なんて訳せばいいのかしら?

加藤洋子

なんて訳せばいいのかしら?

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ジョイスのパブと文学賞

 小説を訳すときに、わたしがなによりも大切にしているのは、原作に寄り添うこと、登場人物に共感し共鳴することだ。共に生きること、と言ってもいいかもしれない。いま、この本を訳していて、主人公のレイの心情に少しずつちかづいている気がする。レイは自分のことをこんな風に言っている。"I'm fifty-seven. Too old for starting over, too young for giving up. And my name is the same word as for sun beams, as for winged and boneless sharks"

 最初の部分を、~には歳をとりすぎていて、~には若すぎる、と単純に訳していいのかな、といま頭を悩ませている。57歳の男に、"若すぎる"という言葉を使うことに抵抗があるのだ。英語の"young"と日本語の"若い"はイコールで結べない、微妙なずれがある気がする......といまはそのことで頭を悩ませている。あとの部分、翼があって骨のないサメってなんでしょう? 答えはエイ(英語でRay)。なるほどって思いませんか?

 さて、話は変わって、イギリスのお隣の国、アイルランド共和国の首都ダブリンにデイヴィー・バーンズという有名なパブがある。創業は1889年というから100年以上つづく老舗で、ダブリンの観光名所にもなっている。なによりこの店が有名なのは、アイルランドの文豪ジェイムズ・ジョイスが常連だったからだ。パブが開業したころ、ジョイスはおなじ通りにある下宿屋に住んでいて毎日のように店に通い、店主のデイヴィー・バーンと親交を深めた。やがて店は小説家の溜まり場となり、ダブリンでもっとも名高い"文芸パブ"と呼ばれるようになった。ジョイスは短編集『ダブリン市民』や『ユリシーズ』にこの店のことを描いている。

 どんなパブだろう、と興味をもたれたそこのあなた、便利な世の中になったもので、ダブリンまですぐに飛んではいけないけれど、このパブの内装とかメニューとか、ネットで見ることができる。

 http://www.davybyrnes.com/  

 うーん、なかなか豪華、丸天井にはステンドグラスがはまっているし。メニューの一端をご紹介すると、ランチで、岩ガキとブラウンブレッドが12ポンド95、アイルランドに行ったらこれを食べなきゃ、のアイリッシュ・シチューが12ポンド50、いちばん高いのがサーロイン・ステーキで17ポンド95、2000円から3000円のあいだだ。これにフレッシュ・フライかポテト、野菜サラダがつくそうだけれど、料理のお供のワインを飲んで最後をコーヒーで〆るとけっこうな値段になる。しかもランチだし。メニューには載っていないが、アイルランドに行ったらこれを飲まなきゃ、のギネスももちろん出しているはずだ。泡に三つ葉のクローバー(シャムロック)を描いてくれるかどうかはべつにして。余談だが、これを描いてくれるパブが新宿にある。南口からちょっと歩いたところのビルの地下にあるフリゴだ。ドイツとベルギーのビールが中心の店で、巨大な冷蔵庫から自分でボトルを出してカウンターに持ってゆく。会計はキャッシュ・オン・デリバリー方式だから、グループで行って一人で先に帰るときに楽だ。ここのムール貝はほんとうにおいしくて、ゆで汁にパンを浸して食べると最高! ギネスに合います!

 と、このエッセイ(というか、翻訳のことや本のことをだらだらと書き綴る身辺雑記)の2回目にアイルランドのパブのことを"だらだら"と紹介したのは、このパブが有名な文学賞のスポンサーになっているからだ。その名も"デイヴィー・バーンズ・ショート・ストーリー・アワード"、アイルランド人作家の手になる短編小説に与えられる賞だ。スティンギング・フライという文芸雑誌が主催する賞で、2004年の第一回受賞作はアン・エンライトの『Honey』だった。審査員には、日本でも名が知られたアメリカ人作家トバイアス・ウルフも名を連ねていたる。彼の自伝的小説『ボーイズ・ライフ』(飛田茂雄訳、中央公論社刊)は映画化されていて、レオナルド・ディカプリオの出世作となったそうだ(わたしは未見なので)。共演はあの名優ロバート・デ・ニーロときたらぜひ観てみたくなる。DVDが発売されているので、いまより顔の幅が半分だったディカプリオを観たい方はぜひ。そうそう、ディカプリオ、ついにオスカーを手にしましたね。パチパチパチ。スピーチもすばらしかった。個人的には、5度目のノミネートでやっととれたんだから("悲願のオスカー"とか言われて)、感極まって泣くかと期待したのに、がっかりでした。

