LAロックダウン日記

長野美穂

LAロックダウン日記

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「3人にひとりが感染者」の街で「料理」はどう変わったか

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住民の3人にひとりがコロナに感染し、6分間にひとりがコロナで死亡している――。

 私が住む街LAが、2021年のいま直面している現実がコレだ。

 まるでSFの世界のようだが、これは自治体が正式に発表したリアルな数字なのだ。

 ロサンゼルス郡政府の医師や科学者たちは1月半ばに「パンデミックの初期から今までに、3人にひとりの住民がウイルスに感染した計算だ」と発表した。LA郡の現在の1日のコロナ死者の平均は230人。これは6分にひとりが死亡しているペースだ。

 振り返ってみると、昨年3月、LAを含むカリフォルニア州は、罰則つきの「外出禁止命令」を全米でいち早く発令した。

 その時点で、コロナ対策としては他の州を一歩も二歩もリードしていた"先進的な西海岸"のはずだったのだ。

 LAのオフィス街は、昨年3月以来ずっとゴーストタウンと化している。大企業や中小企業や零細企業だけでなく、銀行の支店まで、ありとあらゆるオフィスがからっぽだ。

 そんなロックダウンの日々にもかかわらず、LAは、いつしか名実ともに世界最悪のコロナ感染スポットと化してしまった。

 WHY??!!!と叫びたいぐらいだ。

「LA大丈夫か?」と感染爆発していたニューヨーク住民からも同情され心配されている状態だ。

「コロナ禍は、世界中の誰もがみんな経験しています。個人の経験をあれこれと、つながりなく書いたところで、読み手にとって特別なものにはなりません。それらをつなぐ一貫したテーマは何ですか?」。

 この連載の担当編集者さんから、こんな感じのお言葉がメールで伝えられた。

 確かに、いまこの地球上に生きていて、コロナの影響を受けていない人は誰もいないだろう。

 どの国でも、子供からお年寄りまで、誰もが窮屈な思いで1年近く巣ごもりしている。

 私個人の体験は、そんな地球人のone of themでしかないのは事実だ。五月雨式に日々の様子を綴ってもそれをつなぐ「これ」という1本の糸がなく、テーマが欠如している――確かにその通りだろう。

 だが「3人にひとりが感染者」というこの街の感染拡大のスピードは、私の脳の神経シナプスが理解できる範囲をとっくに超越してしまった。

 ものごとを鳥瞰図のように俯瞰して見ることができない機能不全にずっと陥っている。

 日々のあれこれに感情のメーターが振り切れっぱなしだからだ。

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 例えば、こんな感じだ。

 最近、10カ月ぶりに大手書店チェーン店のバーンズ&ノーブルに行き、取材にどうしても必要な資料用の書籍を買った。

 感染を避けるためにはネットで本を注文して宅配してもらうのがベストなのだが、あいにくその日中に、どうしてもその本が必要だった。

 ビニール手袋をはめ、ほぼ1年ぶりに店内に恐る恐る足を踏み入れた。

 2階建てのその書店の中にいる客の数はざっと5~6人のみだった。客の誰もが手前の本には触らず、積まれて下の方にある本を選んでいた。

「10%ディスカウントの効くストアカードを持っていますか?」。

 目当ての本をレジで差し出した私に、黒人女性の店員さんがそう尋ねた。

「いいえ、持っていません」と答えると、彼女は「そうですか」と言って本の裏表紙についているバーコードをさっとスキャンした。

 私は驚愕した。

 コロナ以前、ここの店員はこんなに易々と引き下がったりしなかった。以下のような怒濤のセールストークバトルが毎回繰り広げられていたのだ。

店員:「年間たった25ドルの費用でディスカウントプログラムの会員になれますよ。会員特典で、ハードカバーの単行本は最大40%引きになります。この本も、今この場でほぼ半額になりますが」

私:「いいえ、結構です」

店員:「あなたが今買うこの本が、この瞬間に40%引きの値段になるんですよ?すぐに25ドルの会員費の元取れますよ。しかも1年間ずっと有効なんですよ」

私:「いりません。そもそも御社のストアカードは、大規模な個人情報漏洩事件で有名じゃないですか。数万人分の客の社会保障番号や電話番号が漏れてたあの事件です。大事なプライバシーのダダ漏れが怖いから、御社のストアカードは作りたくないんですよ」

