「一鬼夜行」余聞

小松エメル

「一鬼夜行」余聞

イラスト:森川侑

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姫たちの城(2)――「一鬼夜行」余聞

 姫たちの城.jpgのサムネイル画像

 流石のあたしも驚いて茫然としたけど、それを見た正は笑ってたわ。それはもう、面白そうにね......あら、どうしたの? そんなに青い顔して。たかだか人殺しじゃないの。妖怪の世じゃ日常茶飯事――妖怪が人を殺すのとはわけが違う? 痴情のもつれほどおっかないものはない? 何より姫さまがおっかない? 女は怖い怖いって煩いわね......堂々薬缶、あんた女に何か嫌な思い出でもあるの? 釜の怪としゃもじもじは、どこに行く気? 厠? 意気地がない連中ね。こんなんで怖がってたら、この先は聞けないわよ? 

 だから、言ったでしょう? あたしにとって、妖生最悪の日だったって。何しろ、この後は――

 はあ......茶杓の怪も厠ね。障子に身を潜めてた目目連(もくもくれん)たちは、一体どこに消えたのかしら? 気配すらないじゃない。普段あんなに威張り腐ってるいったんもめんは? 桂男(かつらおとこ)......あいつは、引水(ひきみず)の家にいるんだったわね。あいつが今ここにいたら、真っ先に逃げてたでしょうね。まったく、揃いも揃って小心者なんだから。小梅(こうめ)、あんたはいいの? ぶるぶる震えちゃって、地震が起きたかと思ったわ。そこで小便を漏らしたら、承知しないわよ。そう、素直でいいわね。どうせ皆家の周りにいるだろうから、ついでに伝えて。呪われたくない奴は、前差櫛姫の語りが終わるまで、店の中に入って来るな――ってね。

 ......あんなに転がっていかなくてもいいのに。力があるくせに、本当に怖がりねえ。まあ、煩い連中がいなくなってよかったわ。あんたたちも気が済んだ?......続きが聞きたい? 虫も殺さないような顔して、怖い女ねえ。そうやって何でも首を突っ込んでると、いつか大変な目に――とうに遭ってたわね。硯の精も、この女と同じ気持ちなの? 

 本当にどうしようもないわねえ......いいわ。ここまで話したんだから、最後まで話してあげる。

          *

「不義密通の果てに、人殺し――我が母ながら、信じられないことをする人です」

「わ、笑ってる場合じゃないでしょ......」

 身体を折り曲げてくすくすと笑い声を漏らす正に、前差櫛姫はたじろぎながら言った。

(でも待って......確か、お貞はあたしを母の形見って――あたしが形見というのは真っ赤な噓だけど――)

「満も......あんたの母親も死んだの?」

 前差櫛姫の問いに、正はようやく笑いを止めて、こくりと頷いた。男を刺した後、正は自身の喉を突き、息絶えたという。

「自身と相手を刺した短刀は、男の家にあったものだったそうです。逆上した時にたまさか目に入って、手に取ったのでしょう」

 嘆息交じりに言った正は、庭に視線を向けた。藻に埋もれた小さな池の中には、白い鯉が一匹泳いでいる。こんなところにいるのが不思議なほど、美しい姿だった。

 満が男を刺した時、その部屋には彼の妻女がいた。満は、彼女にも短刀を向けたが、腕を切りつけただけで手を止めた。

 ――この人と共に逝くのは、私だけだ......!

 そう叫ぶなり、自身の喉を突いたという。妻女の傷は大したことはなかったが、夫と、かつての夫の愛人――目の前で死んだ二人の姿を目にした彼女は、心を病み、それからずっと床に臥せているという。

 まるで作ったような正の話に、前差櫛姫は言葉を失った。付喪神に完全に変化する前から、気に食わないことは気に食わないと、心の中で言い返してきた。どうしても話が通じないのなら、力を行使することも厭わないというほどの気の強さを持っている。

(そんなあたしを黙らせるほどなんて、相当よ......)

 正に対しては、どんな言葉を掛けても、駄目な気がした。

「母の罪は、子の罪――私がここに来たのは、そういう理由です。三月の間、顔を合わせたのは、お貞と名も知らぬお婆だけ......お婆は日に二度、朝餉と夕餉を届けてくれます。私の身を清めてくれるのも、お婆の役目――彼女には、感謝しています。未だ一声も聞いたことはありませんが......それが口が利けぬせいではなく、私と話すのを禁じられているせいであることを願っています。単に、私のことが嫌いで黙っているなら、それでも構いません。嫌われることには、慣れていますから。もとより私は、母共々、姉兄から遠ざけられていました。下賤の血の母子だと――そんな中、降って湧いた醜聞......どうなるかは目に見えていました。殿の温情がなければ、蟄居では済まなかったでしょう」

