「一鬼夜行」余聞

小松エメル

「一鬼夜行」余聞

イラスト:森川侑

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「化々学校のいっとうぼし」(2)ーー「一鬼夜行」余聞

バケバケ学校.jpgのサムネイル画像 半刻後、小春は品川はずれの港にいた。桃色と紫が混ざったような美しい空と、夕日に染まった海。舟が何艘かがれているばかりの、さびれた場所だった。

「......あいつらが言ってたのは、この辺だよな?」

 辺りをきょろきょろ見回しつつ、小春は呟いた。

 ─あんたが猫股鬼の小春か? ふうん......随分とちっこいんだな。俺か? 俺は春日だ! 学校帰りに、寄り道をしようと言ったのもこの春日だ!─いてて! 先生、耳を引っ張らんでくれ!

 生徒の中で真っ先に話しだしたのは、熊の経立である春日だった。見目は熊そのものだが、シャツとズボンを身につけている。経立とは、化けかけの獣のことだ。このつきとっこうの仕置きに涙目になりながらも、春日は話を続けた。

 ─......あの港に着いたのは、日が暮れる頃だった。妖怪のくせに、昼に学び舎にいるのかって? 夜は、人間を化かすという仕事があるし、学校で学んだことを発揮する場でもある。そんなことも分からぬとは、猫股鬼は愚かだな!

 春日の頭を叩いたのは、小春だけではなかった。皆を引き連れて小春の許に来た涼花という人形をした妖怪は、春日をりつつ、小春に「申し訳ありません」と丁寧に詫びた。

 ─春日は未熟者ゆえ、あなたがどれほど素晴らしい妖怪かというのが分からぬのです。どうかご寛恕ください。

 深々と頭を下げた涼花に、小春は目を白黒させた。妖怪とは思えぬ礼儀の正しさである。そして、小春が今日見た生徒たちの中で、一等強い妖気を纏っていた。「私が先を続けてよろしいでしょうか?」と問われ、小春は「お、おう」と少々どぎまぎしつつ頷いた。

 ─春日が申しあげた通り、私たちが品川の港に着いたのは、日没に近い頃......到着してすぐ夜が訪れました。親しき夜の来訪に歓声を上げた瞬間、私たちは固まりました。あれは、何と言えばよいのでしょう......妖気のような、そうでないような、何やら不気味な気配を感じました。皆は固まったまま、目を動かして周りを確かめました。何かいる。だが、一体何だ?─ここにいる皆は、同時に同じことを考えました。しかし、答え合わせをしようにも、身体を動かすことはかないませんでした。それ以上近づいてはならぬと思ってしまったのです。

 ─そりゃあ、恐怖からか? それとも、幻術をかけられたからか?

 小春の問いに、涼花は眉尻を下げて申し訳なさそうに答えた。

 ─申し訳ありません......それもよく分からないのです。なんといっても、妖怪か人間かも判別できぬほどでしたので......。

「俺は人間に見えた」「わいも。足をひきずった人間や」「あれは大蛇の一種よ。何かずるずるひきずってたじゃないの」「人も蛇も空は飛ばんだろ。あれはきっと......分からん!」「あたいは鯨の化け物」「妖怪......いや、人間かなあ」と口々に発言した妖怪たちを横目で見つつ、涼花は続けた。

 ─私には、黒いかたまりに見えました。ようやく身体を動かせるようになった時、目の前にそれが現れたのです。かたまりといっても、ちっとも硬そうには見えず、まるで空を自由に移動する雲のようでした。ふわふわとして、丸みを帯びていて、身の丈は......小春殿より、頭三つ分は大きかったでしょうか。

 突如現れた黒いかたまりに、涼花は驚き、また固まりかけたが、悲鳴じみた叫び声が響いて我に返った。

 ─声を発していたのは、目の前の黒いかたまりでした。ぞっとするような恐ろしい声で......私は皆に「逃げるぞ!」と声を掛け、一目散に駆けだしました。背後からは、まだ恐ろしい叫び声が聞こえてきましたが、不思議と追いかけてくる様子はありませんでした。すっかり相手の姿が見えなくなった頃、私たちはようやく足を止めて、先ほど見た恐ろしいものについて話しはじめたのです。

 話しだしてすぐ、涼花たちは同じ場所にいたにもかかわらず、あたかも違うものと対峙していたような食い違いに気づいた。

 ─人間だったり、大蛇だったり、鯨の化け物だったり、黒いかたまりだったり......本当にバラバラじゃねえか。頭が長く、尻尾が生えてて、空を飛ぶのは共通するんだったよな? あとは、謎の言葉か。

 ぶつぶつ述べた小春に、生徒たちは顔を見合わせ、暗い表情を浮かべた。

 ─そんなにおっかなかったのか?

