「一鬼夜行」余聞

小松エメル

「一鬼夜行」余聞

イラスト:森川侑

3

「化々学校のいっとうぼし」(3)ーー「一鬼夜行」余聞

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「......妖怪ってのはな、他妖のことも他人のことも、どうでもいいもんだ。相手が自分の獲物だったり、敵だったりするなら、そりゃあかかわりはあるが、それ以外はまったくどうでもいい。親も友も、妖怪には不要なもんだからな。まあ、俺みたいに皆から『どうしても友になってくれ!』と頼まれるような妖望ある奴には、友の一妖や二妖、一人や二人くらいいたりはする。......そうだよ、俺はあまりにも妖望がありすぎるんだ! どいつもこいつも、俺を無二の友扱いして、何でも頼ってきやがって! 妖怪も人間も図々しすぎる! 特にあいつなんて─あいつって言うのは、さっき言った俺が居候してやってた古道具屋の主人だ。ちゃんと覚えたか? その喜蔵っていうのがさ、ほんっとうに妖使いが荒くて、何でもかんでも俺を頼りにしてくるんだよ。この前の花見の時なんて─」

「今度は水天宮に行くそうだ」

 小春の語りを遮るように、サイは言った。

「水天宮? 水天宮って、あの?」

「異国の妖怪に『あの』だの『その』だの言うなど、なんと愚かしい妖怪よの─とアルは申している」

「だから、そいつまだ喋ってねえだろ! 何回やらすんだ、このやり取り......って、違え!」

 小春はぶんぶんと腕を振り回しながら喚いたが、

「─うわっ!」

 乗っていた箒が急発進したため、慌てて前に座るアルの腰にまった。

「お前なあ......いきなり飛ぶなよ! まっさかさまに落ちるところだったぞ!?」

「そんな間抜けに父捜しを手伝ってもらう辛さを考えてみろ、と─」

「お前がそう思ってんだろ! ほんっと、生意気な蝙蝠だなっ!」

 喚いているのは小春ばかりで、箒を操縦するアルも、箒にぶら下がっているサイも、澄ました顔をしている。

 アルの父を捜しはじめてから、半日が過ぎた。

 ─お前の親父がどこにいるのか、当てはあるのか? もしあるなら、そこに行けよ。箒に乗って空を飛ぶんだろ? 場所が分かるなら、俺が道を教えてやるからさ。

 親切心からではなく、さっさと事を済ませた方が楽だからという理由で、小春はそう提案した。サイに訳してもらうと、アルは小春の着物の袂をぎゅっとんだ。

(......何で泣きそうな面してんだ? そんなに感動したのか?)

 それほど殊勝な妖怪には思えぬが─首を捻った小春に、一瞬で元通りの無表情に戻ったアルは、どうぞよろしくという風に深く頷いた。

 はじめに向かったのは、上野だった。着いて早々、走りだしたアルの後を追った小春は、アルが足を止めた場所を不思議に思った。それは、すし屋だった。建物の中にある店ではなく、路上で売っているそれだ。

 ─あの商人が親父なのか?

 小春はアルにこそりと耳打ちした。すしを売っている商人は、やはりどこにでもいる男に見えた。妖気は感じられず、ただの人間にしか見えない。小春を振り向きもせず前に進んだアルは、並べられていたすしをガシッとむと、口の中に放りこんだ。

 ─意外と生臭くない! おいしい! だそうだ。

 ─ただすしが食いたかっただけかよ!

 すし屋の商人が気の良い人間だったため、思ったよりは怒られなかったが、小春は平謝りしながら、わずかに持っていた人間の世の銭を渡した。

 次に向かったのが、八王子だった。田畑が広がる道を少し散策したのち、箒に跨ってまた次の場所に移動した。護国寺、銀座、渋谷、多摩、内藤新宿─とあちこち移動しては、また他の地に向かった。店に立ち寄ることもあれば、少し歩いただけで去ることもあった。