 ずっと父上と信じていた相手を「殿」と他人行儀に呼んだ正は、ふっと息を吐いた。あまりにも儚い溜息に、前差櫛姫は前に出て、ぴょんっと跳んだ。思わずといった様子で、正は手を伸ばした。その上に着地した前差櫛姫は、目線が近くなった正を見つめて言った。

「......人のために働くなんて真っ平御免だけど、これも何かの縁と思って諦めるわ。そいつらを呪い殺すなら、手伝ってあげる!」

 正は目を丸くして、ぽっかりと口を開いた。

          *

 何よ、あんたたちまで正と同じ顔して......ひどい間抜け面ねえ。どういうつもりだったかなんて、覚えてないわ。単なる気まぐれよ。

 そんなもの起こすんじゃなかったって、すぐに気づくんですけどね!

          *

「さあ、誰からやる? 姉から? 兄から? お婆とやらでもいいけど、一応は面倒見てくれてるわけだから、勘弁してあげる? ......やっぱり、馬鹿殿からがいいわよね! たとえあんたが不義の子であっても、長年自分の子として育ててきたんでしょ。一国の殿なんだから、最後まで自分の子の面倒を見るべきよ。大体、本当のところは、どっちの子かなんて分からないんだから」

 証と言えば、顔が似ているという点だけだ。満のしたことは、確かに人として許されぬのかもしれぬ。だが、前差櫛姫は妖怪だ。人としての倫理をいくら説かれても、理解できるはずがない。

(ただ、あたしは気に食わないだけよ。何もしてないこの子が、何で一人で重い罰を受けなきゃならないの? 親の罪が子の罪になるなんて、馬鹿げてる!)

 自分の責任は自分で取る。それが、妖怪の道理だ。自死が責任を取ったことになるのかは分からぬが、少なくとも正には関わりないことである。

「あんたのことなんて何とも思っちゃいないけど、あんたの周りにいた奴らのことは気に食わないわ。あたしはね、気に食わない奴はみーんなぶちのめすって決めてるの。それがあたしの妖怪としての理なのよ!」

 だから、力を貸してあげる――小さな手を差しだしながら、前差櫛姫は言った。いつの間にか俯いていた正は、身を震わせていた。

 やがて、ゆっくりと上げた面には、涙を湛えた笑みが浮かんでいた。

「......かわいい子」

 くすりと笑って言った正は、小首を傾げて続けた。

「あんな噓を信じたの?」

「う、そ......?」

 そう呟いた前差櫛姫は、何度も目を瞬いた後、顔を真っ赤にして、唇を戦慄かせた。

「あ、あんた......今話したこと、すべて噓だったって言うの⁉」

「そんなことはありません。噓を吐く時は、多少まことを混ぜないと――」

 袂で口許を抑えながら言った正に、前差櫛姫は二の句が継げなかった。固まった前差櫛姫を尻目に、正は「まことのこと」を語りだした。

「母が不義密通をし、私を産んだのはまことです。ですが、それが露見した時、殿も兄上、姉上たちも、それまでと変わらずよくしてくださいました。......結局、何のお咎めもなく、私たちは城に居続けたのです。その後、母が病に罹り、数年の闘病の後、先日亡くなりました。その時も、皆は私を労り、優しくしてくださいました。外に出たいと言ったのは、私の方なのです。城にいる者全員が反対しましたが、私はそれを押し切ってここに来ました」

「......おかしいわ! それなら何でこんなあばら家にいるのよ⁉」

「こんなところで暮らすなど耐えられぬはず。早々に音を上げて城に帰ってくるだろう――父上たちは、そうお考えになったのです。お婆もよくしてくれています。『姫さま、そろそろお城にお帰りなされ』といつも気遣ってくれる、優しい人です」

「.........」

 前差櫛姫は無言で正を睨みつけながら、自身の髪に挿していた櫛を抜き取り、彼女に向けて構えた。正は笑みを浮かべたまま、微動だにしなかった。

「命乞いをしなくていいの? お姫さまの顔に穴が空いたら、城に戻った時、お殿さまたちが悲鳴を上げるんじゃなくて?」

「私は城には戻りません。顔に穴が空くくらい、どうということもありませんよ。噓を吐いたお詫びに、どうぞ」

 顔を突きだした正に、前差櫛姫はたじろいだ。正は本気の目をしている。

やがて、鼻を鳴らした前差櫛姫は、畳の上に降り立ち、庭と反対の方へ歩きだした。

「どちらに行かれるのです」

「別段当てはないわよ。ただ、噓吐きお姫さまとは一緒にいたくないだけ!」

 そう吐き捨てながら、前差櫛姫は襖の前に立った。

「......あんた、さっさと襖を開けなさいよ!」

 振り向きながら怒鳴った前差櫛姫は、「へ」と声を上げた。浮遊感を覚えたと思ったら、いつの間にかそばにいた正が、前差櫛姫を持ち上げていたのだ。

「ちょっと、何よ! あたしは襖を開けてと言ったの! さっさと放しなさいよ!」

「外に行くのでしょう? 私も連れて行ってください」

「はあ⁉」

「私は城の外に出たことがないんです。ここに来た日がはじめて......もっとも、駕籠に乗せられてきたので、まだ外を歩いたことはありません。自分の足で外を歩いてみたい」