 ─......相手が上げた叫びは、呪でも唱えていたのか、ひどく不気味な様子で......声ははっきり聞こえていたのに、内容はまるで分かりませんでした。

 小春の問いに答えた涼花は、きゅっと唇をみしめた。一見して、生徒たちの統率者と分かる涼花だ。何も分からぬこの事態に、悔しさを覚えているのだろう。美しい顔に苛立ちが滲んでいた。

 ─あれが何だか、私たちにはよく分かりません。ですが、あのまま放っておいたらいけないことだけは、分かるのです......。

 他よりも強い妖気を持つ涼花の言だからこそ、このつきとっこうは事態を重く見て、小春を呼びだしたのだろう。

「全く言葉の意味が分からん呪なんて、それこそ聞いたことがねえなあ......」

 港を歩きながら、小春は独り言ちた。「お役に立てず申し訳ありません」と頭を下げた涼花の殊勝な様子に、小春は思わず「あとはこっちでやるから任せておけ」と胸を叩いて請け合ったのだが─

「ちっとも分からん!」

 小春は叫んだ。現場に来てみたものの、変わった様子は見受けられない。誰かに聞きこみをしようにも、妖怪どころか、人っ子一人見当たらなかった。

 港中を歩き回っている間に、すっかり辺りは暗くなった。舟がいである前で立ち止まった小春は、星が輝きだした空を仰いで「くそー!」と喚いた。

「何で誰もいないんだよ!......いや、いねえかこんなところ......」

 町はずれの寂しい場所だ。ここに港があったことさえ、小春は知らなかった。涼花たちがここに寄り道したのも、実は遊ぶためではなかったらしい。

 ─あそこはめったに人間が来ないと聞いたので、教えていただいたばかりの妖術を皆で練習しようと思ったのです。

 恥ずかしそうに述べた涼花に、このつきとっこうは「お前たちは化々学校の生徒の鑑だ!」と感涙していたが、それを横目で見ていた小春は半眼をして呆れるばかりだった。

「妖怪ってのは、自由に生きてなんぼじゃねえのか?......それも妖怪によるか。皆が皆同じことを思って行動してちゃあ、つまらねえもんな。そういうのは、人間さまがお得意のやつだもの。俺たちにはてんで不要な代物だ」

 わっはっはっと笑った小春は、そこでやっと顔を正面に戻し、ふんと鼻を鳴らした。背筋にぞくりと悪寒がした。何の気配もしなかった港に、今は何者かの禍々しい気が満ちている。

「どこに隠れてたんだか。そこに泊まってる舟の中にいたのか? それとも、まるで違う場所に潜んでいたのか......おい、どうなんだ?」

 数間先にある大木を見つめながら、小春は低い声音を出した。

「......答える気がねえか。なら、力ずくで聞くしかねえな!」

 小春は叫んだ。びゅんと風の音を立て、目的の場所に一足飛びで駆けたと同時に、鋭い爪をそこにいた相手に突きつけた。

「〇、〇×▲......!?」

 聞き覚えのない声が響き渡ったのは、その時だった。

「......は!?」

「※*□......▽△◎;¥+ー!!」

「お、おい......!」

 謎の言葉を発する得体の知れぬ者─このつきとっこうたちの言葉をはっと思いだした小春は、慌てて相手の口を手で塞いだ。もごもごと口を動かし、手足をばたつかせて抵抗する相手を、小春はようやくじっくりと眺めた。

「頭が長い......って、何だよ。これのせいじゃねえか」

 小春が拘束している相手は、長い尖がり帽子を被っていた。ぶんと横に振ってその帽子を落としてみると、そこには亜麻色の髪に覆われた丸みを帯びた頭があった。長いのは帽子だけで、当妖の頭は小春と同じくらい小さい。

(頭だけじゃなく、背丈も俺と同じくらいじゃねえか)