 ─あれはこっちの言葉で何て言うのかって? あれは橋だ、は・し。......ぶりっじ? へえ、そっちの言葉ではそう言うのか。

 アルは最初こそ口数が少なかったものの、慣れてくるとサイを通じて、あれこれ問うてきた。

 ─まさか、またここに来ることになるとは......見つからんうちに、さっさと去らねえと。危ない場所なのかって?......そうとも! ここ浅草は─あ・さ・く・さ! 分かったか? 浅草なんてな、長くいるもんじゃねえんだ。なぜなら、おっかねえ閻魔さんが住んでるから!......いや、そいつの正体は人間だ。でも、お前の国で言うところのサタン? だっけ? そいつにも匹敵するおっかない奴なんだ。

 アルが語ったばかりの異国妖怪を例に、日本の人間や妖怪について話してやると、アルは熱心にふんふんと頷いた。アルは好奇心旺盛らしく、何にでも興味を見せた。ほとんどの会話はサイを通さねば成立しなかったが、アルは小春の手に指で文字を記し、自分や小春の名を異国語でどう書くのか伝えてきた。小春が同じように返してやると、アルははにかんだ笑みを浮かべた。

(......しっかし、こんなに捜してもいねえなんて、アルの親父はすでにこの世にいねえんじゃねえのか?)

 小春が暗い顔をしたのを認めて、励まそうと思ったのだろう。アルは突然白目を向くと、鼻を膨らませ、唇を異様に尖らせて、妙な動きで踊りだした。

 ─ひ、ひっでえ面......やめろ、その顔で寄るな!

 小春は思わずふきだし、腹を抱えて笑った。

 そうこうしているうちに、数刻が過ぎ、半日が経った。東京中を縦横無尽に連れ回された小春は、「次は千駄木......ではなく、また浅草に行き、牛鍋が食べたいと申している」というサイの言を聞き、とうとう堪忍袋の緒が切れた。

「......いい加減にしろ!」

 小春はそう怒鳴ってから、うっと呻いた。言葉が通じなくとも、怒られたことは分かるのだろう。目に涙を溜めたアルを見て、小春は怯んだ。

「親を亡くしたばかりの幼子を、虐めて楽しむ異国の魔─」

「うるせえ! 連れて行けばいいんだろ!?......今度こそ閻魔さんに会っちまったら、お前らを置いて逃げるからな!」

 サイに怒鳴り返した小春は、アルを箒に乗せて、自らも続いた。アルの要望通り、浅草の牛鍋屋くま坂を訪れた小春は、深雪が非番だったのをいいことにここぞとばかりに牛鍋を食らい、「喜蔵につけておいてくれ!」と堂々と無銭飲食をした。アルも牛鍋を気に入ったようで、にこにこしながら食べていたが、小春が「また連れて行ってやるよ。今度はお前持ちだぞ」と言うと、表情を曇らせた。

(この国の金を持ってねえから、じゃねえよな......こいつ、何か暗い顔をすんだよな)

 ふと見せる陰りが気になった。それほど、母を亡くした哀しみが深いのだろうか。父を捜しだせる保証もないので、明るく振る舞っていても、本当は不安なのかもしれぬ。

(捜索の途中でどっかに逃げちまおうかと思ってたが......)

 どうやら、最後まで付き合うことになってしまいそうだと、小春は牛鍋でいっぱいになった腹を擦りながら呻いた。

 アルの父親を捜しはじめて丸一日が経つという頃、捜索は突如終わりを迎えた。

「......ここが最後の場所だ」

 サイの呟きに、小春は目を瞬いた。アルの箒から降り、地に足をつけた小春は、辺りを見回しながら言った。

「......もしかしなくても、ここは最初の港だよな?」

 散々あちこち連れ回されたのを思い返しながら、小春は眉を寄せて続けた。

「親父はここにいるのか? だったら、何であちこち連れ回したんだよ! 俺のことおちょくってたんなら、ただじゃおかねえからな!」

 牛鍋百人前食わせてもらうぞ!─そう言いかけた小春は、はっと口を噤んだ。ここを発つ時と同じように、アルが小春の袂をぎゅっとんできたのだ。

「あり、がと」

 アルの言葉に、小春は目を丸くした。小春の視線から逃れるように俯いたアルは、たどたどしい言葉で続けた。

「こはる、やさしい......あるたすけて......こはる、いいま、つよい、やさしい、ま......」

「な、何だよ急に」

 拙いからこそまっすぐに伝わってくる誉め言葉に、小春は動揺しながら返した。そんな小春にはまるで気づいていない様子で、アルはまた言葉を重ねた。

「つよいま、すごい......だから、こはるにした......ありがと、こはる」

 ごめん─思わぬ詫びの言葉に、小春が首を傾げた時だった。

 ゴゴゴゴゴ─大きな地鳴りが響き、地が激しく揺れた。

「......な、何だ......!?」

 地震でないことは、すぐに分かった。周囲には、無数の赤い光が走っている。何かの模様を描いているように見えた。その中心にいるのは、小春だ。まっすぐに立っていられぬような激しい揺れに、小春は必死に抗いながら声を張った。