「勝手に行けばいいでしょ! 何であたしが付き合ってやらなくちゃいけないのよ! 大体、ここからどうやって出る気⁉ 閉じこめられてるんでしょ⁉」

「裏から出ましょう。今朝、お婆が鍵を閉め忘れたのです。お婆は夕餉までここには来ません。ほんの数刻の散歩といえども、一人では不安で......どうかお願いいたします」

 正はそう言って、頭を下げた。また近づいた顔を目にした前差櫛姫は、ぐっと詰まった。

(何よ、その顔......まるであたしが悪いことをしてるみたいじゃない)

 今にも消えてしまいそうな儚げな表情を浮かべた正に、前差櫛姫はたじたじになった。

 結局、折れたのは前差櫛姫だった。

「......仕方ないわね。今日一日だけよ!」

「ありがとうございます。一日あれば、十分です」

 ぱっと明るい笑みを浮かべて言った正を見て、前差櫛姫は眉を顰めた。

(......あたし、また騙されたの?)

 困惑する前差櫛姫を尻目に、櫛に戻った前差櫛姫を髪に差した正は、意気揚々と外の世へと繰りだした。

          *

 その後? あの女が言った通り、外に連れて行ってやったわよ。「お正がお前を連れて行ったの間違いじゃないか」ですって? 硯の精ったら、馬鹿ねえ。確かに、足を使って歩いたのは、お正よ。でも、それは、いわば駕籠みたいなもの。あたしを運ぶための道具でしかなかったわ。だって、お正ときたら、丸っきり世間知らずなんですもの。あたしは違うわ。付喪神になったのはその日だったけど、ただの櫛だった頃から、世間のあれこれを見聞きしていたもの。お正とは比べ物にならないほど、世の中を知ってたわ。だから、「あっちへ行っては駄目」「そう、そっち――横の道よ!」と色々指導してあげたの。

 ええ、楽しかった――わけないでしょ! あたしはお姫さまの道楽に付き合ってあげただけですもの。道楽と言っても、大したことはやらなかったわ。だってね、お正ったら、一銭も持ってなかったのよ。お姫さまだから仕方ないなんて、あたしには思えなかったわ。蟄居の身だから、家から出るはずがないなんて、どこの馬鹿が信じるのよ。自ら出なくても、出ざるを得ないことだってあるでしょう? そんな想像力さえない馬鹿殿なんか、城から引きずりだしてやればよかったのよ。

「女に騙されて可哀想」なんて、あたしは思わないわ。お正の兄妹は十二人もいたんですって。皆息災だと言うんだから、世継ぎが欲しかったわけじゃないわ。欲しかったのは、自分の女。勿論、子に罪なんてないわ。妾にもね。大体世継ぎなんて、身近で一番能力が高い者を選べばいいのよ。そうすれば、皆に立身出世の機会が訪れるじゃない。あたしたち妖怪はそうでしょ? 力さえあれば、生まれなんてどうでもいい――それでも何だかんだケチ付ける奴はいるけど、そんな頭の悪い連中はそれこそどうでもいいわ。もっとも、それでこっちに何かしてくるなら、殺される前に殺すしかないけど。

 呪い殺す? あたしはそんなことしないわ。お正に言ったあれは、口からでまかせよ。でも、噓を吐いたわけじゃないわ。あの時は本当に腹が立ったから、呪いの一つや二つくらい掛けられると思ったのよ。きっとできたと思うわ。お正が望まなかったから、仕方なく引き下がったけど、あんな馬鹿殿、生きてる意味などないでしょう?

