エンディングドレス

蛭田亜紗子

エンディングドレス

終末の洋裁教室(3)

         
 ここか、とマンションを見上げて呟いた。
 電話で伝えられた場所はマンションの一室だった。てっきりあの手芸店の一角でやるものと思っていたが、そうではないらしい。「終末の洋裁教室」にかけた電話に出たのはやや低めの声の女性だった。今週末に説明会をやるのでそこで話を聞いてから教室に入るかどうか決めてください、と言われた。
 七階建てのごく普通のマンションだ。4、0、4、とエントランスの集合インターホンのボタンを押す。はい、と女性の声が聞こえた。あの、洋裁教室の説明会に来ました、と伝えるとガラスのドアが開く。エレベーターに乗って四階で降り、四〇四号室のインターホンを押した。
 ドアを開けたのは黒いワンピースを着た女性だった。まんなか分けの黒髪は後ろでひとつに束ねられている。
「ようこそ、終末の洋裁教室へ」
 化粧気のない顔にわずかな微笑を浮かべて彼女は言った。
 靴を脱ぎスリッパに履き替える。灰色の絨毯張りの廊下を歩き、正面の部屋に案内された。
「あら、いらっしゃったわ、最後のかた」
 部屋に足を踏み入れると弾んだ年配の女性の声に出迎えられた。大きなテーブルについている三人のおばあさんがこちらを見ている。三十代のわたしは場違いな気がして一瞬戸惑ったが、死に装束を縫う教室なのだ、死が身近な年齢のひとが集まるのは当然だろう。視線に身をかたくしながら手前の空いている椅子に座った。
「全員揃ったので自己紹介をしていきましょうか」
 黒いワンピースの女性が、窓を背にしたいちばん奥の席に座ってそう切り出した。
 向かって右の奥に座っている、花柄のゆったりとした服を着たとても小柄なおばあさんが全員の顔を見渡してから口を開く。
「たぶんわたしがいちばん年上かしら。小山千代子です。大正生まれの九十二歳。編みものは長年やってきたけれど、洋裁ははじめて。六十の手習いどころか、九十二の手習いね。みなさん仲良くしてくださいね」多くのしわが刻まれた顔でにっこりと笑んだ。
 そのとなりに座っている裕福な奥さま然とした上品なおばあさんが続く。
「宇田川しのぶと申します。洋裁は五年ほど前にはじめましたが、自己流なのできちんと習いたいと思ってこの教室に興味を持ちました」
 毛先がくるりとカールした銀髪には、ヘッドドレスのようなちいさな帽子がちょこんと載っている。着ている紺色のクラシックなツーピースはいかにも仕立てが良さそうだ。
 彼女のはす向かい、わたしのとなりの痩せぎすなおばあさんが、そのあとに続く。
「若杉リュウ。中身は名字のとおり若すぎるぐらい若いつもりだけど、年齢はそれなりに。若いころはダンサーをやってて、衣裳を自分で縫ったりしてたけど、ここ数十年はご無沙汰だね。よろしく」
 背すじをぴんと伸ばし、細い弓なりの眉を動かしながらしゃがれた声で言った。肌にぴたりと張りついた真っ赤な服が鮮やかだ。口紅もテーブルの上で組んでいる手の爪も、服と同じ真紅。
 最後はわたしの番だ。全員の視線がわたしに集まる。唾を?み込んでから口を開いた。
「真嶋麻緒といいます。三十二歳の主婦です。お金のない高校生のころにスカートを縫ってみたことはあったけど、それ以来ミシンには触れていません。夫とふたりで暮らしています」
 噓ではなかった。いまでもあの部屋には弦一郎の気配が濃厚に残っている。弦一郎の影と暮らしている。
「この教室の講師の小針ゆふ子です」
 黒いワンピースの女性が低めの落ち着いた声で名乗った。あらためて彼女を観察する。白い肌に散らばるそばかす、平行に伸びた眉、青みがかった白目が印象的なアーモンドアイ、わずかに口角の上がったくちびる。気難
しそうにも温和そうにも見える顔立ちだ。わたしと同世代なのか、それともうんと年上なのか、年齢がさっぱり読めなかった。
「ポスターを見て電話をくださったみなさんはご存じのとおり、ここは死に装束――最近はエンディングドレスと呼んだりしますが、とにかく人生の最期に着る服を縫う洋裁教室です。とはいってもいきなり死に装束をつくるわけではありません。毎月課題を出して、みなさんの上達を確認していきながら、ころあいを見て取りかかる予定です」
 小針先生は四人の生徒に真っ白な封筒を配った。表にも裏にもなにも書いていない。
「このなかに最初の課題が書いてあります。家に着くまで開封しないでくださいね。ひとりでゆっくり、紅茶にマドレーヌを浸して食べたりしながら考えてみてください」
