「一鬼夜行」余聞

小松エメル

「一鬼夜行」余聞

イラスト:森川侑

2

緑の手(2)ーー「一鬼夜行」余聞

midorinote.jpgのサムネイル画像

 弥々子と出会って以来、岬は神無川に毎日のように入り浸っていた。

「鬱陶しい。殺すよ」

 猫に似た顔を顰めて言う弥々子に、岬は俯いて頷いた。震えていたのは怯えではなく、笑いを堪えていたせいだった。

(姐さんは可愛いなあ、棟梁らしく振舞ってるけど、内心は大甘だもんなあ)

 それは岬が勝手に思ったことだが、強ち外れてはいないようだった。弥々子の言に従い、月に一度しか顔を見せなくなると、訪ねていくたびに弥々子はほっとしたような顔をした。自分から突き放したくせに、岬のことを気にかけていたのだろう。

「一体どこをほっつき泳いでたのさ。行く先々で迷惑掛けてるんじゃないだろうね? くれぐれもあたしや神無川の名を出すんじゃないよ。厄介事に巻きこまれるのはごめんだ」

 弥々子はそんな風にいつも素っ気ない態度を取ったが、それが本心でないと岬には分かっていた。弥々子の優しさに触れるたび、岬は笑みを浮かべずにはいられなかった。

「あ~、早く欲しいなあ」

「あんたみたいにだらけた奴でも一丁前に欲なんてあるのか」

 意外そうに言った弥々子に、岬は「勿論」と笑って答えた。

 あんたの魂だよ――心の中で述べた本音を聞きつけたのは、この世でたった一妖だけだった。

「なぜ弥々子河童の魂を盗らぬのだ」

 久方ぶりに水の世に戻った岬は、方々で集めた魂を須万に渡そうとした時、その須万から声を掛けられた。

「......須万さまは何でもご存じだあ」

 笑って誤魔化そうとしたが、氷のように冷たい視線からは逃れられなかった。ふうと息を吐きながら、岬は答えた。

「あの魂は、時が経ってからもらった方がいいと思ったんです。数か月――いや、数年先なら、きっともっと輝きが増してる」

「美しかろうが汚かろうが、魂など皆同じだ」

「須万さまはそうお思いでしょうが......」

「お前は違うというのか」

 含み笑いをして言った須万は、ヒレで岬の手に触れた。岬が集めた魂が須万に渡ると、白い光が発される。その光に包みこまれた途端、どこかの海川に飛ばされるのが常だったが、今日は水の世に留まったままだった。

 そのうち、すっと光が消えた。いつも通り、岬と須万以外は誰も存在しない空間が広がっている。岬がごくりと唾を吞みこんだ時、須万は高らかに述べた。

「今のままでは、弥々から魂は盗れぬ。修行をつけてやろう」

 魂は欲しいが修行など御免だあ――口から出しかけた言葉を吞みこみ、岬は大声を張った。

「ご指導ご鞭撻のほど、よろしくお願い申し上げます!」

 須万は口の端をやや吊り上げ、頷いた。笑みを浮かべたつもりのようだが、その目はやはり氷のように冷めていた。

 それから岬は水の世に留まり、修行に明け暮れた。須万に命じられるまま、飛んだり跳ねたり、ひたすら長い距離を泳いだり、何日も座禅を組んだりと、過酷な日々を過ごした。

「少しも強くならぬな」

 修行をはじめて数年経った頃、須万は呟いた。岬は懸命に取り組んできたが、須万の想像ほど強くならなかったようだ。

「持って生まれた才が......なかったんでしょう......期待に応えられず、申し訳ありませんね......」

 膝を折り、肩で息をしながら言うと、須万は不満げな声を漏らした。

「あと百年やれば、才も目覚めるやも――」

「須万さま、その頃には弥々子は死んでます。須万さまが俺を強くしようと思ったのは、あの河童の魂を盗らせるためでしょう? 奴が死んじまったら、本末転倒じゃありませんか」

 須万の言葉を遮って述べた岬は、へらりと笑った。

「......それよりも、そろそろ魂の補充が尽きる頃では?」

 修行中、岬は水の世から出なかった。その間、当然岬の魂盗りは中断されていた。須万は、他妖の魂を体内に取りこんで生きている。ここ数年間は、身体の中にある魂と、須万の許を時折訪れる水の怪たちの命で生き延びていた。

