映画「あん」公開記念

原作ドリアン助川 特別インタビュー

映画「あん」公開記念

ドリアン助川原作、河瀨直美監督の映画『あん』ついに公開となりました。カンヌ国際映画祭で世界中から高い評価をうけ、世界35カ国での上映が決定、文部科学省4部門<少年・青年・成人・家族向け>選定作品にも決定し、映画『あん』の快進撃が続いています。『あん』のメッセージが世界に広がりつつある中、すべての始まりとなった小説『あん』について、河瀨監督との出会いについて、映画公開後の今の想いを、ドリアン助川さんに存分に語っていただきました。

ドリアン助川さん

ドリアン助川さんが語る小説と映画の「あん」のこと

―― ドリアンさんの小説が原作となった映画「あん」、公開初日は大変な盛況だったとうかがいました。おめでとうございます! まずは、河瀨監督の映画をみての感想をお聞かせください。

映画ですから本の内容をすべて描ききるというのは難しいでしょうし、違うものになるんだろうなと思っていました。ところがですね、本にあるシーンでカットされた部分などは多々あるんですけれども、見終わったあとに、根っこが寸分たがわず、同じだと思った。映画と原作は違って当たり前なんですけど、違わなかったんです。河瀨さんが本当になんども原作を読み返してくださって、根にあるものをしっかり体に入れてくださった。ですから、物語の展開が違っても、根が全くいっしょだった。そこに僕は激しく感動したし、感謝の気持ちしか湧いてこない。それを日本中の人に見てもらえることも大変な驚きなんですけれども、河瀨さんの映画が国を超えてひろがりつつあって、原作者としては奇跡の日々にいるような(笑)、そういう感じですね。

シネスイッチ(クレジット有)―― 海外でも次々と公開が決まっているようですね。

現段階で、35カ国、「南極をのぞく(笑)すべての大陸」とうかがっています。

―― ドリアンさんご自身が映画をみることで、「あん」という作品について、新たに発見したことはありますか?

映画のラストシーンは小説とはちょっと違うんですけれども、あのラストは、何回も書き直したボツ原稿のなかにもあったものでした。世に発表できる原作本はもちろんひとつしかないんですけど、芯となる物語の中で蜃気楼のように揺れ動くいくつもの物語の可能性があった。それが映画に出てきてしまったわけで、そういう蜃気楼のようなものの重なりあいのなかで創作をしているんだなっていうことを思いました。個人的な創作に対する意識ということなんですが。

―― いくつもの物語、ですね。この「あん」はハンセン病の元患者さんたちとの出会いも含め、いくつもの物語が合流して生まれたのですね。河瀨さんとの出会いも大きな「物語」だったと思うのですが、河瀨監督とドリアンさんはどのように出会われたのですか?

河瀨さんとの出会いは、2010年ですね。まだコートをきていましたから、春先のまだ寒い頃です。奈良県の図書館で、「働く」というテーマで3日間にわたるワークショップがあって、日ごとにいろんな角度でやっていたんですよね。最終日がアートというテーマで、選ばれたのが僕と河瀨さんのふたりでした。河瀨さんは奈良の人間だから呼ばれるのはわかるのですが、なぜ僕が入っていたのか。今でもわからないんですけれども。

午前中が僕の回で、午後が河瀨さんでした。僕は奈良っていうのは河島英五さんの墓参りで一回行ったことがあるだけで、土地勘がなかった。前日に奈良に入り、近鉄奈良駅に降り立って、どっちに向かって歩いていけばいいんだろうとマゴマゴしていたら、声をかけてきた人がいて。「あたし、明日一緒にシンポジウムやる河瀨直美といいます。同じ電車にのっていたんです。いっしょにやる人じゃないかなと思って」。そして「はじめまして」と挨拶をして。

翌日、河瀨さんは自分の回より早くいらして、僕の出ていたシンポジウムを見てくださったのですね。で、僕も河瀨さんの回にお邪魔しました。そこで話されていた河瀨さんの人生、親とのことや、おばあちゃんに育てられたっていうのをきき、映画のワンシーン、ワンシーンをみているうちに猛烈にね、落涙寸前になっちゃって。そんなことを後で申し上げたりしました。