「おい、アル! 大丈夫か─って、お前......」

 数間離れた場所にいたアルを見て、小春は絶句した。アルは揺れなど一切感じていない様子で、まっすぐに立って小春を見ていた。手にしているのは、十字架だった。それを、小春に向けて翳している。彼の腕にぶら下がっているサイが、常よりも低い声で話しだした。

「......いくつかを吐いた。まず、左文字は病で帰ったわけではない。エレナさまが身ごもったことを知り、怖気づいて逃げたのだ。エレナさまはそんな左文字をずっと憎んでいらした。だから死に際、アルにこの十字架を託し、こう言ったのだ」

 ─あなたの父である左文字は、我が国の吸血鬼と同種のもの......この十字架を翳せば、灰となって消えます。我ら母子を捨てたあの異国の俗物を、どうかあなたの手で......。

 エレナの遺言を叶えるため、この国にやって来たアルは、先日ついに左文字の居場所を突き止めた。

「アルは心優しい子だ......エレナさまに詫びの言葉を述べるなら、左文字を生かしておこうと思ったそうだ。だが......あの男は、ありとあらゆる雑言をアルに浴びせた上、アルを殺そうとした」

 だから、代わりに私が左文字を殺したのだ─サイの冷たい声が、辺りに響き渡った。

「......なんだよ、それ......」

 サイが話している間に地に膝をついた小春は、呻くように言った。揺れに抗いきれなかっただけではなく、なぜか力が抜けてしまい、立っていられなかったのだ。

「父親捜しがとうに終わってたんなら、何で俺に一緒に捜してくれなんて頼んだんだよ!」

「......左文字は死してなおアルにひどい仕打ちをした」

 サイが異国の言葉を続けると、アルは衣の前を開き、シャツのボタンを外した。露わになった細い首には、大きな黒い痣があった。花の模様をしたそれからは、禍々しい気が発せられている。

 ─それ以上近づいてはならぬと思ってしまったのです。

(......涼花が言ってたのは、これか)

 迂闊に触れると命を奪われる─本能で危険を察し、身動きが取れなくなったのだろう。

「この痣は、左文字がつけた。アルを殺すための呪を込めて、首にみついたのだ。この痣が手の平よりも大きくなった時、アルは死ぬ。命の期限は、あと二日もなかろう......この呪いを解く方法は、ただ一つ─強大な力を持つ魔を、アルの生贄にすることだ」

「......それが、俺だってわけか......ふざけんな......ぐっ!」

 叫びながら飛び起きた小春は、強い痛みを感じて、地に伏せた。

(何だ? 力が、はいんねえ......)

 震える手を動かし、何とか身を起こそうとしたが、いくら試しても無理だった。地に這いつくばる小春を、アルとサイはじっと見下ろしている。

「お前は今、アルが張った魔法陣の中心にいる。そう......東京中を好き勝手に移動しているふりをして、魔法陣を作っていたのだ。この魔法陣に囚われし者は、術者の生贄となる......小春よ、お前はアルを生かすために死ぬのだ」

「......へへ......」

 小春から漏れた笑い声に、アルとサイは息をんだ。身構えた二妖にますます笑いが込み上げてきた小春だったが、それは余裕から出たものではなかった。

「......我儘ばっかり言うし、勝手なことばかりするし、言葉は通じねえし、いいことなんて一つもねえ。嫌な奴らに捕まっちまったなと思ったよ......でもな─」

 友ができたと思ったんだ─小春はそう言いながら、腕に力を入れて、半身を起こした。すぐに身は沈んでしまったが、顔だけは上げて、アルたちを見つめた。歪んだ表情を浮かべていたアルは、小春と目が合うなり、さっと顔を横に背けた。