 ――須万さま、どうか私のこの先をお教えください。

 ――水の怪の中で一等の強さが欲しいんです。そうなるには一体どうすれば......。

 水の世まで来た妖怪たちは、須万に頼みごとをした。須万が持つ水の世を見通す力にあやかりたいと願う者は大勢いたが、実際に訪れるのは少数だった。

「ここに来た奴らからもらった魂は、大した年数じゃない。どうせなら、全部取っちまえばいいのに」

 岬は本音交じりに冗談を言った。頼みごとに応じて、須万は依頼者から寿命の一部を取った。同じ依頼でも、才や力によって負荷が異なるため、もらう寿命年数もそれぞれだった。

「願いは叶うが、寿命はあとひと月になる――それでもよいのかと問うたことはある」

「へえ、相手は何と答えたんです?」

「願いが叶えば死んでもいい――私は相手の望み通りにした」

 岬は笑みを引き、黙りこんだ。自分の命を懸けてまで望みを叶えたい――その気持ちが岬にはまるで分からなかった。たとえ望みが叶っても、死んでしまえばそれまでだ。縮んだ寿命を生きるのは、どういう気分だろうか。想像よりも早く終焉を迎えた時、後悔しないのだろうか。あの時、須万さまに願わなければよかった、と――。

「魂を盗りに行きたいか」

 須万の問いに、岬は我に返った。

(別に魂を盗りたいわけじゃないが......)

 何もないこの場所でひたすら過酷な修行に打ちこむよりは、外に出て誰かの命を奪っている方がマシだ――そう思いかけて岬は心中を読まれたかと血の気が引いたが、須万は何も言わなかった。その代わり、須万から発される妖気が、にわかに強まった。

「......あの愚か者め」

 低い唸り声を上げた須万は、蒼褪めた岬を睨んで言った。

「我が子が暴れておる」

「わ、我が子?......えっと、アマビエが現れたんですか⁉」

 疑問を浮かべかけた岬は、はっと気づいて言った。

「いつもふらふらとしているだけゆえ、放っておいたが......水の怪たちに追い回され、暴れておる――神無川から続く海だ」

 場所を聞いた途端、岬は泳ぎだした。制止の声が掛からなかったことをいいことに、急ぎ人間の世に向かった。これでやっと弥々子の魂を盗りにいける――そう思うと、心が弾んだ。

 アマビエが暴れている海に着く少し前、岬はにわかに動きを止めた。

(......俺あ何やってんだ。今向かったってしようがないのに)

 誰が相手でも、胸に手を当てれば、魂を抜きとれる。岬が持っているのは、一見無敵にも思える力だが、それを使える状況は限られている。一対一であること、相手が無防備であること――まずその二つを満たしていなければ、魂は盗れない。

(いや、抜きとるだけはできるか......問題はその後だ)

 少し離れた場所では、アマビエを捕まるために、大勢の水の怪たちが集っている。その混乱に乗じ、弥々子の魂を盗れたとしても、彼女の配下の河童が岬を逃しはしないだろう。よくも棟梁を――と嬲り殺される画が浮かび、岬は苦笑した。

「死ぬのはいいが、嬲られるのはどうもなあ......」

 自分がするように、相手が気づかぬうちに一瞬で命を奪って欲しいものだと思いながら、岬は方向を変えて泳ぎだした。今はその機ではない。

 背後に戦いの気配を感じつつ向かったのは、妖怪の世だった。大蛙の妖怪――蝦蟇王を見つけた岬は、わざと彼の目の前で転び、「痛い......痛いよお......」と情けない声を上げた。

「......間抜けな河童だな」

 呆れた様子で呟いた蝦蟇王を見て、岬は内心笑った。

(こういう反応をする奴は、簡単に魂を盗らせてくれるのさ)

 他妖に関心のない妖怪ならば、岬が転ぼうが瀕死だろうが、何の反応も示さず、その場から泳ぎ去るものだ。独り言だろうと、わざわざ声に出して岬のことを呟くような相手は、弥々子ほどではないにしろ、お人好しの素養がある者が多かった。

 四半刻も経たぬうちに、岬は蝦蟇王から魂を奪った。だが、久方ぶりで気が緩んでいたのだろう。近くで見られていることに気づかず、危うく一妖取り逃がすところだった。相手がわざわざ声を上げてくれたおかげで、その小鮫の怪からも魂を抜き取った。そうして得た二つの魂は、岬が厭う汚い色をしていた。今、人間の世で暴れているアマビエのように光り輝いていたら、この仕事ももっと楽しめたに違いない。

 赤青赤青赤――アマビエが点滅するように光り輝く人間の世に再び近づいていった岬は、渦中にいる弥々子に声を掛けた。

「待っててくれよな、弥々子姐さん! もう少ししたら、あんたの魂をもらいに行くからさ‼」

 届くはずのない距離だったが、弥々子は一瞬岬の方を見た。岬は息を止めた。数年ぶりに見た弥々子の瞳に宿る魂の輝きが鈍っている――そのことに気づいたからだ。

(姐さん、何で......)