そのあと、僕はNHKの番組で一ヶ月のカナダロケに出ていたんです。それから帰ってきて仕事で名古屋にいたら、急に河瀨さんから電話がかかってきた。「どうしてもお願いしたいことがあるので、すぐに会えませんか」と。新作映画のパンフレットを書いてほしいとか、そういうことかなって思って、名古屋のレストランで会ったんです。そしたら、「実は映画に出で欲しいねん。きょうは口説きにきました」って。「ええー。僕は映画ってタイプじゃないですから」って言ったんですが、河瀨さんも用意周到で、主演の女優さんは来ちゃうし、お酒を飲んでいるうちに「やります、やります」ってなってしまったんですね。主役じゃないし、「愛されない夫」の役だというんで、それならと。

それでまあ、「朱花の月」っていう映画に出ることになったんですけれども、河瀨さんの映画って必ず濡れ場があるので、濡れ場もやり、なおかつリアリティーを要求する監督ですから、主演の女優と一ヶ月近く暮らすことも要求されて。しかも「愛されない」という設定で(笑)。なかなか、僕の人生のなかで忘れ得ない日々だったんですけど。

それが終わって、あとはとくに何かつきあいがあったわけじゃないんです。ただ、この「あん」という小説を書いて出版したあと、映画の話をいくつかいただくようになったとき、河瀨さんのことを思ったんですね。河瀨さんにお願いするというのは、もしかしたら難解な映画になる可能性もあるんだけど、そういえば河瀨さんは原作のある映画を撮ったことなかったな、って。もし、原作があったらどんな融合が起きるんだろう、とか。彼女が得意な月が映っているだけで月が語っているような映像とか、ただただ林が揺れているだけで何かを感じるような映像とか、思いました。河瀨さんにお願いできないかな。河瀨直美が撮れば、少なくとも何カ国かの人間が、のぞきには来るだろうという、そういう「野心」もありました(笑)。どうだろう、「あん」には、そういう可能性はあるだろうか。それで、本を送ったわけですね。手紙を添えて。

それから主演の樹木希林さんにもお送りしました。なぜかというと、小説を書いているときに、徳江のビジュアルイメージは希林さんだったんです。書いている間も、ここで徳江は何を言うだろうかというときに、希林さんを思い浮かべて、語ってもらったようなところがあったんですね。

一ヶ月経つか経たないくらいでしょうか、河瀨さんから「号泣しました」という、河瀨直美らしからぬお手紙をいただきました。「わたしでいいんですか」という非常に謙虚なお手紙で。じゃあもう、やりましょうという感じになった。ただ、ハンセン病、療養所が背景にある映画ですから、スポンサーが集まるかどうか、何も見えないわけですね。夢物語みたいなところもあったんですけど、もしかしたら、河瀨さんなら、という気もしていました。それであらためて希林さんのこともお話しまして。河瀨さんが希林さんの家までいって8時間くらい話し込んだとうかがっています。そして、希林さんからお手紙をいただいて、「やりましょう」って。楽しくやりましょうって。 現実的なことを考えれば、スポンサーがみつかるはずもないっていう気もしていたのですが、河瀨さんも「楽観的にいきましょう」って。希林さんも全生園(ハンセン病の国立療養所)にいってみたいとおっしゃり、わたしも取材をさせていただいた元患者の代表である森元さんに会ってもらいたい、と思っていましたので、去年の1月5日、寒いときに三人で全生園にうかがいました。