「......全部だったのかよ!」

 小春は叫んだ。

「すしや牛鍋を美味そうに食ってたのも、変な顔して俺を笑わせてきたのも、アルっていう字を教えてくれたのも、こっちの言葉を頑張って覚えようとしたのも......友になったことも、全部だったのかよ!?」

 大きな声を上げるたび、小春の身は痛んだが、構わなかった。アルは顔を背けたまま、何も言い返そうとしない。

「お前は友を裏切るのか!? それとも、俺は友なんかじゃなく、生贄にするためだけに仲良くなったふりをしたのか!? 最初はそのつもりでも、最後までそう思って俺と一緒にいたのか!?......くっ」

 小春は呻きながら、言葉を続けた。

「何とか言えよ、このクソ魔、女......」

 身体から力が抜けていくのを感じた小春は、地に顔を伏せた。上目遣いで前を見ると、背を向けて歩きだしたアルの姿が見えた。もう十字架を翳さずとも、小春の魂を取れると確信したのだろう。震える小さな背を薄目で眺めながら、小春は最後の力を振り絞って声を出した。

「......すっげー腹立つけど......俺が友と認めた奴だ。許す─」

 小春が言い終えた瞬間、アルは歩みを止め、振り向いた。何かを言いかけたようだったが、アルの声は小春の耳には届かなかった。

「ぐわあああ......!」

 これまで感じたことのない凄まじい痛みに、小春は悲鳴を上げた。魂が身体から抜けていく─それをまざまざと感じながら、小春は気を失った。

(......ここは黄泉の国か? それにしちゃあ、さっきとまるで景色が変わんねえな......)

 身体に力が入らないのも一緒だったが、頭がぼんやりとしていて、まるで夢の中にいるかのようだった。

「小春を助けて─それがアルの望みか」

 サイの声が聞こえた。アルが目を真っ赤にして頷いたのを認めて、小春は眉を顰めた。

(それじゃあ、お前が死ぬじゃねえか)

 強大な力を持つ魔など人間の世にそういないし、そんな者が小春と同じように罠に引っかかるとは思えなかった。

「無理だ。一度張った魔法陣は、解けぬ」

 アルは、「そんな......」というように絶句したように見えた。

「それが魔女の理だ。理を破ることなど、できはしない」

 ある例外を除いて─そう続けたサイに、アルは目を見開いた。サイを両手に包みこむようにしたアルは、手の平にいるサイに向かって、何事か必死に訴えた。アルの言葉は相変わらず分からぬままだが、サイの言葉ははっきりと聞きとれた。アルも分かっているようなので、サイは今何語を話しているのだろうか。

「何でも捧げるというのか......異国の魔は、その身を犠牲にしてまで助けるべきものか?」

 サイの問いに、アルははっきり頷いた。涙に濡れた碧色の目が、夜空に浮かぶ星のようにきらきらと輝いている。

(......馬鹿な奴。本当に、馬鹿だ。そんな約束、ほいほいすんじゃねえよ!)

 馬鹿、やめろ、と小春は叫んだが、声にはならなかったようだ。やはり、小春は夢の中にいるのかもしれぬ。

「......何を捧げても、決して後悔しないと誓うか?」

 再度の質問に、アルは同じ答えを返した。アルの手の中からすっと抜けだしたサイは、しばしアルの顔と同じ位置に浮遊したのち、こう言った。

「─必ずよき魔女になれ、アル」

 アルが怪訝な表情をしたと同時に、辺り一面が光に包まれた。小春はとっさに目を瞑ろうとしたが、どうやらすでに閉じていたらしい。だが、そうして目を閉じていても、黄色味を帯びた白光を感じられた。

 ぱちっ─!