店員:「あの事件はもう昔のことですよ。今はセキュリティが強化されてます。事件があったからこそ、より強固なセキュリティが実現できたとも言えます。だから今では他の店のカードより安全なんです」

私:「そ、そんな理屈、おかしいでしょう。個人の社会保障番号は1度漏洩したら永久に犯罪に使われてアウトじゃないですか。どんなに勧誘されても、私、絶対に会員にはなりませんから」

店員:「ギフトカードも割引率高いですよ」

私:「嫌です。定価で払いますから、早く会計してください」

 こんなやりとりが当たり前だったのだ。しかし、今、プラスチックボードの向こうに立っている彼女は、黙々とレシートを印刷しているではないか。

 プラスチック板ごしとは言え、アグレッシブなセールストークをすれば飛沫が飛び交う。そのリスクを避けた感染防止対策なのか。

 拍子抜けした私は、ついこう聞いてしまった。

「最近は、どうやってサバイバルしてるんですか?」。

 コロナ前ですら完全にAmazonに食われて商売が厳しかったのに、コロナ禍では、ふらっと入って来る立ち読み客も激減したはずだ。誰が触ったかわからない書籍を手に取ったら感染する確率が高いのだから。

 そんな中、一体どうやってビジネスの生き残りを図っているのかを聞いてみたかった。

 しかし、返ってきた答えは想像していたものとは全く違っていた。

「聞いてくれてありがとう。家族のひとりが昨日、やっと呼吸器をはずせたんです。8日間ずっと呼吸器につながれたままでした。なんとかこのまま生き残って欲しいです」。

 彼女が語ったのは、コロナで危篤から生還した自分の家族の病状だった。私が発した「サバイバル」という単語を受けて彼女がとっさに反応したのは、心配でたまらない家族の命のことだった。

 「3人にひとり」の世界では、客と店員の何気ないレジでの会話が、すでにこういうレベルなのだ。

 音速ではなく、光速でコロナが街に蔓延してしまった感じだ。

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 また、LAでは、重症患者が収容される集中治療室(ICU)ベッドの空きは、今年1月頭からずっと「ゼロ」のままだ。たとえ救急車を呼んでも、その時点で呼吸停止していれば救急車は来ない。

 この状況で、住民としてひとつはっきり言えることがある。

 それは「スーパーに食料を買い出しに行ったら感染して死ぬかも」というリアルな恐怖だ。

 「3人にひとり」という感染確率が意味するのは、LAに存在するスーパーのすべての店舗に感染者が必ず複数いる、ということだ。

 例えばスーパーチェーンのホール・フーズ6店舗は、LA郡政府に、これまでに合計92人の従業員がコロナ陽性だと判明したと報告している。郡の衛生局のサイトを見れば、どの店が感染ホットスポットなのか、数字で一発でわかる。

 感染者がひとりもいない穴場のスーパーを探そうとしても、そんなものはもう街中どこにもない。幻の存在、ユニコーンみたいなものだ。

 しかし、食料品を買いに行かなければ、ヒトは生存し続けることができない。

 このパラドックスをどう解くか。

 私が消極的に選んだ選択肢は、家に備蓄してある食料が尽きるまで、なるべくスーパーに足を踏み入れない、というものだ。

 そもそも「備蓄品を食べて生きる」という兵糧生活の実践が始まったのは、カリフォルニア州に最初の「外出禁止令」が出された昨年3月からだった。

 人生初の「外出禁止令」にパニックになったLA住民1200万人が一斉に買い出しに奔走し、スーパーの棚から食料がごっそり消えたあの日からだ。

 スーパーに行くのは怖いし、勇気を出して店に行っても棚に何もないという状況だった。

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 そんな3月のある日、私は自宅のキッチンの棚の奥深くに手を突っ込んで、ゴソゴソと中を探っていた。

 すると棚の奥から「Red Beans」と印刷された赤いあずきの袋が出てきた。

 何年前にどこで買ったのかも全く思い出せない。12オンス、つまり340グラム入りの袋だ。

 あずき豆ってどうやって食べればいいんだっけ?