約束の時間にいったら、森元さんは奥さんの故郷のインドネシアから成田についたばかりで。飛行機が遅れてしまったらしんですね。それで、森元さんを待つ4時間、三人で全生園のなかを歩いたり、販売所でいろいろ話したりしました。そのときのことが、この映画のスタートになったんだと思うんですよね。たとえば、販売所で買い物にくる元患者さんや看護師さんの笑顔とか、河瀨さんは「ええわ、ええわ」ってずっと言ってて。冬の陽射しのなかの全生園の林、光が弱い中の林のたたずまいにも感動してらして。これは桜だけじゃなくて、四季を通じて撮らなきゃだめだ、と。それで、全生園で亡くなった方の納骨堂に、三人で手をあわせにいったんです。そのときに、河瀨監督が雑木林のうえに輝いている月をみつけてね。月は小説でも、結果的には映画のなかでも重要なモチーフになっているのですが、三人でおもわず手をあわせました。「映画になりますように」って。あの時、納骨堂に眠る4千何人の方もいっしょになって背中を押してくださったような気がしていますね。その時点では映画が実現する見通しは何もなかったのに。それが3月にはゴーになっていたのですから。そんなことってあるんでしょうかって。もちろん、河瀨さんの努力があってのことですけど、そこからは、どんどん展開していったのは、びっくりでしたね。

―― ドリアンさんの「あん」は、東京の全生園の元患者さんたちとの交流から生まれたのですよね。今回、小説を書かれるにあたって、ずっとお話を聞かせていただいて、さまざまな協力をしてくださった森元さんご夫妻といっしょに、カンヌに行かれましたね。

本を書いたときもそうだったんですけども、まず森元さんに喜んでもらいたいっていうがありました。もっといえば、徳江のモデルともいえる鹿児島の上野正子さんや、元患者の方々ですね。元患者の皆さんが、この本をどんなふうに読んでくださるのか。本には、病気について、顔の形が変わったりとか、指がまがってしまったりといった表現があります。実際に病を体験をされた方々はどう読むのか。最後までどきどきしました。でも、ちょっと失礼にあたるかもしれないけれども、結果的には患者目線ではない人間がその世界を書く、そういう人間が現れたことを喜んでいただけたら、うれしいなと思ったんですよ。森元さんも片目が不自由でしたから、読んでいただくのに時間がかかりましたけれども、知人を通じて本の感想をいただいたときには、ほっとしました。この人は本当に外部の人間なのか? どうしてこんなにも自分たちの気持ちがわかるんだって。大きな宿題をやりとげたような気持ちでした。

それから「ラジオドラマになりましたよ」とか、「読者を連れて全生園に行きます」などとご報告するたびに、森元さんはそのひとつひとつにうきうきと弾むような反応をくださいました。そして、「夢物語ですけれども、映画化されて、しかも外国の映画祭なんかに行く日が来たら、いっしょに行きましょうね」って、約束していたんです。それはもう、究極の夢物語としてですが。ですから、これはいっしょにその物語をつくってくださった元患者さんたちの魂を、その究極の夢物語にのせて引っ張っていけたら、とても幸せなことだなって思っていたんですね。お会いするたびに、「行きましょうね、そのときまで健康でいてくださいね」って言ってましたし、河瀨さんにも、「ほんとうにそうなったら森元さんと行きますよ!」って伝えていました。

でもまあ、約束事ではあったけれども、まさかほんとうにそうなるとは! カンヌ国際映画祭(「ある視点」部門の開幕作品)に行くことになってしまった。だから、ほんとうに「ああ、生きている間にこんなことって起きるんだなあ」って。カンヌにご一緒させていただき、車椅子を押したりもしたんですが、その車椅子の重みもうれしいんですね。扱いがわかってなくて、成田ではブレーキかけたまま押してしまって、やたら重いなって(笑)。でも、その重みさえうれしい。それはもう、作家である以前に、人として幸せでした。カンヌ映画祭の式典はドレスコードもあるので、いっしょにタキシードも買いに行きました。各駅停車でイタリアまで脚をのばしたりと、そういうことができて、とてもよかったです。

カンヌ映画祭(クレジット有)

―― ドリアンさんは、小説は「明川哲也」の名前でお書きになっていらっしゃいましたが、「あん」では「ドリアン助川」に戻されましたね。これは何か、理由があるのでしょうか?