 何かが弾けた音が響き、小春は目を開いた。港どころか、そのずっと広い範囲まで覆っていた光がすべて消えている─白光だけでなく、赤い光も一本も残っていなかった。十も数えぬうちのこととはいえ、凄まじい威力を発していた光は、一体どうやって消失したのか。

「アル......!」

 我に返った小春は慌てて身を起こし、数間先に倒れているアルの許に駆けつけた。うつ伏せになっていたアルを、小春は抱き起こした。

「おい、アル! おい!」

 死ぬな─そう言いかけ、小春は口を噤んだ。アルは涙を流しながら、震えていた。顔色も鼻先も真っ赤だが、どこも怪我をした様子はなく、先ほどまでと何ひとつ変わりなく見えた。小春はおそるおそる問うた。

「アル、お前......」

「......さい、あるのかわり、」

 しんだ─アルの悲痛な声を聞き、小春はひゅっと息をみこんだ。

「さい、いけにえ......しんだ......」

 ぐすぐすと洟をすすりながら述べたアルは、手の平で顔を覆って、わんわんと泣いた。

「おい......そんなに泣くなよ......いや、泣くなって方が無理だろうけど......」

 小春はアルの頭を撫でながら、眉尻を下げて言った。母を亡くし、はじめて会った父には殺されかけ、たった一妖の相棒も亡くした相手に、何と声を掛けてよいのか小春には分からなかった。

「おい、アル......牛鍋を奢ってやるよ。また喜蔵のつけにするけど......あと、またすしを食うか? 天ぷらもいいぞ。あんみつはどうだ? 甘くて、口の中でとろけるんだ」

 アルはますます泣いた。慌てた小春は、アルの髪をぐしゃぐしゃにかき混ぜた。

「泣くなって! 目が溶けちまうぞ!」

「この国では、泣きすぎると目が溶けるのか?」

「たとえだよ、たとえ!」

「なるほど。しかし、自分を生贄にしようとした相手を慰めてやるなど、やはり奇特な妖怪だ」

「うるせーな! 俺だって好きでこんなことしてるわけじゃ......おい、今の声─」

 小春は途中で言葉を止め、辺りを見回した。確かにサイの声がしたが、今、港にいるのは、小春とアルだけだった。

(幻聴か? でも、いやに近くからはっきり聞こえてきたような......)

 考えだした小春を突き飛ばすようにして、アルは起き上がった。

「さい......さい!」

 どこにいるの─言葉は通じぬが、アルの必死の表情を見たら、何を言っているのかはっきりと分かった。

「さい! さい......さい......!」

 もつれる足で港を駆けながら、アルはサイを捜し回った。しかし、サイが小春たちの前に姿を現すことはなかった。

 小春の近くで足を止めたアルが、力尽きたように膝を折った時、再びサイの声が響いた。

「......すべて捧げたつもりだったが、どうやら私の力は想像以上に強大だったようだ。とりこまれてなお、私の魂は生きている」

 小春はぽっかり口を開けた。サイの声は、小春の目線の下─アルの方から聞こえてきた。

「身内のような者とはいえ、他者の身の中にいるのは不思議な心地がする。お前もさぞや居心地が悪いだろう。すまないが、耐えてくれ」

 詫びの言葉を述べつつも、まるで悪びれていない様子は、まさしくサイだった。茫然とした顔をしていたアルは、やがてぽつりと何か呟いた。

「そうだ、私はいつでもお前と共にいる─これまでと何ら変わりない」

(......それは違えだろ)

 サイの言葉を内心否定した小春は、顔を顰めて唇を尖らせた。

「いつかお前が強い魔女になった時、私の身を作り上げ、そこにこの魂を移してくれ。お前ならば、きっとできるさ」

 どうやら、アルの身に入ったことにより、サイの言葉は訳さなくても誰にでも通じるようになったらしい。アルも小春も、サイの言っていることを同時に理解できた。

(さっき、アルの気持ちを確かめている時にはすでにこうだったから、サイの奴......あの時にはすでに魔術を掛けてたな? きっとあいつも同じことを思ったに違いねえ)

 サイの言葉は、ほとんど叶わぬであろう未来であることを─。

 アルが、サイのような凄まじい魔力を持てるとは思えなかった。それは、丸一日共に過ごす中ではっきりと感じ取れたし、サイの力が大きく上回っていたからこそ、こうして彼の魂が残ったのだ。

(そりゃあ、努力しなけりゃ何も始まらんが......世の中には、いくら努力したってどうにもならんこともある)

 努力の他に、才と運が必要だが、今のアルはどれも持っていなかった。

 アルが小さな声を出すと、サイは息をんだ。

「......ぼくは駄目な魔女だからなんて、そんな哀しいことを言うな」

 サイは泣きそうな声で言った。

(......くそっ)