 頭が長く、尻尾の生えた、謎の言葉を話す化け物と聞いていたが、合っているのは「謎の言葉を話す」ということだけに思えた。化け物ということさえ怪しいのは、相手の見目が十三、四歳くらいの人間の少年とほとんど変わりなかったせいだ。

「......いや、ちょっと違うか。髪の色は明るいし、目が碧だもんな」

 その上、鼻も高く、手足も長い。肌の色は、透き通るように白く、身体から発している匂いも、小春が知っている人間たちとは少し違った。小春がみあげたせいで、相手の股下から落ちたのは、箒だった。尻尾の正体はこれだった。小春が知っているものとは、少し異なる形をしている。顔立ちや箒だけでなく、相手が纏っている衣もそうだった。前開きなのは着物と同じだが、背の途中まで山形に切られた布が垂れていた。そして丈は、地にひきずるほど長い。濃紺の衣の中は、シャツとズボンという洋装だった。足許は、衣と同じ色の長靴を履いている。

 顔立ちから身につけているものまでじっくり観察した結果、小春はある結論を導きだした。

「お前......異国の妖怪だな?」

 小春の問いに、相手は答えなかった。何か言っているようだが、小春に口を押さえられているため、まるで声は聞こえない。

「一体どこから来たんだ? あっちの大きな港の方か? それとも横浜か? 異国からやって来る人間たちの船にこっそり潜んで、こっちまで来たんだろ? やっぱりな! 港を開いてから結構経つが、いつかこういう日が来ると思ってたんだよ。船に乗ってくるのは、人間だけじゃないってな。前に、他の妖怪連中に教えてやったことがあるんだが、皆ちっとも本気にしやがらなかった......なんだよ、やっぱり俺様が正しかったんじゃねえか!」

 わっはっはっとまた高笑いをして言うと、異国妖怪と思しき少年は、一層暴れた。見目と同様、あまり力はないらしく、いくらもがいても小春の拘束から逃れられそうにない。それでも、何とか逃げようとする少年を見て、小春は首を傾げた。

「......お前、本当に妖怪なのかね? 妖気なんてほとんど感じられねえが......いや、妙な気は感じるんだよな。でも、妖気とはまた違うもんみてえだし......」

 こんなことになるなら、化々学校の講義を真面目に聞いてみるべきだったと考えかけて、小春はぶんぶんと首を横に振った。

「いやいや......そんなの時の無駄だ! 大体、俺を教授方に呼ぼうとするなんざ、馬鹿げてる。それにも増して馬鹿げてるのは、俺に万屋みてえな真似をさせるところで─ん?」

 アル─厳かな声が聞こえた気がして、小春は話を止めた。

「ある? 何が?......今、お前喋ったか?」

 小春は少年を見て言ったが、彼の口は小春の手で塞がれている。もごもごと何かを訴えようとしている音は聞こえたものの、声にはなっていなかった。

「それに、今響いた声は、こいつにはまるで似つかわしくない渋いおっさんのものだったもんな......結構いい声だった」

「それはどうも」

「どういたしまして─って、誰だ!?」

 小春は少年から手を放し、さっと距離を取りながら怒鳴った。小春の拘束からようやく逃れた少年はその場に膝を折り、げほげほと咳きこんだ。俯いて一部しか見えぬものの、耳や首まで真っ赤に染まっている。

「あ、ちと強く口を押さえすぎた......」

「少々ではなかろう。おかげでアルは死にかけた」

「あれくらいで死にそうになるなんて、やっぱりこいつ妖怪じゃなくて、人間─って、だからお前は一体誰だ!」

 叫んだ小春は、声のする方─アルという名の少年を見下ろした。肩まで伸びた亜麻色の髪に、碧の目、高い鼻に白い肌。最初にじっくり観察した時と、何の異変も見られなかった。一瞬だけ周囲を見遣ったが、誰の姿もない。

