藤谷治『綾峰音楽堂殺人事件』

評者 瀧井朝世

子供から大人まで楽しめる、 奥行きのあるエンターテインメント

子供から大人まで楽しめる、 奥行きのあるエンターテインメント


 風変りな探偵が地方都市を訪れ殺人事件に遭遇し、集まった情報をもとに優れた推理能力を発揮して犯人を突き止める。そして、その経緯を知人の作家が小説にする―といえば、ミステリ好きなら横溝正史の金田一耕助シリーズを思い浮かべるだろう。これまでにも多くのオマージュ作品が生まれているが、この作家も書いた、と聞くと「おっ」と思う人は多いのではないか。
 その作家とは藤谷治。ミステリ作家ではない。彼の新作『綾峰音楽堂殺人事件』はタイトルからも分かる通り、人が殺される話である。ただ、藤谷氏はこれまでにも、人気作家たちが江戸川乱歩の少年探偵団シリーズのオマージュ作品を執筆する企画で『全員少年探偵団』を上梓、同プロジェクトのアンソロジーにも参加している。きっと少年の頃から推理小説や探偵小説に親しんできたのだろう。また、本作は、自らもチェロを弾き、人並みならぬ音楽の知識と愛情を持った著者らしさも詰まった一冊だ。
 作家のフジツボは編集部からの要請を受け、世間を騒がせた「綾峰音楽堂殺人事件」の全貌を小説風に書くことにする。というのも、彼は事件当日綾峰に居合わせた人間であり、事件を解決した討木穣太郎の友人でもあるのだ。つまり本作は、すべてが終わった後でフジツボが見聞きしたことを統合して仕立て上げた小説というわけだ。彼自身の音楽や楽曲に対する見解が挟まれたり、討木に対する皮肉が吐露されたりするなかで物語は進む。
 その日フジツボは、知人である討木穣太郎に執拗に誘われ、綾峰県立音楽堂のコンサートへと向かったという。音楽堂は改築されマルチプル・スペースになることが決定しており、綾峰フィルは県からの助成金が打ち切られ存続が難しくなるため、これが最終公演だという。討木は二年ほど前から楽団の運営立て直しを図るアドヴァイザーとして関わってきた身だ。ただし彼は実際は大学の英文学の教授。討木の音楽への造詣の深さを知るフジツボが音楽専門誌に彼を紹介したところ、その音楽評が評判となり、世間で音楽評論家のように扱われるようになったのである。ちなみに討木は六十代半ば、身長百八十センチ弱、洒落っ気はなく、フジツボによると「古風な大学教授として、典型的といってもいいような風貌」だという。斜に構えたところもある、ちょっとクセのある人物である。
 さて、音楽堂ではいよいよ最終公演が始まるが、最後の曲の演奏中、楽屋から悲鳴が。そこで見つかったのは、町の有名豆腐店の御曹司、吉見佑哉。一時は芸能界で脇役俳優兼タレントとして活動していたが、三十を過ぎて地元に戻り、DJユウヤとして地元の諸問題について挑発的に語る番組のパーソナリティーを務めていた。彼がなぜ、コンサートの最中、誰もいないはずの楽屋に? この町の人間関係を把握していた討木は、即座に事件の真相を把握したらしく、フジツボを連れ音楽堂を飛び出して、ある場所へ向かう。
 と、ここから時間は遡り、フジツボがまだこの町に来る前の討木の行動や、町の人間関係が紐解かれていく。地元の有力者たちの家をめぐるロミオとジュリエット的な恋愛模様も浮かび上がってくるが、そんななか次第に引きつけられていくのは、今、実際に音楽だけでなく芸術が直面している問題だ。
 あなたは、県の楽団が存続できないと聞いて、もったいないと思うだろうか、それとも当然と思うだろうか。
 昨今の人々は、音楽愛好家以外はなかなかコンサートホールまで足を運ばない。CDもなかなか買わない。なぜなら、ネットで無料でいくらでも聴けるから。だから地元に根差した楽団は、コンサートを開けば開くほど赤字になる。そういう状況の時、県は芸術振興のために楽団に助成金を払い続ける必要があるのか? 実は演奏会前、その問題をラジオ番組でゲストである討木に執拗に問い詰めたのが吉見だ。パーソナリティとしての彼の物言いは挑発的で下品で嫌悪感すら抱かせるが、財政がひっ迫している自治体においては切実な問題だ。芸術と公共性、芸術に対価を払うことの必要性を分かっていても、実生活ではネット等で無料で消費してしまうというのが多くの人の実情だろう。つまりは読者にとっても、なんとも耳の痛い内容である。
 吉見に冷静にやり返す討木の言葉のひとつひとつが響いてくる。探偵小説を書きながらも、著者が本当に訴えたかったのはこの部分ではないか、とも思えてくる。また、吉見のような扇動的な人間に乗せられ、自分ではよく考えもせずに他人を叩きはじめる人々の短絡な行動も描かれる。これもまた、昨今では身近な問題である。
 さて、肝心の殺人事件の真相は? 実はコンサートで演奏される楽曲にはある特色があり、それが事態をより複雑にしている。つまりこれは、音楽に造形の深い著者だからこそ思いついた事件なのである。その混乱のなかで、討木はある人物のちょっとした行動を見逃さずに、犯人を見事言い当てる。その観察眼は見事である。そして、すべてが終わった後、討木がフジツボに語る内容にも、はっとさせられる(ある名作ミステリを思い出しもした)。
 読みながら、登場するさまざまな楽曲も聴きたくなってくる。音楽という得意分野を活かしつつ、いつもながらの巧みな語り口で物語に引き込んで謎解きの面白さを提示し、さらに現代社会への問いかけも盛り込んでいる。子供から大人まで楽しめる、奥行きのあるエンターテインメントだ。

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藤谷治『綾峰音楽堂殺人事件』

定価:本体1600円(税別)

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Profile

評者 瀧井朝世
1970年生まれ。東京都出身、慶應義塾大学文学部卒業。出版社勤務を経てライターに。作家インタビュー、書評などを執筆。現在は同コーナーのブレーンを務める。著書に『偏愛読書トライアングル』(新潮社)、『あの人とあの本の話』(小学館)。岩崎書店〈恋の絵本〉シリーズ監修。

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