 小春はふうっと深い息を吐いた後、ズンズンと前に進みだした。アルのすぐ近くで足を止めると、彼の腕をぐいっとみ上げ、無理やり立たせた。アルを箒に跨らせるや否や、小春も箒に跨り、地を蹴った。風の抵抗を受けながらも、小春たちは空に舞い上がった。

「......!? ×◆☆☆◇▽▼※ー!」

「あ? 何言ってっか分かんねーよ!」

 アルの叫びに、小春はさらに大きな声を返したが、本当はアルの言っていることは何とはなしに分かっていた。

(勝手に箒を操縦するなー! とかだろ?)

 今、小春は箒を操っていた。妖気でも飛べるのか分からなかったが、どうやら何とかなったようである。しかし、安堵したそばから、箒はあらぬ方向に飛びはじめた。

「うわっ!」

「◎◎$×;!」

「おおっと!......落ちる! いや、何とか......うおお!」

「▼▲◎◇!!」

 小春とアルの叫びが夜空に響く中、サイの笑い声が静かに聞こえた。

 青鬼から通行証を借りた小春は、もののけ道を通って、アルを化々学校に連れていった。このつきとっこうの妖気を頼りに向かった先は、道場だった。

「おお、小春。もう解決したのか? それとも、やはり教授方になろうと思って来たのか?」

 戸を引いて中に入った途端、声を掛けてきたのはこのつきとっこうだった。集会をしていたらしく、そこには大勢の妖怪がいた。ほとんどが生徒なのだろう。中には、涼花や春日たちの姿もあった。奥に立っていたこのつきとっこうの許に早足で向かった小春は、彼にアルを突きだしながらこう言った。

「こいつをここに入れてくれ!」

「は?」

 間の抜けた声を出したこのつきとっこうは、真ん丸の目でまじまじとアルを見つめた。

「......異国の妖怪......魔女か?」

「はじめてお前を見直したぜ!」

 易々と答えを導いたこのつきとっこうの肩をばしばしと叩きつつ、小春は言った。力が入りすぎたのか、このつきとっこうはぐわんぐわんと揺れたが、それをさして気にする様子もなく、こそりと問うてきた。

「......訳ありなのだな。密航か? 密漁か? 弱々しそうに見えるが、実は凄い魔力を持っているのか......?」

「訳のない妖怪なんて、どこにもいねえだろ! だから、大丈夫だ!」

「ちっとも大丈夫に思えん」

 胸を叩いて言った小春に、呆れ声を返したこのつきとっこうは、俯いて震えているアルの顔を覗きこんだ。

「言葉は分かるか?」

 顔を上げぬアルに、このつきとっこうは重ねて問う。

「ここは化々学校だ。ええっと......ひあいず、ごーすとすくーる......おーけい?」

「お前、異国語話せるのか!?」

「このくらい、なんてことはない」

 ふさふさの羽に覆われた胸を張って小春に答えたこのつきとっこうは、おそるおそる顔を上げたアルに言った。

「皆と一緒に学ぶか? 向学心がある者なら、誰でも大歓迎─」

「やめてください......!」

 このつきとっこうの言を遮ったのは、並んでいた列を飛びだし、前に出た涼花だった。美しい顔を歪め、憤怒の表情を浮かべている。

「異国妖怪など、何を企んでいるか分かったものではありません。その者を入れたら、そのうちまた違う者がやって来て、その後も他の者が来て......そうなるに決まっています。きっと、いつかこの化々学校を乗っ取るつもりなのです!」

 涼花の発言に、生徒の妖怪たちはざわめきだした。

「......乗っ取るって、まことか?」

「まあ、人間の例もあるがな......」

「だが、あれは乗っ取られたのか? 異国の文化が入ってきて、人間たちの生活は彩り豊かになったではないか。あれこれと面倒な身分とやらもなくなったのだろう?」

「文明開化だな! 文明開化の音がするー!」

「ああ、この前覚えたばかりのやつだ!」

 わいわいと楽しそうに話す生徒たちに、涼花は驚きの目を向けた。

「お前たち、何を悠長なことを言っているんだ......私たちも、異国妖怪たちに支配されてもいいのか!? 愚かな人間たちの二の舞などごめんだ! 文化交流なんて冗談じゃない! 戦だ、戦! そうなる前に、早くそいつを殺して─」