「アルというのは、名だ。このアルという童子は、魔女だ」

 またしても聞こえてきた声に、小春は目つきを鋭くさせた。

「魔女......? 魔の女っつーことは、相当悪い妖怪だな。でも、そいつは男だろ? 何で魔『女』なんだよ」

「魔女の子は、男も女もそのどちらにも当てはまらぬ者も皆、魔女になる。それが、魔女のさだめだ」

「......ふうん......そんで、お前はどこにいる? さっさと姿を現せ」

 そうしなければ、殺す─そんな物騒なことを口にした途端、アルの長い袖の中で何かが動いた。

「そこか─さっさと出てこい」

「......これほど強い妖気を発する妖怪には、迂闊に近づくべきではない」

「つまり、俺があまりにも強すぎるせいか......いや、そんなことはどうでもいいんだよ!」

 お前は一体誰だ!─小春の声が響き渡った瞬間、アルの袖から黒いかたまりが飛びだした。

「私はサイという。正体は......見ての通りだ」

 サイと名乗った相手は、赤みを帯びた黒い翼をぱたぱたと羽ばたかせた。日が暮れる頃、空によく飛び交っている動物─蝙蝠だった。

「喋るっつーことは、普通の蝙蝠じゃねえな......蝙蝠の経立か?」

 小春も、猫から経立になった経験がある。しかし、サイと名乗った蝙蝠は経立が分からなかったようで、首を傾げるような仕草をしながら何事か呟いていた。

「うん? 今何て言ったんだ?」

 小春は耳がいいので、サイの小さな声もはっきり聞こえていたが、サイが話した言葉はアルと同様、謎に満ちていた。

「ふったちというのは、魔になりかけた動物のことだろうか─と申した」

「ま?......魔か? まあ、魔って言えばそうかね? こっちでは化け物とか妖怪とかそういうもん......って、話を誤魔化すな!」

 お前たちは一体何者だ!─小春の叫び声に、ようやく地から身を起こしたアルがこう答えた。

「......ある、ちち、さがす......」

 片言の言葉を発した相手が、あまりにも心細そうな表情をしていたので、小春は文句を言おうとしていた口を思わず閉じた。

 アルは、英国妖怪の母と、日本妖怪の父の間に生まれた魔女だという。

「左文字─アルの父は、人間のふりをして生きていた。ある日、この港に泊まっていた貿易船に乗って、英国に来た。あちらの大学に留学しに来たのだ」

「日本の妖怪が異国で人間のふりして留学!? 何だそれ!」

 サイの語りに素っ頓狂な声を出した小春は、港で胡坐をかいていた。小春の前には、アルが足を抱えて座り、アルの肩にはサイが止まっている。アルたちが日本に来た理由を語るというので、仕方なく腰を下ろしたのだ。

「左文字は賢い男だった。こちらの国にいた時分も、どこかの塾で学んでいたそうだが、その頃も優れた成果を出していたと聞く。その頭脳は、アルにも継がれている」

 サイがアルに訳す前に、小春は「そりゃあ違わねえか?」と唇を尖らせた。

「親の出来がいいのは、かかわりねえだろ。そいつが賢いっていうなら、そいつが励んだおかげだ」

 きっぱり言いきった小春に、サイはくすりと笑いを漏らした。

「何だよ?」

「いや......いい奴だと思ってな」

 むすっとした小春を無視して、サイはアルに何事か話しかけた。話を聞いたアルは、目を丸くし、小春を見た。控えめに笑った顔を見て、小春はふうんと鼻を鳴らした。

(とっつきにくそうな奴かと思ったが、人懐っこい面もできるじゃねえか)

「左文字がアルの母である魔女エレナさまと出会ったのは、留学中だ。左文字は人の血を吸って生きる妖怪だったが、渡航してからというもの、忙しさにかまけてそれを怠っていた」

「それじゃあ、死んじまうだろ」

 小春の言に、サイは呆れた声で「その通りだ」と答えた。

「まことに死ぬところだった。あれは勉学はできるが、他は難がある男だった......もっとも、そのおかげでエレナさまと縁ができたのだろう。エレナさまが自ら血をお与えになり、左文字は生き延びた。左文字が英国にいる間は、ずっとそうしつづけた。エレナさまは、実に慈悲深い方であったのだ」

 過去形で語ったことに気づいた小春に、サイもまた気づいたようだった。

「......エレナさまは亡くなられた。つい半年前のことだ」

 妖怪らしからぬ、老衰だったという。サイに話を訳されたアルは、膝に顔を寄せて哀しそうな表情を浮かべた。

「じゃあ、お袋の死を伝えに、親父を捜しに来たのか? そういや、何で親父は日本に帰っちまったんだ?」

「......病に罹ったのだ。自国で治癒をしなければ、助からぬ病だった。エレナさまは左文字を助けるために、泣く泣く別れを告げた。アルを腹に宿していることを黙ったまま、わざと厳しい言葉を告げて、あの男をこの国に帰したのだ」