 絶句した岬は、ふらふらと泳ぎだした。

(あんたの魂、あんなに光り輝いてたじゃないか......それなのに、何で今は――)

 ぐるぐると考えこみながら、岬はひたすら泳ぎつづけた。

 手足が動かなくなってようやく動きを止めた岬は、見知らぬ土地にいた。

 そこは、真っ白な世だった。大きな湖に氷が張り、岸に雪が降り積もっている。

「どこだここは......氷の世なんてあったか......?」

「ここは妖怪の世だぞ」

 にわかに耳元に響いた声に、「ひえっ」と情けない悲鳴を上げた岬は、その場に尻餅をついた。そんな岬を見下ろしながら口を開いたのは、白い熊の形をした妖怪だった。

「ちいとばかり田舎でのう......だから、滅多におてんとうさまが来ぬのだ。その代わり、雪んこはよくやって来る。雲の奴らも大抵ここの空に群れておるぞ。ほれ、見てみろ」

 白熊の妖怪はそう言って、ふかふかの毛で覆われた手を空に向けた。つられて見上げた岬は、口をぽかんと開けた。そこにはたくさん雲が浮いており、雪がちらついている。太陽の姿は見えない。しかし、辺りは日の光を反射しているように、きらきらと輝いている。

「おてんとうさまが来ないのに、何でこんなに明るいんだ?」

 疑問に思ったことを問うと、白熊の妖怪は「そりゃあ、アマ坊のおかげさ」としたり顔で答えた。

「アマ坊?」

 聞きなれぬ言葉に首を傾げると、白熊の妖怪は岬にずいっと迫って言った。

「アマ坊は、アマビエに決まってる。ふふふ......それほどアマ坊の話が聞きたいなら、この汐(うしお)が教えてしんぜよう‼」

 何も答えていないうちに、白熊の妖怪・汐は、一つ咳払いをして、アマ坊ことアマビエのことを語りはじめた。

「わしとアマ坊がはじめて出会ったのは、ちょうどこの辺りだった。あれは確かわしがまだ七つの頃だ。昼飯を取ってこいと親から頼まれ、湖の氷に穴を空けて、そこに釣り針を垂らしたのさ。すると、すぐに何か引っかかりを感じてな......おや、随分と大物じゃないか? 一体何が引っかかったんだ? そう思ったら、バキッと大きな音が響いてな」

 汐が気づいた時にはもう、湖の氷の広範囲に亀裂が走っていた。慌てて岸に戻ろうとしたものの、氷が割れる方が早かった。氷の下に落ちてしまった汐は、寒さではなく、恐怖で身を震わせた。冷え切った水の中には、大きな口を開いた巨大な鯨の妖怪がいたのだ。鋭く尖った牙は、血に塗れており、恐ろしい見目に似合いの、凄まじい妖気を発していた。

「その鯨妖が口を開いて、わしに向かってきたんだ。喰い殺される――そう覚悟した時、現れたのが我が友さ」

 青赤青赤――交互に色を変じつつ現れたのは、アマビエだった。丸っこい身体でくるくると舞いながら、アマビエは鯨の妖怪に近づいた。鈍そうな見目に似合わず俊敏な動きのアマビエは、鯨妖の頭上に立った瞬間、自身の身体から鱗をもぎ取り、それで彼の妖怪の頭を引っかいた。