 ネットで検索するとその日3月25日付けのニューヨーク・タイムズ紙のフード欄に「豆ってどうやって調理すればいいの?」というタイムリーな記事が載っていた。

 おお、助かった。

 こんな記事が載るってことは、みんな豆の料理の仕方がわからないのかもしれないぞ。

 ニューヨーク・タイムズ紙は購読しているが、これまでフード欄にはほとんど眼を通したことがなかった。

 グルメではない私にとって「食」とは、空腹になって初めて慌てて対処方法を考えるべき題材で、空腹でない時にあえて思いを巡らすトピックではないのだ。

 そんな時、サンフランシスコに住む友人のケイトからメールが来た。

「サンタクララ郡に住む従姉妹の43歳の夫がコロナに感染してた。1週間呼吸器につながれて、やっとICU病棟から出られたところ。こちらベイエリアも、どの店に行っても食料が売り切れ。なんとかやっと2週間分の卵と芋とパンと米とシリアルを買えた。ミホ、当座の食料だけは買っておきなよ。とりあえず2週間分は必ず」。

 ケイトとはシカゴのジャーナリズム大学院で知り合った。彼女は大学院に入学する前は、カリフォルニア州北部のナパにある高級レストランのコックとして、創作料理を作って客にふるまっていた。

 大学院卒業後、ケイトはレストラン業界誌の編集部勤務を経て、フリーランスのフードジャーナリストになった。

 すると驚異的なスピードでレシピ本や料理本を何冊も出版し、デビュー作でいきなりフード本業界の直木賞とも言える「ジュリア・チャイルド賞」を受賞してしまった。

 2019年末には、内戦が始まる前のアルメニアの奥地まで取材に出かけ、アルメニアの一般家庭に代々伝わる「ラバシュ」というパンの秘伝のレシピをおばあさんたちから聞き出し、それを出版し、全米をブックツアーで回っていた。

 あずきの調理法を全く知らない私とプロの料理人のケイト。まるで接点がなさそうな私たちは、大学院時代になぜか同じ「食」担当記者として一緒に取材に奔走し、シカゴの地元紙に寄稿していた。

 シカゴを本拠地とするマクドナルド社の新店オープンをふたりで取材した時、マクドナルド社の幹部マネジメント層の多くが白人社員であるのに対し、売り場で働く圧倒的多数のひとびとが黒人やヒスパニック系である点に気づき、その人種対比の疑問を、開店セレモニーに来ていた社の幹部にアポなし直撃取材したりしていた。 

 以前、サンフランシスコに取材に行ったときに、ケイトのアパートに泊めてもらったことがある。

 彼女の部屋もキッチンも一点の曇りもなくピカピカに磨き上げられ、調理用のナイフはまるで武士の刀のように鋭利に研ぎ澄まされていた。

 冷蔵庫には手作り豆腐を作るための麹があり、どこで手に入れたのか、桜色をした日本の食材「でんぶ」まであった。

 戦場のような商業キッチンで男性シェフたちに混じって修業してきた彼女は、小柄でチャーミングな見た目とはうらはらに、鋼のような根性の持ち主で「食」の流通から小売りまで知り尽くしたプロだ。

 そのケイトが「2週間分の食料は、必ず備蓄しておけ」とわざわざメールで警告してきた。

 意を決して近所のスーパーの前の列に並ぶ。誰もが無言だ。ピリピリした緊張感は店内にはいる直前にマックスになる。マスク着用は完全義務化され、エコバッグ持ち込みも禁止だ。

 外の列に並んで待っている間に、買い物リストを書いた紙を握りしめながら、どの棚をどんな順番で回れば店内の空気を吸うのが最小限で済むか、最も効率的な動線を脳内シュミレーションする。

 やっと手に入れた人参やトマトやピーマンやセロリは、自宅に戻ると即座に熱湯にぶちこんで洗う。

 ついているかもしれないウイルスをこそぎ落とす。

 洗剤まみれの手をタオルで拭き、やれやれとテレビをつければ、病院のICU病棟の中で次々に死亡していくコロナ患者の臨終の様子が、ぼかし一切なしで映し出される報道ドキュメンタリー映像が流れる。