 アルが父の話を聞いたのは、母が死ぬ間際だったという。

 ─これを持って、あなたの父......左文字を訪ねなさい。妖怪らしからぬ優しさに満ちた方です......きっと、よきに計らってくれるでしょう。

 そう言ってアルに十字架を渡したエレナは、そのまま息を引き取ったという。

「その十字架は、エレナのものだったのか? それとも、左文字のものだったのか? ちょっと見せてみろよ」

 手を差しだした小春に、アルは不思議そうな顔をした。

「大事なものだから見せられぬと申している」

「お前がな! まったく......」

 アルに訳しもしないで言ったサイに、小春ははあっと息を吐いて答えた。

「......だが、まあ話は分かった。父親なんてそんな必死になって捜すもんじゃねえと思うが、まあそれは俺の考えだ。お前にとっちゃあ大事なもんなんだろう。見つかるかは分からねえが、納得が行くまでやればいいさ」

 正体を突き止めるという依頼は果たしたのだし、これでお役御免でいいだろう。

(かわそだったら、親身になってやったと思うが......俺は御免だ!)

 かわそは、かわうそに似た水の怪だ。小春がまだ三毛の龍と呼ばれていた頃に出会った心優しき友である。小春は顔の前でぱしんと両手を叩くと、「よし、これにて解散!」と声を発し、さっと立ち上がった。

「日本は広いから、せいぜい頑張って捜すんだな! そうすりゃあ、いつか見つかるかもしれん」

 おそらく無理だろうけどと心の中でつけ加えた小春は、そのまま彼らの前から去ろうとしたが─

「......おい、何すんだ」

 ぐぐぐ、と小春は前に足を踏みだそうと力を込めた。しかし、まるで身体が動かない。右足はアルに、左足はサイに、と拘束されていたからだ。アルの力はそれほどでもなかったが、問題はサイだった。小さな口で小春の足首にみつき、黒い翼で足首を羽交い締めのようにしている。手のひらに乗るほど小さな身だというのに、物凄い剛力の持ち主らしい。どれほど力を込めても、左足はぴくりとも動かなかった。

「はーなーせー!!」

 小春は喚くように言いながら、何とか前に進もうとした。そのたびに、アルの拘束から逃れられたが、アルはすぐにまた小春の右足に抱きついてくる。左足はまったく動かないため、小春は右足だけ前に出した状態のままとなり、段々と辛い体勢になってきた。

「股が裂けるだろ! 放せってば!」

「±△△※、□◆$$$◎!?」

「何言ってるか分かんねーって!」

「お前は人間の世の見回りをし、何か妖怪沙汰があればそれを解決する仕事をしていると先ほど申していた。ならば、このアルを助けることも、お前の仕事の内のはず。異国からはるばるやって来た同士を捨て置くなど、魔として恥ずべき行為。これでもまだ断るというなら、私は祖国に帰り、同士たちに語ってきかせるだろう。日本という国の妖怪に非情な扱いをされた、と。私以上に怒りを覚えた皆は、どんな行動を取るか。日英魔戦争が勃発する日もそう遠くない─とアルは申したのだ」

「吐け! そんなに長々と喋ってなかったじゃねえか!」

 ぎゃあぎゃあと喚く小春に、アルはまた何事か言った。

「だから、何を言ってるのか分かんねえって─」

 途中で言葉を止めた小春は、ぐっと詰まった。アルの顔は、あまりにも必死だった。言葉は分からないが、彼が懸命に何事かを訴え、助けを乞うているのは知れた。

 力を抜いた小春は、髪をかき上げながら溜息を吐き、低い声を出した。

「......しようがねえなあ」

「引き受けてくれると思った、とアルは申している」

「今、そいつ喋ってねえだろ!」

 サイの調子のいい言に、小春は即座に突っこみを入れた。

Profile

小松エメル

1984年東京都生まれ。母方にトルコ人の祖父を持つ。國學院大學文学部史学科卒業。2008年、ジャイブ小説大賞初の「大賞」を受賞した『一鬼夜行』でデビュー。著書に、「一鬼夜行」「うわん」「蘭学塾幻幽堂青春記」の各シリーズ、『夢の燈影』『総司の夢』『梟の月』などがある。

著者

Pick Up Book

  • かがみの孤城
  • i
  • 私のスポットライト
  • ビオレタ

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