なんて訳せばいいのかしら?

加藤洋子

なんて訳せばいいのかしら?

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これはもう運命としか言いようがない

 翻訳者は、額にしわ寄せて、目をしょぼつかせて、ただひたすら翻訳しているわけではない。出版社やエージェントに頼まれて、原書を読み、あらすじや特徴、どういう読者層を狙えるかなどを簡潔にまとめた概要(シノプシスとかレジュメと呼んでいる)を書くのも仕事のうちだ。締め切りに追われれば朝からときには夜中まで、土日もなく、ときに頭を掻きむしり、凝り固まった肩や腰を拳でトントンしながら翻訳していると、これが恰好の息抜きになる。自分の好きなタイプの本ならなおのこと、翻訳作業が煮詰まっていればなおのことだ。話はそれるが、翻訳という仕事、まさに"3K"(もう死語?)だと思うことがある。きつい、暗い、金にならない、の3K。でもつづけているのは、どんぴしゃりの訳語を思いついたときの、「やったー、これだよね、やっぱりあたしって天才だよね」な感じがたまらないからだ。好きなんですね、けっきょく。

 わたしは読むのが早いほうではないので、シノプシスを書くのは年に数本だし、まして「これ、絶対に訳したい!」と思える本に出会えるのは何年かに一度だ。そういう本に出会うと心が震える。読んでいるあいだ、かたわらにはその本の世界があって、二十四時間(眠っているときも)その本のことが頭から離れない。「早く戻ってきて先を読んで」と本に呼ばれている気がする。終わると、「わたし以外の翻訳者の手に渡ったら、そいつの家に火をつけてやる」ぐらいの気持ちになる。去年、そういう本に出会ってしまった。これはもう運命としか言いようがない。本のタイトルは"Spill Simmer Falter Wither"。
 このとき書いたわたしのシノプシスの出だしをここに貼り付けます。

 犬好き、猫好きは、犬や猫が大きなウェイトを占める小説を、じつはあまり好きではない。犬や猫がいじめられたり、傷つけられたり、死んだりするのを(たとえ架空の話であっても)見たくないからだ。それでいて、あまたの困難を乗り越え最後は飼い主のもとに戻る、お定まりのお涙頂戴犬猫物はいやだと思う。わがままなものだ。
 犬好きのわたしは、この作品を読むのが辛かった。虐待されて人間不信に陥った噛み癖のある犬、という設定だけで、勘弁してよ、と思ったからだ。この子が傷つけられたらどうしよう、死んだらどうしよう、その思いから最後の10数ページを先に読んだ。安心したかったからだ。だが、読んでもどういうことかわからなかった。主人公がどうなるのか、犬がどうなるのか、最後の10数ページを読んでも理解できなかった。
 ミステリーなら、犯人がわかって、やれやれ、と思えるが、この作品はミステリーではない。純文学だ。ヒリヒリするほど繊細で感覚的で透徹した言葉で綴られた散文詩と言ってもいいかもしれない。章は春、夏、秋、冬の四つ。タイトルの「spill simmer falter wither」はむろん「spring summer fall winter」のもじりだ。迸る春、滾る夏、滞る秋、萎える冬、とでも訳そうか。
 一人称の「ぼく」ではじまる文章と、主人公が犬に語りかける「きみ」ではじまる文章で構成され、「彼」や「彼女」はほとんど出てこない。つまり、人間同士の関わり合い、触れ合いがいっさいないのだ。主人公のモノローグと、犬に語って聞かせる話から、主人公の五十七年の人生が少しずつわかってくるという体裁の作品で、通奏低音のように流れているのは、底なしの孤独感、外界や他人に対する不安と怖れ、そして身を切られるような悲しみだ。

 このシノプシスを気に入ってくれた編集者がいて、本書は翻訳出版されることになった。そのニュースを聞いたとき、まず「ほんとに?」と思った。ミステリーやロマンス小説はまだ市場があるが、純文学は商売にならない、と敬遠されるからだ。でも、ほんとだった。ほんとうに翻訳できるのだ。嬉しくて、「世の中、捨てたもんじゃないね」と思った。

 今年の2月から翻訳作業をはじめている。難しいのはわかっていた。だって、「ヒリヒリするほど繊細で感覚的で透徹した言葉で綴られた散文詩」ですもの。わたしが持っている語彙で太刀打ちできるだろうか、と不安に駆られる。でも、もう後へは引けない。翻訳は孤独な作業だから、誰にも相談できないし、ちょっとここんとこ手伝って、と人に頼むこともできない。のっけから立ち往生だ。原文はこう。"He is running, running, running" 「彼は走る、走る、走る」中一の英語の授業じゃないんだから。英文和訳じゃないんだから。
 つぎのパラグラフの最後は、野の草の名前が四つ並ぶ。"Dandelions and chickweed, nettles and dock" そのまま訳せば、「タンポポとコハコベ、イラクサとギシギシ」原文のほうは、文字数の多い言葉から順に並んでいる。リズムがある。リズム。訳もリズムのある文章でなくっちゃ。たとえば、日本語で心地よいリズムは、(古いと思われるかもしれないが)七五調。俳句や短歌のあのリズムだ。演歌もそう。「背伸びして見る海峡を、きょうも汽笛が遠ざかる」「情なしの 移り気の 後ろ影 もう一度会いたい」見事な七五調。すっと頭に入ってくる。忘れない。島崎藤村の詩もそうだ。「まだあげ初めし前髪の、林檎のもとに見えしとき、前にさしたる花櫛の、花ある君と思ひけり」中学の時、暗唱しました。日本語はほんとうに美しい......と酔っている場合ではない。
 まずは最初の"走る"が三つ並ぶ文章だ。この形を作者は繰り返し使っている。各章の最初の文章がこれだし、言葉三つは生かさないと。でも、ただ並べてもリズムは生まれない。だったら、三つ目に言葉を補ってリズムを作る。「走る、走る、ひた走る」三、三、五。どうだろう。

 とまあ、こんなふうに悩みながら、迷いながらシコシコと翻訳している日々を、このエッセイで綴ってゆきたいと思っていますので、どうぞよろしくお願いします。

Profile

加藤洋子

(かとう・ようこ)
英米文学翻訳家。主な訳書に『アウトランダー』(ハヤカワ文庫)『ブーリン家の姉妹』『凍える墓』『クッキング・ママの最後の晩餐』(集英社文庫)、『ナ イチンゲール』(小学館文庫)などがある。また翻訳者を目指す方々のための翻訳教室も主宰している。
http://www.japanuni.co.jp/business/seminar/translate/kato.html
「八ヶ岳山麓の森の中で、猫6匹犬1匹と暮らしています。犬は今年18歳、目と耳が衰え、ボケも進んでいるけれ ど、ちゃんと食べて、散歩のときはスタスタ歩いて、その姿を見ると愛しさに胸がキュンとなります。趣味の乗馬は20年以上続けているのにまったく上達せ ず。でも、馬はいいです。そばにいるだけで気持ちがやわらぐから。気心の知れた人たちと、おいしいお酒を飲んでおしゃべりするのが至福の時です。」

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