「ドリアン助川」は、90年代には一時的にマスコミのなかで重宝された時代がありまして。月間35本の締め切りがありました。でも、けっきょくどういうことだったかっていうと、深夜放送で中高生の人生相談をやっている人間でしかなかったんですね。そういうイメージで、それ以外の仕事のチャンスはほとんどなかった。非常に創作性を限定されてしまったんですね。兄貴みたいな。しかも正義漢ぶっている、とかね。一回、この生活を破壊しないと再生できないっていう気持ちに追い詰められてしまっていたんです。

なので、日本も離れてニューヨークで三年間暮らしました。アメリカで活動しだしてから、別のペンネームでゼロから始めようと思って。それで帰国して出した本は、一冊目から明川哲也っていう名前にしました。7、8年がんばったんですけど世間はやっぱり「ドリアンさん」なんですよね。そのうちに、そういう次元であらがうことに、「意味ないな」って思い始めたんです。覚悟がついたというかね。ひょっとしたら人生相談のおじさんで終わっちゃう人生だったとしても、世間がそれをのぞんでいるのであれば、自分はその風のなかで舞っていけばいいって。別人になろうとしてもしょうがないんですよね。そういう気持ちになって、元にもどしたんですね。

―― 名前がもつ意味は、実は「あん」という小説のなかでも語られていますね。ハンセン病の元患者の方々は、本名を捨てることを強いられたのですよね。

これは完成した本には載せませんでしたけど、徳江さんの本当の名前は別の名前なんですよね。吉井あん、なんですよ。それはやりすぎだと思ってやめましたけれども。名前を変えられてしまった人たち。いまだにその名前を名のっていらっしゃる方もいます。過去の名前にもどした方もいます。それぞれの格闘の仕方、それはいろいろなんですけども。僕は本名と、ペンネームのドリアン助川と、それから第二ペンネームの明川哲也と名前を3つ持った経験があるので感じるんですが。名前っていうのは、どこかでその人の生き方の、根の張り方のようなものを規定していく要素があるかもしれません。ドリアンなんていう名前は、文芸作家としてはよくないよ、なんて言われますが、よくないもなにも、おれもう、ドリアンだから。しょうがないな、それは。

いくつかの名前をね、マンガの原作者とか、「叫ぶ詩人」の前にちょっとお笑いの舞台とかやってた頃は、ほかの名前もあったんですけど、詩人の会をやりだして、どういう名前でいこうかなっていうときにね。その頃持論があってですね、親が名前をつけてくれた、だけど自分が得意な分野で活動していくんだったら、その名前は自分で主体性もって作れよって、思っていた。そういう自由はあるし、名前に責任を持つべきだと。そこでどうしようかなあというときに、ちょうど、吉本ばななさんが出てきて、いいな、果物かって。僕の詩を読んだ当時の友だちが、「お前の詩は臭い」と。「いやいや、東京キッドブラザーズの台詞とか知ってる? 舞台では臭いくらいがちょうどいいんだよ」なんていって、臭いのがいいとか悪いとか、そんな話をしているうちにね。ばななさんは、かわいい名前だけど、じゃあ、おれはいちばん臭い果物の魔王と呼ばれている「ドリアン」、あれにしようって。ドリアン・グレイとかはなんの関係もなく、ただ果物のドリアンだって簡単につけてしまったことを、後悔しなかったとは言いませんが(笑)。まあ、でも権力を持ちにくい名前だから、いいですよ。権力を人並み以上にもってしまう立場がこわいし、いやなんですね、道化師の格好で歌っていて、ある程度馬鹿にされるのも好きだし、なんでドリアンっていう名前なのっていわれるのも、快感だったりするんですよね。

―― ドリアンさんにとって、「物語」とは何でしょうか?