 それはそれとして、受賞者のアン・エンライトは2007年に『The Gathering』でイギリスの最も権威ある文学賞、ブッカー賞を手にしている。残念ながら彼女の作品で邦訳されているのは、アイルランドの作家6人によるオムニバス小説『フィンバーズ・ホテル』(茂木健訳、東京創元社刊)のみだ。

 デイヴィー・バーンズ・ショート・ストーリー・アワードのほうは、それから5年ごとに開催されており、アン・エンライトが審査員を務めた2014年第三回の栄えある受賞者が、このエッセイの主題である『Spill Simmer Falter Wither』の作者、サラ・ボームだ。受賞作は『Solesearcher1』で、孤独と孤立を、「深い人間洞察に根差したやさしさで見つめた」作品のようだ。タイトルからもなんとなくそういう感じがする。この賞の賞金は1万5千ポンド(ちなみに第一回は2万ポンドだったのに、不況のせい?)、ブッカー賞の5万ポンドには遠く及ばないが、芥川賞の100万円よりは高い......だからどうなの、と言われると返す言葉はないけれど。

 不定期エッセイ第三回には、サラ・ボームの経歴を紹介したいと思いますのでお楽しみに。

Profile

加藤洋子

(かとう・ようこ)
英米文学翻訳家。主な訳書に『アウトランダー』(ハヤカワ文庫)『ブーリン家の姉妹』『凍える墓』『クッキング・ママの最後の晩餐』(集英社文庫)、『ナ イチンゲール』(小学館文庫)などがある。また翻訳者を目指す方々のための翻訳教室も主宰している。
http://www.japanuni.co.jp/business/seminar/translate/kato.html
「八ヶ岳山麓の森の中で、猫6匹犬1匹と暮らしています。犬は今年18歳、目と耳が衰え、ボケも進んでいるけれ ど、ちゃんと食べて、散歩のときはスタスタ歩いて、その姿を見ると愛しさに胸がキュンとなります。趣味の乗馬は20年以上続けているのにまったく上達せ ず。でも、馬はいいです。そばにいるだけで気持ちがやわらぐから。気心の知れた人たちと、おいしいお酒を飲んでおしゃべりするのが至福の時です。」

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Cov_Kuko_R.jpg『最高の空港の歩き方』の刊行を記念してトークイベント「夏休み、空の玄関で逢いましょう。」を7月23日(日)にジュンク堂書店大阪本店で開催いたします。いま空港がアミューズメントパーク化しています。ご当地グルメ、空港限定グッズ、お風呂、空港アート、飛行機撮影、工場見学ーー飛行機に乗る人も、乗らない人も楽しめる「空の玄関」の遊び方と、その背景にある「進化の理由」を『最高の空港の歩き方』の著者・齊藤成人さんと空港ファンであるイラストレーターの綱本武雄のふたりが熱く語ります。入場無料(先着40名)です。

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978-4-591-15498-4.jpgのサムネイル画像ポプラ文庫ピュアフル7月新刊『英国幻視の少年たち5 ブラッド・オーヴァ・ウォーター』発売を記念して、著者深沢仁さんから読者の皆さんに、抽選で、キーホルダーやコンパクトミラーなどの英国土産をプレゼントいたします。新刊オビの応募券にてご応募ください。詳細と英国旅行のミニレポートをこちらでご紹介しています。

『あざみ野高校女子送球部! 』(ポプラ文庫ピュアフル、680円+税)の刊行を記念して、小瀬木麻美さん トーク&サイン会を開催いたします。

場所 :リブロ港北東急SC店特設会場  日時 : 2017年7月16日(日) 午後2時~

参加特典として、小瀬木麻美さんが今回のイベントのために書き下ろした「『あざみ野高校女子送球部!』番外編」をもれなくプレゼント!センター南が舞台になった短編小説です。

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達人たちの仕事場にお邪魔したら、楽しい驚きがいっぱい。まさに大人の社会科見学!ふむふむ、へーと読んでいるうちに、むくむくとやる気が湧いてくるお仕事エッセイです。

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