 病院の外の白いコンテナに遺体が運び込まれる様子が画面に映る。

 葬儀会社は、棺の数が多すぎて、「もうこれ以上遺体を収容できない」と悲鳴を上げている。

 そんな映像を見た夜は、悪夢で目が覚めてしまう。

 朝、気分転換にジョギングに出かけると、近所の病院の救急救命用の入り口に白い大きな臨時テントが張られているのが見えて、ぎょっとする。戦時中の野戦病院みたいだ。

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「コロナ禍は世界中の誰もがみんな経験していることで、特別なことではありません。一貫したテーマは何ですか?問題は『流れるもの』が感じられるかどうかなんです」。

 そんな編集者さんの言葉と、白いテント、遺体を収容するコンテナ、棺のビジュアルが脳内をぐるぐる回る。

 車に乗って高速道路の高架下を通ると、ホームレスのひとびとのテントが数十ずらっと張られている。

 聖書の一節が書かれたボードを掲げるテントや、クリスマスツリーやぬいぐるみをくくりつけたテントもある。

「HUNGRY」(お腹がすいた)と黒マジックで書かれた段ボールの紙切れを手に持つ彼らに、いつの間にか車の回りをぐるっと囲まれる。

 老若男女、あらゆる人種の大量のホームレスのひとびとがいる。誰も皆、髪の毛がこびりついて塊になっていてドレッド状態に近い。

 人間の尊厳がはぎ取られてしまった生活を送る彼らを見て胸が潰れそうになると同時に、今ここで気を緩めたら、彼らに二重三重に囲まれて、車ごと抜け出せなくなるという警戒心が入り混じる。

 信号が青にかわると、彼らが諦めたようにさっと散りはじめる。

 その瞬間、私はぐっとアクセルを踏んで彼らを轢かないようにハンドルを操作しつつ前に進む。

 段ボールのサインを手に持つドレッドヘアの彼らの姿が、サイドミラーの中でどんどん小さくなっていく。

 ほっとすると同時に、彼らと違ってガラス窓で外界から守られた車内にいる自分に対し、吐き気に似た強烈な罪悪感が胸の奥底から湧き上がってくる。

 窓の外には青空にそよそよとなびくヤシの木の葉。

 底抜けに明るいカリフォルニアの青空の下には、10ドルの価格で絞りたてスムージーを売るパステルカラーの外装のジュース店と、さっき見た地獄みたいなテント生活の光景が同じ通りに混在している。

 それが「3人にひとり」と「6分にひとり」の世界のリアルだ。

 家に帰り着いてシャワーを浴び、洗濯物を手洗いし終わると、ふと朝から何も食べていなかったことに気付く。

 赤黒くつやつや光るあずき豆を袋から出して洗ってみる。

 ケイトに「豆は水に漬けるべきなのかわからなかったけど、調理法がニューヨーク・タイムズに載ってた。それによると、一晩水に浸さなくてもいいみたいだね」とメールすると、彼女は即座に「初心者向け」の調理サイトを他にもいくつか紹介してくれた。  

 それらのサイトには「ステイアットホームを乗り切るための簡単調理法」と題されたレシピがいくつも載っていた。

 つけっぱなしにしているCNNの画面をちらっと見る度、10分ごとに死者の数字が増えていく。

 それなのに、近所の公園ではマスクをせずにバーベキューをしている集団が未だにいる。

 コロナICU病棟で働く知人のナースからこんな連絡があった。

「仲間のベテランナースがまたひとり辞めたよ。昨日、防護服の着替えを済ませてヘルメットを被ったら、同僚がぎゅっとハグしてきた。そこではっと気付いたよ。もう10カ月以上も私、誰ともハグしてなかったってことに」。

 いろんな思考が細切れに脳細胞を通り過ぎていく。

 集中してものを考えるということができない。

 生き延びることだけを考えていて「一貫したテーマ」なんて思いつかないのだ。

 たまに日本語のニュースをネットで見ると「分断された米国」という見出しが必ず躍っている。

 分断、分断、分断......。

 またか。この手垢の付いたメディア常套句にうんざりだ。そして、すぐにネットを閉じてしまう。

 思いっきり身体を動かして汗を流して何もかも忘れたい。大好きなテニスもサッカーも、もう何か月もプレーしていない。

 カゴに入った数十のテニスボールには埃が積もっているし、サッカーボールは空気が抜けて凹んでいる。

「県の大会で、試しにシングルスのトーナメントに出てみたら思いがけなく優勝したよ」という日本の旧友のメールを見て、しみじみ驚く。

 日本ではテニスの草トーナメントの大会が未だ行われているのか?!まるで違う惑星の出来事のようだ。

 そんな時、人参を冷蔵庫から出して、ピーラーで皮をむく。友人からもらったセラミックの小さなナイフで、人参を一口大の大きさに切る。サクッ、サクッ、という音が、木のまな板の上に響く。