 次の瞬間、鯨妖の頭から光が漏れた。色とりどりのそれは、まるで花火のように派手に広がり、瞬く間に消えた。

「大した傷もついてないように見えたが、鯨妖は特大の悲鳴を上げて、海の底に沈みこんだ」

 まだ幼かった汐は、茫然とその様子を見つめることしかできなかった。そして気づけば、アマビエに手を引かれて、岸に戻っていたという。

「アマ坊はそこでわしにこう言ったんだ。『アマビエだ。アマ坊と呼んでおくれ。それでアマ坊はな、お腹が空いたんだ。今沈んだ鯨を引き上げて、鍋にして食べよう』と――」

 う、噓だあ......――岬は思わず本音を漏らした。しかし、汐は真面目な顔で「噓ではない!」と答えた。

「だって、あいつは喋らない妖怪だろ⁉」

「アマ坊は言葉を口にせぬが、わしとは心で通じ合えるのだ」

「それは、あんたが都合のよいように解釈しているだけじゃないのかい⁉」

 アマビエの言葉が分かるのは、生みの親である須万くらいなものだ。その須万でさえ、本当に彼の妖怪の心を理解できているのかは謎だった。

「......絶対あんたの勘違いだよ!」

「失礼な! わしは三度もアマ坊と会ってるが、毎度ちゃんと会話しているぞ!」

「三度も⁉ それもまた噓だあ......」

「噓ではないと言っておろう!」と憤慨した汐は、岬を引っ張って雪でできた自宅に連れていった。そこで汐は、アマビエとの二度目と三度目の邂逅を語った。場所はすべてここだというが、それぞれの間には三十五年もの開きがあった。滞在期間はまちまちで、最初は翌朝には姿を消し、二度目は十日滞在し、三度目はその日のうちに帰ってしまったという。

「三度目の時、わしは出会えた嬉しさに舞い上がり、こちらの話ばかりしてしまってのう......せっかくアマ坊が人間の舞踊を真似てくれていたのにも気づかず......アマ坊はそれに怒って、去ってしまったのだ」

 肩を落として言った汐に、岬は頬を搔きながら慰めた。

「まあ、時として友とは喧嘩するもんだよ――俺に友はいないけど。......それより、三十五年周期でここに来てるってことは、来年四度目の邂逅があるってことじゃないか!」

 冗談のつもりで言うと、汐はふかふかの毛に覆われた顔を近づけて、「その通りじゃ!」と大きな声を出した。

「来年、アマ坊はここに来る! アマビエを研究して百十一年目のわしは、四度目の出会いはこれまでと違うものにしようと決めとるんだ!」

「お、おう......どうするんだい?」

「末永くここにいてもらう!」

 汐はそう言いながら、氷でできた卓を片手で叩いた。どれほど力を込めても壊れそうにない分厚さだったが、汐が少し叩いただけでぴしりとヒビが入り、粉々に砕け散った。

(会った時から薄々感じてたが、こいつまさか......でも、そんな奴がこんな辺鄙な地で、アマビエ研究なんかに没頭するか⁉)

「わけが分からん......」と呟きながら、岬は頭を抱えて唸った。

「案ずるでない。ことは単純明快だ!」

 割れた卓を外に出し終えた汐は、自身の胸を叩いて叫んだ。

「ここに偶々訪れた妖怪は、アマ坊以外にはお前しかおらん――これは運命だ! 岬――お前は、ここにアマ坊を連れてきてくれる使者だ!」

 いや、違う――そう否定しかけた岬だが、汐が差しだした手の平の上にある欠片を見て、固まった。

「これはアマビエの鱗だ。最初に会った時、アマ坊がくれた。この鱗のおかげで、それまでずっと暗かったこの地は、おてんとうさまがいないのに陽の恩恵を受けるようになったのだ」

 汐は嬉しそうに言った。きらきらと光り輝くそれは、岬がずっと焦がれてきた弥々子の魂のようだった。

 魂は見目通りとは限らぬものだ。美しい者でも、醜悪な魂であることは多いし、その反対もある。だが、アマビエが落としていったのは、彼の一部である鱗だ。

(奴の見目はあの通り間抜けだしな......だが、身体の一部がこれほど美しいのなら......)

 身体の中に沸々と浮かんできた想いに、岬は戸惑いを覚えた。美しい魂が欲しい――岬はこれまで幾度もそう思った。しかし、積極的に求めはしなかった。弥々子という、美しい魂の持ち主に出会ったからだろう。その魂が最高に光輝いた瞬間に、自分のものにする――それを楽しみにしていたからこそ、岬は厳しい修行にも耐えられたのだ。いつかあの美しい魂をこの手に――だが、弥々子の魂は、なぜか美しさを失っていた。他の皆のように薄汚れてはいないものの、魅力的には思えなくなった。

(俺が欲しいのは、もっと美しい魂だ。弥々子姐さんの濁った魂じゃなく、もっと綺麗でもっと光り輝いている――......)

 固まった岬に、汐は「どうしたのだ?」と声を掛けた。

「ここに来てから、ずっとぼうっとしておるのう......どこか具合が悪いのか? それなら、アマ坊の捜索はやめて――」

「やる」

 きょとんとした顔をした汐に、岬は再び「やる」と答えた。

「汐爺さん――俺が必ずアマビエを連れてきてやるよ!」

 あんたに渡すのは魂の抜けた亡骸だけど許してくれ――そう心の中で付け加えて、岬は満面の笑みを浮かべた。

 岬は、神無川に向かった。久方ぶりに顔を合わせた弥々子は、岬の姿を見て猫そっくりの目を丸くした。

(可愛いなあ、姐さん。......だが、やはり駄目だ)