 電車に乗って出かけて初対面のひとたちに会って疲れたせいか、ひさびさに空腹を感じていた。自宅マンションに入る前に近くのコンビニに寄る。おにぎりをふたつとカップスープを購入した。小針先生の言葉を思い出してマドレーヌを手に取ったものの、気恥ずかしくなって棚に戻す。
 さっき洋裁教室で聞いた話を思い起こす。さっさと身辺整理を終わらせて決行するつもりだったのに、死に装束に取りかかる前にいくつか課題をこなさなければいけないなんて。話が違うと思いながら、場の空気に流されて入学を決めてしまった。とはいえ、まだ月謝を払っていないので電話一本入れればやめられるだろう。三人のおばあさんはさっそく意気投合したらしく、あのあと喫茶店に行ったようだ。わたしも誘われたけれど断った。
 だれもいないマンションの部屋に帰る。玄関から廊下にかけて資源回収に出すためにまとめた雑誌や書籍が積み上げられている。それらを掻き分けるように進んでキッチンに行き、電気ケトルに水道水を入れてスイッチを押した。スウェットに着替えているうちにお湯が沸いたので、買ってきたカップスープに注ぐ。ダイニングテーブルにつき、おにぎりのフィルムを剝いて白い米に齧りついた。ひさびさの固形物が胃を満たし、細胞を目覚め
させる。トマト味のスープを啜ると、熱が喉を通って全身に沁み渡った。
 食べ終わってから食器棚の下の抽斗を開けた。弦一郎はお茶全般が好きだったので、ニルギリやらウバやら黄金桂やらラプサンスーチョンやらエルダーフラワーティーやら抹茶やら、さまざまな種類のお茶が戸棚や冷蔵庫のなかで眠っている。大半が賞味期限を過ぎているであろうそれらには手をつけず、安いティーバッグを出してマグカップに入れ、電気ケトルの残りのお湯を注いだ。
 マグカップを持ってテーブルに戻ったそのとき、ポケットのなかのスマホが振動した。スマホを取り出して画面を見ると、「真嶋のおかあさん」と表示されている。このまま無視し続けるわけにはいかないだろう。深呼吸してから、はい麻緒です、と電話に出た。
「弦一郎の母です。お久しぶり。麻緒さん、元気にしてる?」
「ええ、元気です。ご無沙汰してすみません」
「ううん、いいの。あのね、来週の日曜に出かけるからお誘いしようと思って。明日への架け橋の会っていってね、家族と死別したひとたちが集まって語りあう会合なんだけど、麻緒さんもどうかしら。同じ境遇のひとたちと話すことで癒やされると思うの」
「ごめんなさい、わたし、その日は仕事があって」
「あら、そうなの」
「せっかく誘ってくださったのにすみません」
「いいのよ、お仕事頑張ってね。忙しくしてたほうが気が紛れていいわ。でも無理しないで」
「ありがとうございます。また誘ってください」
「そうね、今度お食事でも。弦一郎の思い出話をしましょう」
「はい、ぜひ」
 電話を切ると脱力してテーブルに突っ伏した。長いため息を吐く。仕事があるなんて嘘だ。職場は数週間前、三月いっぱいで辞めた。その日一日をやり過ごすことだけ考えて生きていればいつか楽になるはず、と信じて仕事にしがみついていたがすべては無駄だった。
 ――同じ境遇のひとたちと話すことで癒やされると思うの。
 姑だったひとの声を頭のなかで再生する。わたしの哀しみはわたしだけのもので、だれかと共有なんてしたくなかった。息子を喪った両親の気持ちを完全に理解することは不可能だし、夫を亡くしたわたしの気持ちを彼らが完全に理解することもできない。
 ――弦一郎の思い出話をしましょう。
 わたしが持っている弦一郎の思い出はわたしだけのもので、だれにも分け与えたくない。ひとに話してしまったが最後、ドライフラワーのバラを握り潰したようにこなごなになってしまうに違いない。
 顔をわずかに上げて、眼を正面の壁に向ける。そこには天然木のキャビネットがあって、大きく引き伸ばされた弦一郎の写真が飾られていた。黒いフレームのなかで年を取ることをやめた弦一郎は照れたように笑っている。少し困っているようにも見える。その横の一輪挿しに活けてある白いスイートピーは、しおれてぐんにゃりとうなだれていた。
 しばらくそのままの体勢で弦一郎を見つめていたが起き上がり、バッグから封筒を出した。死に装束。エンディングドレス。弦一郎に会いに行くための服。指で荒っぽく封を破る。なかから出てきたのは一枚の無地の一筆箋だった。

 はたちのときにいちばん気に入っていた服はなんですか?