 次にたまねぎを取り出して外側の茶色い皮をピリピリと剥がす。青白く丸い身にナイフを入れる。ザクッという音と共にみじん切りにする。

 ひたすら野菜を切ると久しぶりに、「今この瞬間」だけに意識を集中していることに気付いた。

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 米を研いで炊飯器にあずき豆と一緒に入れる。グツグツグツという音と共に、ぷっくり湧き上がってはパチンと破裂する玉のような大小の泡と立ち上る湯気。

 それをただじっと見ていた。

 コトコトと音をたてて煮える野菜。グツグツと泡立つ米。両方の音がまるでステレオのサウンドのように合わさるのを聞いていると、ガチガチに固まっていた心の芯が少しずつ緩んでほどけていく。

 こんな感覚、ずっと忘れていた。

 私にとって食事を作ることは、洗濯や掃除と同じように、日頃、やらなくてはいけない「作業」だった。いかに効率的に素早く終わらせて、仕事の段取りに戻るかを日々考えていた。

 ケイトがアルメニア料理本を出版した2019年末、ブックツアーでLAにやってきた。

 中華街にある食関係専門の書店で、ケイトは満員の聴衆を前にこう言った。

「私、学生の頃から、きょうは何を食べようか、そればかり考えて生きてきたんです。新しい食材に出会うと、これをどうやって食べようかとワクワクするんです」。

 その言葉を聞いて私は改めて驚いていた。

 私は学生時代に「きょうは何を食べようか」と思い巡らしたことは、ほぼ皆無だったからだ。

 空腹になって初めて「あ、何か食べるもの作らなきゃ」と慌てて意識する私にとって、食事づくりは単なる義務で、その他の活動が圧倒的に主だった。

 大学院時代、シカゴのアパートのキッチンで毎朝サンドイッチを作って学校に持って行っていた。日本のようなコンビニなどない米国ではサンドイッチも7~8ドル以上する。そんな大金を昼食にかけられない。

 昼時になり、パサパサに乾燥した自作サンドイッチを噛んで飲み込むが、美味しいと感じたことは一度もなかった。

 味を工夫して美味しくしようという意欲や情熱は、睡眠時間1日平均4時間の日々では、1ミリも湧いてこなかった。

 そのかわり、英語やテニスやサッカーに関しては、どんなに忙しくても寝不足でも、自分のスキルを少しでも上げる方法は、片っ端からトライした。

 同僚記者たちと同じネイティブの発音になりたくて、1時間100ドルという目が飛び出るような料金の発音矯正コーチにつき、「L」と「R」の違いを叩き込んでもらい、なんとか夢も英語で見るようになった。

 サッカーボールは常に車に乗せて、空き地や芝生があると5分でも10分でもドリブルの練習をしていた。

 ほんのちょっとでも上手くなりたかったし、少しでも上達するとめちゃめちゃ嬉しかった。

 だが「料理」に関しては、自分のスキルを向上させることに意欲が湧かなかった。料理は、私にとって、税金を払ったり、虫歯を治したりという行為と同じように「やりたくないけどやらなければならないこと」であり、そのレベルで何年もずっと停止していた。

 だが、パンデミックで家にある食材を何とかして活かさないと、スーパーに行かなければならない、行けば下手したら感染して死ぬかも、という現実に迫られ、「食」に向き合う姿勢がほんの少し変化した。