 近くで見ると、魂の輝きが失われているのがはっきり分かった。これならもう魂を盗る必要もない。だが――

(これまで待ったんだ。少しくらい利用しないと損だよなあ)

 そう考えた岬は、アマビエ捜索に弥々子を巻きこむことにした。アマビエの件を話すと、弥々子は怪訝な顔をしたが、岬が口八丁に続けると、特段疑うことなく信じたようだった。

「ふうん......その時アマビエを捕まえてりゃあ、今頃天下無双の妖怪になれてたのにね」

 夏の騒動の時、アマビエを妖怪の世から見かけたと言うと、弥々子はにやりとして言った。岬は首を横に振った。

「おや、あんたも『誰の力も借りずに強くなる!』と綺麗事を言う気かい?」

「何だいそれ? 俺はまずアマビエを捕まえる力がないから無理だよ。捕まえられるもんなら、捕まえてるさ。強くなれる機があるなら、その方法が卑怯だろうと、妖怪なら気にしないもんだろう。あんたが思い浮かべた誰かがおかしいのさ」

 岬の言に頷いた弥々子だが、引き攣った笑みを浮かべていた。少しも得心はいっていない――それを必死に隠すような表情に、岬はこっそり息を吐いた。弥々子の意地っ張りなところは、いじらしく、愛おしい。しかし、その不器用さに苛立ちも覚えた。

 何かあったら海へ行く――水の怪たちの不文律に従い、二妖は海に向かった。そこで突如出現した大波の正体を探りに、弥々子は水の世に行ってしまった。慌てて後を追いかけながら、岬はげんなりしていた。

(......ご無沙汰だからなあ。怒ってらっしゃらないといいが)

 水の世のことならば何でも見通せる須万だ。岬の企みもきっと知っているのだろう。それでいて何も言ってこぬのは、岬を信頼しているからか、はたまた放っておいても害はないと考えているからか――おそらく後者だなと苦笑した時、岬は水の世にたどり着いた。

 須万と弥々子は、すでに対面を果たしていた。

「早速ですが、お伺いしたきことがあります」

「何でもよいぞ。さて、いくつ」

 命のやり取りをはじめた二妖を見て、岬は疲れ切ったような芝居を打ちながら、待ったを掛けた。

「俺が渡します!」

 しかし、弥々子は「いらないよ」とにべもなかった。

(あんたは何も分かっちゃいない!)

 弥々子もある程度の覚悟を持って自分の寿命の一部を差しだそうと思ったのだろう。しかし、須万は弥々子が思っているよりも非情な妖怪だ。そうでなければ、他妖の寿命を糧に自分の生を伸ばすことなどしない。

「あんたの寿命は俺のもんでもあるんだよ⁉」

 そう訴えた途端、足蹴にされたが、本心だった。

(あれ......? もう姐さんの魂には用はないのに、俺は何で――)

「五ずつ」

 答えた須万に、岬ははっと我に返った。寿命を大分まけてくれたのは、岬も半分出すと掛け合ったからだろう。

「邪神となりし水旁(みずつくり)、アマの力を得、人間の世を統べんと企てん」

 須万の言葉が響いた直後、常の通り白い光が水の世に満ちた。須万が佇んでいた位置に現れたのは、真っ白な裸身の女だった。人間の姿へと変じた須万に、岬は心中で語りかけた。

(水旁というと、引水(ひきみず)の地を作りし神ですね? ずっと昔に消えたと思ってましたが、生きてたんですか。あの巨大な波は随分と禍々しかったから、邪神になったというのは納得です。これで奴がアマビエを手に入れたら......いや、勿論そうはさせません。アマビエは、須万さまのもの。必ずここに連れ帰ってきますとも――弥々子を手伝うふりをして、横からかっさらってきます。だから、あと少しだけ俺の自由にさせてください。アマビエを須万さまにお渡した後は、これまで以上に魂を持って帰りますから......どうか――)

 分かった、という風に須万が頷いたのを見たのを最後に、岬の視界は真っ白に染まった。

Profile

小松エメル

1984年東京都生まれ。母方にトルコ人の祖父を持つ。國學院大學文学部史学科卒業。2008年、ジャイブ小説大賞初の「大賞」を受賞した『一鬼夜行』でデビュー。著書に、「一鬼夜行」「うわん」「蘭学塾幻幽堂青春記」の各シリーズ、『夢の燈影』『総司の夢』『梟の月』などがある。

Pick Up Book

  • かがみの孤城
  • i
  • 私のスポットライト
  • ビオレタ

Pick Up Book

  • かがみの孤城
  • i
  • 私のスポットライト
  • ビオレタ