今回カンヌいったときに、以前、英国の雑誌に短篇の翻訳がのったとき、そのたった一話だけを読んでファンになってくださった方が会いにきてくださったんです。イタリアの田舎から車で4時間もかけて、ワインもって。物語を書くっていうのは、こんなにすごいことなんだなって、あらためて思いました。何年もかけて世に出したものが、その間、編集者にもおつきあいいただいているのに、初版止まりということが続くと、時には無意味なことをやっているのかと思うこともあるんですよ。この事務所でただひとり山椒魚みたいだなってね。だけど、そういうことが一回でもあると、そうじゃないって思える。何語だっていい。物語をつづるということは、自分の人生独自の資産なんだと感じ始めています。

あん(表紙映画帯)

『あん』
ドリアン助川
ポプラ文庫
定価:本体600円(税別)
詳細はこちら>>

Profile

ドリアン助川

(どりあん・すけかわ)
1962年、東京都生まれ。詩人・作家・道化師。早稲田大学第一文学部東洋哲学科卒。放送作家等を経て、1990年「叫ぶ詩人の会」を結成、話題に。1995年から2000年までラジオ深夜放送のパーソナリティーを務め伝説的な人気を博す。明川哲也の筆名で『メキシコ人はなぜハゲないし、死なないのか』(文春文庫)、『花鯛』(文藝春秋)等、ドリアン助川で『バカボンのパパと読む「老子」』(角川SSC新書)、『ピンザの島』、『多摩川物語』(ともにポプラ社)等、著書多数。

Pick Up Book

  • かがみの孤城
  • i
  • 私のスポットライト
  • ビオレタ

お知らせ

papakue17821.jpg ご愛読いただいていた「お父さんクエスト」(小山健)がついに本になります!連載された29本のマンガとともに以下のような豪華描きおろしが満載!「お父さんのためのワンポイントアドバイス!」幸せな家庭を築くために、お父さんが知っておかなければならない心構えやテクニックを11のイラストコラムにして解説。日本中のお父さん必読!「さち子さん、特別インタビュー」いつもダンナさんに描かれっぱなしのさち子さんの単独インタビューに成功。二人の出会いから、結婚、出産にいたるまで小山家の知られざる日常を語ります。And more...

170713_img.jpgポプラ文庫ピュアフルの人気シリーズ、「ばんぱいやのパフェ屋さん」(佐々木禎子 著)の1巻が、コミックスになりました! 漫画はやぎさん、このたび新創刊したレーベル「アニメージュコミックスmiere」(発行:ティーダワークス 発売:徳間書店)にて、7月5日発売です。文庫もコミックスも、よろしくお願いいたします!

978-4-591-15498-4.jpgのサムネイル画像ポプラ文庫ピュアフル7月新刊『英国幻視の少年たち5 ブラッド・オーヴァ・ウォーター』発売を記念して、著者深沢仁さんから読者の皆さんに、抽選で、キーホルダーやコンパクトミラーなどの英国土産をプレゼントいたします。新刊オビの応募券にてご応募ください。詳細と英国旅行のミニレポートをこちらでご紹介しています。

『あざみ野高校女子送球部! 』(ポプラ文庫ピュアフル、680円+税)の刊行を記念して、小瀬木麻美さん トーク&サイン会を開催いたします。

場所 :リブロ港北東急SC店特設会場  日時 : 2017年7月16日(日) 午後2時~

参加特典として、小瀬木麻美さんが今回のイベントのために書き下ろした「『あざみ野高校女子送球部!』番外編」をもれなくプレゼント!センター南が舞台になった短編小説です。

Cov_shigotoba_R.jpg佐藤ジュンコさんのコミックエッセイ『仕事場のちょっと奥までよろしいですか?』が刊行になりました。作家・伊坂幸太郎さん、漫画家・いがらしみきおさんから伝統工芸の職人さんまで「作ること」のプロ15名の仕事術をイラストでルポ!

達人たちの仕事場にお邪魔したら、楽しい驚きがいっぱい。まさに大人の社会科見学!ふむふむ、へーと読んでいるうちに、むくむくとやる気が湧いてくるお仕事エッセイです。

Pick Up Book

  • かがみの孤城
  • i
  • 私のスポットライト
  • ビオレタ