 涼花の言葉は、途中で途切れた。小春は思わず身構えた。近くから、凄まじい妖気が放たれたのだ。それを発したのは、このつきとっこうだった。

「─く、喰った!?」

 涼花をひょいっとみ、口の中に放りこんだこのつきとっこうを指差し、小春は叫んだ。げぷっと喉から不気味な音を鳴らしながら、このつきとっこうは小春に「妖聞きの悪いことを言うでない」と反論した。数瞬で、あの巨大な妖気は消えていた。

「私は、胃袋を二つ持っている。そのうち一つは、皆が持っているものと同じものだ。もう一つは、ただの空き部屋─もったいないので、反省部屋として使っているのだ」

「悪さした生徒を閉じこめておくのか?......死ぬまで?」

「死ぬ前にちゃんと出すとも。......間違った考えを正してやるのが、教師の役目だ。どれほど時がかかるかは分からぬ。結局、分かってくれぬかもしれぬ。それでも、私は伝えることをやめるわけにはいかぬのだ」

「......教師だから?」

「皆が、私の可愛い生徒だからだ」

 ふんと鼻を鳴らしたこのつきとっこうに、いつの間にか騒ぐのをやめていた生徒たちが、にこにこして頷いた。

「猫股鬼殿! 先生の言うことは確かだぞ! 前に閉じこめられたことがある俺が言うんだから、間違いない! 暗くて、べとべとしてて、何もなくて、本当にひどい時を過ごしたが、今はこうしてすっかり元気で勉学に励んでいる!」

 腕まくりをし、力こぶを見せて言った春日に、生徒たちはどっと笑い声を上げた。今にも宴でもはじめそうな和やかな雰囲気に呆気に取られつつ、小春はをかきながら言った。

「......ええっと、じゃあ、アルの入校を認めてくれるんだな?」

「入るか入らぬか決めるのは、当魔だ。どうする?」

 小春の問いに肩をすくめたこのつきとっこうは、片言の異国語でアルに訊き直した。涼花になじられてからずっと下を向いて泣いていたアルは、ゆっくり面を上げて口を開いた。

「ここ、ある、いたい......です」

「おお!」と歓声を上げたのは、後ろで見守っていた生徒たちだった。そのうち数妖は、アルの許に駆けてきて、「よろしくな!」と言った。

「異国に興味があったんだ。色々教えておくれよ! あたしも教えるから─って、言葉が通じないのか......」

 残念そうに言った濡女を見て、小春はアルの背に小声で話しかけた。

「......訳してやらねえのか?」

「アルはここで学ぶと決めたのだ。私の手助けは、むしろ邪魔になるだろう」

 返ってきたのは、小春にしか聞こえぬ微かな声だった。サイの答えを聞いてニッと笑った小春は、ばしんっとアルの背を平手打ちして言った。

「頑張れよ! 卒業までに一等になれなかったら、今度は俺がお前を生贄にして喰ってやるからな!」

 三毛の龍と名を馳せた小春のその言葉を聞き、生徒たちは「ひえ......!」と怯えた声を上げた。小春の馬鹿力で前に倒れてしまったアルは、よろりと立ち上がると、ゆっくり振り向いた。目も鼻も真っ赤で、困ったように眉尻を下げていたが、口許にはわずかに笑みが浮かんでいる。つられて笑った小春に、アルは何度も詰まりながらもはっきりと言った。

 ある......いっとうぼし......なる......ともと......やくそく、した─と。

Profile

小松エメル

1984年東京都生まれ。母方にトルコ人の祖父を持つ。國學院大學文学部史学科卒業。2008年、ジャイブ小説大賞初の「大賞」を受賞した『一鬼夜行』でデビュー。著書に、「一鬼夜行」「うわん」「蘭学塾幻幽堂青春記」の各シリーズ、『夢の燈影』『総司の夢』『梟の月』などがある。

著者

Pick Up Book

  • かがみの孤城
  • i
  • 私のスポットライト
  • ビオレタ

Pick Up Book

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  • i
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  • ビオレタ