 今ここにある食材と今の料理スキルの自分がどう向き合うかで、今後の健康も免疫レベルも生存の可能性も、全てが左右されるのだ。

 ずっと品切れだった5キロの米をやっとスーパーで見つけた。背負って帰り、米袋全体に食器洗剤をふりかけて熱湯で洗った。

 するとなんと米袋にミシン目のような「呼吸穴」が空いていた。中の米が洗剤とお湯を吸ってしまった。慌てて米をありったけの紙皿に入れて床に広げて乾かした。

 バカバカバカ。自分を責めた。5キロの米袋に呼吸穴が空いているなんて知らなかった。

 シカゴでの大学院時代「メソッド」と呼ばれる最初の学期がとりわけ地獄だった。

 教授たちに徹底的に絞られて、毎日課題を提出するだけでヘトヘトで、記事中の単語のスペルをひとつでも間違えると課題全体に「F」(不可)の評価がついた。

 Fを3つ取ると問答無用で落第だ。誰もが落第するかもしれない恐怖と毎日闘い、校舎を見るだけで吐き気がするような毎日だった。

 そんなある日、ケイトが彼女のアパートに私たちクラスメートを招いて、手作りのコース料理をふるまってくれた。

 温かい肉料理とスープでお腹を満たした私たちは、まるで生き返ったような気持ちだった。

「自分が作ったサンドイッチ、お昼に食べて美味しいと思ったことないんだ。仕方なく毎日作るけど、もう自分の作ったものを食べるのが苦痛」とケイトに言ったことがある。

 彼女は「バターは何使ってる?辛子とはちみつとマヨネーズをちょっと混ぜてパンに塗ってみたらどうかな?」と助言してくれた。

 『Joy of Cooking』という料理本がアメリカのどの家庭のキッチンにもたいてい置いてあるのだが、私は一体どうやったら「joy」(楽しみ)を「タスク」である料理に感じられるのかと不思議に思っていた。そして料理スキルの低い自分のことをいつも恥じていた。

 だがケイトはこう言って慰めてくれた。

「大丈夫。プロのぺイストリー・シェフだって、毎日、甘いお菓子を仕事で作るのに実は飽き飽きしてたりするよ。その証拠に、彼らに差し入れする時は、塩辛いもの、しょっぱいものが一番喜ばれるもん」。

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 毎日の料理はいまだに面倒だ。だが、野菜を切る音、豆が煮える音、それをじっと耳を澄まして味わうと、心の中に小さな火が灯るように落ち着くと感じる。

「もしかして、この感覚が、joy of cooking ってことなのかな?」とケイトにメールすると「ミホ、このメール、まるでエッセイだ。このままLAタイムズに寄稿しなよ。生まれついての料理好きのフードライターには逆立ちしても書けない視点の文章だから。外出禁止で、皆が3食自炊しなくちゃならなくて、あなたと同じように感じている人が、きっと何万人もいるはずだから」というメールが返ってきた。

 食のプロであるケイトとは比べようもない赤ちゃんレベルの「joy」だが、ちょっとだけ違う視点で「食」を捉え始めた時、ケイトから別のメールが来た。

「実はさ、ケンタッキーのあるシェフが、失業したレストラン従業員たちに食料を配るために、援助キッチンを立ち上げたんだけど、興味ある?プレスリリース送るよ。エドワード・リーっていう名前の、いわゆるセレブリティ・シェフのひとりなんだけど」。

 セレブリティ・シェフ?

 ああ、フードネットワークのテレビ番組で派手な料理パフォーマンスのショーをやってる人たちか。

 正直苦手な世界だな。でもプレスリリースを一応見てみた。

 それが、私がシェフ・リーを知ることになる最初のきっかけだった。

 (次回に続く)

Profile

長野美穂

ジャーナリスト。東京の出版社で雑誌編集記者として働いた後、渡米。ミシガン州の地元米新聞社ペトスキー・ニューズ・レビューでインターン記者として働き、中絶問題の記事でミシガン・プレス・アソシエーションのフィーチャー記事賞を受賞した。その後独立し、ネイティブ・アメリカンの取材などに没頭。ボストン大学大学院を経て、イリノイ州のノースウェスタン大大学院でジャーナリズム修士号を取得。カリフォルニア州ロサンゼルスの新聞社インベスターズ・ビジネス・デイリーに入社し、約5年間、自動車業界・バイオテクノロジー・製薬・銀行などを担当する経済記者を経て、フリーランスジャーナリストとして活動している。テニス、カヤック、サッカーなどアウトドアスポーツが趣味。

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