 一筆箋のまんなかに、セピア色のインクでたった一行、そう書かれている。一筆箋を揺らすとふわりとお香らしきにおいが立ちのぼった。転校した友だちと文通していた中学生のころ、便箋にシャボンの香りのコロンを染み込ませていたことを思い出す。鼻を近づけて深く息を吸った。白檀だろうか、月桃だろうか。やわらかい甘さのなかにスパイシーな刺激を感じる、郷愁をかき立てる香り。
 はたちのときにいちばん気に入っていた服――。
 香りにつられるように、甘くて苦い毒薬みたいな思い出が蓋を押し上げてこぼれ出た。記憶はわたしを搦めとり、深い谷底へと引きずり込んでいく。

<『エンディングドレス』第一章「終末の洋裁教室」終>

6月9日発売の蛭田亜紗子さん『エンディングドレス』書籍の詳細はこちらよりご覧いただけます。

endingdress.jpgendingpop.png

Profile

蛭田亜紗子

1979年北海道札幌市生まれ、在住。2008年第7回「女による女のためのR-18 文学賞」大賞を受賞。10年、『自縄自縛の私』を刊行しデビュー。著書に『人肌ショコラリキュール』『愛を振り込む』『フィッターXの異常な愛情』『凛』などがある。
twitter @funeko_

Pick Up Book

  • かがみの孤城
  • i
  • 私のスポットライト
  • ビオレタ

お知らせ

papakue17821.jpg ご愛読いただいていた「お父さんクエスト」(小山健)がついに本になります!連載された29本のマンガとともに以下のような豪華描きおろしが満載!「お父さんのためのワンポイントアドバイス!」幸せな家庭を築くために、お父さんが知っておかなければならない心構えやテクニックを11のイラストコラムにして解説。日本中のお父さん必読!「さち子さん、特別インタビュー」いつもダンナさんに描かれっぱなしのさち子さんの単独インタビューに成功。二人の出会いから、結婚、出産にいたるまで小山家の知られざる日常を語ります。And more...

170713_img.jpgポプラ文庫ピュアフルの人気シリーズ、「ばんぱいやのパフェ屋さん」(佐々木禎子 著)の1巻が、コミックスになりました! 漫画はやぎさん、このたび新創刊したレーベル「アニメージュコミックスmiere」(発行:ティーダワークス 発売:徳間書店)にて、7月5日発売です。文庫もコミックスも、よろしくお願いいたします!

978-4-591-15498-4.jpgのサムネイル画像ポプラ文庫ピュアフル7月新刊『英国幻視の少年たち5 ブラッド・オーヴァ・ウォーター』発売を記念して、著者深沢仁さんから読者の皆さんに、抽選で、キーホルダーやコンパクトミラーなどの英国土産をプレゼントいたします。新刊オビの応募券にてご応募ください。詳細と英国旅行のミニレポートをこちらでご紹介しています。

『あざみ野高校女子送球部! 』(ポプラ文庫ピュアフル、680円+税)の刊行を記念して、小瀬木麻美さん トーク&サイン会を開催いたします。

場所 :リブロ港北東急SC店特設会場  日時 : 2017年7月16日(日) 午後2時~

参加特典として、小瀬木麻美さんが今回のイベントのために書き下ろした「『あざみ野高校女子送球部!』番外編」をもれなくプレゼント!センター南が舞台になった短編小説です。

Cov_shigotoba_R.jpg佐藤ジュンコさんのコミックエッセイ『仕事場のちょっと奥までよろしいですか?』が刊行になりました。作家・伊坂幸太郎さん、漫画家・いがらしみきおさんから伝統工芸の職人さんまで「作ること」のプロ15名の仕事術をイラストでルポ!

達人たちの仕事場にお邪魔したら、楽しい驚きがいっぱい。まさに大人の社会科見学!ふむふむ、へーと読んでいるうちに、むくむくとやる気が湧いてくるお仕事エッセイです。

Pick Up Book

  • かがみの孤城
  • i
  • 私のスポットライト
  • ビオレタ