです。ともかく、それ以上やっては今次郎さまのお命が危ない......!」

 琴古主の悲鳴交じりの声が響いた。喜蔵は不承不承といった様子で、今次郎の首から手を放した。途端、今次郎は膝から崩れ落ち、畳の上に四つん這いになった。げほげほと咳込む声だけ聴いていると人間にしか思えぬが、姿は狐だ。

「縛るものを借りてこい」

「今次郎さまを拘束するつもりですか⁉」

「この人は今、今次郎さんではなかろう」

「で、ですが......」

 躊躇う様子を見せる今屋の付喪神たちに、喜蔵は舌打ちした。

「......俺が行く。戻ってくるまで、そ奴を逃がさぬように見張っていろ。お前たちにとっては大事なご主人の身なのだろう?」

 狐の化け物に鋭い目線を向けて言った喜蔵は、皆が頷く前に踵を返したが――

「縛るもんはいらんと思うで、喜坊」

 呑気な声音が喜蔵の眼前で響いた。顔のすぐそばに黒い物体が浮かんでいることに気づいた喜蔵は、額に青筋を浮かべて低い声音で言った。

「......他人の顔の前で飛ぶな」

 振り向いた先にいたのは、又七が飼っている九官鳥の見目をした妖怪・七夜だった。ばさばさと黒い翼を羽ばたかせながら、七夜はにやりと目を細めて言った。

「喜坊が急に振り返るからこうなったんやろ。わてかてむさくるしい男の顔なんて間近で見たないわ。昔はまだ可愛げがあったけど......って、ほんまおっそろしい顔やな!」

「びっくりするわ」と大仰にのけ反った七夜は、又七と数十年の付き合いになるらしいが、又七は七夜の正体に気づいていないという。

「七夜さん! 来てくれてよかった......」

「助かりましたぞ、七夜殿!」

 付喪神たちの上げた歓喜の声に、喜蔵は鼻に皺を寄せた。荻の屋の付喪神たちがなぜか七夜を慕っているのは知っていたが、他の付喪神たちも同様らしい。喜蔵にとって七夜は、「よく喋る鬱陶しい鳥の化け物」でしかない。

「縛るものがいらぬというのはどういう了見だ。素手の人間に殺されそうになるほど弱い妖怪でも、妖怪には違いない」

「力が弱いのは確かやけど、逃げへんやろ。今次郎を縛るもんたちがここにおるんやから」

「あれは狐だ。今次郎さんはあの中で眠っているのか、......死んでいるのか」

 喜蔵は声を潜めたが、琴古主たちにも聞こえてしまったらしい。

「そんな......今次郎さまが死ぬなんて――そんなの、嘘だ......!」

 泣き声交じりの台詞に、喜蔵は溜息を吞みこんだ。いつも口を挟んでくる硯の精や、かしましい前差櫛姫たちも黙っているので、今次郎がすでに死んでいるかもという考えが少しはあったのかもしれぬ。この場で明るいのは、「なんやそれ」と笑いだした七夜だった。

「なんで今が死ぬねん。えらい咳き込んでるやないか。ああ......ようやく止まったようやな! なあ、今。大事ないか?」

「だから、言っておろう。あれは今次郎さんの身を乗っ取った狐だ。話しかけたところで、今次郎さんの返事は聞けない――」

「......大事ありません」

 声が聞こえるや否や、喜蔵はさっと振り返った。四つん這いのままだったが、今次郎は顔を上げてこちらを見ていた。その姿はやはり狐でしかない。だが、七夜はまた「よかったなあ、今」と労った。

「お前......今次郎さんの身を乗っ取った狐と知己なのか。......よもや裏で結託していたのではあるまいな」

 また前を向いた喜蔵がさらに目を鋭くさせて言うと、七夜は呆れたような息を吐いた。

「えらい勘違いしておいてその言い草、ほんま人間て嫌やな~――ええか、よう聞き⁉」

 今次郎は元から狐や――七夜の言葉が座敷に響き渡った。

Profile

小松エメル

1984年東京都生まれ。母方にトルコ人の祖父を持つ。國學院大學文学部史学科卒業。2008年、ジャイブ小説大賞初の「大賞」を受賞した『一鬼夜行』でデビュー。著書に、「一鬼夜行」「うわん」「蘭学塾幻幽堂青春記」の各シリーズ、『夢の燈影』『総司の夢』『梟の月』などがある。

Pick Up Book

  • かがみの孤城
  • i
  • 私のスポットライト
  • ビオレタ

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