 ......どうしてそこまでお殿さまを憎むのか分からないって顔ね。あんたたち、全部顔に書いてあるわよ。あの馬鹿鬼のこと、言えないんじゃなくて?......あのね、揃って泣きそうな顔しないでくれる? あいつがいなくなってから、ちょっとしか経ってないじゃない。最初にこの店に落ちてきた時なんて、ひと月でまたあちらの世に帰ったでしょ。それから次にここに来たのは、半年過ぎた頃よ。その時に比べたら、大したことないわ。なのに、何なのよその湿っぽさは。まるで、あいつが死んだみたい――言っておくけどね、あたしはそんなこと思ってないわよ。あいつは弱っちょろそうに見えて案外図太いから、今頃暢気に牛鍋でも食ってるんじゃない? あちらの世に牛鍋屋があるのか知らないけど。

 それでどうなったのか? だから、あたしは小春のことなんて知らない――ああ、お正のことね。別段どうもなってないわよ。日が暮れる前にはあばら家に戻って、そこで別れたから。......硯の精、あんたちゃんとあたしの話を聞いてた? あたしはそれまでずっと店にいたの。お正の母親の形見なんかじゃないわよ。それは、お正も分かってたわ。形見になるくらい大事にしていたなら、一度くらい見たことがあるものでしょ。お貞が吐いた噓よ。すぐ露見する噓を吐くなんて、可愛いものよね。性質の悪いのは、噓に真実をいくらか混ぜたもの......本当に、性質が悪いったらないわ。

 話はここでおしまい!......お正のところを出た後? そこまで知りたいの? あんたたちって、本当にあたしのこと好きねえ。まあ、無理もないわ。だって、あたしって、こんなに可愛くて、美しくて、優しくて、賢くて、強くて、綺麗なんですもの! そういえば、この前来た客も、随分と熱心にあたしを見てたわ。うっとりとした顔で、ひたむきに愛を伝えてきたのよ。でも、あたしには心に決めた人間がいるから、諦めてもらったの。可哀想なことをしたわ。恋を失うのは、辛いことですもの。その相手が、あたしみたいにこの世に二妖といない美貌の妖怪だったら、忘れることなんて――

 ......硯の精? どこに行くの? 皆が来るか心配だから、外に見に行く? はあ......そうだと思ったわ。あんたって本当に、いつもいつも、お人好しなんだから! そんな気を回したって、妖怪も人間も見返りなんてくれないわよ。そんなものは求めておらぬ、ね。そう言うと思ったわ。本当に妖怪らしくない妖怪ねえ......。

 それで、あんたは? 何で残ったのよ。その格好で、外に様子を見に行けなんて言うわけないでしょ。妖怪にも分別はあるわ。店じゃなくて、居間にいればいいじゃないの。あと半刻もしないうちに始まるのに、何でこっちであたしと喋ってるのよ。話の続きが聞きたい? お正の家を出てからは、わざわざ話すほど大したことはしてないけど――......だから、言ったでしょ? お正とは日が暮れる前に別れたの。それまでは、ただ町を散策してただけだから、別段面白いことなんて――

 そうよ、あの日は、妖生最悪の日だった。何でそんなこと覚えてるのよ......これだから、あんたって嫌なのよ。あんたたちのことは、さっき認めてあげたでしょ? すぐに撤回されたいの? そうやって自分の関わりないところに首を突っ込んで、余計な世話ばかり焼いてるから、痛い目に遭うのよ。これ以上そんな目に遭いたくなかったら、金輪際余計な世話を焼いたりしないと、今ここで誓いなさいよ!

 ......天井の雨漏りが、頰に伝っただけよ。穴を塞がなくちゃって......ちょっと、棚の中身を出して何してるのよ。空っぽにしてどうするつもり――やめなさい! こんな古い棚にのぼったら、危ないでしょ! 勿論、あんたがじゃないわよ⁉ あんたごと棚が倒れたら、店中が壊れるからよ! ほら、降りなさい! 降りなさいったら!

 はあ、もう......あんたって、本当に変な女ね。喜蔵(きぞう)は、何であんたみたいなのがいいのかしら? 趣味が悪いわねえ。あたしの方が、どこもかしこも優れてるのに! 

 ふふ......ふふ......ふふふ! もう、馬鹿馬鹿しいったらありゃしないわ! あんたと話してると、色んなことがどうでもよくなるわねえ。――いいわ、話してあげる。お正と別れた後のことよ。妖生最悪の日のことを聞きたいんでしょ?......後悔したって知らないけど、いいのね?......そう、分かったわ。

 お正と別れた後、あたしはもう一度あばら家に戻ったの。もう少しくらい一緒にいてあげてもいいかなと仏心を出しちゃったのよ。行く当てもなかったしね。でも、あの家にお正はいなかったの。いいえ、いたにはいたのだけど......あたしの知ってるお正はいなかった。その代わり、お貞がいたの。

 血塗れのお正を膝に抱えてね――。

Profile

小松エメル

1984年東京都生まれ。母方にトルコ人の祖父を持つ。國學院大學文学部史学科卒業。2008年、ジャイブ小説大賞初の「大賞」を受賞した『一鬼夜行』でデビュー。著書に、「一鬼夜行」「うわん」「蘭学塾幻幽堂青春記」の各シリーズ、『夢の燈影』『総司の夢』『梟の月』などがある。

Pick Up Book

  • かがみの孤城
  • i
  • 私のスポットライト
  • ビオレタ

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